<98>青い姫君はリュートルートのオプションです
新学期が始まると、シャーロットが驚いたのは、シャーロット嬢と呼んでくれていた人がいつの間にか「姫様」と呼び始めたことだった。
「姫様、おはよう」と、すれ違いざまに言われてしまうと、シャーロットは対応できずよく判らないまま「おはよう」と微笑むことにした。そんな日が2日も続くと、理由が知りたくなってくる。
2年生のジーナはジョージとリチャードと一緒に歩いていて、移動教室で移動中のシャーロットを見かけると嬉しそうに駆け寄ってきた。ミチルなミカエルとガブリエルはそっと離れて様子を見ている。
「姫様、おはよう。旅行楽しかったね。公爵領、すごく素敵だったよー。いい経験させてくれてありがとね。」
「それは良かったです。ジョージやリチャードは寛げましたか?」
シャーロットが微笑んで問いかけると、3人は興奮したように早口で喋った。
「もちろん。俺のうちは伝手がないから、公爵領に行く機会がそもそもないからね。公爵領に寄らせて貰えて、あんな高級ホテルに泊まらせて貰えたのは、たぶん一生に一度の経験だ。」
「大袈裟に聞こえるかもしれないけど、うちだってそうよ。父さんも母さんも迎えに来てくれたけど、こんな高級な貴族のスパに…って、唖然としてたもの。うちはただの平民だから、普通の貴族のスパにだって本来なら入れないもの。」
「僕の母さんはお土産にもらった美容クリームに泣いて感激してたぞ。息子の僕が旅行で買ってきた土産よりも喜ばれて、複雑な心境だ。でも、ありがとね、姫様。」
3人とも嬉しそうだったので、シャーロットは安心した。
「ところで、姫様って呼び方、どうしたんです?」
この三人なら気軽に教えてくれそうな気がした。
「ああ、姫様は姫様でしょ?」
リチャードが当然のように言った。
「一年生の騎士コースの奴らが姫様って呼んでるのを聞いてた時は違和感があったけど、俺も今じゃ納得。むしろ姫様に姫様以外の呼び方はないって思う。」
ジーナも何度も頷きながら言った。
「私もそう思う。シャーロット嬢なんて気安い呼び方はもう出来ないわ。あの旅行での出来事を父さんや母さんに説明してたら、二人とも絶句しちゃってさ…。恐れ多くも公爵家のお嬢様で、あの祝賀行事の青い姫君を、そんな呼び方していいのかって言われたのよね。」
ジョージも、眼鏡の奥の青緑色の瞳を大きく見開きながら頷いた。
「そうそう。僕の両親もシャーロット嬢が青い姫君だと知らなかったみたいで、最初はにこにこ話を聞いてたのに、途中から顔色変わっちゃってさ。姫様と呼びなさいって何度も訂正されてるうちに、こうなった。」
シャーロットは恥ずかしくなってきた。
「青い姫君って、そんなに浸透している呼び方なんですか?」
「そりゃあもう、あの祝賀行事で子供達に手を振る姫様を見て、あれは誰? って王都の話題になったのね。今まで壇上に上がった騎士団の関係者が子供に手を振るなんてこと、無かったの。貴族のお姫様が平民の子供に手を振ること自体、奇跡みたいな出来事だからみんなびっくりしちゃって。」
もともと公爵家の子供達に手を振っていただけのシャーロットは、いつの間にかいろんな子供達に手を振ってしまう事態になっただけなので、何かを意識してやっていたのではなかった。
「チーム・フラッグスの連中が大事にしてる姫君ってすぐに噂になって、騎士団に問い合わせがあったみたいなのね。そこで、あれは我々騎士団の姫だって受け付けた騎士が言ったらしいの。姫君がハープシャー公爵家のシャーロット様だって判っても、恐れ多くて平民の私達はお名前を直接呼べないから、こっそりと青い姫君って呼び方が広まっていったの。」
うんうんとジョージとリチャードが頷いていた。
「青い姫君の呼び方の由来は、騎士団の色は青色だからなんだろうって、誰かが言ってたわよ?」
騎士団の姫? ナニソレ。恥ずかしい…、恥ずかしすぎる…! シャーロットは穴があったら入りたくなってきていた。
「姫様と学年は違うけど、仲良くしてね。私達はなんと言っても、旅行先で地下の遺跡に一緒に潜った仲間だから!」
ジーナは手を上げて宣言している。リチャードとジョージもそれに続く。
「オルゴール貰ったから、一緒にあの国の歌も歌えるしな!」
「楽しかった思い出が俺達の絆だからね!」
くすくす笑いながら、3人は「じゃあね、姫様、」と手を振って、廊下を去って行く。
「シャーロットは姫様ですの?」
近くで様子を見つつ話を聞いていたガブリエルが、ミカエルと近寄ってきた。歩きながらミカエルもくすくす笑っている。
「青い姫君って、含みがあって面白いよね。シャーロットの瞳も青いし、旗の色の青も理由の一つなんだろうね。ドレスの色が青いっていっても、シャーロットって、上にローブを羽織ってたんでしょ?」
歩きながらシャーロットも考える。
「白いローブを羽織っていたの。チーム・フラッグスのお友達に、ドレスを見せてほしいって言われたから一度ローブを取ったけど…、もしかしてその様子が見られてたのかな。」
「ローブを取ったの? あの寒い中、外で?」
ミカエルが驚いて、ガブリエルも大きく目を見開いて絶句している。
「ええ…、そうせざるを得なかったって言うか…。すぐにローブをかけて貰ったけどね。」
リュートがあの時エスコートしてくれたんだっけ。そういえば、まだ新学期始まってからマリエッタや騎士コースの学生達に会ってないなとシャーロットは思った。ローズは授業の際、ちらりと見かけた。シャーロットと目が合うとはにかむように笑ったローズのいつも通りな様子に、胸を撫で下ろしたのだった。
昨日、サニーとエリック、ブルーノが三人で話をしているのは見ていた。変な組み合わせだなと思って印象に残っていた。シャーロットは、声を掛けずにいたのだった。
明日コーヒーの専門店へ一緒に行くとエリックとブルーノとは約束していた。待ち合わせ時間も聞いてないけど、ほんとに行くのかなと、シャーロットは首を傾げた。
お昼ご飯を食べに学食に行くと、チーム・フラッグスの学生の集団と一緒になった。注文に並ぶシャーロットがミカエルやガブリエルと一緒なのに気がつくと会釈程度の挨拶をしてくれたけれど、マリエッタはトミーと大きく手を振ってくれた。手には姫様人形のようなものを持っている。
テーブルに自分の分のランチプレートを置くと、シャーロットはミカエルとガブリエルに断り、マリエッタ達の方へ話しかけに行った。マリエッタたちはもう食事を済ませて学食を出ようとしていた。
「こんにちは、トミー、マリエッタ。お久しぶりね。」
「姫様、お久しぶりです。お元気そうで何よりです。」
トミーがお辞儀すると、マリエッタが嬉しそうに、手にしていた人形をシャーロットに見せた。
「姫様、この前はありがとうございました。私も、自分の分に姫様人形を作ってみました。」
とうとう自分用に作っちゃったか~。シャーロットは心の中で呟いた。こうやって量産されていくんだろうなと思った。ポケットから懐中時計を出して、姫様人形とまふまふキツネをマリエッタに見せる。
マリエッタの姫様人形は、青いドレスに白色と水色とのレースが重ねてあった。
「すごいのね、マリエッタ。細かく再現してあるのね。あなた、とても器用なのね。」
シャーロットが感心して褒めると、マリエッタは頬を染めながら頷いた。
「あの時の感動した気持ちを忘れないように、作ったんです。両親に見せたら、青い姫君のお姿を身近で拝見できて光栄だったなって喜んでくれて…。」
青い姫君…、ここでもそれを聞くのね。シャーロットは項垂れた。何もしていないのに、名前や肩書ばかりたいそうなものへと変わっていく…。
「姫様? お揃いはお嫌でしたか?」
「違うの、とっても嬉しいわ。あのね、可愛いお人形を貰ったのは嬉しいけど、あなたに私は何もしてあげられないのねって思ったの。」
マリエッタは驚いて、ぎゅっと姫様人形を握りしめた。
「そんな…! 私は使ってもらえただけで嬉しいです。そうやって大事に持っていてくださっているのが誇りです。父にそのことを話したら、父は感激して一緒に喜んでくれました。」
「俺達は、姫様が応援に来てくれるだけで、ありがたいです。あんな大舞台に立つ機会も、知ってる人が見守ってくれてるってだけで、勇気が出ます。」
トミーの傍で聞いていた他のチーム・フラッグスの学生達も頷いていた。
「来てくださってありがとうございました。次の機会も、また来てほしいです。」
「そうね。私でよければ伺うわ。次は何をやるの? 」
シャーロットが何気なく尋ねると、学生達は嬉しそうに笑った。ふと、いつもいるはずのリュートがいないことに気がついた。チーム・フラッグスの大事な一員じゃないのかな。
「春に、入団式があるんです。俺達は、在学しながら晴れて団員になることが出来ました。」
え? 入団式? シャーロットが目をぱちくりしていると、トミーが言った。
「みんな聞いたか? 姫様は入団式にも来てくださるって!」
それは…、さすがに私、行かなくていい気がするけど…?
「楽しみですね、姫様。私達、婚約者も、家族同然なので見に行くんですよ?」
どんどん深入りしていく気がするのはどうしてかしら…。シャーロットは心の中で汗をダラダラ流しながら、猫を被って微笑んだ。
「日にちが決まったら、教えてね。」
そうとしか言えなかった。
「ねえ、今日はリュートは、どうしたの?」
何気なく尋ねたシャーロットに、トミーが微妙に顔を曇らせる。
「あいつは、名誉の負傷です。今日、会いましたか? 今日から登校するって聞いてたんですが、まだなんですね。」
「まだ見てないの。私、半分くらいしか、リュートと授業が重ならないの。」
シャーロットは、名誉の負傷の理由がなんなのか気になった。
「始業式の前日かな。女子生徒を庇って、リュートは怪我をしたんです。右手をざっくり切っちゃって。念のために始業式は休んで王都の家に帰って医者に見せるって言ってました。昨日は大事を取って休むって言ってました。一昨日見た感じだと、文字は書けるけど、あれは治っても跡が残るんだろうな。」
ピーターが詳しく説明してくれる。シャーロットは二日間リュートがいないことに気がついていなかったことになる。
「どうしてそうなったか、見てたの?」
「ええ、俺達は混雑してる時間に帰ってきてましたから、目撃者が多いんです。」
何人かが頷いていた。
「統治のコースの女の子が道を外れて、馬車寄せの前を荷物を抱えて横切るように歩いていたところに、馬車が入ってきたんです。たまたま近くにいたリュートが気がついて呼び止めたんですが間に合わなくて、リュートが咄嗟に引っ張ったら、びっくりしたのか、彼女がトランクを投げ飛ばしたんです。」
「リュートはそれを顔に当たるのを避けようとして、手で庇って怪我を負ったんです。」
誰かに聞かれるたびに説明したのか、慣れた口調で話てくれた。
「あの子の名前は何だったっけ? 一時期有名になってた子だろ? 王女様に叱られてた男爵家の娘だったっけ? 一年の統治のコースだっけ?」
それ、もしかしてローズのこと? シャーロットはドキドキしながら名前が出てくるのを待った。
「あれ? あれって、じゃあ、姫様のことか? 男爵家の娘が公爵家の令嬢を顎で使って令嬢は過労で倒れたって噂…、」
「以前、過労で倒れてたよね、姫様…。噂は本当だったんだ…。」
ジョンがシャーロットの顔を見ながら気まずそうに言うと、マリエッタが怒り出した。
「ちょっと! その女子学生は姫様を顎で使うんですか?! 許せません! リュート様も助けようとしたのにそんな目に合わされるなんてかわいそうです! 無神経です! 王女様がお怒りになったのも理解できます!」
トミーの顔つきも変わっていた。
「その話が本当なら、許せないな。どうしてそんな学生が同じ学校に通っているんだ?」
「そうだそうだ。噂かと思っていたら本当のことだったなんて、許せないな!」
シャーロットは俯いて、でも、はっきりと言った。
「私は、確かに倒れましたが、今は大丈夫です。顎で使われてもいないです。リュートのお見舞いに、後で行ってみます。教えてくれてありがとう。でも、きっと、彼女も悪気があってのことじゃないから、そんなに怒らないで?」
その場にいた学生達は静かになった。納得のいかない表情を俯いて隠していた。
「姫様…。」
マリエッタは何か言いたそうに口を噤んだ。
「私は大丈夫だから。またね?」
シャーロットは微笑むと、手を振ってミカエル達の元へ戻った。
そんな後姿を見ていたチーム・フラッグスの学生と婚約者達は、静かに怒っていた。小声で怒りを口にする。
「俺達の大事な姫様と大事な仲間のリュートに害をなすなんて、姫様がああ言ってても、許せないな。」
「そうだな、何があっても、その者から姫様とリュートを守ろう。」
「それにしても…、あの姫様を顎で使うなんて、なんて罰当たりなんだ。絶対自分に罰が返ってくるぞ。」
マリエッタが手を握りしめて言った。
「私は…、自分を苦しめた相手をそれでも庇えるなんて、到底出来ません。姫様が清らか過ぎて、姫様を利用しようとする者から守って差し上げなければと、思いました。」
「そうだね、マリエッタ。俺達の姫様はやっぱり姫様だったね。」
トミーがマリエッタの頭を優しく撫でた。
「みんな、思うところはあるだろうけど、姫様のお気持ちが汚れないように、報復は我慢しよう。俺達は姫様に誇ってもらえるような、正々堂々と正義の騎士でいよう。わかったな?」
その場にいた全員が深く頷いた。エミリアとリリアンヌは婚約者の手を握りながら、感動して震えていた。二人はこっそり気持ちを打ち明けあった。
「どうしよう、エミリア、姫様がかっこよすぎる。」
「ローズにあんなにされたのに、まだ庇ってるよ。しかも、みんな、騎士としてかっこよすぎる…!」
「私達、ほんと、いい人と結婚できるのね! エリック様に報告ね…!」
ジョンとカールは、頷きあう自分達の婚約者を見て、微笑ましいなと思っていた。マリエッタのように自分の気持ちを語ることが無くても、こんなに俺達と気持ちを通わせてくれているんだと、二人は思って見ていた。
放課後、シャーロットは帰り際に見かけたリュートがどこに消えたのか探した。ミカエルとガブリエルには用事があるからと、先に帰ってもらっていた。
あちこちの教室を覗いていると、保健室にいたリュートを見つけた。リュートは年配の女性養護教員に、右腕の傷のガーゼを取り換えて貰っている最中だった。
血が滲む痛々しく広い傷に、シャーロットは言葉を失った。
「リュート、大丈夫なの?」
「ああ、見ての通り。骨折はしてなかったし、大丈夫だよ? いろいろ不便だけど、たいしたことない。」
リュートは優しい目をして答えた。
汚れたガーゼをくるくる巻いて、養護教員は「もう帰って良いわよ?」と言った。「自分でやれないでしょう? 替えてあげるから、明日も来なさいね、」と品良く微笑んだ。
リュートのカバンを持って、シャーロットは「一緒に帰ろ?」と誘った。
二人分のカバンを持って、シャーロットは歩き出した。リュートは紺色のダッフルコートを片腕だけで着ていた。制服はどうにか着れても、包帯があるから辛くて着れないのだろう。
「ローズが、原因だって聞いたわ?」
シャーロットが見上げて尋ねると、リュートは頷いた。
「フリッツは、馬車の混雑する道にいきなり歩いて入って来たんだ。おそらく、そっちから来た方が寮に帰るには近道だと思ったんだろう。馬車寄せにいた馭者達が止めようとした時には飛び出していたからな。まあ、こんな傷はじきに治るよ。女性が怪我をしなくて良かったと思うよ?」
「ローズは、ちゃんと謝ったりしてくれた?」
「飛んでいったトランクを拾うと慌てて逃げ出してしまったから、私が怪我をしている事は知らないと思う。フリッツはそういう女なのだろう? シャーロット。」
「どうして、そう思うの?」
シャーロットは言葉に詰まった。リュートは小さく微笑んだ。
「君が倒れた原因は、フリッツなんだろう? 男装をして性別を偽って学校に通ったり、奨学生になったり、よくわからない学生だ。君のこともそうやって、振り回してるんだろう?」
間違っていないけれど、すべて当たっているのではないと、シャーロットは言いたかった。でも、否定できなかった。
「リュートは、フリッツがローズだって、いつから知ってたの?」
「2学期、フリッツと名乗る男子学生が消えて、君の前にローズ・フリッツが近寄りだした。背の高さや名前、顔かたちを考えると、同一人物なんだろうと思った。風紀委員だから、自分のコースの学生の名前と顔くらいは把握しているんだ。」
シャーロットはリュートはやっぱり賢い人なんだと思った。
「リュート、ノートとかはどうしてるの?」
「授業はちょっと困っている。生活には問題は特にないな。」
「私に出来ることがあったら、言ってね、リュート。」
シャーロットはそんな事しか言えないと思った。傷が癒えるまで、励ますくらいしかできないのかな…。
「君が傍にいてくれるなら、それだけで十分だよ?」
リュートはそう言って、シャーロットの手を握った。ちょっと顔が赤くなっているリュートの大きな骨ばった手は、なんだかいつもよりも力強く手を握っていると感じた。
ありがとうございました




