<64>悪役令嬢は親も交えて今後を話し合うようです
朝からそわそわしていたシャーロットは、母と共にドレスで正装してさっさとお城に馬車で向かった。付いてくると言った父や祖父と一緒にお城に行きたくなかったからだった。
母の指示で、清廉という言葉が似合う仕上がりになるように美容担当の侍女達が頑張ってくれ、真面目な印象になるように昔ながらのふんわりとバッフルの膨らんだパフスリーブの長袖の紺色のドレスを着て、薄化粧を施してもらう。母も控えめに深緑色のドレスを着て宝石使いもほどほどにしていた。
招待状にあった応接室は王族の私用で使う応接室らしく、居住区に近い奥向きの部屋だった。約束の時間にはまだ早くて、案内してくれた侍従には「お掛けになってお待ちください」と言われる。落ち着かないシャーロットは、窓辺に立って外の景色を見ていた。母は一番下座に座って姿勢を正して佇んでいた。
週4日も通ったお城からの眺めは見慣れた景色だったけれど、学校に通うようになってからのシャーロットにとっては懐かしいものでもあった。
「待たせたね、シャーロット。ハープシャー公爵夫人もすまなかったね。」
上品な灰色のスーツを着た国王と紺色のスーツ姿のミカエルは、二人だけで部屋の中に入ってきた。侍従達は部屋の外で控えていた。お茶の用意を乗せたカートを押して侍女達が入ってきて、お茶の用意を始める。丸いテーブルにお茶の用意が整うと、彼女達も部屋から出て行ってしまう。
広い部屋にはシャーロット達4人だけが残った。丸いテーブルに間隔を置いて椅子は4脚置かれていて、シャーロットの前に国王が、母の前にミカエルが座った。
「さて、付き合いが長い者同士、改まった挨拶は抜きにしようか。エリザベス、久しぶりだね。」
国王は母をエリザベスと呼んだ。驚くシャーロットに、母はきまり悪そうに笑うと言った。
「私が一人娘じゃなかったらこの人と結婚する予定だったのよ、シャーロット。だから、あなたは前の国王陛下に強く望まれてミカエル様と婚約したの。」
「知りませんでした。」
「ふふ。当然よ。あなたのお父さまには内緒の話だもの。」
「でもおかげで、私は今の生活ができるのだけれどね。」
国王は笑った。「ミカエルがいるのはこの人と結婚しなかったからだと思えば、シャーロットも納得いくだろう?」
母は愛人を許さないだろうしね。シャーロットはこっそり思った。
「さて、肝心な話を先に片付けてしまおう。先日の謁見の際に、シャーロットとミカエルの婚約を、一時的にでも解消してほしいという願いがあったのと、婚約自体を解消してほしいという願いもあった。ミカエルにも縁談が来ていて、今ある婚約を無効として欲しい申し出もあった。」
ミカエルはじっとカップを見て、話を聞いている。
「エリザベスは、シャーロットとミカエルの婚約はどうしたいと思っているんだ?」
「可能なら、破棄して頂いて、解消して下さいませ。」
母は優雅に微笑んだ。
「シャーロットはどうしたい?」
「周りの皆様が何と言おうと、私はミカエルと婚約を続けて、いつか結婚したいです。」
「ミカエルは?」
「僕はシャーロットと婚約を続けたい。破棄したいとは思っていません。」
「そうか、」
国王は腕を組んだ。うちの父と比べるとかなり大きな人だよなあとシャーロットは勝手なことを思って見ていた。国王は背が高いうえに鍛えていて全体に大きい。父も祖父もこういう大男ではないので、シャーロットには興味深くて仕方ない。
「もうエリザベスは、シャーロットから話を聞いているかもしれないが、ミカエルが原因でシャーロットには友達がいないと思われているようだ。解消をと願った者達は、おそらく正義感でシャーロットをこの状況から救いたいと思っている。それは事実なのかい? シャーロット。」
「本当ですが、本当ではありません。」
「どういうことなのか判るように説明してほしい。」
国王はシャーロットをまっすぐに見た。
「私は将来王太子妃として、いつかは王妃となるつもりで、ミカエル様との婚約関係を続けています。誰か一人の意見を鵜呑みにすることの無いよう、広い視野を持つ必要があるとも、考えています。」
ミカエルとの打合せ通りにシャーロットは言葉を紡ぐ。
「騎士コースの学生とも、その婚約者である令嬢達とも、他国からの留学生とも、他国からの王族とも、我がハープシャー公爵家とゆかりのある貴族や令嬢達とも、均衡を保つように関係を維持しています。」
シャーロットは一度、母の顔を見て、微笑む。
「母や家族には、友達がいないと思われて嘆かれましたが、私にはそういった繋がりが沢山あって、特定の個人と親しくしていないからこそ、日替わりでいろんな方とランチを共にしたり、いろんな友人との接触が出来ます。貴族ばかりの統治コースの方ばかりとのお付き合いでは、見えてこなかった騎士コースや商業コースの方との繋がりも、あります。」
「では、友達がいなくて孤独という状態ではないと、言うのだね。」
「ええ。むしろ、特定の誰かがいつも傍にいたなら、こういうお付き合いはなかったと思います。」
シャーロットはミカエルを見て、小さく頷いた。シャーロットの生活の一部を美化して言えば本当の話しで、嘘は混じってはいない。ミカエルはシャーロットに説明する時、ものはいいようだと言っていた。
「ミカエル様は視野を広く持つように仰ってくださって、私が一人でいる自由を与えてくださっているのです。その自由を私は満喫しています。御心配には及びません。」
その言葉は、シャーロットにとっては本当のことでもあって、半分は上手く誤魔化した言葉でもあった。学年が違うミカエルと四六時中一緒にはいられない。それはどうしようもない事実で、ミチルとして一緒にいても、今度はミカエルがミカエルの生活が出来なくなる。好きだから時間を奪えばいいのではなくて、好きだから相手の自分の時間を大切にしたかった。
ここまではミカエルと打ち合わせしてあった。あとはシャーロットの考えを話していけばいいとミカエルは言っていた。シャーロットは、何度も考え直した言葉を思い出してみる。
母は、じっとシャーロットの瞳を見つめて言った。
「あなたは、その状態を、周りの人間に哀れまれているのだということを、どう思っているのかしら。」
「何も。それが王族と結婚するということなのだと、いつの頃からか覚悟はしていました。」
ミカエルの秘密を守ることの方が、シャーロットには重要だった。
「そうか。」
国王は静かに、でも納得したように言った。
「5年か。シャーロットがこの城で、お妃教育として王族としての在り方をラファエル達と学んでいたのは。」
「ええ。学ばせていただいたおかげで、今の私があります。」
その時間は、ミカエルと過ごした時間でもあった。
「きちんと実を結んでいたのだな。私は、シャーロットがそこまで覚悟ができているのであれば、この婚約は破棄するに値しないと思う。ミカエルの父親として、シャーロットは結婚するにふさわしい相手だとも思う。いかがかな、公爵夫人。」
「ええ、私も、単純に孤独を強いられているのかと思っておりましたが、そのように自分を育てる時間と割り切っての一人行動なのでしたら、何も問題はないと思います。」
母は意外にも、すんなりとシャーロットの考えを認めてくれた。
「君は婚約を解消してほしいのではないのかな?」
国王はにやりと笑って、母を見た。母も、余裕の表情を浮かべる。
「あなたと親戚付き合いしたくないもの、アーサー。」
「君は変わらないね。」
国王と母は見つめ合って笑った。
「問題は騎士団の者達や、他国の王子達にどう回答するか、だ。」
「それは心配には及びません。いつか判ってくれると信じております。」
シャーロットは微笑んだ。この前のマリエッタの反応を思い出す。
「少しずつでも私が公正に人と接していると伝わっていけば、きっと、特定の誰かと派閥を作らずにいることの意味を理解してくれると信じます。」
「だが、解放してほしいとリュートは言っていた気がするが?」
「同じ王家に仕えると身を捧げた者同士ですもの、私の立場を理解してくれる日が来ると信じております。」
ミカエルとの打ち合わせにはない言葉だったけれど、シャーロットは心の底からそう思っていた。
「ミカエルはなんと思う? シャーロットはお前にはもったいない女性だぞ。」
「ええ。だから欲しいんです。僕は、シャーロットと結婚したいと願います。」
ミカエルがシャーロットを見て微笑んだ。
「婚約破棄なんて考えていません。他国の王子にも渡したくはありません。」
シャーロットはキュンキュンしてしまう。ミカエルがかっこよすぎる…! 猫はすっかりずれていた。シャーロットは真っ赤になって照れてしまう。
「隣国のクラウディア姫はどうするのだ? はっきりと断るにはまだ理由が拙いな。」
「彼女にはいっそのこと、来年からでも寄宿学校へ留学して貰いませんか? 僕以外にも、他にもいろんな男性がいるのだと知った方がよいのではないかと思います。」
ミカエルの提案に、国王も頷く。
「そうだな、あまりしつこいようならそれも良かろう。」
「婚約は、このまま維持、でどうだろう、公爵夫人。好きあう二人を引き裂くような真似をしたくはないのだ。私はそれが一番良いように思うだが。」
母は躊躇いながら、頷いた。
「ええ、それで構いません。また同じようなことがあれば、その時は解消を望みます。醜聞は、うちにとってもいいものではありませんもの。」
「よかろう。では、ミカエル。お前の心がけ次第だ。お前がシャーロットとの関係に隙を見せるような行動をすると、また同じような事態が起きる。その時は潔く関係を解消し、シャーロットを開放すること。良いかな?」
「理解しました。そうならないように努めます。」
「シャーロットも、それでよいな?」
「ありがとうございます。ミカエル様と一緒に居られる日が長く続くよう、努力いたします。」
うんうん、と頷いて、国王はにっこりと笑った。シャーロットはほっとして、すっかり冷めてしまったお茶に口をつける。ほんのりと薔薇の香りがする紅茶だった。
「シャーロットが引く手余多なのはエリザベスに似なかったからだな。」
「まっ、なんですって、アーサー!」
母を怒らせるなんてなんて度胸があるんだろう。シャーロットは内心震えながら思った。
「シャーロットが穏やかなのは、君ではなくて公爵に似たからだろう。君のように気の強い女は私ぐらいしか好む者などいなかったではないか。」
「なんですってぇ!」
母はあまりの怒りに顔が白くなっている。
「あの、すみません、陛下は母と一体どういった関係だったのですか?」
シャーロットがおずおずと質問すると、国王はにやりと笑った。
「寄宿学校の3年の時、彼女が1年生で、取り巻きを大勢従えて女王様気取りだったのを、私が一目惚れしたのだよ。」
なんでそんな状態の人に一目惚れするの? シャーロットの頭の中は?マークで一杯になった。
「この人は取り巻きの女子学生を沢山従えて生活していて、大変爛れていたのです。私は大勢の中の一人になるのが嫌でしたから、近寄らせもしなかったの。でも、父は喜んでお城の舞踏会に私を行かせたけれどね。」
祖父ならやりかねないなとシャーロットは思った。祖父の豪快な笑い声を思い出して、ちょっとうんざりする。
「爛れるなんてひどいな、エリザベス。今はまじめにやってるよ?」
王妃と寵妃がいるけどね、とシャーロットは心の中で突っ込みを入れる。
「聞けば、プチ・プリンスの本を王子達にねだったらしいね、シャーロット。」
国王が面白そうに言った。
「何でもご褒美が貰えるのだろう? あの本は城の図書館にもあるのだよ。私もその本を持って参加しようか。」
「アーサー?」
母が低く唸るように言う。
「ミカエルも知っているだろう、あの本のことは。」
「はい、すでに見つけてあります。」
この前図書館から持って帰って来たからね。シャーロットはミカエルを見て微笑む。
「そうか。なら、他の王子達に負けることはないな。」
国王がミカエルを見ると、優しく微笑んでシャーロットを見つめていた。
「お前達はまだ子供だ。やり直すことなど難しいことではない。もしお互いに疲れてしまったら、婚約など破棄して構わないと私は思っている。長い人生が待ってるんだ。自分で望んで決めた婚約でないのなら、それも仕方のないことだろう。」
国王はシャーロットを見つめた。
「王家に解消を願い出ることが難しいとは、判っているつもりだ。シャーロットが望むなら、私がミカエルの代わりに破棄を宣言して解消させよう。それが、君を6年もの間縛り続けた贖罪になるのなら、たいしたことではないからね。」
婚約辞退を願い出る程、公爵家に落ち度はない。そう言いたいのだろうと思ってシャーロットは聞いていた。贖罪という言葉を使う程、6年の間に国王もシャーロットに愛着を持ってくれたということなのだと思う。
「では、今日はお開きにしようか。エリザベス、公爵や前公爵も待っているんだ、妃達を誘ってお茶でもしていかないか?」
「はい? 父が来ているのですか?」
驚いたシャーロットに、国王とミカエルは微笑んだ。
「ああ、公爵は別の応接室で君達の帰りを待ってるし、前公爵は学校理事がどうのこうのと理由をつけて宰相の執務室でお茶しているが、知らなかったのか?」
母はニヤニヤとシャーロットを見て言った。
「シャーロットは気が付かなかったのねえ。窓から見て気が付いたのかと思っていたわ。」
母の言葉に窓辺に立って確認すると、馬車寄せには公爵家の馬車が2台停まっていた。
「全然気が付きませんでした…。」
「あなたでも緊張するのねえ。」
ホホホホと母は笑うと、国王と連れ立って部屋を出て行ってしまう。
「先に帰って大丈夫よ、シャーロット。お父さま達とお茶会してから帰ることにするわ。」
手を振りながら部屋を出て行ってしまった母達を見送って、シャーロットはミカエルと部屋に取り残された。少しだけ明けたままのドアに、侍従が陶器の猫の置物を噛ませた。中に未婚の男女がいると判るように、ドアが締め切らないようにする工夫だった。
「シャーロット、」
ミカエルが近付いてきてシャーロットを抱きしめた。普通の皮靴を履いているミカエルは、また少し背が伸びたと思った。リュートと違って背があまり高くなくて、ブルーノと違って筋肉があまりついてなくて、サニーと違って華奢な体つきの、私だけの王子様の、ミカエル。
シャーロットは顎を上げて、ミカエルの翡翠色の瞳を見つめた。
「ありがとう、よく頑張ってくれたね。」
「ふふ、ミカエルがいてくれたから。」
ミカエルとシャーロットは、どちらともなく顔を寄せ合い、キスしていた。おでことおでこをくっつけ合って、微笑んだ。
「婚約破棄にならなくて、良かった。」
その一言が嬉しくて、シャーロットはミカエルを抱きしめた。
ありがとうございました




