二話目 雨の日に
彼女との小さな攻防を終えて、ライラルは気を落として──いなかった。
(いつかイルザに好きって言いたいな……)
のんきに考えて、恋心をもてあましながら家に向かう。
タンタタタン食堂から徒歩三十分。
立派な佇まいがライラルの家だ。
家に着くなり弟のパッドが、げっそりした表情で出てきて、ライラルは顔を引き締めた。
「何かあった?」
「あぁ……ロンハル卿がさ……」
お得意様の名前を聞いて、すぐに出かける準備をする。
「俺が間に入るよ」
「あ、兄貴ぃぃ……」
パッドは目をうるませた。
ライラルは肩をすくめて、いくよと声をかける。
足早に歩き出して外に出ると、猫が目の前を横切っていった。
いつもはのんびりと歩いているのに、素早い行動だ。
何気なく空を見ると、晴れていたはずの空に灰色の雲が流れていた。
「雨が降りそうだね」
「げっ! マジで!?」
「急ごう」
「ちょっ! 傘! 傘は!!」
パッドの叫び声を無視して、ライラルは走り出した。
しばらくして、雨が降りだしてしまった。
小雨を頬に感じながらふと思いだす。
そういえば、イルザと出会ったときも、雨が降っていたな──
***
ライラルの家は貿易商を営んでいた。
貿易商とはいえ規模は小さく、取引は個人が主。
顧客は幅広く、本土の富豪から一般市民までいる。
独自のルートを持つライラルの家は欲しいものを探し見つけてくれるとあって顧客からの信頼は高かった。
家の長男として生まれたライラルは家の仕事を継ぐ者として早くから経営のノウハウを父親から教えられた。
ライラル自身は決められた道をゆくことに不満はなかった。
彼はそつなくこなし真面目に学んでいった。
一方、弟のパッドは明るい性格だった。
真逆な性格の二人だったが、兄弟仲は良く、なんでも話をした。
パッドは惚れっぽい性格で、よく恋の話をしていた。
「兄貴、兄貴。あの角っこにいる家のミリーがすっげぇ、可愛い。胸もデカイし」
パッドのにやけ顔を見ながら、ライラルは嘆息する。
「胸って……」
「ちっちっちっちっ。兄貴。胸はロマンだ。夢のかたまりだ。 はぁ~、触りたい」
「こらこら。そんなこと言ったら本人が嫌がるよ?」
「分かってるって。言わないよ。心に熱く秘めておくだけだ」
パッドが胸を張るので、ライラルは生暖かく見つめた。
「っていうか、兄貴は好きな女とかいないの?」
「え?……うーん。よく分からないな……」
異性に対しての好きは遠い感覚だ。
家族は好きだが、それとは違うもの。
正直言って、よくわからない。
パッドはそんな兄を見てため息をつく。
「兄貴は格好いい顔してるのになぁ。もったいない」
「もったいないって……」
「兄貴を見て、ポーッとしている女の子いるもん。うらやましい」
ライラルの顔は父と母の良いとこどりをしていて、島の中では綺麗な顔立ちをしている方だ。
パッドはライラルに似ているが丸い鼻なので、愛嬌のある顔になっている。
「うらやましいか?」
「うらやましいよ」
「そうかなぁ……?」
首をひねるライラルに、パッドはくくっと笑う。
「でもまぁ、兄貴が女ったらしにならないだけマシか……」
「え?」
「なんでもなーい」
軽口をたたくパッドにムッとしながら、ライラルは考えた。
(誰かを好きね……)
やはり、好きという感覚はまだなく、芽生える気配すら感じない。
誰かを好きになる。
そんな日が自分にもくるのだろうか。
想像できなくて、ライラルは首をひねった。
ごくありふれた生活はライラルが十八才のときに一変する。
風邪一つしなかった父親が倒れたのだ。
仕事をしていたライラルとパッドは本土へ運ばれた父の元へすぐさま向かった。
「母さん!」
憔悴しきった母親を病室で見かけて、ライラルは駆け寄った。
「大丈夫? 父さんは?」
母親は目頭に涙を浮かべていて、いつもより体が小さく見える。
嫌な予感が胸をよぎった。
「……お医者さまの話では手術すればなんとかなるだろうって……」
その一言にライラルは胸をなでおろし、パッドは力が抜けて床にへたりこんだ。
「そう……よかった」
「そうね……でも、いつ退院できるのかしら……家のこともあるし……」
震える母親の肩に手をおいて、ライラルは笑顔を作る。
「心配しなくてもいいよ。俺もパッドも仕事はできる。母さんは父さんに付いてて」
「でも……」
「大丈夫だって。父さんは寂しがり屋だから、母さんが側にいる方がいいよ。俺たちも大人だし、自分のことは自分でできる。な、パッド?」
腰が抜けていたパッドが首を縦にいきおいよく振る。
母親はまだ不安そうな顔をしていた。
「必要なものを揃えて持ってくるよ。母さんは父さんに付いてて」
母親は小さく笑う。
「じゃあ、お願いね……必要なものを書くわね……父さん、お気に入りのカーディガンがあるからそれを持ってきて」
「うん。わかった」
母親からメモを受け取り、パッドを連れて家に戻った。
入院の準備をしていると、パッドがうつむいて呟く。
「これからどうなっちまうんだろ……」
パッドの声にライラルの眉根がひそまる。
母親には強気なことを言ったけど不安は大きい。
しかし、それを口に出したらいけない気がした。
押し潰されて、身動きがとれなくなりそうだ。
ぐっと腹に力を込めて、ライラルは顔をあげる。
「なんとかするしかない。俺がなんとかする」
凛とした声で言うとパッドが、ぶわっと泣き出した。
「あにきぃぃぃぃ!!」
パッドが腰にしがみついてくる。
ちょっと、うっとおしい。
「俺も、俺も! 頑張るぅぅぅ!! 食事も洗濯も掃除も俺がやるからなぁぁ!!」
おおげさに泣くパッドに笑い、ライラルは手だけを動かして準備をすすめた。
幸いにも父親の手術は成功した。
ほっとしたが、手足が思うように動かずリハビリが必要になった。
病室で父親と面会したが、すっかり弱っていて気落ちしていた。
「すまない、ライラル……パッドも……」
「いいよ。今まで働きづめだったし、のんびりしてよ」
「だが……仕事が……」
「俺もパッドもいる。大丈夫だよ。それに、父さんは母さんがいなくて食事、できるの?」
うぬ、と考え込む父親にくすくす笑う。
「父さんは母さんの料理じゃないと、あんまり口にしないしね……病院食は食べ進まないと思うけど、母さんの為に食べるんだよ?」
父親はうぬと言って、納得してくれた。
母親は寂しがり屋な父親に付き添い、本土で寝泊まりすることになった。
お得意様のロンハル卿が母親の暮らす場所を用意してくれた。
ライラルとパッドは二人暮らしをしながら、仕事をこなしていった。
これが中々、大変だった。
若い二人では信用が薄く、父親でなければ……と仕事を断る客もいた。
中には、ライラルをしごいてやろうと無茶を言う者もいた。
父親の入院でお世話になっているロンハル卿がその筆頭だった。
彼は本土でも数少なくなった貴族の末裔だ。
くるんとした鼻髭を持ち、昔貴族で流行していた灰色の髪のカツラを愛用している。
肖像画に出てくる貴族のような服装もしていた。
そんな彼に四回目の呼び出しをされて、ライラルは顔をひきつらせていた。
「僕も無茶を言っていることは分かってるんだよ? しかしだね。この色がやはり気に入らない。この女の子も!」
ロンハル卿に頼まれて取り寄せたものはメリーゴーランド型のオルゴールだった。
彼はオルゴールの熱狂的な収集家だった。
「ライラル君。僕はねぇ。君を高く評価しているんだよ? お父さんが倒れたからには、君が長だ。これからは君の時代だ。だから、私は涙を飲んで、あえて君に言うよ」
ロンハル卿はライラルに詰め寄った。
「この馬に乗っている女の子は巻き髪がいい! 私は巻き髪の女の子が好きなんだ!」
ロンハル卿は根はいい人なのだが、熱く、うざく、そして変態だった。
ライラルは頭を下げて、オルゴールを箱に入れる。
「わかりました。次こそお気に召すものを持ってきます」
ロンハル卿はうぬと声をだし、ライラルは彼の屋敷を後にした。
立派な門をくぐって出た後、ライラルは限界まで肺をふくらませ、口から息を吐いた。
「はぁぁ……」
声まで出てしまい、慌てて口をおさえる。
後ろを振り返ると誰もいない。
嘆息してとぼとぼと歩きだした。
鉛のある靴を履いているみたいで足が重い。
思考も霞んでくる。
倒れたらいけないから足を進めるが、体が重くて倒れそうだ。
ふらふらになりながら、家に着いてすぐ懇意にしている仕入元へ電話をかけた。
「はい。はい。……なるほど。そこにいけばありそうですね。ありがとうございます」
ライラルは店を紹介されて、すぐに出かける準備をする。
「あ、兄貴!」
家に戻っていて、ふりふりの白いエプロンをしたパッドが駆け寄ってくる。
「どうだった?」
ライラルが力なく首を振る。
パッドはため息をついてその場にしゃがんだ。
「そっか……」
「出かけてくる」
「ちょっ……めしは! もう三日もろくに食ってねぇじゃん!」
「大丈夫だよ。お腹も空いてないし」
ふらふらっとしたまま、ライラルは出ていった。
空では灰色の雲が、水色の空を隠そうとしていた。
薄暗くなったメインストリートを急いで歩き、島を半周したところで目当てのお店に着いた。
ロンハル卿が気に入るようなオルゴールに心当たりがあると店主は言ったが、取り寄せないといけないらしい。
ライラルは店主に頼んでオルゴールを発注した。
「あ……」
ほっと一息ついて店を出ると、空は黒い雲が一面に広がっていた。
(雨……降りそうだな……)
傘は持っていない。
ついてないと肩を落としているとすぐそばで低い鳴き声がした。
「なぁーご」
茶色と白の縞模様の猫が、道端でふてぶてしく丸くなっている。
雨が降りそうなのに動く気配もない。
太めの体をまるまるにして、目を細めている。
ちょっと笑ってしまった。
くすくす笑っていると金色の細い瞳と目が合う。
「なぁーご」
気だるそうに鳴いた猫にひきよせられ、ライラルは猫の横にしゃがむ。
「雨が降りそうだよ。いいのかい?」
「なぁーご」
猫は返事をしたが全く動かない。
何をそんなに慌てているのだ?と言いたげな顔だ。
力が抜けてくる。
くすくす笑って、さわろうと手を伸ばした。
「あ……」
猫は前足を持ち上げ、歩き出してしまう。
でっぷりとしたお尻を揺らして、のんびり歩いている。
ライラルがその後ろ姿を小さく笑っていると、女の子が走ってきた。
「あ、いた! アントニエッタ!」
「なぁーご」
「もう。勝手にいなくなったらダメでしょ!」
「なぁーご」
「ほら、おうちに帰るわよぉぉ!」
女の子は太めの猫をなんとか持ち上げて引きずるように行ってしまう。
微笑ましい光景に目を細めていたライラルだったが、少し猫がうらやましかった。
(あんな風に気ままにできたら楽だろうな……)
空を仰ぐと雨粒が顔にかかって、目を閉じた。
やがて、大量の雨粒が降ってきたが、ライラルはしばらく呆然としていた。
雨に濡れたら風邪をひく。
今、倒れるわけにはいかない。
帰らなくちゃ。
そう思うのに、足はおもりをつけたみたいに動かなかった。
(……なんか少し、疲れたかも……)
濡れた服が重くて気持ち悪いのに、急ぐこともできず、ライラルはとぼとぼと歩きだした。
パシャリ。
革製のブーツで水たまりを踏む。
この靴はもうダメだろうか。
どうでもいいことが頭を過るだけで、ぼんやりしたままだ。
辺りは夜の帳を下ろして、行き交う人もいない。
家に帰れているのか、それとも遠回りしているのか分からず歩いていると、顔に光があたった。
眩しくて目を細めると、店名が目に飛び込んできた。
タタタンタン食堂。
陽気なリズムのような店名をまじまじ見てしまう。
ぐぅ~
不意に腹が活動しだして、ライラルはおなかをさすった。
(……明かりがついているから、やってるんだろうな……)
パシャリ。
また水たまりを一つ踏んで。
ライラルは店の扉を開いた。
──リンリン。




