まだ名前のない距離 19 重なりかけた、その一歩
昼休みのざわめきは、
さっきよりも少しだけ遠く感じた。
◇
レンは、
机に置いたままの手を見つめる。
◇
動かそうと思えば、
いつでも動かせる。
◇
それなのに、
◇
“今じゃない気がする”と、
どこかで思っている自分がいた。
◇
タイミングを測っているわけじゃない。
でも、
◇
何かが揃うのを、
無意識に待っているような感覚。
◇
◇
ユイもまた、
立ち上がりかけて、やめた。
◇
椅子が、わずかに音を立てる。
◇
隣の友達が、
「どうしたの?」と首を傾げる。
◇
「……なんでもない」
◇
そう答えて、
小さく笑う。
◇
でも、
◇
胸の奥では、
はっきりと分かっていた。
◇
“なんでもなくは、ない”
◇
◇
もう一度、
視線が動く。
◇
今度は、
さっきよりも少しだけ長く。
◇
レンも、
同じタイミングで顔を上げていた。
◇
◇
目が合う。
◇
ほんの一瞬。
でも、
◇
確かに、
逸らさなかった時間があった。
◇
◇
そのわずかな間に、
言葉にしなくても、
いくつかのことが伝わる。
◇
“今、行こうとしてた”
◇
“同じこと、考えてた”
◇
そんな、
曖昧で、でも確かな共有。
◇
◇
レンが、
先に視線を外した。
◇
逃げたわけじゃない。
◇
ただ、
◇
少しだけ笑いそうになって、
誤魔化しただけ。
◇
◇
ユイも、
同じように小さく息を吐く。
◇
肩の力が、
ほんの少し抜けた。
◇
◇
「……なんだ、それ」
◇
誰に聞かせるでもなく、
小さく呟く。
◇
でも、
◇
その言葉の温度は、
どこか柔らかかった。
◇
◇
結局、
その昼休みは、
まだ何も起きないまま過ぎていく。
◇
話しかけることも、
近づくことも、
◇
“あと一歩”のまま。
◇
◇
それでも――
◇
さっきまでとは、
明らかに違っていた。
◇
◇
距離は、変わっていない。
◇
でも、
◇
“次に動く準備”だけは、
確実に整っていた。
◇
◇
チャイムが鳴る。
◇
午後の授業が始まる合図。
◇
みんなが席に戻る中、
◇
レンは、
ほんの一瞬だけ振り返る。
◇
ユイの姿を、
探すでもなく確認するように。
◇
◇
ユイもまた、
同じように視線を上げていた。
◇
今度は、
◇
ほんの少しだけ、
先に。
◇
◇
“次は、いける”
◇
どちらともなく、
そう思った。
◇
◇
まだ、言葉はない。
◇
でも、
◇
その沈黙は、
もう迷いじゃなかった。
◇
◇
重なりかけた一歩は、
◇
確かに、
次へと続いている。




