まだ名前のない距離 21 止まらなかった、その一歩の意味
放課後の教室は、
少しずつ音を失っていく。
◇
さっきまでのざわめきが、
まるで嘘みたいに遠ざかる。
◇
レンは、
席に戻るでもなく、
◇
その場に、
ほんの少しだけ立ち止まっていた。
◇
胸の奥に残る、
さっきの感覚。
◇
止まったはずなのに、
途切れていない。
◇
むしろ、
◇
前よりも、
はっきりと続いている。
◇
「……次、か」
◇
小さく呟く。
◇
その言葉は、
思っていたよりも軽くて、
◇
でも、
確かに前を向いていた。
◇
◇
ユイは、
呼び止められたまま、
◇
友達の話を聞きながら、
相槌を打っていた。
◇
けれど、
◇
意識の半分は、
ずっと別の場所にある。
◇
さっきの、
止まりかけた瞬間。
◇
あと少しで、
届いた距離。
◇
「……うん、でさ――」
◇
言葉を返しながら、
◇
ふと、
視線が揺れる。
◇
無意識に、
探してしまう。
◇
◇
レンは、
まだそこにいた。
◇
それに気づいた瞬間、
◇
ほんの少しだけ、
呼吸が浅くなる。
◇
◇
「……あ、ごめん。ちょっと後でいい?」
◇
ユイが、
少しだけ早口でそう言う。
◇
友達は一瞬きょとんとして、
◇
「え?あ、うん、いいけど……?」
◇
と、軽く頷いた。
◇
◇
その返事を聞く前に、
◇
ユイの足は、
もう動き出していた。
◇
◇
一歩。
◇
さっき止まった場所を、
今度は越えていく。
◇
◇
レンが、気づく。
◇
近づいてくる足音。
◇
さっきとは違う、
迷いのないリズム。
◇
◇
顔を上げる。
◇
視線が、合う。
◇
今度は、
逸らさない。
◇
◇
距離が、
自然に埋まっていく。
◇
あと一歩。
◇
それで、
もう十分だった。
◇
◇
「さっきさ」
◇
ほぼ同時に、
声が重なる。
◇
「……あ」
「……あ」
◇
また、同じタイミング。
◇
◇
少しだけ、
笑いそうになる。
◇
◇
「先、どうぞ」
◇
レンが言う。
◇
ユイは、
ほんの一瞬だけ迷ってから、
◇
小さく息を吸う。
◇
◇
「……なんかさ」
◇
言葉を選ぶみたいに、
ゆっくりと続ける。
◇
「さっき、止まったのに」
◇
◇
その先を、
レンが引き取る。
◇
「終わった感じ、しなかったよな」
◇
◇
ぴたりと、重なる。
◇
◇
ユイは、
少しだけ目を見開いて、
◇
それから、
ゆっくり頷く。
◇
◇
「うん」
◇
たった一言。
◇
でも、
◇
その中に、
全部があった。
◇
◇
沈黙が落ちる。
◇
今度の沈黙は、
重くない。
◇
◇
むしろ、
◇
次の言葉を、
自然に待っているみたいだった。
◇
◇
レンは、
少しだけ視線を外して、
◇
また戻す。
◇
◇
「……じゃあさ」
◇
その言葉の続きは、
◇
さっきよりも、
ずっとはっきりしていた。
◇
◇
「今、続き、やる?」
◇
◇
一瞬だけ、
時間が止まる。
◇
でもそれは、
◇
止まるためじゃなくて、
◇
進むための、
ほんの短い間。
◇
◇
ユイは、
小さく笑った。
◇
◇
「うん」
◇
◇
その一歩は、
◇
もう、止まらなかった。




