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一話目 彼女との日常

『──イルザ。俺はね。君をとっても愛しているんだよ』


 秘めた思いを胸に、ライラルは今日もタタタンタン食堂へ向かっていた。


 石作りの階段を上り、またすぐ先にある階段を下る。

 細い裏道はポップな色の建物に挟まれていた。

 黄色・水色・ピンク・赤。

 カラフルな色合いの建物は、この島の別名をよくあらわしている。


 ここは本土から少し離れた小島。ポルニャン島。

 〝海に浮かぶ花冠〟といわれる場所だった。


 それはこの島を空から見るとよく分かる。


 ほぼ丸い形をした島は、海沿いに円を描くようにポップな色の建物が並んでいた。


 目が醒めるようなエメラルドグリーンの海の中に、丸く描かれた赤・オレンジ・ピンクの色彩。


 飛行船に乗って、空から鮮やかな島の色彩をを見たある作家が〝海に浮かぶ花冠〟と表した。


 作家は島の中央にある教会を舞台に恋愛小説を書いて出版。

 うっとりするようなロマンスシーンが評判となり、教会で式を挙げると幸せな結婚ができるという言い伝えが広まった。


 だから、小さい村でもたびたび観光客や結婚式を挙げる人で賑わっている。


 ただ、村の空気はのんびりとしていた。


 それは、村人が穏やかな人が多いということもあるが、猫のせいもあるだろう。


 島は猫が多く、気ままに過ごしている姿をよく見かけた。



 食堂へ向かっていたライラルも、ある猫の親子の姿を見て、足を止めていた。


 ゆらん。ゆらん。

 親猫が座って、しっぽをゆらしている。

 子猫は目を開いて、夢中でしっぽにじゃれていた。


 ゆらん。ゆらん。──たしっ。


 子猫が前足を伸ばして、親猫のしっぽをつかまえる。

 親猫は動じない。

 しっぽを子猫の前足からするりと抜いて、またゆらん、ゆらん。

 子猫は姿勢を低くして、しっぽを目線で追っている。


 ゆらん。ゆらん。──しゅばっ。


 子猫がしっぽに飛びかかっていった。

 しっぽを離すもんかと必死に前足でつかまえる子猫。


「なーぅ」


 親猫は座ったまま、気だるそうに一声、鳴いた。


「くっ……」


 思わず笑ってしまいライラルはまた歩きだした。



 階段を登って下りて。

 見えてきたのは海の青。

 海沿いのメインストリートに出ると潮の匂いがした。


 島を一周する通りは体つきのよい男たちが行き交っていた。

 魚の匂いがするので、漁師たちだろう。


 ライラルは男たちの波に乗るように足を進めていった。


 すると前を歩いていた男たちの話し声が聞こえてきた。


「教会の近くに花屋ができたってよ。今朝、かみさんにしつこく言われちまったぜ」

「……そりゃお前、なんかの記念日とかじゃねぇのか?」


 男が首をかしげて考え込んだ後、手を叩く。


「結婚記念日だ」

「……お前、最低だな……」


 あきれた声がしたが、ライラルの意識は花屋にむいていた。


(花屋か……イルザは花が好きかな……)


 可愛すぎる彼女が花を持ったところを想像して顔がにやけた。


 くしゃっと破顔しているうちに鮮やかなオレンジ色の建物にたどり着く。


 看板に書かれた文字は、タンタタタン食堂。


 昨日も、一昨日も。

 その前も、前の前も。

 食堂が休みの日以外は見てきた看板。

 見るだけで胸が高鳴ってしまう。


 この扉を開いたら彼女──イルザがいる。


 ライラルは唇の両端を持ち上げ、鉄がはがれてツルツルになった取っ手を持ち、ゆっくり引いた。



 ──リンリン


 扉につけられた鈴の音が鳴り、人の話し声が聞こえた。


「今日の漁は大量だったな」

「あぁ、かーちゃんにどやされずにすむ」

「……おめぇんところのかーちゃん、怖いもんな」

「……あぁ……」


 店内の中は人の話し声であふれていた。いつもの賑やかさの中、ライラルはある人を探した。


 ──あ、いた。今日も可愛いな……


 宝物を探しあてた子供みたいにくしゃっと顔をほころばせて、ライラルは彼女を見る。


 やがてテーブルを拭いていた彼女がライラルに気づく。

 栗色の髪を束ねて、猫のような切れ長の瞳を持つ看板娘。


 ライラルは嬉しそうに口の両端を持ち上げ彼女を見た。

 彼女の方は、そっけなくライラルを見ている。


 タッタッタッ。

 小走りに走ってきた彼女は、愛想笑い一つ浮かべていない。どちらかというとムッとした顔。


「こんにちは、ライラルさん。……メニューは日替わりですか?」

「うん。お願い、イルザ」


 特別な思いを寄せる彼女の名前を心を込めて呼ぶ。

 声は静かに。

 でも、確かな熱を孕んでいて揺れていた。


 ライラルのまとう空気を感じたのかイルザと呼ばれた彼女の眉根がひそまった。視線を外して、イルザは年頃の女にしてはやや低い声を出す。


「……お好きな席にどうぞ」


 喧騒に紛れそうな小さな声は、ライラルの耳にしっかり届く。

 彼はうなずいて、空いていた席へ歩きだした。


 座る席はいつも決まっていた。

 窓際の角。

 店全体が見える場所。

 その席の窓は扉と同じアーチ型をしていて、柔い太陽の光をテーブルに照らしていた。


 〝やぁ、また会ったね〟


 仄かにあたたかくなっているテーブルがそんな風にライラルに話しかけているような気がする。

 それに目を細め、もう体に馴染んでしまった椅子に腰かけた。


 顔を上げるとすぐに彼女が見つかった。


 ──あれ?


 客の注文を聞いているようだ。

 表情はやはり無表情。

 だけど、ほんの少しだけ眉根がひそまっていた。


 ──ちょっと、困っているみたいだな……大丈夫かな?


 早口の客を相手にしているらしく、イルザは忙しなく注文表にメニューを書いていた。

 書き終わるとイルザは注文を繰り返し、頭を下げて足早に厨房へと行ってしまった。


 ──あんなに慌てて、また転ばないといいけど……


 眉尻を下げた矢先、彼女は足を滑らせた。


 ライラルは思わず立ち上がる。彼女は体勢を立て直して、奥にある厨房へ入ってしまった。


 ほっと胸を撫で下ろして椅子に座る。手持ちぶさたになったライラルはぼんやり窓の外を見た。


 考えることといえば彼女のこと。


 ──花が好きか聞きそびれたな……


 小さく嘆息して、考えてみる。

 好きだったらどんな花だろう。

 何色だろう。


 花が好きだったら毎日、贈りたい。

 ……それだと飽きてしまうだろうか。


 だったら、花を色違いにするか。

 それとも、同じ色にして花を変えるか。


 腕を組んで考え込んでいると。


「お待たせしました」

「っ!」


 不意に声をかけられた。


 腰を浮かしそうなりながら、声の方向を見ると怪訝そうな彼女がいた。

 ライラルはぎこちなく笑みを作る。


「ありがとう、イルザ」


 彼女は首をひねりながらも、テーブルに料理を置いていく。


 今日の日替わりメニューは、豪快なTボーンステーキ。

 白インゲン豆と数種類な野菜をとろとろに煮込んだスープ。

 トマトのパン粥だ。


 釜でじっくり火を通した肉厚のTボーンステーキはここの名物だ。

 ここまでの大きさのものは島では見ない。


 料理を作っている彼女の父親は、元々本土の人間だ。

 この島の娘──彼女の母親と結ばれてタンタタタン食堂を開いていた。

 だから、島では珍しい料理が並んでいる。


「今日も美味しそうだ」


 並べられた料理に笑顔になっていると、一拍おいて彼女は低い声をだす。


「…………ごゆっくりどうぞ」


 踵を返す彼女を見届けて、ライラルはフォークとナイフを手にとった。


「よしっ」


 ちょっと気合いをいれないと食べられない量だ。

 ライラルは鼻息をだして、Tボーンステーキを切り分けていく。


 食べやすいサイズに切っていくが、香ばしい肉の匂いにそそられて、よだれが出てしまい口の中が大変なことになる。


 柔らかいフィレ肉と、食べごたえのあるサーロイン。

 両方を味わえるステーキの味付けはシンプルに塩とオリーブオイルのみ。

 肉汁がごちそうなので、これだけで充分だ。


 まずはヒレの部位を食べて、ライラルは目を輝かせた。


 ──柔らかいっ。ひとかみでほどけてく。美味しい。


 サーロインを食べれば。


 ──くぅっ。噛むと肉汁があふれる!


 悶絶してしまう。

 夢中で口を動かし、とろとろに煮込まれた野菜スープに視線をうつす。


 とろとろに煮込まれた野菜スープは、汁気がなくなった食べるスープだ。

 キャベツの甘み、玉ねぎのコク、ニンジンの優しい味。

 肉がはいっていないから、腹がほっこりする優しい味になっていた。


 残りはトマトのパン粥。

 形がなくなるまで煮込まれたパンはするんと喉を通っていった。

 最初にトマトの甘味がきて、追いかけるようにピリッとした刺激がくる。

 唐辛子の辛さを感じているとバジルが舌を爽やかにしてくれる。


 食欲がなくても、どんどん食べれてしまい、スプーンが止まらなくなる。


 ──そういえば、イルザが作っていたのも、このパン粥だったな……


 彼女との出会いを思い出して、苦いような、甘いような、くすぐったい気持ちになった。


 噛んで、飲んで、美味しさに震えて。

 ライラルは時間を忘れて、食事を楽しんだ。


「ふぅ……」


 空になった皿を見ながら、膨らむ腹を擦っていると、彼女が食器を下げにきた。


「今日も美味しかったよ」


 笑顔で声をかけても、彼女は小さく頷くだけ。

 無言な彼女を気にすることなく、ライラルは近くなった彼女の横顔に目を細める。


 ──あ、そうだ……


 ふと、花屋のことを思い出した。


「ねぇ、イルザ」

「……な、なんですか?」

「イルザは花が好き?」


 トレイに食器をのせていた彼女の手がとまる。


「花……ですか?」


 怪訝そうな低い声を出されてもライラルは笑顔だ。


「うん。教会の近くでね、花屋ができたみたいなんだ。だから、イルザが花を好きなら贈りたいんだけど」


 彼女がギョッとした顔になり、食器を重ねていた手が震えて、カタンと音が鳴った。

 彼女ははっとして、手早く食器をトレイに置く。

 眉はつり上がり、切れ長な瞳がすっと細くなっていた。


「……花はいいです。もらっても飾るところがありませんし……」

「そっか。残念」


 軽くいうと、財布からお金をだした。

 忙しそうなので、日替わりの代金ちょうどを常に持ち歩いている。


「はい」


 コインを手で摘まんで出すと、彼女は両手で受け取って数えだした。


「ちょうどですね……ありがとうございます」

「うん。じゃあ、また明日」


 挨拶をして立ち上がる。

 一日で一番の幸せな時間が終わるのは寂しいが、いつまで居座るわけにもいかない。


 後ろ髪をひかれつつ彼女に微笑みかけると、彼女は視線を下げたまま口を開いた。


「……オレンジ色は……嫌いじゃないですけど……」

「え?」

「な、なんでもないです……」


 かすかに上ずった声に、仄かに赤くなった頬に、ライラルは目を見開いた。


 ──すごく、可愛い……!


 思いがあふれてしまう。

 ライラルは頬を紅潮させて、喉から出てきた思いを口にした。


「ねぇ、イルザ。俺は、君のこと──っ」



 チャリン、チャリン、チャリン。


 次の瞬間、床にコインがばらまかれる音が響いた。


 彼女の両手はライラルの口をふさいで言葉をさえぎっていた。


 真っ赤になって、口を引き結んだ彼女を見ながら、ライラルは眉尻をさげる。


 ──また、言わせてもらえなかった……


 昨日も、一昨日も、その前も、前の前も。ずっとずっと。


 半年前から、こんなやりとりを二人は続けていた。


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