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第九話 最悪のスピンロック

光の渦を通り抜け、俺たちが降り立ったのは、開拓都市『ノースエンド』の冒険者ギルドの最下層にある巨大な地下倉庫だった。


だが、そこはもはや「倉庫」と呼べる空間ではなかった。


「……ひ、ひえぇぇぇ! なによこれ! 10年前よりひどくなってるじゃないのよぉ!」


ルミナリアが無能Aらしく俺の背後に隠れて悲鳴を上げる。

薄暗い空間の中心。そこには、空間そのものがバキバキのガラスのように割れ、漆黒の虚無がのぞく巨大な『亀裂』が浮かんでいた。


そしてその亀裂の真ん中に――彼はいた。

10年前の転移者、キョウスケ・カザマ。

彼は大剣を振り下ろしたポーズのまま、全身が半透明のデジタルノイズに塗れ、空中で完全に静止していた。


「……なるほどな。これがシステム用語で言うところの『スピンロック』か」


俺は吹き荒れる次元の暴風を神界プロテクトで完全にシャットアウトしながら、冷徹な目でそのバグオブジェクトを観察した。


「す、すぴんろっく……? なによそれ、高級な鍵の名前?」


ルミナリアが首を傾げながらアホな質問を投げかけてくる。


「お前の脳みそに欠品している論理的思考のことだよ。いいか、カザマに授けられた【絶対切断】のスキルは、空間の概念ごと『100%すべてを切り裂く』という仕様だったな?」


「そうよ! 『スパッと何でも切れたらカッコいいな』って思って、あたしの最高神としての直感で実装した神スキルよ!」


「その『直感』のせいで、カザマは10年前、この場所で出力限界を試そうとして『自分自身が立っている空間の座標データ』を切り裂いちゃったんだよ。システム側は、存在しない座標にあるカザマのデータを処理しようとしてエラーを起こし、カザマ側はシステムからの応答を待とうとして超高速でループに入った。お互いがお互いの処理待ち(ロック)をかけたまま、10年間マッハの速度で『応答なし』の空回りを続けている。だからサーバーのメモリを30%も食い潰し続けているんだ。お前がやったのは、無限ループのバグを仕込んでブラウザを強制フリーズさせる悪質なウイルスの構築と同じだぞ」


「う、ウイルス……!? あたし、大女神なのに、やってることがネットのスパム業者と一緒になってるぅぅぅ!」


ルミナリアが頭を抱えてしゃがみ込んだ。


「タスクマネージャーを開いて強制終了タスクキルをかけない限り、世界全体の動作が重いままだ。魔王軍が有利になっていたのも、ただのサーバーの処理落ちが原因かもな」


俺は懐から、ルミナリアに強制サインさせた『神界全権承認印』を取り出し、親指でトントンと叩いた。


「ルミナリア社長の管理権限は切れているが、このハンコによるルート権限の強制上書きなら、この最悪の無限ループの網の目を力技でブチ切ることができる。……エルフィ、今から俺が言うコードを、お前の端末から神界のメインサーバーへ直接流し込め。猶予は30秒だ」


「ハッ! 了解です、ユウキ主任! いつでもいけます!」


エルフィがメガネを押し上げ、空中にシステムキーボードを展開した。10年越しの不良資産を文字通り強制的に解体する、俺の冷徹なデバッグが始まった。


「――よし、エルフィ。今だ、その行の最後に『強制終了』のコマンドを叩き込め!」


「ハッ! 了解です、ユウキ主任!……エンターッ!」


エルフィが空中のキーボードを鋭く叩いた瞬間、バキバキに割れていた空間の亀裂から、凄まじい警告音が鳴り響いた。


『Error: Critical System Alert!』


10年間も噛み合い続けていた無限ループ(スピンロック)が、ルート権限の強制介入によって無理やり引き剥がされたのだ。だが、バグの処理はそう簡単には終わらない。


ドグォォォォォォン!!!


「ひゃあぁぁぁぁ!? なに、なによこれぇぇ!?」


ルミナリアが俺の背中にへばりついて悲鳴を上げる。

空間の裂け目から溢れ出してきたのは、10年分の未処理エラーデータがヘドロのようにドロドロに固まった、おぞましい巨躯を持つバグモンスターだった。全身がバグった文字列のノイズで形成されており、不気味な咆哮を上げて、真っ先に俺へと襲いかかってきた。


「ユウキ主任! 危ないです、バグの攻撃が――!」


「動くな、エルフィ。そのままコードの監視を続けろ」


俺は眉ひとつ動かさず、ただ静かにその場で腕を組んだ。振り下ろされたバグモンスターの巨大な爪が、俺の鼻先わずか数センチの空間に激突する。


ズガガガガガガガギィィィン!!!


空間に激しい火花が散る。だが、俺の身体には1ミリの衝撃も、風圧すら届かない。大女神ルミナリアに強制サインさせた雇用契約書・第二条。『俺へのあらゆる物理的攻撃を100%遮断する個人用プロテクトを神界のインフラから常時無償配給する』。


バグモンスターがどれだけ怒り狂って爪を叩きつけようが、神界の絶対的なセキュリティシステムが俺の身の安全を完全保証しているのだ。攻撃は100%完全に無効。チートでも何でもない、ただの契約履行である。


「いやぁぁぁ! 死ぬ! あたしたちバラバラに切断されて消されちゃう!」


バグモンスターの猛攻を目の当たりにしたルミナリアは、最高神のプライドなど完全に消し飛ばしてパニックに陥っていた。涙と鼻水をボロボロと垂らし、化粧もぐしゃぐしゃの酷い顔のまま、床にスライディングするような勢いで俺の左太ももに必死にしがみついてくる。


「おい、ルミナリア、離れろ。スーツが汚れるだろ。鼻水を俺のズボンで拭くな」


「嫌よぉぉ! 離したら死んじゃう! ユウキ助けてぇぇぇ!」


俺の左太ももに全力でホールドし、ガタガタと震えながらワンワンと泣き叫ぶ大女神。あまりの必死さに、俺の左足は完全に重いアンカーを付けられたような状態だが、プロテクトの防御膜は完璧に機能している。


「無駄だ。俺のプロテクトの維持費は、神界の経費で落ちてるからな。……さて、ラストパッチの適用を完了させるぞ」


俺は目の前で激しく明滅するバグモンスターを完全に無視し、涼しい顔で半透明の画面へ指を滑らせた。エラーログの残骸を一括消去する構築式を淡々と打ち込んでいく。


「これで……不良資産の償却、完了だ。消えろ」


パチン、と俺が空間を指で弾いた瞬間。


ピキィィィィン……!


襲いかかっていたバグモンスターの身体が、一瞬で綺麗な白砂のようなデジタルデータへと還元され、サラサラと地下倉庫の床へと消えていった。それと同時に、10年間空間にフリーズしていたキョウスケ・カザマのオブジェクトも、システムから安全にデリート(強制終了)され、空間の亀裂がピタッと綺麗に閉じられた。


「報告します、ユウキ主任!」


エルフィがデータ端末を抱えたまま、感動に声を震わせた。


「カザマの幽霊タスクを強制終了した瞬間、神界メインサーバーのCPU使用率が一気に5%まで低下しました! 物理世界全体の処理速度が劇的に軽量化されています!」


『ぶうぅぅぅぅぅん……』と、今まで神界の遥か上空から聞こえていた、サーバーの限界稼働を物語るあの不快な超巨大冷却ファンの爆音が、ピタァッ……と完全に静止し、世界に本物の静寂が訪れた。


「すごーーーい! サーバーのファンが静かになったわぁ!」


ルミナリアは俺の太ももからようやく離れると、涙と鼻水を袖で雑に拭い、子供のように大はしゃぎして地下倉庫の床でピョンピョンと跳び跳ねた。地味極まりないインフラ改善の成果だが、経営(世界システム)にとってはこれ以上ない最大の勝利だ。


「フン、PCのファンが静かになった時が一番気持ちいいからな。当然だ」


俺はパンパンと手を払い、完全に正常化した地下倉庫を見渡した。

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