<72>悪役令嬢は真面目に愛を囁かれると笑ってしまうようです
制服のまま夕食をガブリエルやラファエルと一緒に取り、その後自分達の部屋に戻ったシャーロットとミカエルは、お互いに何も言わなかったけれど、お互いが本音を話していないのだけは判っていた。
「何か言いたいことあるんでしょ、シャーロット、」
ミカエルは部屋着に着替えながら言った。
「その前にシャワーに行けば?」
シャーロットはミカエルを見ないまま告げる。背を向けて制服を脱ぎだしたシャーロットに、ミカエルは何も言わないまま支度をしてシャワールームへと行った。
「何も言いたいことなんてないわ。」
シャーロットは制服を片付けながら呟く。テスト終わったね、大変だったけどお互い頑張ったね、冬休み何しよう? いつ帰るの? クリスマス、どうする? …。そんな会話ならしてみたかった。
きっと、ミカエルが聞きたいのはそんな話じゃなくて、ブルーノやサニーのことだと思った。
部屋着に着替える手を止めて、下着姿のままシャーロットは部屋の壁の上部に細く広がる通気口の前で手をかざす。寮の地下室にある中央暖房システムから送られてくる暖かい風が、通気口から流れてくる。暖かい空気を天井の照明の上で回るファンがゆっくりと室内に循環させている。
「お待たせ、シャーロット。わ、ナニ、何でそんな格好してるの?」
ミチルな部屋着姿のミカエルが顔に美容液を塗りながら驚いている。
「何って、今から私もシャワーするの。裸じゃないんだから、大丈夫よ?」
前に水着姿も見たでしょう? シャーロットはきょとんとしながら首を傾げた。
「わかったから、早く行っておいで、その後話しするから、」
やっぱり話しするんじゃん。シャーロットは不満に思いながら着替えを手にミカエルと交替する。
こういう格好をしていても、ミカエルは触ったりしないのね。シャーロットは少しだけ不満に思いながら、シャワールームへと消えた。
「わー、またあの子、胸が大きくなったんじゃない? ほんとどうして、どのゲームでも悪役令嬢って魅力的なんだろう。」
ミカエルはシャーロットに聞こえないように独り言を呟き、手で顔を覆った。本を読んでいた時にシャーロットに舐めさせていた指の感触を思い出していた。照れて顔が赤くなっているのがシャーロットに見られなくてよかったと思っているのも、シャーロットは知らない。
机の上には昼間買った紙パックのカフェオレがあり、ベージュのもこもこのナイトウェアに着替えたシャーロットが椅子に座ってぼんやり眺めていると、ラグに胡坐をかいて座って本を読んでいたミカエルがはいはいをして近寄ってきた。
「話があるって言ったの、もうなかったことにしようとしてるでしょ?」
ミカエルはぶーたれて見上げて、シャーロットを睨んだ。
「え、そんなことないよ?」
シャーロットはすっとぼける。ミカエル自分の椅子を持って来て、向かい合わせに座った。
「あのさ、シャーロット、何か欲しいものある?」
「ん? 何もないけど?」
欲しいものはあるけどない。目の前のミカエルが欲しいと言っても、手には入らない。
「ふうん?」
「どうしたの、急に。」
「クリスマス近いでしょ? 一緒に過ごせるんだし、用意したいなーって思ったの。」
「へえ…。」
シャーロットが知っているクリスマスは、教会でのミサと、聖歌隊の合唱と、寄付金を集めるバザーだった。子供の頃、聖歌隊の歌声に憧れてミサで祈りを捧げるふりをして聖歌隊の歌声に聞き惚れていたことを思い出した。シャーロットが王都に暮らす公爵邸のある町の、孤児院のバサーでロータスとは知り合った。あれから随分経つんだわ…。コートと一緒に片付けてあるマフラーをちらりと見て、ローズを思い浮かべる。はにかんだような笑顔が可愛い、ローズ。
「クリスマスって、お城のクリスマスだよね? 毎年ケーキ食べるだけなんじゃないの?」
お城のクリスマスはチャペルでミサをするんだよね? シャーロットは首を傾げる。
「これは、イベントだから。いいの。プレゼント交換会しようよ?」
「もしかしてまたゲームのイベントなの? まさかのミカエルルート?」
「そう。ローズとミカエルのクリスマスお泊りデートイベント。ローズはミカエルとお城で過ごすんだよ。婚約者であるシャーロットは誘わないの。ひどいゲームだよね。」
うんうん、とシャーロットは力強く頷いた。相変わらずゲームでのシャーロットの扱いは酷い。同情せずにはいられない酷さだ。
「で、僕は思い出はシャーロットと作りたいから、ローズではなくシャーロットと過ごすの。」
「あら、嬉しい。」
シャーロットは思わず頬を赤らめた。思い出を作る相手に選んで貰えるのは嬉しい…。
「って、思い出を作るって何するの?」
即座に突っ込みを入れてしまう。「変な思い出は作らないから!」
「大丈夫。二人でケーキを食べて、二人でプレゼント交換して、二人で眠るだけだから。」
「ね、眠るの?」
ほんとにローズとそんなことをしたの? シャーロットはびっくりしすぎて目を思いっきり見開いた。
「眠るって、同じベッドで? あなた達、ゲームとはいえ、婚約も結婚もしてないのに、そんな事してたの?」
「びっくりだよねー、してたんだよー。」
けろっというミカエルに、シャーロットはびっくりしすぎて言葉を失った。
「もちろん何もないけどね。同じベッドで眠るまで話をして、気がつくと二人は眠っていて朝だった、って感じで、何かがあったわけじゃないよ。」
「何かがあったら大変じゃないの。」
ゲームとはいえ、ローズは婚約者でもないし、婚約者のいる王太子のミカエルがそんなことをしていたら大問題だろう。
「ゲームってすごいのね。婚約者がいる王族の男性が婚約者でもない貴族の女性と一晩を過ごすなんて、ありえないでしょ。」
感心したように呟いたシャーロットに、ミカエルは肩を竦めた。
「一応ミカエルルート前半の山場だからね。これで後はミカエルのお誕生日に仲良くなってとどめを刺せば、2年生から始まる後半戦がミカエルルート確定だもの。頑張って攻略しないとね。」
「え、とどめを刺すって、何かあるの?」
「愛を囁くんだよ、僕が。」
想像しただけでシャーロットは笑えてきてしまう。ミカエルが愛を囁くのを真面目に聞く練習をしなくてはいけない。そう思ったらまた笑えてきた。
「この前の愛の詩なんか、全然ダメだったじゃん。しかも他の攻略者を全部巻き込んでプチ・プリンスの朗読会って、もうね、どう考えたって今、ミカエルルート、ダメだよね。」
「ああ、そう言えば愛の詩、あれからやってないね。今日からまた始める?」
笑うのを我慢する練習をしないといけないなー。シャーロットが猫を被るのが得意でも、あれはなかなか厄介だった。
「プチ・プリンスで懲りたからもういい。愛の詩も、シャーロット、笑うの我慢して大変そうだったし。僕とシャーロットには、甘い言葉の世界は縁が無いんだってよくわかったからもういい。」
不貞腐れた顔をしたミカエルが可愛くて、シャーロットはくすくす笑った。
「君はどうやって、他の攻略者から愛を囁かれているんだろうといつも不思議に思うよ。」
「愛は囁かれてないんじゃない?」
シャーロットには自分が愛を囁かれている自覚がなかった。
「今日だってブルーノと一緒だったんでしょ? 何を話してたの?」
「はい? 今度一緒にご飯食べに行く話をしただけよ?」
戦略を変えてきたミカエルにまんまと乗せられて白状させられているとは、ぜんぜん気が付いていない。
「今日会ったのはお礼のお願いでしょ? どうしてご飯の話になるの?」
「んー、頑張ったご褒美をくれるんだって。倒れたのにテストを頑張ってたから、そのご褒美。」
「ふうん?」
「ブルーノは、勝っても負けても私にご褒美をくれるつもりだったんだって。優しいよね。」
「で、行くんだ?」
「ええ。来週の月曜のお昼、かな。」
「行かないでって言ったら?」
「どうしてって聞くかな。」
シャーロットはミカエルに微笑んだ。
「君が好きだから、他の男と一緒にいてほしくない。」
ミカエルも、シャーロットに微笑んだ。
「何も疚しいことなんてしないもの。行きたいわ。」
「そういう約束は他にもしてるの?」
「ええ、お礼のお願いの話はしたよね? サニーとお昼ご飯を食べに行くし、リュートのおうちにも行くし、サニーとローズと出かけるし、ローズのななしやでのおもてなしにも伺う予定だわ。」
「全部断ってって言いたいなあ。」
「もしかして、ミカエルと結婚すると、将来はこういうお付き合いも全部断るのかな。」
「え?」
「王太子妃として生活していくのなら、公務以外にも社交として会食なんてあるんじゃないのかな。ミカエルと結婚しても、サニーやブルーノとはお付き合いが続くと思うけど。」
「どうして?」
「他国の王子様なんだから、会食ぐらいはするんじゃないの?」
生きている限り、他国の王子様とこの国の王太子夫妻は縁が続くだろうと思った。いつかはみんな国王になる。
「そうか、そうだね。ゲームと違ってずっと生活は続いていくからね。」
ミカエルって、時々、ゲームの世界のその後の世界の事を忘れているよね、とシャーロットは思う。
サニーと結婚したら、シャーロットはサニーの正妃としてこの国と付き合っていくのだろうし、そうなると、元婚約者といえど国王となるミカエルと社交くらいはするだろう。
ブルーノと結婚しても、シャーロットは公妃としてこの国にやってきて、元婚約者という肩書のあるミカエルと外交くらいはするだろう。そう、思った。
「リュートとだって…、そのうちリュートは宰相になるんだろうし、ミカエルが国王になったら、この先リュートと私と3人でご飯食べたりするかもよ?」
「僕の中では、ゲームはミカエルの卒業で終わってシャーロットは断罪されて絞首刑、でお話は終わってたけど、シャーロットは悪役令嬢にならないでこの先僕のお嫁さんになるんなら、ゲームにはない未来が待ってるんだよなあ。そんなことすっかり頭から抜けてたよ。」
「え、そういうもんなの?」
「今、シャーロットに言われるまで考えたことなかった。シャーロットを僕以外の誰かに盗られないようにすることばかり考えてた。」
あら…、私はもしかして、絞首刑になる前提でずっとミカエルの頭の中には存在してたのかな。シャーロットは首を傾げた。それって人生が儚過ぎじゃない?
「もしかして、また私、噂の中で、悪役令嬢な印象になってたりするの?」
びっくりした表情になって、ミカエルはシャーロットを見つめた。
「僕のところには今のところ、そういう噂は流れてきてないけど、自覚があるの? シャーロット。」
「な、ないわ、何もしてないもの。」
ミカエルはシャーロットの手を握った。
「そうなると…、君を信じて、行ってらっしゃいって言うしかないんだろうなあ。焼けるけど、悔しいけど、行ってらっしゃい…。」
「何も取って食われに行くんじゃないもの、大丈夫だと思うけど。」
「シャーロットは流されやすいからなあ。」
「流されてません。」
「僕に言えないことをやってる時点で、流されてると思うんだけどなあ。」
ダラダラと滝のように汗が背中を流れていく気がした。本の日のことは、ミカエルは知らないままでいてほしいことばかりだった。あれは、流されたんじゃなくて、抵抗できなかっただけなんだと思いたかった。それを世の中の人は流されているというのだけれど、シャーロットは違うと言い張りたかった。
「そ、それで、お城のクリスマスは、いつするの? ミサがあるんでしょう?」
「話を強引に変えた気がするなあ、シャーロット。まあ、いいけどね。時間は沢山あるんだし。」
そう言うとミカエルはにやりと笑った。
「お城のチャペルでイブの夜からミサはあるけど、ずっと出席してないといけない決まりはないんだ。僕は毎年夕食後と明け方の2回行って終わりかな。真夜中は司祭達が順番にやってるから、お父さまも行ってないしね。」
「ミサは、私も行ってもいいの?」
「ああ、大丈夫だよ? お城にいる人なら行っていいことになってるから、侍女とか侍従とかも来るしね。結構そのために泊まりで来る熱心な貴族とかもいるし。」
「あら、すごいのね。」
「王都の大教会に行くと貴族も平民も集まるからそれがいいって言う人もいるし、お城のチャペルぐらいの規模で知ってる人だけでミサがいいって人もいるし、人それぞれなんじゃないかな。」
「そっか。ちなみに、ゲームの中で、ローズとはミサに行ったの?」
「それがね、ゲームの中ではミサのことは出てこないんだ。お城でクリスマスお泊りデート、ってだけ。」
「あまり、信仰に篤いゲームじゃないのね。」
「日本人自体があまり信仰に篤くないんじゃないのかな。クリスマスって宗教の行事じゃなくて庶民の冬の日を楽しむイベントって感じだったし。」
「こことも違うし、ゲームの世界とも違うのね。」
「いろいろ違うけど、いろいろ同じだよ? 」
よくわからないなあとシャーロットは思ったけれど、黙っておいた。
「楽しみだね、クリスマス。シャーロットは、いつ寮を出る予定なの?」
「一応来週の水曜かな。寮にいる間にサニーとローズの行事を終わらせて帰るつもりなの。家に帰ったらなかなかこっちまで出てこれないし。」
馬車を出してもらう言い訳を考えるのが大変そうなので、出来る限りのことは寮にいるうちに済ませたかった。ただ、リュートの家にお邪魔するのは、家の馬車を使って表から行った方が変に勘繰られなさそうだなと思っていた。あまり気が進まないけれど、祖父と一緒に行ったっていいとさえ思っていた。
「じゃあ、僕もそれまでこっちにいるし、朝と夜には会えるね。」
「無理にいなくていいけどね?」
「あ、そういうこと言うんだ、ひどいやシャーロット。」
毎日お昼を誰と食べて何を話したのかを帰ってから尋問されそうで嫌だな、とシャーロットは思った。
「ミカエルは王子様のお仕事があるでしょう? 結構溜まってるんじゃないの? ここんとこ、忙しかったし。」
「ちょっとね。頑張る…、1月に入ったら入ったで忙しいもんなあ。僕ね、今週は土曜の終業式が終わったらお城にいったん帰って、月曜にまた帰ってきて、クリスマス前までの5日間は特別補講に出る予定なんだよね。そこ出ておけば、2年生の必修科目の単位が揃うんだよね。そうすると、3学期はもっとミチルとしてシャーロットと一緒にいられそうなんだ。」
「すごいね、ミカエル。そんなに頑張ってくれてるんだ。嬉しいな。私も、ミカエルがいるなら、金曜まで寮にいようかな。」
「水曜まででいいよ、シャーロット。木曜か金曜かに、リュートとの約束をこなしたら、綺麗に終わるじゃん。それがいいと思う。」
「そうね、それもそうだわ。クリスマスにゆっくり会えるものね。」
ミカエルが微笑んだ。
「それまで、お互い頑張ろう?」
二人は微笑み合って指きりをした。久しぶりに聞くシャーロットをお嫁さんに貰う約束は、今のシャーロットにはとても嬉しかった。
ありがとうございました




