<61>悪役令嬢はもどかしいようです
「離れて、ブルーノ。」
シャーロットは耳の後ろを擽るように唇を寄せてくるブルーノから、身を捩って逃げようとする。後ろから抱きしめる腕は力強く結ばれていて、シャーロットを放してくれそうになかった。
「シャーロットと二人きりにやっとなれたんだ。少しくらい、いいだろう?」
「よくない。期末テストの成績で私に勝ってって、約束したと思うわ。」
「ああ、あれ。」
ブルーノの動きが止まった。
「もうそんなの、どうでもよくなったのかと思ってた。」
「ならないから。」
ミカエルに言われたところなのに、これじゃあ私、ダメじゃない。シャーロットは情けなくなってきていた。ミカエルと一緒にいたいって言ってる自分が、こんなんじゃダメだ。
「とりあえず、離れて、ブルーノ。話があるなら、明るいところに行こう?」
この前はこの人気のない図書館で、随分一緒に時間を重ねてしまった。明るい場所にまずは移動だとシャーロットは思った。
「一緒にいてくれるの?」
「少しだけね?」
シャーロットは口の端に笑みを浮かべたブルーノと一緒に、図書館の入り口付近からバルコニーに出た。奥に進むと職員用通用口が見える。小さなベンチが二つ並んでいて、シャーロットの肩の辺りまである高い手摺りに沿うように観葉植物が並べてあった。
日が高い位置から差し込んでいた。二人で並んで奥の方のベンチに座ると、ブルーノはシャーロットの手を握った。
「寒くない?」
「大丈夫、日差しがあるもの。」
「その本、見つけたんだ? あの、パーティで言っていた本?」
「そうなの。サニーがこの前教えてくれたの。」
「へえ…、」
シャーロットを見つめるブルーノの瞳が細くなる。
「サニーが教えてくれたんだ?」
「ええ。どうかしたの?」
黙ってしまったブルーノを見上げて、シャーロットはわざと聞いてみた。ブルーノがサニーの事をどういう風に思っているのか知りたかった。
「シャーロットは、サニーと仲がいいの?」
「別に…、普通だと思うけど。」
どっちかと言うと、嫌いではない。けれど、好きでもないかもしれない。
「何回キスした?」
「は?」
それをブルーノが聞くの? シャーロットは驚いて言葉を失くした。絶対ブルーノとキスしてる回数が多いと思う。そんな話、ミカエルには聞かせられないけど。
立ち上がって逃げようとしたシャーロットの腰を、ブルーノは抱き寄せた。
「僕の方が多い?」
耳に囁くブルーノの声は、真剣みを帯びていてシャーロットは赤面してしまう。
「も、もちろん。」
そう答えるので精一杯になってしまう。
「なら許す。」
耳朶を齧られて、シャーロットはもっと赤くなってしまう。だ、ダメだ、流されそう。いかんいかん、ミカエル、ローズ…、ローズ、ローズ。急に頭が冷えていく気がした。
「その話は終りね。ブルーノ、二人きりだから、この本読んでみる?」
「ん? あんまり興味ないけど、シャーロットがどうしてもって言うなら、付き合うよ。」
あ、そういう反応なんだ。シャーロットはブルーノらしいなと思いながら観察する。サニーやミカエルとは違う反応が、興味深かった。「どうぞ、」とシャーロットが本を手渡すと、ブルーノはパラパラと本を一通り最後まで目を通して、しばらく黙って何かを考えた後、声に出して読み始めた。
「?」
シャーロットは聞き取れなくて、最初何が起きているのか判らなかった。本を見ながら一生懸命語るブルーノの言葉はこの国の言葉ではなくて、たぶん、ブルーノの故郷の言葉だと、やがて気が付いた。
なんだか陽気な感じな物語に聞こえるのね…、シャーロットは話の内容を知っているだけに、印象の違いが面白く感じた。
日頃話をするブルーノの、ぶっきらぼうな、だけど力強い印象とは違って、陽気で明るく威勢がいい印象に聞こえた。
最後のページまで来ると、ブルーノは静かに王子様の最期を語り、それでも、重苦しい雰囲気にはならなかった。
読み終わり、じーっとシャーロットを見つめるブルーノは、同じ碧い瞳をした、今まで知ってきていたブルーノとは違う異国の人に見えた。言葉で随分雰囲気って変わるんだね、とシャーロットは思いながらブルーノの碧い瞳を見つめた。
「僕の国の言葉で読んでみた。どうだった?」
「聞いたことない言葉で、ブルーノが遠い外国の人に見えたわ。」
ブルーノはそっとシャーロットの耳元で、異国の言葉を囁いた。
「じえんな、のほぶぶーく?」
シャーロットは聞こえたままに、その言葉を繰り返した。それはブルーノの国の言葉で『君を愛している』という意味の言葉だったのだけれど、シャーロットは知らなかった。
ふふっと笑ってブルーノはシャーロットの頬を撫でて、キスをした。
「今のは翻訳の手間の御礼として貰っておくね、シャーロット。」
えー、そういうのいらないけど。眉を顰めたシャーロットは、肝心の本の感想を聞くのを忘れていると気が付いた。
「本の内容を、私に説明してくれたりする?」
内容は知っているけれど、一応聞いてみた。
「王子様が薔薇と暮らすのに飽きて、違う薔薇を探しに星から逃げ出して、でも帰りたくなって薔薇の元へ帰る話。」
わー簡潔ー。ある意味まとまってていいかも? シャーロットは心の中でこっそり思った。その言葉の通りの物語だと、ロマンチックな展開にはならないわ、きっと。
シャーロットが面食らっていると、ブルーノは躊躇いながら話を続けた。
「この王子様って僕? 薔薇の花って、責任とか逃れられない役目とか、そういう意味の象徴?」
恋人とか愛とかの比喩と思わなかったんだ。シャーロットは意外だなと思った。ブルーノは愛とか恋とか好きそうなのに。
「薔薇の花は僕の国の国花だよ。オレンジ色の薔薇が咲くんだ。赤い薔薇は希少だから、手厚く保護をしてる。」
ブルーノはシャーロットと手を重ねた。
「前に図書館で、最初にこの本の話を聞いて、びっくりした。僕を追い求めてくれてるんだと、思った。」
「は、はい?」
どうしてそうなるの?
「仲直りのきっかけに、地理学の辞典なんて。…触れるなと言ってたのに、シャーロットが判らなくなった。」
私も不思議だよ…。シャーロットはどこから突っ込めばいいのか判らなくなってきていた。国の違いでの文化の違いって、ここまでくると話し合うことが重要だわ。そう思った。
「シャーロットがあのパーティでこの本の話をした時、僕は国を継いで迎えに来て欲しいって言われてるんだと思って聞いてた。僕の両親も、僕達に向けて話をしてるんだと思って聞いてたんだと思う。」
いや、あの、違うから、それ。びっくりし過ぎて言葉に詰まり、シャーロットはただただブルーノの顔を見た。
「その国の言葉で書かれた本が欲しいって言ってたけど、たぶんこの本はうちの国にはない。だから、今、翻訳してみた。これでいい?」
「うん。それでいい。」
翻訳をその場で出来るなんて普通にすごい。シャーロットは頷くしかなかった。
「この国にはこの本があるって判ったから、この国のこの本を手に入れて、君の傍で僕はこの本を何度でも読んで聞かせるよ。僕が国の為に捧げる情熱を忘れないように、君が傍で見守っていて欲しい。」
それは困るかも。シャーロットは家族会議を思い返した。
「えっと、ブルーノ。」
「ん?」
「この場合、エリックにはどうしたらいいのかな。」
「エリックがどうしたの?」
「お父さまとお母さまは、判定役はエリックだって言ったの。この国の本を手に入れて、同じ絵柄の他国の本を判定して、評価するらしいの。」
「ああ、必要なんだね、本自体は。」
「ええ。ブルーノだけじゃないから、一応。」
あとはサニーとミカエルと、リュートがいるから。
「じゃあ、同じ説明をするよ、エリックにも。」
ブルーノはそう言って微笑んだ。
「その時に改めて僕を選んで?」
「選ぶの? 私がするお返しって、そういう感じなの?」
4人とも本を手に入れて、誰もが自分を選んでと言い出したら困るなと思う。
「判定役のエリックが、なんて言うかなんだろうな。」
ミカエルが私がブルーノが好きだと指摘したけれど、どうしよう、自覚してしまうと変に意識してしまう。
「物にして欲しいな。その方があいまいだけど深刻なお願いよりは、断らなくて済みそうだもの。」
「物かあ…。」
ブルーノは少し考えて、シャーロットの瞳を覗き込んだ。
「ピアスがいいな。お揃いの、ピアス。」
また母が怒りそうな選択だな~。ピアスの存在は知っていても見たことも触ったこともないシャーロットには、そんなものを欲しがるブルーノがますます異国の青年に思えてならなかった。
日曜日は出掛けずに部屋でのんびりと過ごしたシャーロットは、夕方、ミチルなミカエルが部屋に帰って来た時、モフモフの白いワンピースにモフモフのゆるゆるズボンを履いて椅子に座り、のんびりと窓の外を眺めていた。
「ただいま。いつからそうしてるの?」
女子学生な制服姿のミカエルは、嬉しそうな顔をして紙袋を抱えていた。
「うーん、いつからかな。」
勉強していて飽きて、窓を見て、勉強をして、を何回繰り返したか判らなかった。シャーロットは首を傾げてミカエルを見た。
「お仕事捗った?」
「めっちゃ捗った!」
ミカエルはいつになく嬉しそうに笑顔になった。
「計画は順調。シャーロットは昨日どうだった?」
「昨日…、」
シャーロットはざっくりと答えることにした。
「図書館で勉強して、お昼はエリックに奢って貰って食べて、夕方まで勉強して、夕ご飯を一緒に食べて、部屋に戻って勉強して、シャワーして寝たわ。今日は朝から、学食以外に出かけずに勉強してたわ。」
勉強ばかりの退屈な2日間だった。賢くはなったかもしれないけれど、何か物足りなかった。
「僕は、今週頑張れば来週のお茶会が楽ちんできると思って、頑張って働いてきたよっ!」
ミカエルはご機嫌で歌でも歌いそうな勢いだった。
「で、ハジェット領の御針子さん達を総動員して、作ってきましたっ!」
シャーロットに袋から一つ、摘まんで差し出す。
白い可愛いまふまふした青いビーズの瞳のキツネ人間が、青いマントをつけて灰色の長い槍を持っている、手のひらサイズのマスコットだった。マントを捲ると付け根のところに、マリライクスの黒いタグが付いていた。
「可愛い…!」
シャーロットが思わずキュンキュンしていると、ミカエルは得意そうに言った。
「今度マリライクスから発売する騎士団グッズでっす! 発売は今日日曜の午後からですが、既に完売です。でもシャーロットには今からつけて貰います。」
「はい? 何につけるの?」
「お財布がいいなあ。なんとかならない?」
お財布にこんな大きなものくっ付けたら邪魔だわ…、とシャーロットは思ったけれど黙っておいた。何か違うものを提案して誤魔化そう。
「学校へ行くカバンの持ち手とかじゃダメ?」
「それじゃあ地味なんだよな~」
「目立つものって他に何があるのかな。ああ、懐中時計にくっつける?」
シャーロットは机の上の懐中時計を手に取った。二人で並んで床のラグの上に座って、鎖にマスコットのひもを通して括りつけた。
「これなら制服のスカートのポケットに時計を入れておけば、常にポケットからこの子が見えてるわ。」
キツネは、騎士団の紋章に描かれている伝説の銀狐がモチーフになっているんだろうと、シャーロットは思った。初代国王が敵国に囲まれた時、銀狐の導きで脱出し事なきを得て逆襲した結果、広大な領地を得る勝利を得たという逸話があった。
「そっちは?」
「もう少ししてからのお楽しみ。」
そう言うと、ミカエルは抱えていた紙袋を自分の机の上に片付けた。
「さて、僕は可愛いシロクマさんを抱きしめるとするかな。」
シャーロットに近付くと、ミカエルはぎゅっと抱きしめた。
「シロクマさん、頑張ってお仕事した僕にご褒美ください。」
シロクマって言われて嬉しい誉め言葉なのかしら、とシャーロットは少し思うけれど、黙ってミカエルに抱きしめられていた。
「ご褒美は僕から貰ってもいいですか?」
「な、何…、」
シャーロットは近付いてきたミカエルにラグの上に押し倒されてしまう。
「白クマさんは蜂蜜が好きなのかな?」
「き、嫌いではないわ。」
ミカエルはモフモフしたシャーロットのワンピースをまくり上げ、手を滑り込ませて、シャーロットの肌に触れる。肌をなぞる冷たい指先に、シャーロットはくすぐったくなる。
「暖かいね、シャーロット。もしかして僕の手って冷たい?」
「冷たいけど、暖める暇もないくらい、忙しかったんでしょ?」
「まあね、そんな感じ。」
「ご褒美って、私にもくれる?」
「そうだね、じゃあ、僕から貰うね、シャーロット。」
そう言うと、ミカエルはシャーロットにキスをした。長いキスに、シャーロットはうっとりしていた。離れていくミカエルが名残り惜しい。
「私からのお願いは、ちょっとじっとしてて?」
シャーロットはミカエルの首に手を回して、そのままミカエルの口を求めた。
重なり合う唇に、シャーロットは何度もキスを交わした。自分からキスしたいと思うのはミカエルだけなのが不思議に思えた。ミカエルの濡れた唇を舌を伸ばして舐める。
「もうダメ、シャーロット、ちょっとストップ。」
ミカエルがシャーロットから体を離した。
「続きはまたいつか。ご褒美は十分貰ったから。」
ミカエルは照れているようで、顔を赤くしてそっぽを向いた。体を起こしながら、あら、かわいいのねと、シャーロットは意外に思った。
いつも揶揄ってるのにね。シャーロットはくすりと笑った。
ありがとうございました




