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<54>賭け事に強いのは強く願うからなようです

 シャーロットは隣を歩いて謁見の間を出ようとするリュートに、小声で話しかけた。

「どうしてあんな願いを言ったりしたの?」

 リュートは前を行くチーム・屋上の学生達をちらりと見て、少し気不味そうに言った。

「婚約したままだと、私達と行動できないじゃないか。」

「え、ナニソレ。」

「婚約者のいる女子生徒が、私達と行動を共にするのは外聞が良くない。そうだろう?」

驚いたシャーロットがリュートを見つめていると、国王が「シャーロット嬢と宰相の息子リュート、待て、」と呼び止めた。

「リュート、先に行くからな、」

 チーム・屋上の集団と教師達の一行は、そうリュートに囁いて部屋を出て行ってしまう。

 シャーロットはリュートの手を振り払い、国王の方へ向き直った。リュートと共に引き返して、再び国王の前へ進み出る。

「そなたの願いは聞いたが、肝心のシャーロット嬢の願いを聞いてはおらぬ、」

 国王は優しい笑みを浮かべていた。いつものミカエルのお父さまだ。シャーロットは少しだけほっとして、気持ちを引き締めて言った。

「私の願いは一つです。ミカエル王太子殿下とこの先も一緒にいたいと願います。」

「では、婚約を解消しても、傍にいるのか?」

 シャーロットは国王の瞳を見つめた。翡翠の瞳はミカエルとは違う。でも、印象は似ていると思った。

「私は、婚約解消を望みません。」

 震えながら答えたシャーロットは、見ている者には哀れを誘った。

「よかろう。ではそのことも踏まえて、一度話し合いの場を持とう。確かに幼すぎてお互いの希望も条件もないままの婚約ではあったな。国の為、家の為と決めた婚約だ。」

 国王の言葉は意外なものに聞こえた。そんなあっさりでいいんだ?

「お互いが好きあっての婚約ならいざ知らず、お前達の婚約は先王とその側近達がまとめたもの。国の為と言われて決めたのだから、若かった予の意見なども入ってはおらん。」

 国王は遠くを見つめ、目を細めた。

「学生時代とはつかの間のもの。それがそなたを一人でいさせる苦痛の時間となっておるのは、いささか哀れよの。願い事はと聞かれて皆からそなたの婚約解消を希望されるとは、相当な無理を強いておるのだろう。知らなかった事とはいえ、すまんな。」

 え? 何? シャーロットは瞬いて国王の顔を見つめ直した。

「いえ、国王陛下、私は無理など強いられてはおりません。」

「わかっておる。そなたは自ら進んで我慢をしておるのだろう。リュートはそれに気が付いたから、仲間とそなたを守ろうとしておるのだろう。そうだな、リュート。」

「その通りです。国王陛下。シャーロット嬢は理事長の孫娘という立場で転校生やガブリエル第二王女殿下、奨学生の面倒を見ていますが、自分自身の友達を作る時間もなく、尽くしているばかりなのです。」

 転校生はミカエルのことだし、ガブリエルは妹分の大事な存在だし、ローズは昔からロータスとして友人だった。シャーロットはどこから説明すればわかって貰えるのか、戸惑った。

「そうか…、それに加えてミカエルが孤独を強いているというのなら、余計に哀れよのう…。」

 国王は何か考える表情になって、シャーロットを見た。

「今この場で、婚約を破棄し解消する決断も可能ではあるが…、」

 ふるふるとシャーロットは首を振った。私の望みではない判断をしないで欲しい、そう思った。

「今日はいったん預かろう、良いかな、シャーロット嬢、リュート?」

 シャーロットはちょっとほっとして、胸を撫で下ろした。

「では、リュートはもう下がれ、願いはよく判った、今日は良い働きをしたな。褒めてつかわす。」

 リュートは礼をすると、謁見の間から出て行った。シャーロットは出遅れた感を噛み締めながら、その場で控えていた。

「シャーロットも何か飲むか?」

 いつものミカエルのお父さまな雰囲気に戻った国王は、宰相に手渡された水を口に含み、一人残されたシャーロットに尋ねた。

「大丈夫です。あの、国王陛下は、ずっと立たれたままで、休憩もなく謁見は続くんですか?」

 シャーロットはこんなつかの間の時間も、国王がずっと立ったままなのが気になっていた。

「ああ。謁見で訪れる者達は、この場で会う私の姿が国王という者だと認識するだろう? 私に出来る彼らへの敬意はこれくらいなんだよ。」

「座っていると、この方は必要以上にふんぞり返って見えてしまいますからね。」

 宰相が言うと国王は少し納得のいかない顔をした。

「な、こんな印象よりは、立っている方がよい印象なのだよ。」

 シャーロットがくすくす笑うと、国王と宰相は安心したように微笑んだ。

 あ、気を遣ってもらったんだ。そう気が付いて、途端に恥ずかしくなりシャーロットは下を向いた。

「次の者達が入ってまいります、よろしいでしょうか?」

 案内係の侍従が次の組を連れてきていた。

「よいよい、通せ、」

 誰がやってくるのか知っている表情の国王が、通せと言ってしまったので入ってきた次の組は、シャーロットの父であるハープシャー公爵と黒服の女性とエリック、ブルーノと両親だった。黒服の女性に付き従うように、タキシード姿の大使と通訳の侍従が遅れてやってくる。

 両親はシャーロットを見て小さく頷き、エリックはちらりと視線をシャーロットに向けたままで、黒服の女性のエスコートをしていた。

 それぞれが地位に応じて国王と握手をしたり礼をした傍で、シャーロットも何となく淑女の礼をしていた。一人何もせず立っているのは嫌だったのだ。

「よいよい、堅苦しい挨拶はもうよい、楽にしてくれ。」

 国王が苦笑いをして、父に話しかけた。

「ハープシャー公爵、その姫は?」

「国王陛下、はるばる海の向こうの国からお越しいただいた、リルル・エカテリーナ第二王女殿下でございます。そちらにおわしますペンタトニーク公の伝手を頼ってお越しになりました。」

「ペンタトニーク公、元気だったか。」

「先日は我が息子ブルーノにこの国で学ぶ機会を与えて頂き、ありがとうございました。よき友と出会える機会を得た事、まことに感謝いたします。」

「ブルーノ殿、不自由はないかな?」

「ハープシャー公爵に良くしていただいております。エリック様と、そちらのシャーロット様にお世話になっています。」

「ほぉ…、シャーロット嬢はそなたの面倒まで見ておるのか、」

 国王は感心したようにシャーロットを見た。面倒など見ていないと言える雰囲気ではなかった。

「国王陛下、ここに大使もきております。」

 父が大使を紹介すると、タキシード姿の大使は最敬礼をし、名乗りを上げた。何を言っているのかよく判らなかったけれど、侍従は言葉を選びながら説明した。

「この方はリルル・エカテリーナ王女御自身で、今回は美しいと評判のミカエル王太子殿下を直々に品定めに来たと仰っておられます。王女はペンタトニーク公を頼って外遊中で、この国は良い国だから気に居ればこの国に嫁ぐ用意があるとのお言葉です。」

「そうか、リルル・エカテリーナ殿、長い船旅ご苦労であった、と伝えよ。ペンタトニーク公、なかなか珍しい姫をご紹介頂き感謝する。誰か、ミカエルをここに呼べ。」

 国王は侍従に指示を出し、改めてリルルに向き合った。

「この国はそなたの国よりは小さいが良い国だ。ミカエルを気に入って嫁いできてくれることになるなら歓迎する、と伝えよ。」

 え、それって、実質私の婚約破棄決定だよね? シャーロットはびっくりして声をあげそうになる。

「もっとも、そこにおるシャーロット嬢と現在ミカエルは婚約をしておるのでな。そう簡単には婚約するなど叶わぬ。と、伝えよ。」

 通訳の言葉を聞いて、リルルはシャーロットを見た。品定めするような、鋭い目つきだった。

沈黙を破るように、父が口を開いた。

「国王陛下、我が娘シャーロットは、身を引く覚悟ができていると思います。大国との関係を重要視すれば、一貴族の娘の将来など、どうにでもなります。」

 それは言い過ぎじゃないのー? シャーロットは父を思わず睨みつける。半分本気で半分卑下していたとしても、それはあんまりだと思った。

「のう、宰相。」

 国王は静かに言った。

「シャーロット嬢は、本当に哀れよのう。」

「ええ、国王様。」

 宰相も憐みの目でシャーロットを見つめていた。それ、絶対勘違いだから! シャーロットは小一時間かけて丁寧に説明させてほしいと思った。

「お呼びと伺いました。なんでしょう、父上、」

 ミカエルが王子様なミカエルで、部屋の奥にある王族用の出入り口からやって来た。髪を後ろで括ってタキシード姿のミカエルは、綺麗な顔で息を切らしている。

「そなたに是非合わせたい女性が、遠路はるばる来てくれていてな。」

 エリックの手をそっと断り、リルルが歩き出した。ミカエルに立ち止まると、手を差し出し握手を求めた。

「リルル・エカテリーナ・リュラー。」

 自分の名前を名乗った彼女の手を見つめると、ミカエルは黙って首を振って、手を後ろで組んだ。

どういう意図なのかシャーロットはよく判らなかったけれど、国王と宰相は意味が判ったようだった。二人は頷きあって、通訳に「戻ってくれと伝えよ、」と言った。

 エリックの傍に戻ったリルルは、エリックに手を差し出すと、差し出された手を握った。

「公爵、今の意味が分かるか?」

 国王は尋ねた。父もエリックも、訝しげな表情をしていた。

「いいえ、どういうことなのでしょう。存じ上げません。」

「だろうな、予も、ミカエルに教えられて最近知ったのだ。彼女の国の婚約は、沢山いる婚約者の中から将来有望な者を一人に絞る。その婚約者の選び方が特殊で、王族が名を名乗り握手をして、相手が自分の名を名乗れば、候補になると了承したとみなされるのだ。それは親が代理であったとしても、お互いが名乗って握手をしないと成立はしないのだ。」

 ブルーノの場合は、祖父が代わりに名乗り合って握手をしたのだろうか。生まれる前からブルーノの名前が決まっていたってことだよね。それは…、執念だわ…。シャーロットはブルーノをちらりと見て、ちょっとだけ同情した。

「今ミカエルは黙って手を引っ込めただろう。あれが断るという意味なのだ。」

 エリックは目を見開いてリルルの顔を見た。リルルは嬉しそうに微笑んだ。

「ああ、もしかしてそなたは知らずに契約をしてしまったのか?」

 国王は面白そうに言った。

「王族が自分の名前を明かすということが滅多にない。身を危険に晒すことになるからな。」

 まあ、当然だろう。エリックはうっかりやっちゃったんだろうなーとシャーロットは思った。

 父は驚いてエリックを見つめていた。

「自分の名を名乗って握手を求められると、知らない者は自分も名乗って握手してしまうだろうなあ。だからあの国は王族の婚約者が多いのだ。そこから一番いい条件の者を選べばいいのだから、上手く考えたものよのう。」

 国王は説明し終わると、通訳に言った。

「この国に、ハープシャー公爵の次期当主の妻として嫁いで来られる日を楽しみに待っている、と伝えよ。はるばるの旅路、良い思い出を作って帰っていただけると素晴らしい限り、とも、伝えるのだぞ。」

 通訳の言葉に、リルルは心から嬉しそうに微笑んだ。エリックを再び見て優しく微笑んだその顔は、とても美しかった。

 ブルーノはシャーロットを見ていた。私じゃなくて国王陛下を見てなって、とシャーロットは心の中で注意した。

「シャーロット嬢、いかがした?」

「弟に素敵なお姫様とご縁ができてなにより、と思いました。」

 猫を被り直して国王にシャーロットは微笑む。

 シャーロットの言葉が気になったのか、リルルは通訳に何かを言った。通訳はシャーロットをちらりと見た後、リルルに囁いた。それを聞いたリルルは顔を輝かせ、シャーロットにウインクをした。

 シャーロットは同性とはいえキュンとときめいてしまい、リルルを好きになりそうと思ってしまった。

「ブルーノ殿には婚約者はおるのか?」

 ブルーノの顔を見眺めていた国王が尋ねると、ペンタトニークが答えた。

「リルル様の姉君のラウラ・クリスティーナ様と婚約がありましたが、この前破談となりました。この国で理想の花嫁を見つけたと、私には申しております。」

「ほう、ブルーノ殿はもう見つけたのかね?」

 ニヤニヤと国王はブルーノとペンタトニークを見た。色恋話は誰でも気になるのだろうなとシャーロットは思った。

「はい、良き姫が見つかりました。叶うことなら我が国に連れて帰りたいと思っています。」

 ブルーノは不敵に微笑んだ。

「ほほう。その姫は手に入りそうか?」

「心を手に入れている最中でございます。」

「我が国とそなたの国の結びつきが深くなることは素晴らしい。予に応援できることがあれば言ってみよ。可能な限り叶えてつかわす。」

 おいおい、そんな簡単に叶えていいのかーとシャーロットは思った。さっきから叶えてばかりじゃないの? 国王に突っ込みを入れたくなるが我慢する。いかんいかん…あれは国王陛下…。

「では、シャーロット嬢との婚約を認めていただきたいです。」

「は? はい?」

 シャーロットは驚いてブルーノを見た。ブルーノはシャーロットを見て、優雅に微笑んだ。

「今シャーロット嬢の婚約しているお相手との婚約破棄を、国王陛下の御力添えを頂いて、勧めていただきたい。」

 ペンタトニークもブルーノを力づけるように言った。それ、ミカエルだから。そこにいるから。シャーロットは内心、滝のように流れる冷や汗を拭う。目の前に当事者がいるのにその親に婚約破棄を要請するって、ナニソレ。

「そなたはシャーロット嬢の心を手にしたと言うておるのか。」

 国王はびっくりしたように言った。シャーロットはさらにびっくりして、目を見開く。

「まだ手に入れておりません。でも、既に婚約しているという事実が彼女の心を縛っております。その縛る枷が無くなれば、私の元に心を差し出してくれるものと信じております。」

 つまり、まだ心は手に入れてないけど、今から手に入れる予定だからお膳立てしてね、王様ってことだよね? とシャーロットは眉を顰めながら思った。そういうのって、私の意見は聞かないの?

「なるほどのう。心を縛る枷か。」

 国王は溜め息をついて、シャーロットを見て、ゆっくりとミカエルと見た。

 シャーロットもミカエルを見た。国王の傍にいて、王子様なミカエル。

 ミカエルは何かを考えている様子だった。シャーロットの視線に気が付いていなかった。

「そうか。わかった。今度一度、ミカエルにも聞き取りをしてから、婚約を破棄し解消とするかを決める。それまで待たれよ。そなた達の意見も考慮しよう。宰相、書き留めたか?」

「大丈夫でございます、国王陛下。」

 私の意見には、二重丸で目印をつけて大きく書いておいてほしい。シャーロットはそう思った。誰もが勝手なことばかり言ってる気がした。

 唇を噛んで下を見つめたミカエルは、シャーロットを見ないままだった。こっちを見て欲しかった。手の届かない誰か別な人に見えた。

 切なそうにミカエルを見つめるシャーロットの顔を見て、国王は宰相に聞こえる程度の小声で、「ますます哀れよのう、」と呟いた。宰相も「いかにも。」と、シャーロットとミカエルの顔を見ながら答えた。

「シャーロット嬢、長々と引き留めて悪かったな。もう下がっても良いぞ。」

 国王が詫び、他の者には退室を告げた。

「では皆の者、また良い知らせを持ってまいれ、」

 ミカエルがやっと、シャーロットを見て微笑んだ。シャーロットは安心して、部屋を出る列に加わった。

 父が先頭を歩き、エリックとリルルの後に続いて謁見の間を退室しようとしたシャ-ロットの傍に、颯爽と現れたブルーノが手慣れた手つきで手を握り、エスコートしてくれた。

 謁見の間を出て控えの広間へと向かう。

「ブルーノ、」

 シャーロットはブルーノを見上げた。ブルーノはシャーロットを見て微笑んでいる。

「君にはずっと、僕の傍で歩いていて欲しいんだ。」

 シャーロットは答えなかった。瞳を見つめたまま、頷きもしなかった。

「僕は君が好きだ。」

 あの時とはもう、状況が違う。シャーロットは唇を噛んだ。

「僕は君を願うよ。心は手に入れた。あとは体も、手に入れる。」

 シャーロットに微笑んだブルーノは、とても美しくて、とても残酷に思えた。

「そんなこと、できるのかしら?」

 シャーロットが微笑み返すと、ブルーノは言った。

「引きが強いのが自慢なんだ。知ってるだろう? シャーロット。」

 美しい人が美しいのは、自分を信じているからなんだ。シャーロットはそう、思った。

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