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<71>悪役令嬢は恋をしているようです

 放課後、黙って帰ってしまおうかと思っていたシャーロットを、ブルーノは察したかのように黙って近付いてきて、後ろから腰を抱いた。

「な、なんですの、ブルーノ様、そのよからぬ手は!」

 一緒に帰り支度をしていたガブリエルが顔を赤くして窘めると、ブルーノは「しー、」と人差し指を口の前に立てて黙るように合図をした。

 シャーロットは恥ずかしくなり、もう消えてしまいたいと思いながら帰り支度を進めていく。

「シャーロットと約束があるんだ、一緒に帰ろう?」

 ブルーノは耳元で、甘い声で囁いた。シャーロットは苦笑いをしながらガブリエルに、ごめんねと伝える。

「シャーロット、何かあったら大声で叫ぶのですよ?」

 ガブリエルが心配そうに言うと、ブルーノはニヤニヤとしながら言った。

「何もないから叫ばないよ。夕飯時までシャーロットを借りると、王子様には伝えておいてよ。」

 ガブリエルにミカエルへの伝言まで頼む厚かましさに、ガブリエルは顔を真っ赤にして怒っていた。

「もっと早くに開放しなさい。わかりましたね?」

 そう言って、ガブリエルはさっさと帰ってしまった。

「怒らせるようないい方しなくてもいいじゃない?」

 シャーロットが窘めると、ブルーノは面白そうに言った。

「あの王女様、本当に結婚するのか? この程度で怒るようで、結婚した後はどうやって二人で過ごすつもりなんだ?」

 きっと人前ではしないだけよ。シャーロットはこっそり思った。でも、ガブリエルの名誉のために黙っておいた。

「ブルーノ、どこに行くか決めたの?」

 放課後一緒にお茶する約束はしたけれど、どこでするのかは決めていなかった。

「ああ、ちょっと購買に寄って行こうか。」

 ブルーノはシャーロットの手をしっかりと指を絡めて握ると、シャーロットの荷物を持った。

「自分で持つから、いいから。返して?」

 シャーロットの言葉を「聞こえなーい」と無視して、平気そうなブルーノは二人分の荷物を肩に歩き出した。


 購買で紙パックのカフェオレをそれぞれ買って、ブルーノに連れて行かれたのは図書館だった。

「図書館でお茶は無理じゃないの?」

 シャーロットが小声で囁くと、ブルーノはにやりと微笑んだだけで、そのまま入り口付近からバルコニーへと出た。

「ああ、ここね…。」

 以前ブルーノに本を読んでもらった時に来たことがあった場所だった。日差しはちょうどよく、風も吹きつけない。人通りもない、小さなスペース。二人で奥のベンチに座ると、二人だけの世界になる。

「はい、どうぞ。」

 並んで座ると、ブルーノがカフェオレをくれた。ちょっと冷たいよね、とシャーロットは封を切らずに手で持って温める。

「思ってたより冷たいな、ごめん。」

 ブルーノがシャーロットに身を寄せてくる。制服の上にコートを羽織っていても、寒いことには変わりなかった。ベンチの背に凭れて、二人は空を見上げる。

「寒いなら、ここじゃなくてもよかったのに。」

 シャーロットは白色のコートを着ていた。首にはローズのくれた菫色のマフラーを巻いている。ブルーノは黒いトレンチコートを羽織っている。

「シャーロットが傍にいてくれるから、ここでいいんだ。」

 ブルーノはシャーロットの手から紙パックを取り上げ、シャーロットの手を指を絡めて握ると自分のコートのポケットに入れた。紙パックは反対側のポケットに入れてしまう。

「私達はどういう関係なのかな。」

 シャーロットはもう片方の手を自分のコートのポケットに入れながら、ブルーノをちらりと見上げて尋ねた。きっと、こんなふうに手を相手のコートのポケットに入れられてたら、恋人に見えるんだわ。そう思えてならなかった。

「見たままの関係、じゃないかな。」

 ブルーノはシャーロットを見つめた。碧い瞳はキラキラと輝いて、シャーロットには海の水面を連想させる。少し髪が伸びたブルーノは、また髪を伸ばすつもりなのか、耳にかかる髪を撫でつけた。

「今日の放課後は、ずっと、こうやって二人でいるの?」

 話を変えたシャーロットに、ブルーノは微笑んだ。

「ああ、シャーロットと一緒にいることが、僕のお願いだからね。」

 曖昧で厄介なお願いに聞こえる。

「いつも、シャーロットは誰かといるだろう? 王子だったり、王女だったり、ミチルって子だったり。」

 ブルーノは視線を床に落とした。

「シャーロットを独占して、シャーロットと一緒に居たくても、誰かがいるから、出来ない。だから、今日は僕が独占する。好きな人を独占していたいって思うのって、当たり前だろ?」

 私はブルーノを独占したいと思わないってことは、好きじゃないのかな。シャーロットは心の中で自分自身に問いかける。私が独占したいのは誰だろう…。真っ先に思い浮かんだのはミカエルだった。ミカエルを独占したいと思う。ミチルで一緒にいて欲しいと思う。それってミカエルが好きだからなんだ。そう思うと、顔が赤くなってしまった。

 赤く火照るシャーロットの顔を、ブルーノの手が撫でた。少し、冷たい。俯いたシャーロットに、ブルーノは耳元で囁いた。

「今度一緒にご飯食べに行こう? シャーロットが好きなもの、ご馳走するからさ。」

「二人では出かけないわ。」

「冬の長期休暇で公爵領に帰るんだろ? あそこなら誰も何も言わないよ。」

 そんな事を言われても困る…。やっとこの前、ミカエルとの婚約は破棄しないと解消を保留になったのに、今更ひっくり返したいとは思っていなかった。

「出来ないことは約束しないわ。」

 シャーロットはそう答えるしかなかった。空を見上げて、呟いた。

「頑張ってる君にご褒美をあげるだけだから、気にしないでついておいでよ。」

 ブルーノは優しくシャーロットに微笑みかける。

「倒れて休んでたのに、あんな順位がとれるなんて、かなり頑張ったんだろ? 今回勝っても負けても、シャーロットに何かしてあげるつもりだったよ?」

 おねだりされるものだと覚悟していたのに。

 私は思っていたよりも、ブルーノを偏見の目で見ていたのかもしれない。シャーロットはブルーノが愛おしく思えてきた。

 ギュッとブルーノの手を握り、シャーロットはブルーノの肩に頭を寄せた。本のお礼で今の時間があって、その時間は私への計画を立ててくれる、優しいブルーノ…。

「一度だけよ。一度だけだから、ね?」

「君がそう望むなら。でも、また勝ったら、君を誘うよ。君にご褒美をあげたいんだ。」

「その気持ちだけで十分嬉しいわ。」

 そんな風に言ってくれるのはブルーノだけだと思った。自分の中で、ブルーノへの評価が再び上がり始めるのがシャーロットにも判った。

「今度の月曜日、時間を作るわ。その時、一緒に行きましょう。」

 その頃には冬の長期休暇が始まっていた。クリスマスが過ぎるまでは領地には帰らないと母には伝えてあった。学校の寮には学生は28日までいていいことになっていた。1月は10日から寮に帰ってきてもいいことになっている。シャーロットは来週の水曜日までは寮にいるつもりだった。サニーとお昼ご飯を食べに行く約束もしていたし、リュートやローズとの約束もあるので、日程に余裕を持たせていた。

「行くのは、領地じゃなくても、いいんだね?」

「ええ、何も疚しいことはないもの。」

 瞳を閉じて、ブルーノは黙ってしまった。シャーロットも視線を逸らして、高い手摺りに沿うように置かれた観賞植物の葉を見るとはなしに見つめた。

 二人は黙ったまま寄り添って、手を重ねていた。ブルーノの指が、ポケットの中でシャーロットの指を撫でている。

 シャーロットはブルーノとの思い出を一つ一つ思い返していた。どれも、胸が締め付けられる。でも、どうしようもない。

 図書館の閉館時間を告げるチャイムが鳴り響き、シャーロットがブルーノを見上げると、視線が合った。

「一緒に帰ろう?」

 シャーロットはブルーノに問いかけた。ブルーノのコートのポケットの中にあった紙パックのカフェオレは、もうずいぶん生暖かくなっていた。

 二人がしっかりと指を絡ませて手を繋いで図書館を出ると、後姿を見送った司書達は「若いっていいわねえ、」と溜め息混じりに囁き合った。

「どう見たって愛し合ってる関係よね。」

「二人は結ばれてはいけない関係…。いつでも物語の始まりそうな関係…!」

「言葉がいらない世界って、深いわ…。」

 図書館の館内にいても通気口などの構造上の問題で、バルコニーからはなんとなく話声が漏れ聞こえる。長く勤めていれば気が付く程度の秘密だったけれど、ほとんどの学生は知らない。

 公爵家の美貌の令嬢が異国の王子様と秘密の恋に落ちている。そう、司書達の目には映っていた。漏れ聞こえてくる会話は断片的だったけれど、そうとしか思えなかった。

 王太子と公爵令嬢が婚約している事は大人の世界では常識だった。だから、学校理事は前公爵が務めているのだと思われていた。公爵令嬢をネタに噂話にする程、彼らは浅はかではなかった。そんなことをして職を失う度胸などなかったのだ。


 黙ったままシャーロットとブルーノが手を繋いで学生寮まで帰ってくると、ミチルな格好のミカエルが女子寮の前で待っていた。隣にはガブリエルまでいる。シャーロットはそっと、ブルーノから手を離した。ブルーノから自分のカバンを受け取ると、ブルーノの瞳を見つめて「ありがとう」と囁いた。

「またね、シャーロット。」

 ブルーノは微笑んだ。

「ええ、また学校で、」

 シャーロットは手を振った。制服姿のミチルとガブリエルは駆け寄ってきて、シャーロットの手を握った。二人の手は冷たかった。

「いつから待ってたの?」

「5時のチャイムが聞こえた頃から?」

「もっと遅くなるんだと思ってましたから、早くてよかったですわ。」

 ガブリエルが微笑んだ。

「待ってなくてもよかったのに。」

 シャーロットが呟くと、二人とも不満顔になる。

「そんなことできないわ。シャーロットが心配ですもの。」

 大袈裟だなーとシャーロットは思った。

「とにかく、中に入ろ?」

 シャーロットは二人の背中を押して、寮の中へと入って行った。振り返ると、ブルーノの姿はもう見えなかった。


 王族用のラファエルの部屋に一緒に行くと、ラファエルが待ち構えていて、会うなりいきなりシャーロットのおでこを指で弾いた。

「いったーい、」

 思わずシャーロットが顔を顰めると、ラファエルが腰に手を当てて口を尖らせた。

「心配させた罰よ。この程度で勘弁してあげるわ、シャーロット。」

「いったいどこに行ってましたの、シャーロット。私、ミカエルと探したのですよ?」

「中庭と学食だけだけど、一応見に行ったんだよ?」

 大袈裟だなーとシャーロットはまた思った。そんなに警戒しなくちゃいかないようなことはさすがに学校ではしないんじゃないのかなー。

 ガブリエルとミカエルがシャーロットを3人掛けのソファアの真ん中に座らせ、ラファエルはシャーロットの隣に座り、反対隣にガブリエルが座る。ミチルなミカエルは膝をついてしゃがんで、シャーロットの膝の上に手を置いた。

「シャーロットはちょっと警戒心なさすぎよね。」

 ラファエルがシャーロットの手をポンポンと叩く。

「この前、ガブリエルが付き添いで行った本の日のこと、ガブリエルから聞いたわ。」

 何かあったっけ? シャーロットは面食らってしまう。そんなに大層なことがあったのかな。

「ブルーノ様とサニー王子と仲良くしてたんでしょ?」

 仲良くしてたのかなあ、シャーロットは首を傾げる。

「4人の中で、シャーロットの婚約者はミカエルだけなのに、ミカエルは宰相の息子といたんでしょ? 変じゃない?」

 うんうん、とミカエルとガブリエルが頷いている。ラファエルはリュートを宰相の息子と呼ぶんだね。シャーロットは意外に思った。

「シャーロットはサニー王子とブルーノとエリックと4人で仲良くしてたって聞いて、私、とってもびっくりしたわ。」

 ラファエルが胸に手を当てて驚いた表情をした。

「シャーロットはサニー王子のこと、避けてるんだと思ってたもの。ガブリエルが一緒に隣国に行きたいって言った時だって、行かないって言ってたじゃない?」

 シャーロットも行くつもりはなかった。

「サニー王子と手を繋いだままずっと傍で微笑んでいたんでしょう? ガブリエルからそう聞いて、びっくりしちゃった。」

「え?」

 シャーロットは目をぱちくりした。手を握られてはいたけれど、放してもらえなかっただけだった。微笑んでいたつもりもなかった。

「シャーロットとサニー様が良い雰囲気だったので、私は悔しかったですわ。ミカエルがいるのにって思いましたもの。」

 ガブリエルは不満そうな顔をした。

「どう見たって、あの日のシャーロットは一番サニー様と仲良しでしたわ。次に仲良しだったのはブルーノ様。あの方の場合は一方的にシャーロットのことが好きに見えましたけれど。」

「肝心なミカエルの名前が出てこなくって、私は歯がゆく思ったわ。」

 ラファエルは鼻の頭にしわを寄せた。

 ミカエルはじーっとシャーロットの顔を見ている。シャーロットも、ミカエルの顔を見ながら話を聞いていた。

 何も考えないままあの場にいて食事を無理やりとらされていたけれど、周りからはそんな風に見えていたんだなあと、変に感心していた。サニーとは何もないし、ミカエルに対して思うような愛着もない。それを言葉にして説明するのって案外難しいわねとシャーロットは思った。

「今日は、どこにいたんですの?」

 ガブリエルは咎めるように言った。ミカエルとシャーロットの関係なのに、ガブリエルが怒るんだね、とシャーロットは思った。

「図書館にいたわ、ずっと。」

「図書館でしたの?」

 ガブリエルは驚いたように言った。

「あの方、知性よりも情動で行動してそうなのに、図書館を好まれますの?」

 随分な言われようだなー。シャーロットはブルーノにちょっと同情した。

「あの本も、この国のものを、あの人の故郷の言葉で翻訳して読んでくれたの。ちゃんとお勉強してる人ですよ?」

 庇うつもりはないけれど、ブルーノの事をそう説明すると、ミカエルの目つきが鋭くなった。

「ふうん?」

 ミカエルがあの日持って来ていたのはこの国のものだった。どこで手に入れたのだろう。お城の蔵書印がある本の方は、どこに行ったのだろう。

「シャーロットは、サニー王子と、ブルーノ様と、宰相の息子と、ミカエルと、誰が一番好きなの?」

 ラファエルは低い声で笑顔で尋ねてきた。わー怒ってるわ、これは怒ってる。シャーロットはドキドキしながら答える。

「ミカエルです。」

「じゃあ、もっとミカエルを大事にしてよね?」

 ラファエルは笑顔のまま、低い声で言った。完全に怒ってるな、とシャーロットは心の中でダラダラ流れる汗を拭った。

「します。大事です。」

「ガブリエルも気になるよね? サニー王子と仲が一番いいんなら、一緒に隣国に行く事になるんだから。」

「ええ、私はいつでも歓迎しますわ。サニー様とシャーロットは並んだ姿がお似合い様でしたもの。」

「そんなことはないわ、ミカエルが一番お似合いだから。」

 ラファエルは大きな声ではっきり言った。

「よその国にくれてやれるほど、シャーロットはどうでもいい人間なんかじゃないわ。絶対うちの国から外へは出さないんだから。」

 評価されて嬉しいけど、そのうち他国に嫁いでしまうラファエルに言われても、困っちゃうよね。シャーロットはミカエルにそっと目配せをした。

 ミカエルは少し驚いたように微笑んで、ラファエルに言った。

「安心して、二人とも。シャーロットは僕が絶対手放さないし。サニーなんかには負けないから。」

 ブルーノはいいのかな、シャーロットはふと思った。サニーとの関係がピンとこないものがあったので、シャーロットには自分に関係のない他人の話に聞こえていた。

「リュートもブルーノも、シャーロットはそんなに好きじゃないでしょう? サニーはシャーロットより一枚上手みたいだから、警戒するのはサニーだけでいいんだよ。」

 あなたが思っているよりもブルーノの方が好きなんだけどね、シャーロットはこっそり心の中で思った。でも、一番はミカエルだから。そう、思った。

ありがとうございました

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