序
鬼になってしまった
遊びといえども わたしは鬼になった
手だって足だって 口も目も こんなに小さいのに
わたしが鬼だから みんな逃げる
逃げる
キャッキャッ キャッキャッ 笑って
白い歯を剥き出し
必死で逃げる
だから
わたしは鬼になってやる
×××
あるところに鬼と呼ばれる姫がいた。
鬼はうぐいす姫と云った。
誰がそう呼んだのか知らない。
鬼と呼ばれるようになったのは、村人を喰べるようになってからだ。
体が欲するのだ。
人間を喰いたい。
人間をばりばりと喰いたい。
山奥に住んでいたうぐいす姫は、時々、山を下りて村人を一人ずつ喰った。
うぐいす姫は村人に恐れられるようになった。
ある日、うぐいす姫の元へ一人の若者がやって来た。
村人を喰わないでくれ、俺が身代りになる。
若者は自分を差し出した。
うぐいす姫はそれを受け入れ若者だけを喰うことにした。
そして、術をかけた。
腕を一本だけ残し、朝には再生できるようにした。
術によって若者は喰われ、生き返った。
ある日、若者の母親がやめてくれと頼みに来た。しかし、うぐいす姫は欲望の塊となっていた。
母親を追い返し、いつも以上に若者を痛めつけると喰った。
村人たちはこのままではいけないと思い立ち、うぐいす姫を襲った。
とうとう、うぐいす姫は村人に殺された。
※※※
静かだった。
風もなく、虫も鳴いていない。
陽一郎は右腕を支えて立ち上がると、地面に降り立った。
影がある。
見上げると丸い月が出ていた。月は白くその周りに暈ができていた。空気が生ぬるい。
雨でも降るのかと思い、息をついて顔を上げてぎくりとした。
うぐいす姫がこちらを見ている。
頬にかけて飛び出した牙は元に戻らなくなっていた。
うぐいす姫は床に座った。
「参れ」
しゃがれ声で呼ばれる。
初めて彼女を見た時、なんて美しい姫だろうと思った。
だが、おのれを差し出してからは彼女の姿はぐずぐずと崩れていった。
白い肌はどす黒く、髪には艶がない。目はぎょろりと飛び出して鋭い爪が伸びている。
陽一郎は言われた通り隣に座った。
うぐいす姫は、陽一郎の右腕を指でつかむと、持っていた鋭い刃物で切り落そうとして躊躇した。
首を傾げると、うぐいす姫は空を見上げていた。
「月暈が見えるの」
「ええ」
陽一郎は素直に頷いた。
うぐいす姫は刃物を置くとふらりと立ち上がり、どこかへ行ってしまった。
殺さないのだろうか。
うぐいす姫は、手に盃を持ってすぐに戻って来た。
「飲め」
再びしゃがむと陽一郎に盃を持たせて徳利を傾けた。
陽一郎は一口飲んだ。甘い酒だった。
「うまいです」
うぐいす姫が笑った気がした。そして、陽一郎の右手を見て云った。
「見せろ」
陽一郎は感覚のない右手を左手で持ち上げた。
右腕は何度も切られて再生がうまくいかず、指先が壊死していた。
うぐいす姫はそれをじっと見てから、自らの手のひらを陽一郎の右手にかざした。手に感覚はなかったが、壊死した指先に色が戻り爪が生えた。
驚いて顔を上げると、口を真横に結んだうぐいす姫の顔があった。
近くで見るとよく分かるのだが、飛び出た歯にはひびが入っており、頬は傷だらけだった。
「ここを出てどこかへ移らぬか」
「場所を替えるのですか?」
「うむ」
うぐいす姫は頷いた。
「我は疲れた。お前を喰うのはもうやめる。お前、名は何と云うのだ」
ここに来て数カ月、初めて名前を聞かれた。戸惑いながら陽一郎と申します、と答えた。
「よい名じゃ」
うぐいす姫は笑うと、立ち上がった。
「好きにしてよい。明朝、出立するが、お前は村に戻れ」
「うぐいす姫」
陽一郎は動く右手で彼女の肩をつかんでいた。
初めて会った日の彼女に戻って欲しかった。
「私も一緒に参ります」
「うむ」
うぐいす姫は陽一郎の右手を払うと、足早に去ってしまった。
陽一郎はすとんとその場にしゃがみ込んだ。
夢だろうか。
なぜ、ついて行くなどと云ってしまったのだろう。
けれど、彼女のそばに居るのは自分の役目だと思ったのだ。
明朝、出立と云っていた。
持ち物など何もないが、一度、母に会いたかった。
これから村へ下りて、夜が明ける前に戻ればいいだろう。
思い立つと居ても立ってもいられず、陽一郎は庭に降りた。その時、
かつん、
と石が弾ける音がした。
音の方へ顔を向けると、暗い森から村人が何十人も現れた。手には斧や矢を持っている。
陽一郎が後ずさりすると飛びかかってきた。
「な、何をっ」
声を上げると足で顔を抑えつけられた。
「声を出すなっ」
「鬼はどこだっ」
村人が斧を突きつける。
殺される――。
これで終わるのか。
「待て、その者に危害を加えるな」
うぐいす姫の声に顔を向けると、村人に拘束されたうぐいす姫が現れた。
赤い袴がずたずたに引き裂かれていた。
陽一郎は目を見開いた。
複数の村人に手足をつかまれたうぐいす姫は、目の前で歯を折られた。
鋭い悲鳴が陽一郎の胸を刺した。
「すぐに殺せっ」
村人が叫んだ。
「この男はどうする。こいつも鬼の仲間だぞ」
「男も殺すんだっ」
首筋に刃が差しこむ。熱い血が滴った。その時、うぐいす姫が叫んだ。
「その者を殺すな、殺してはならぬっ」
どこかで火を放ったのだろう。ばきばきと屋敷が燃える音がしていた。
「知ってるぞ! 殺せば男は二度と甦ることはできない。そうだろう」
村人が笑った。
うぐいす姫はそれを聞くなり、力いっぱい両手を広げて村人を弾き飛ばすと、陽一郎の方へ飛びかかって来た。
一斉に矢が放たれた。
矢がうぐいす姫の腕や手足に突き刺さったが、構わず陽一郎の方へ走ってきた。
庭に突き飛ばされた陽一郎は地面に叩きつけられた。
「やめよっ」
飛んできた矢が陽一郎の胸に突き刺さった。
がくりと陽一郎の体が傾いだ。
瞬間、聞いたこともない悲鳴が上がり、村人たちは耳を押さえた。
うぐいす姫は目から血の涙を流し、ゆらゆらと左右に揺れたかと思うと体が真っ二つに割れた。
ひとつは美しいうぐいす姫に。
――もうひとつは鬼の姿に。
美しいうぐいす姫は起き上がると、呆然とする村人を押しのけて陽一郎の傍らにしゃがんだ。そして、陽一郎に刺さった矢じりを抜くと傷口に手を当てて再生を施した。
陽一郎がぴくりと動いたのを確認すると、うぐいす姫は目を閉じ覆いかぶさった。
一方、鬼は手をついて起き上がり村人を睨みつけた。
「望む通り、我が消えよう。だが、おのれら覚えておれ。我は必ずよみがえる。そして、皆殺しにしてやる」
そう云うと、鬼は自ら命を絶った。
うぐいす姫が倒れたのを見て村人たちは喜んだ。
これで鬼におびえる生活はなくなった。
歓声の声を張り上げた時、月の光が陽一郎とうぐいす姫の体へと落ちた。
村人は声を殺してそれを見つめた。
何が起きているのだ、と口ぐちに云った。
陽一郎は胸を押さえて起き上がり、すぐそばに倒れているうぐいす姫を見た。
姫は息をしていなかった。
初めて会った時の美しい姿で薄紅の唇は青ざめていた。すると、うぐいす姫の体がふわりと浮かんだ。
陽一郎は茫然と見つめていると、もうひとつ光が現れて鬼を照らし始めた。
陽一郎は鬼に駆け寄った。鬼を抱きしめる。
「鬼を渡せっ」
「そいつは月から来た鬼だ。月の力でよみがえるやもしれんっ」
村人が口々に叫んだ。
「鬼を燃やしてしまえ」
「なりませんっ」
陽一郎は鬼をかばった。村人は陽一郎に矢を向けた。
「死にたいのかっ」
「これ以上、うぐいす姫を悲しませないでください」
「鬼が悲しむものか。村人がどれだけ殺されたか知っているだろうっ」
陽一郎は無我夢中で光る鬼の体を抱きしめた。
「そいつをよこせっ」
足で蹴られても、陽一郎は鬼から離れようとしなかった。
「もういい、こいつも一緒に焼き殺せっ」
村人が叫んだ。
一斉に火が放たれ、陽一郎の着物に燃え移った。
村人たちは燃え盛る陽一郎と鬼を見て後ずさりした。
陽一郎は息も絶え絶えになりながらうぐいす姫に云った。
「うぐいす姫、一緒に参ります。俺にはあなたのいない生活など考えられない。そして、もう一度、あなたに会いたい。伝えていないことが…あるから…」
陽一郎はそう云うと、静かに目を閉じた。
その後、鬼から解放されたその村は流行り病が原因でほとんどの村人は死んでしまった。
これより先は、ずっとずっと後の物語りである。
※※※
「あちい」
笹岡陽一は自転車を一生懸命こぎながら大きく息を吐いた。
頭の上では雲ひとつない青空が広がり、むくむくと入道雲までそびえている。
夏休みに入って友達とプールへ行く約束をしたのに、入り口で財布を忘れたことに気がついた。友達はお金を貸すと言ってくれたが、今日はやめとくよ、と断った。
実際、財布がどこにあるのか見当もつかないが、中身も怪しい。
プールからの帰り道、
「あああ…」
陽一は上り坂を前に自転車を下りた。
「このままじゃ死ぬ…」
自転車をのろのろと押して歩いていると、前から中年の男が歩いて来た。この暑い中、長袖のシャツを着ている。目つきが悪い。
変な男とは目を合わせないようにしよう。
陽一はちょっと身構えた。
「おい」
すれ違った瞬間、話しかけられて、びっくりした。
「は、はいっ」
思わず返事をして立ち止まってしまった。
や、やばい。刃物持ってたらどうしようっ。この炎天下で殺されるなんてまっぴらだ。
慌てて周りを見ても住宅街で誰も歩いていない。
男は真横まで来てじろじろ見てくる。
「笹岡陽一だな」
男が自分の名前を言った。
「な、なんで俺の名前っ」
変質者、決定!
おっさんの変質者は陽一に向かって手を出した。
「わっ」
陽一は思わず頭を押さえた。がしゃんと自転車が横に倒れる。
「これを受け取れ」
男が持っていたのは黒いサングラスだった。
「へ?」
おそるおそる目を開けると、濃い目のサングラスを突き出す男の真剣な顔があった。刃物じゃなくてほっとする。
「い、いらねえよ」
「味方になれ、と言っているんだ」
「はあっ?」
わけが分からず、陽一は倒れた自転車をすぐに起こした。
くそ、チャリに傷がついた。母さんに怒られる、と自転車の傷の具合を確かめていると、男がさらに言った。
「聞いているのか笹岡陽一」
「聞いてますよ。けど、わけわかんないんだよ」
高校一年生、十六歳になったばかりの陽一は、最近言葉遣いが悪い。親に注意されても簡単には直せない。
男は顔をしかめると、
「お前は笹岡陽一じゃないのか?」
とうろたえたように言った。
「うぐいす姫を探していないのか?」
うぐいす姫の名前を聞いた瞬間、陽一は自転車に飛び乗って慌ててその場を逃げ出した。
うわーっ、今のはなんだっ。夢の続きか?
陽一には自分にはどうしても理解できない記憶があった。
幼稚園の頃、自分はうぐいすの卵から生まれてきた姫と結婚するのだと思い込んでいた。
小学生の文集には将来の夢に『うぐいす姫のお婿さん』とまで書いてあった。だがそれも高学年の頃にはアホらしい夢だと思うようになっていた。
何が、うぐいす姫だ。
自分はこれからかわいい女の子と出会ってデートをしたり手をつないだりするのだ。
そんなおとぎ話の(うぐいすの卵から人間が生まれてくるわけないだろ!)馬鹿げた夢を幼い頃とはいえ、自分が語っていたとは。
思い出すだけで、虫酸が走る!
ところが、たった今、変質者のおっさんはなんと言った? うぐいす姫を探していないのか?
「うわーっ」
陽一は坂をぐいぐいと自転車で漕いだ。
「こえー、怖すぎるっ」
あのサングラスなんだ? この暑い中、てめえがしろってんだ。
思い切り自転車を漕いだので坂の上に到着した時には、汗が滝のように流れていた。
「あー、もう、マジ死ぬ」
ぜいぜい言いながら近くの公園へと入った。
日陰に入るとちょうど水飲み場があった。顔を洗うために近づく。汗を流し、口に水を含んでうがいをした。生ぬるい水だったが、少しだけ気分が落ち着く。
「はあ…」
陽一はベンチにぐったりと座った。
「暑いと変質者が増えるってマジだな」
ぼーっとするには外は暑い。
早く帰ろう、と身を起こした時、日陰から突然人が現れた。背の高い年上の女の子だった。
「お水、おいしい?」
切れ長の目は涼しげで、薄い唇は色っぽく肌の色は透き通るように白い。
こんなきれいな子、見たことないや、と陽一はぽかんと口を開けた。
「あ、あの…」
うまく答えられないでいると、女の子は陽一のそばに近づいた。
長い髪の毛をひとつにくくり、黒いワンピースの膝下からはすんなりとした綺麗な足が伸びていた。思いのほか胸が大きくて、陽一はどぎまぎした。
「わたし、困っているの」
「え?」
陽一は目をぱちぱちさせると、女の子は手を伸ばして陽一の手を握った。陽一は魂を奪われたように、脱力して女の子を見つめた。
「今宵は満月なの。あなたが見つけてくれないとわたしたちは探すすべがない。お願い、うぐいす姫を見つけて、もう時間がないの」
女の子の甘い声が頭に響いている。
うぐいす姫? そんなのいないよ。
陽一が無意識に答えた。しかし、女の子は小さく首を振って陽一の唇に人差し指を押し当てた。
「探してくれたら、ご褒美あげるよ」
甘く囁かれる。
頭が麻痺しているのに、ドキドキした。
何が欲しい?
え? 何って…。
女の子は薄く笑うと、任せたわよと言った。
気がつくと陽一は炎天下の中、一人で立っていた。公園をたまたま通りかかったおばさんに肩を叩かれて我に返った。
「大丈夫? 生きてるよね」
おばさんは心配そうに陽一の顔を覗き込んだ。
「わあっ」
突然、大きな声を出しておばさんを脅かした。
「びっくりした。脅かさないで」
「ご、ごめんなさいっ」
陽一は自転車をつかむと、一目散に逃げ出した。
暑さで頭がおかしくなったんだ、とその時は思った。
×××××
「暑いぞ、何とかならんのか」
エコ設定のためかエアコンが効いていないのか、ソファで足を投げ出し、短く切ったショートヘアの黒髪をいじりながら晶はぼやいた。
大きなぱっちりした目、鼻筋の通った愛らしい少女である。すんなりと伸びた手足はほっそりしていて、身長は145センチと小柄だが、まだ十六歳だしこれから伸びるはずだと信じている。
「舞、聞いているのか」
「聞いていますよ」
キッチンで洗い物をしながら返事をした舞は同じく十六歳の少女だが、晶とは正反対で清楚な少女だ。
背中まである長い髪は少し金色が混じっており、肌は透けるように白い。二重の目はくっきりとして薄い唇の形も整った美少女である。
身長は160センチあり彼女もまたこれからもっと伸びる予定である(と本人は思っている)。
片づけを終えた舞は冷凍庫からミニカップのアイスクリームを出して晶に渡した。
「どうぞ」
「うむ」
受け取って蓋を開けるとチョコチップの入ったクッキーアイスクリームがお目見えした。
晶の顔が輝く。
彼女はチョコレートが大好きだった。
スプーンですくって口に入れる。甘いアイスクリームが舌の上で溶けた。
「んまい…」
「晶さま、今日は陽一郎さまに会いに行かないのですか? 今日は満月ですよ、そろそろ会ってお話しなさった方がいいと思いますけど」
「ん? 誰だ、陽一郎って」
「またとぼけて」
舞もアイスを手に取ると、向かいのソファに座った。一緒にアイスクリームを食べ始める。
「運命の相手です。今年の夏で十六歳ですわ」
「そうだったかな」
晶は一生懸命アイスを食べている。
天真爛漫な姿はあどけなく、同じ年の舞は思わず笑ってしまった。
「何を笑っている」
晶はむっと口を尖らせた。
「晶さま、かわいい」
舞が言うと、晶は顔をしかめた。
「ふざけたことを申すな」
「あああ、どうして髪を切ってしまったのです? すごく似合っていたのに」
「長い髪は嫌いなのだ」
晶は先日まで長く伸ばしていたのだが、暑い暑いと言って、ばっさりショートカットにしてしまった。それが、舞には残念でならない。
「髪の毛などすぐに伸びるわ」
「まあ、そうですけど」
舞も最後の一口まで食べてしまった。
「ごちそうさまです。それにしても今日は暑いですわね。陽一郎さま大丈夫かしら」
舞が意味ありげに晶を見た。
「どういうことだ?」
「だって、あの方少しおっちょこちょいでしょ。この暑さで体が参ってしまうのではないかしら」
舞の話を聞いて、晶は少し考えた。
この時代に転生してから、とりあえず毎日、陽一郎の様子をこっそりと観察してきた。だが、今年の陽一郎は今までと少し違っていた。
今までの陽一郎は、皆、賢くてはきはきと物を言う頼もしい少年だったが、今年の陽一郎はなんというかその……。
はっきり言ってアホなのだ。
「あれが本当に陽一郎の生まれ変わりだろうか…」
自転車で移動をする陽一郎はすでにまっ黒に日焼けして、夏休みに入ってからは毎日友達と遊びまわっている。
晶もそんな陽一郎を見るのがほんの少し楽しみだ。
今日は何をするのかな、と思うだけで心が弾む。しかし、今日はまだ会いに行っていない。会うといっても気づかれないように、こっそりと覗くだけなのだが。
「ストーカーって言うんだそうですよ」
「ふんっ」
晶は屑かごにアイスのパックを捨てると、キッチンへ行って手を洗った。
「どこへ行かれるのです?」
「散歩っ」
晶が言うと、舞はあたふたと立ち上がり、その後を追いかけた。
「晶さま日焼けするから日傘をお持ちください」
「うむ」
黒い日傘を用意して二人は外へと出る。出た瞬間から、セミの大合唱が聞こえた。太陽はカンカン照りで、舞はげんなりしたが、晶はさっさと歩き始めた。
黒い日傘を差した高校生は割りと目立ったが、通りにほとんど人はなかった。
さるすべりの花が住宅の庭のあちこちで咲いていた。アスファルトの隙間からハルジオンが咲いている。雨が降らないため、花は萎れかけていた。
晶は立ち止ると、ハルジオンに手をかざした。
ハルジオンが少し顔を上げて、葉に力が宿る。
晶は周りを見渡したが、影になるような建物はない。
「雨を降らすことまではできぬ」
小さく呟いた。
「さて、陽一郎はどこにおるかな?」
晶は彼の気配をたどった。公園にいるようだ。
公園の方角へ足を向ける。園内は閑散としていて誰もいない。水飲み場まで来て呟いた。
「おらぬの」
陽一郎の気配はここで消えていた。
「晶さま」
「ん?」
「これ」
舞が持っていたのは見覚えのある黒いキャップ帽だった。
※※※
大慌てで家に帰った陽一は何よりも先に水分を取らねばと、靴を脱ぐなり裸足でキッチンに飛び込んだ。冷蔵庫を開けて中にある何でもいいから冷たいものを探した。
「麦茶っ」
コップに注いで一気に飲み干す。それを三回繰り返すと、ほうっと大きく息をついた。
「生き返った」
麦茶は空になりシンクにそのまま置いてしまう。どうせ、母が片付けるのだから構わない。
財布があるか確かめるため部屋に戻ろうとした時、ふと、何かを思い出した。
「あれ? 俺、キャップ、かぶってなかったっけ?」
今年買ったばかりの黒いメッシュの入ったキャップがないことに気づいた。
陽一は青ざめた。
どこに落としたんだろう。
道で出会った変質者の所か、もしくは公園か。
陽一は悩んだ。
あの帽子はすごく気に入っていたのだ。これからはもっと必需品となるだろう。なくすと母がうるさいし、新しいのを買うお金はない。
陽一はがっくりと首を振ると、のろのろと玄関に向かいシューズを履いた。
探しに行くしかない。
おそらく公園だと思われる。こんな運の悪い日が、かつて今まであっただろうか。ない、あってたまるか。
自転車にまたがりやみくもに漕いで公園を目指す。
あの、美人の女の子にまた会えるかな、などとぼやーっと考えながら水飲み場に向かった。
公園の入り口から自転車を押して中に入ると水飲み場に誰かいた。
女の子が二人。
一人の少女を見た途端、陽一は胸が高鳴り自転車のグリップを握る手が震えた。
「マジか…」
とんでもなくかわいい女の子が自分の帽子を眺めている。
陽一は呆けたように口を開けて少女を見つめた。
「うぐいす姫だ…」
間違いない。
それが自分の声だと、すぐに気付かないほどだった。
「本当にいたんだ」
陽一は自分の頬をつねった。
年を重ねるごとにうぐいす姫なんかいないんだ、と裏切られた気持ちでいた。
だが、目の前にいるのは間違いなく自分の運命の相手、うぐいす姫だ。
よく分からないけど、自分たちは大昔から会うべくして生まれてきたのだ。
自分の中にある記憶が彼女と会うべきだと叫んでいる。
陽一は震える足を必死で動かして二人に近づいた。
「あ、あのっ」
声を振り絞ると、二人がぎょっとして陽一を見た。
ショートカットの子が大きな目を見開いて陽一を見たかと思うと、おびえたように後ずさりした。
帽子を持っていた長い髪の美少女は、まあ、と口を押さえてにこりと笑った。
「こんにちは」
長い髪の美少女。陽一が探していたうぐいす姫は、ほほ笑みを浮かべていた。
「お、俺、君を探していたんだ」
かっこ悪いくらい声が上ずった。
「え?」
美少女が首を傾げる。
すごくかわいい。
陽一はぽうっとなった。
「う、うぐいす姫だろ、君」
陽一の言葉を聞いて美少女は言葉を失ったように見えた。
白い肌が消え入りそうなほど、スッと白くなった。
拙作をお読みくださりありがとうございます。
こちらの作品は、2024年よりカクヨム様にて推敲しなおして、再度連載を始めました。
まだ、なろう様の方の部分の方がかなり進んでいるのですが、もし、ご興味がありましたら、カクヨム様にて読んでいただけると幸いです。
ありがとうございました。