第32話
「願望っていうのは、マイナスな感情から生まれる。だから異能は、その人のマイナスを解決できるように形作られる。ってボスは言ってたよ」
「マイナスを、解決……」
「……分かります。私にも、心当たりがありますから」
暗い顔をする目目に、ミオは「いつか乗り越えられると良いね」と笑いかける。
そんな二人を見ながら、しかし九十九は未だ納得できずにいた。
……こちとら、小学校低学年の頃から自己分析をしているのだ。自分のコンプレックス、もとい願望など既に分かっている。他者からの賞賛、感謝、自分がこの世にいても良いと思える自信。僕を認めてくれる、居場所の獲得だ。そしてその願望は、ここへ来て既に叶えられている。僕の居場所はここにある。ここにしかない。……故に分からないのだ。ガルムとアイギスが、僕の何を具現化して現れたのか。
「……目目さん、僕の異能を見てほしい。お金なら払うから」
「え⁉︎ 普通に見ますよ! お金なんていりません!」
「ありがとう。できるだけ詳細にお願い」
「分かりました! じゃあ一分間動かないでください。私の異能の精度、対象を見つめている時間に比例しますので」
「分かった」
「へ〜、おもしろ。私のも後で見て見て〜」
「喜んで!」と返す目目の声を耳に、九十九は正座で目を瞑った。そして一分後。
「……見えました」
九十九が目を開けると、少しだけ驚いた顔をした目目と目が合う。
「凄い、です。今まで合った人の中で、一番複雑な色と形をしています」
「……と言うと?」
きっと、僕達とは完全に違う景色が見えているのだろう。
要領を得ない返答に、九十九は足を崩しあぐらをかく。
「まず私が見えるのは、私基準で変換された異能の名前。その異能のおおまかな能力。その異能が生まれるに至ったおおまかな理由。の三つです。だから完璧ではありませんし、えっと、その……人によっては、トラウマを抉ってしまう可能性もあります」
「構わない。全て話して」
「はい。……九十九さんの異能は【|Astral Ghost】。能力は、取得クリーチャーの使役。生まれた理由は、――――」
……九十九の目が、徐々に見開かれていく。
目目の声が遠くなる。意識が思考と疑問の海に沈んでいく。まるで冷水に叩き落とされたような、確かにそこにあった地面がいきなり消えたような感覚。……え? じゃあ僕の悩みって、僕が出した結論って……。
「へー、何か訳ありっぽいね。九十九君も私と似た感じ?」
「……九十九さん?」
「……ぇ? あ、あぁごめん。ぼーっとしてた。ありがと、スッキリしたよ」
「なら、良いんですけど……」
「ほらほら、次私! 名前付けて! カッコいいのね!」
「わっ。ダ、ダサくても怒らないでくださいね?」
「怒る」
じゃれ合う二人を微笑ましげに見つめながら、しかし九十九の意識は目の前の景色を見ていなかった。否、見る余裕さえなくなっていた。数分後、ミオの笑い声で我に返る。
「アハハっ、【ミュート】って、スマホじゃないんだから! ウケる!」
「……はは、ギャルっぽくて良いと思うよ」
「それ褒めてる⁉︎」
その後連絡先を紙に書いて交換し、再会を約束して別れた。
目目さんは弟の手術費を稼ぐために、あと何回かゲームに参加するつもりらしい。やめた方が良いと思ったのはミオさんも同じだったらしく、面倒を見てあげるとか何とか言っていた気がする。目目さんは誰かのために、ミオさんは全てを受け入れた上で、二人共揺るぎない信念を持っている。
……スモークで何も見えない筈の車窓を見つめる九十九を、運転中の鴉がモニター越しにチラリと見る。
「……どうかいたしましたか? 九十九様」
「……いえ。少し疲れただけです」
そうには見えない暗い姿に、鴉は努めて明るく声をかける。
「本日も凄い活躍でしたね。客席も盛り上がっていましたよ」
「はは、なら良かったです」
「最初に九十九様が当たった風使い。攻撃が見え辛いのであまり人気はありませんでしたが、それでも序盤で脱落するようなプレイヤーではありませんでした。そして今回の目玉と言っても過言ではない、篝様とのバトル。白熱しすぎて客席が揺れていましたよ。九十九様をここで摘ませるな! という怒号さえ飛んでいましたからね」
「……ふふっ。ありがたいことです」
九十九は鴉が気を遣ってくれているのを察し、彼の声に向き直った。
「篝さんって、やっぱ凄い強い方ですよね? 身のこなしとか、オーラとか、頭一つ抜けている気がしました」
「当然ですよ。彼はランカーですからね」
「ランカー?」
「日本全国のプレイヤーの中で、百位圏内に入っている猛者達のことです」
そういえば、そんな制度もあったな。確かゲームに十回参加すると、それまでの戦績やオッズが数値化されて、自動的にランキングが決まる仕組みだった筈。興味がなさすぎてスルーしていた。
「因みにプレイヤーって何人くらいいるんですか?」
「そうですね、日本だと二百万人ほどでしょうか?」
「……思ったより多くてビックリです」
「ですよね。道端ですれ違ったり、ご近所で仲良くしていた人が、実はプレイヤーだった。とかよくある話ですよ」
「たまったもんじゃないですね。大量殺人犯が隣に住んでいるようなものですし」
「間違いないです。しかしプレイヤーに課される独自の法は、一般人に比べてかなり厳しいものになっていますから。案外プレイヤーが起こす事件は少ないんですよ」
「その代わり、ゲームで好き放題して良い、と」
「はい。言ってしまうと、一般人による犯罪件数は、プレイヤーの二十倍に上ります。当然母数の問題もあるのでしょうが、昨今世を騒がせているニュースの九十九%は、自身の欲望を制御できなくなった一般人の仕業ですよ」
「……何だか、皮肉ですね」
「はい。結局、人間の欲望を閉じ込めるのに、この世は狭すぎたのでしょう」
どこか嬉しそうに、噛み締めるように聞こえる鴉の声。確かに、裏の世界を知ってしまった人間からすると、表の世界は酷く不自由でつまらない。ただ、それは表の世界の、美しく正された規律があるからに他ならない。人が自由の中で自由を見つけられないのと同じように、光があるから影が輝くのだ。表の世界で日々学び、働き、人生を享受している人間こそ、褒められて然るべき。今この瞬間を肯定しながらも、僕は常々そう思っている。
「では、またのご活躍を期待しております」
「はい。ありがとうございました」
車から降りた九十九は、去っていくリムジンを見送り帰宅する。
自宅の扉を開けると、走って迎えてくれるアゲパン。顔を舐め回され、家の香りに安心し、風呂で汗を流して、テレビを見ながら夕食をとって、ベッドに横になる。ゲームの余韻に浸りたくて目を瞑るも、なぜか一向に快感が来ない。体はあの熱気と興奮に火照っているのに、首から上が嫌に落ち着いている。
……理由は分かっている。自分の異能の正体を知ってしまったからだ。
……九十九はリュックからスマホを取り出し、電源を付ける。途端、今の今まで溜まっていた連絡通知が、一気に画面に表示された。
「げっ」
送り主は全て同じ。黒月 妃永の文字。内容はだいたいが物件の相談や、次会う日時の提案だが、それを百件近く送る必要は果たしてあるのだろうか?
スクロールするごとに、彼女の語気も強くなっていく。
『ねぇ、聞いているの?』『ねぇ』『おい』『まさか無視しているの?』『この私を』『今から家に行くわ』『どこにいるの?』『自習にも行っていないのね。このサボり魔』『ねぇ』『返事をしなさい』『依絆くん?』
……ひぃ。身の危険を感じた九十九は、既読を付けずにスマホをリュックのポケットに押し込んだ。
九十九は仰向けになり、無心で天井を見つめる。
……静かな部屋に、アゲパンの鼻息と、クーラーの稼働音だけが響いている。頭の中で、ぐるぐると目目の言葉が回り続けている。
《九十九さんの異能は【Astral Ghost】。
能力は、取得クリーチャーの使役。
生まれた理由は、九十九さんが愛を欲しがっていたからです。自分がここにいても良い。自分を認めて、受け入れてほしい。その愛への渇望の答えが、【Astral Ghost】です。
何で九十九さんの異能が、複雑な色と形をしているのか分かりました。私やミオさんの異能が自発的に生まれた物なのに対して、九十九さんの異能は、他人からの愛情で生まれているんです。たぶん、守護欲と忠誠欲。それが、アイギスさんとガルムさんを形作る、根源的な感情です。九十九さんを誰よりも守りたいと、九十九さんとずっと一緒にいたいと、そう思ってくれている方が、絶対に身近にいる筈です。
良かったですね。九十九さんは、ちゃんと愛されています!》
……あの時の目目さんの嬉しそうな顔が、本気で喜んでくれている顔が、僕のちっぽけなプライドを粉々に打ち砕いた。なぜならこの結論こそ、ずっと昔から、僕には居場所があったという証明になるのだから。
僕はその現実を無視して勝手に悩み、悩んでいる自分に悦に浸り、TERRARIUMという特別な環境こそ自分の居場所であると、そう思い込んだのだ。
……特別な環境にいれば、自分が特別な存在であると錯覚できるから。
僕は最初から認められていた。僕がいるべき場所は、僕に必要なものは、最初からこの家に全て揃っていた。ならTERRARIUMで感じた熱は、感動は、命の躍動は、全て嘘だったのか? 違う。あれは本物だった。僕はあの時、確かに生きている実感を得た。でもそれは、アイギスとガルムが……母さんとアゲパンが、僕を守ってくれたから辿り着けた答えに過ぎない。なら僕は、こっち側にいるべきなんじゃないのか? 普通の日常に戻ることが、僕にとっても、二人にとっても最善の選択なんじゃないのか?
……リュックの中に覗く血の付いたナイフと拳銃から、九十九は目を逸らす。
「……アゲパン」
「バゥフ」
腕の中に潜り込んできたアゲパンを抱き締め、その柔らかい温かさに顔をうずめる。
「……何なんだよ、何がしたいんだよ僕はっ」
吐き捨てた問いに、返答がある筈もなく。
暗く澱んだ泥沼の中を、永遠と走らされている気分だ。




