<86>別々の朝を迎えて、それぞれの思いを抱える
ミカエルは澄ました顔でシャーロットの隣に座って、シャーロットの手を握った。
「朝食なんだけど、予定通り、僕はシャーロットとミサに行ってからにするから。」
「そうね。予定通りに、そうしたら?」
ラファエルは微笑んで、立ち上がるミカエルと、状況がよく判っていなくて座ったままのシャーロットに言った。ラファエルは隣に座ったガブリエルとお揃いの、ピンク色のニットワンピースのスーツを着ていた。ラファエルは髪を編み込みにしていて、ガブリエルはポニーテールにしていた。
「今日は自由に解散って決めてたから。予定外に今みんな揃ってるし、二人とはここでさよならにしましょう。シャーロット、来てくれて嬉しかったわ。また新年に会いましょうね。」
「またね、シャーロット、」
ガブリエルも微笑んで手を振った。
王子様達は微笑むばかりで何も言わなかった。サニーとクラウディアも何も言わなかった。
シャーロットは何が何だかわからないまま、ミカエルと部屋の外へ出た。
ミカエルに連れられて部屋を出たシャーロットは、部屋の前で警護をするライトに会釈してチャペルへと歩き出した。ピンク色のセーターに落ち着いた灰色のスーツ姿のミカエルは、目を細めてシャーロットを見た。
「シャーロットは昨日、誰といたの?」
ミカエルと繋いだ手を見ながら、シャーロットは答える。
「ん? 一人だわ。あの後すぐ寝たわ?」
「さっき、サニーと一緒に歩いてなかった?」
「えっとね、朝早くにミサに行った帰りに、廊下で会ったの。シュタイン様ともお話ししたわ。」
「ふうん。みんな早起きなんだね。」
ミカエルはチャペルまで黙って歩いた。手を繋がれたままのシャーロットは居心地が悪くて何とも言えない気分だった。チャペルにはまだ祈りを捧げる人達がいた。後ろの方の空いた席に座って、シャーロットも祈りを捧げた。
司祭達はミカエルの顔を見つけ、微笑んだ。一番着飾った年長の司祭がミカエルに語りかけた。
「王太子殿下、今年もお務めご苦労様でした。」
「毎年のことですから、なんてことはありません。」
「来年も良いクリスマスを。」
ミカエルは項垂れて祈りを捧げていた。シャーロットも同じように深く項垂れた。
私、こんなに何度もチャペルに来たのは初めてかもしれないわとシャーロットは思った。いつの間にか、賛美歌を歌う聖歌隊の歌声にステングラスを見上げながら聞き入っていた。一週間で一回行けば多い方じゃないかしら。あまり熱心な信者ではないシャーロットはしみじみ思う。朝日にキラキラと光るステングラスの光に照らされて、歌声が天高く昇って行くように思えた。
「さ、そろそろ行こうか、」
静かに祈りを捧げていたミカエルが優しく微笑んだ頃には、シャーロットはすっかり厳かな雰囲気に飲み込まれていた。もっと教会に通う回数を増やそうかしらとさえ思っていた。
チャペルを出た二人はまた手を繋いで、歩き出した。
「さて、朝ご飯は二人きりで食べれるように、僕の部屋に用意を頼んだんだよね。」
ミカエルがにやりと笑った。
「シャーロット、クリスマスって今日なんだよ? 知ってた?」
昨日はクリスマスイブだったよね? シャーロットは頷いた。
「クリスマス一緒に過ごしてって僕のお願いは、まだ有効なんだよ。」
ミカエルはそう言って微笑んだ。
ミカエルの部屋にはサンルーフの付いた大きなバルコニーがある。お城の北東にあるので、そこまで太陽は眩しくない部屋だった。
そのサンルーフのバルコニーに置かれたテーブルに、朝食が用意されていた。以前はここにテーブルはなかったわ…。慣れ親しんだミカエルの部屋なのに見知らぬ人の部屋みたいだわ、とシャーロットは思った。学校に通うようになってから、この部屋には入ったことがないかも、とも気がついた。
ミカエルは椅子を引くと、シャーロットを座らせた。給仕のメイドが紅茶を入れてくれる。ミカエルが下がっていいよと伝えると、メイド達は部屋のドア付近まで移動して、距離を置いてくれた。光の溢れたバルコニーは、二人だけの世界になる。
「一緒に朝ごはんって、なんかいいよね。」
ミカエルがさっそく食べながらシャーロットに話しかけた。
シャーロットも紅茶をひとくち飲んでから食べ始める。甘い薔薇のような甘い香りがする紅茶。この前リュートの家で飲んだものと同じ銘柄だわ、きっと。
「昨日は…、何かあったの? 」
クロワッサンを食べていると、ミカエルもクロワッサンを食べながら尋ねてきた。
「何も、ないわよ?」
「寝る前に会った時、シャーロット、なんだか泣きそうだったじゃない?」
「あら…。そうだったかしら?」
マフラーをしていないミカエルが悲しかったのだと、言えるわけがない。シャーロットは微笑んで誤魔化した。食べることで答えられないのだと開き直り、シャーロットは黙って黙々と食べた。
「シャーロット?」
なあに? とミカエルと見つめると、「あーん」と言いながら、ミカエルがフォークに刺したチーズを口に近付けてきた。
眉を顰めてシャーロットが食べると、ミカエルは微笑んだ。
「僕にも、やって?」
恥ずかしいことを要求してくるわね…! シャーロットは黙って聞かなかったことにしようとした。
「じゃあ、もっかい、あーん。」
唇にちょんちょんとつけられるベーコンを、ミカエルに無理やり食べさせられる。
恥ずかしくて目を逸らすシャーロットに、ミカエルは微笑んで言った。
「サニーとは出来るんでしょう? 僕ともやってよ?」
「…今日のミカエルは意地悪だわ。」
「鉄板焼き屋さんで流行ってるみたいだね。恋人同士で食べさせ合いっこするの。きっかけは綺麗なおねえさんと異国の恋人だって話だよ? それってシャーロットなんでしょう?」
「知らないわ。」
サニーと食べさせ合った話は、ミカエルにはしてなかったように思った。だいたい、聞かれなかったから言わなかった。
「誰からそう言う話は聞くの?」
「さあてね? 街の噂かな。」
ミカエルは「あーん、」と言って口を開けた。ちょっとイラっとしながら、シャーロットは無言でミカエルの口にチーズを押し込んだ。もぐもぐとミカエルは不満そうに食べる。
「なんだか愛情を感じないんだけど。」
「気のせいじゃないかな。」
シャーロットはスープを飲むと、残っていたクロワッサンを口に放り込んだ。
「予定通りシャーロットと朝ご飯を食べているのに、結果としてなんか違う…、やっぱり違う…。」
ミカエルはぶつぶつ言いながらソーセージを食べている。
「さっきから、…ラファエルも言ってたけど、予定通りとか予定外とか、何を予定してたの?」
口を尖らせてシャーロットが尋ねると、ミカエルは当然のように言った。
「一緒に寝て、一緒に起きたら、みんなと一緒に朝食なんて食べられないじゃない? だから、初めから別行動をとる予定だったんだ。ラファエルが言ってたのは、予定外のシャーロットがあの部屋に予定外のサニーと一緒に入って来たから、予定外だってことじゃないかな。」
一緒に寝る? 一緒に起きる? ナニソレ? 一晩中語り明かすんじゃないの? シャーロットは目をぱちくりしてミカエルを見つめた。
「ラファエルが、ガブリエルには適当に誤魔化しておくからそれでいいよって言ってたし、僕もそのつもりだったんだよね。」
「は? はい?」
なんのつもり?
「シャーロットを誰かに取られるくらいなら、ミチルは隣国の隣国に返しちゃって、シャーロットと学生結婚もありかなって思ってたんだけど…、そうはいかなかったね。」
「えっと、どういうことかしら。」
シャーロットは食事をする気を失ってしまった。さっきからミカエルは何を言ってるんだろう。
「理事長との約束だと、ミチルのままシャーロットとそういう関係になったら婚約破棄だって脅されてたし、そういう関係になった後、ミチルとして一緒にいるよりは、責任を取ってミカエルのお嫁さんになってもらった方が安心だしね。」
つまり、昨日この部屋に来なくて正解だったのね、とシャーロットは思った。めくるめく愛の世界にミカエルと旅立たなくて済んでよかったと、心底ほっとしていた。
「あのね、ミカエル。」
「なあに? シャーロット。」
「誰かに取られたくないからそういう関係になるって、愛情や相手を思いやる気持ちがないよね? 軽蔑されるとは思わなかったの?」
「好きだから思わなかった。」
ミカエルは当然のように言った。「シャーロットも僕のこと好きでしょ?」
「好きだけど、それとこれとは違う気がする。ローズともゲームの中でそういうことしたの? 違うでしょ?」
ミカエルは無言になってシャーロットを見つめた。
もう家に帰りたい。シャーロットは思った。家に帰ってエリックとケーキでも食べて、煩いエリックの小言を聞いて、面倒臭って思いながらクリスマスおめでとうって、笑いたい。
シャーロットは紅茶を飲んで、食事を終わらせようとした。
「ごちそうさま」と立ち上がろうとしたシャーロットの手首を、ミカエルが掴んだ。
「ちょっと待って、プレゼント、僕もあるんだ。」
座り直したシャーロットに、ミカエルは立ち上がって袋を二つ持ってきた。一つはシャーロットが昨日渡した袋で、もう一つを、シャーロットに手渡す。
「これ、昨日渡せなくて、ごめんね。交換にしたら良かったなって、あとで気がついた。」
手渡された紙袋は何が入っているのか、ふんわりと重かった。シャーロットはミカエルを上目遣いに見つめた。「開けてもいい?」
小さく頷いたミカエルにも、シャーロットは「どうぞ、」と言って促した。ミカエルの反応が怖くて、シャーロットはミカエルを見ないように背を向けて袋を開けた。
袋を覗き込んで見て見ると、白いまふまふのティペットが入っていた。出して広げると、まふまふの毛織で、端っこの留める部分はクマの顔になっていた。青い目のクマがしっぽを噛むような形のティペットだった。内側に黒いタグが付いていて、マリライクスとある。
あまりの可愛さにシャーロットは胸がキュンキュンしていた。さっそく首に巻いてみる。まふまふとした優しい手触りに嬉しくなって、つい何度も撫でてしまう。
「ありがとう。ミカエル。」
シャーロットが振り返ってミカエルと見ると、ミカエルは黙って、シャーロットを見ていた。膝の上には、シャーロットが編んだモスグリーンのマフラーが乗っていた。
「昨日、泣きそうな顔をしていたのは、僕がこれをしていなかったから、なんだね?」
シャーロットは首に巻いていたティペットを外してきちんとたたむと、ミカエルの顔を黙って見た。
「シャーロットが、編んでくれたんだね?」
「ええ。編んだことないから…、初めてだったの。侍女に教えてもらって、3日もかかったの。」
シャーロットは小さく笑った。初めて誰かに作りたいと思ったプレゼントだったのに、ミカエルはあまり反応がいいとは思えなかった。
ミカエルはそっと、マフラーを撫でていた。
何がダメだったんだろう。色かな、形かな? 考えても仕方ない事だよね、と思い、シャーロットは俯いた。
「ゲームの中で、ローズがミカエルにマフラーをあげて仲良くなれたんなら、私もなれるかなって思ったの。なれなかったけど、ね。」
「マフラーをして君に会ってたら、何かが変わってた?」
「そうね、このお部屋についてきてたかもしれないわね?」
シャーロットは膝の上の自分の手を見ながら、静かに微笑んだ。
「残念。」
ミカエルは笑った。「僕は昨日、失敗しちゃったんだね。」
「私も失敗したわ。時間を作って、プレゼントを交換したら良かっただけのことなのね?」
「そうだね。」
二人で顔を見合わせて微笑んだ。
「ねえ、これ、トランクに入れて来てもいいかな。ちゃんとここへ戻ってくるから、お部屋に帰ってもいいかな?」
小指を差し出したシャーロットに、ミカエルは自分の小指を絡めて指きりをした。何も言わずにぶんぶんと腕を振った。
「待ってるから、行っておいでよ、シャーロット。」
シャーロットは俯いたまま微笑んで、ティペットを入れた袋を手に立ち上がり部屋を出た。ホッとして滲んだ涙を、見られなくてよかったと、シャーロットは思った。
部屋に戻り、顔を洗い、お化粧を直した。いつでも家に帰れるように、トランクの中にあちこちに広がしていた荷物を片付ける。忘れ物がないか部屋の中を歩き回って確認すると、菫色のソファアの傍にトランクを寄せて、シャーロットは部屋を出ようとドアの前に立った。
シャーロットがそっとドアを開けると、サニーが立っていた。びっくりして、シャーロットはサニーの顔を見つめた。
「いつからそこにいたの?」
「さあ、いつからだろう。」
サニーは、シャーロットに微笑んだ。
「兄と一緒に、私達はそろそろ帰ります。クラウディアの支度が済んだら帰るつもりです。」
「そう、あなたが来るとは知らなかったから、お土産を何も用意してなかったわ。ごめんなさいね。」
中に入ってとも言えず、シャーロットは内開きのドアに手を掛けたまま答えた。サニーは微笑んだまま、部屋の中へと入ってきた。
「今、貰うから、構いません。」
そう言うと、ドアに手を掛けたままのシャーロットの顔を手で包んで、サニーは屈んでキスをした。優しくて甘いキスに、シャーロットは瞳を閉じてしまう。いかんいかん…流されてはいかん…。そう思っても、キスを止められなかった。
離れていくサニーの唇を、シャーロットはゆっくりと瞳を開いて見上げた。
「その表情を、また会う日まで何度も思い返すことにします。」
サニーは微笑むと、「またね、」と手を振って部屋から出て行った。
私、今、ナニやっちゃったんだろう…! シャーロットは黙って部屋のドアを閉めると、また顔を洗いに行った。恥ずかしくて火照った顔で、ミカエルに会いたくなかった。
しばらくしてミカエルの部屋に戻ったシャーロットに、上機嫌のミカエルは微笑んで、「こっちにおいで」と手招きした。ソファアの前のテーブルの上には、さっきはなかった本が山積みになっていた。
ミカエルの首にはシャーロットが編んだマフラーが巻かれていた。使ってくれるんだ…、嬉しいな、と思いながらシャーロットがミカエルの傍に近寄ると、ミカエルはシャーロットを抱きしめて囁いた。
「今日は君が帰るまで、愛の詩集を囁くから。覚悟しなよ、シャーロット。」
えええ…、シャーロットは苦笑いをした。そんなクリスマスプレゼントいらない…。
シャーロットはそのままソファアに座らされ、隣に座ったミカエルに腰を抱かれて、丸まる一冊の愛の詩集を囁かれてしまうのだった。終わるとまだまだ沢山の、次の本が待っている。
恥ずかしくて茹蛸のように赤面しながら、シャーロットは笑い出すのを必死で耐えた。やっぱり、家に帰ればよかったと、心の中では何度も呟いていた。
二人のそんな仲睦まじい様子をドアに挟んだ猫の置物の隙間から覗いていたライトは、やっぱり変わらないなと思った。シャーロットはミカエルの傍にいるのが一番似合っていると、ライトは思った。
シャーロットはライト達従者とは婚約をした頃からの付き合いで、ミカエルの女装に抵抗を示さない珍しい令嬢だった。子供にありがちな偏見も口にせず馬鹿にする態度もなく、女装したミカエルを丁寧に扱い一緒になって楽しんでくれたシャーロットを、ライト達は歓迎していた。
ミカエルの女装癖は、ミカエルの護衛やお世話をするメイド達の間では暗黙の秘密だった。寄宿学校へ通い始めたミカエルは、お城にたまに帰ってくるだけになっていても、それでもこっそりと部屋で女装していた。その姿が外に漏れないように気を配り見張るのが、ライト達従者の仕事だった。
ミカエルは幼い頃から、王妃の実家のハジェット侯爵の手伝いをしている。ライトは夜遅くまでミカエルが製品の開発をして、試作品を持ってやってくる職人や工場長と頭を悩ませているのも知っている。細々と布製品を扱っていたハジェット侯爵領の商会が、布製品を扱う商会として一流と呼ばれるようになってきたのはミカエルの協力があったからこそということも理解している。裕福な伯爵家の娘のユリスが寵妃としてお城に入ってから、お城での王妃の立場が危うくならないようにミカエルが王妃の実家を助けているのだと、ライト達は思っていた。自分自身の王太子としての公務も疎かにしないミカエルを、ライト達は心配していた。
王太子としての重圧がミカエルの心を押しつぶしてしまうくらいなら、女装でもなんでもして息抜きをしてほしいとライトは思っていた。
どんな格好をしていてもシャーロットを傍に置いて嬉しそうな顔をするミカエルが、ライト達にとって大切な王子様だった。寄宿学校でもシャーロットと仲良くやっているんだろうなと安心しながら、ライトは再び、廊下で部屋の警備をし始めた。
ありがとうございました




