<52>悪役令嬢は婚約した後に待っている結婚生活に興味があるようです
「もう起きるかしら?」
誰かが話してる声がする。シャーロットは瞳を閉じたまま、その声が誰の声なのか考えていた。
「まだ寝かせておいてあげれば?」
ああ、これはラファエルだ…。じゃあ、傍で話してるのは、ガブリエル?
「この子は無防備すぎるのですわ。こんなところで寝ているのも油断しすぎです。」
こんなところ…?
何かふかふかとした柔らかいものを抱きしめて寝ている自分は、どこで寝ているのだろう。何かに座っているみたいだし。抱き締めているのはクッションかしら。
何でクッションを抱きしめて寝ているんだろう。どうしてラファエルとガブリエルの声がするんだろう。
はっと目を覚ましたシャーロットは、目の前でシャーロットの顔を覗き込んでいる深紅のドレスのラファエルとピンクのドレスのガブリエルと目が合った。
「あら、起きたわ。」
「シャーロット、気分はいかが?」
微笑む二人にシャーロットは瞬きして尋ねた。ガブリエルは侍女を呼んで何かを囁いている。侍女は頷くと部屋を出て行った。
「今何時? ここはどこ? どうして私はここで寝ていたの?」
ふふっと笑ったラファエルは隣に座ると、シャーロットからクッションを取り上げた。
「今はもうお帰り時。パーティは終わって、お客様は帰るわ。ここは王族専用の控室。シャーロットは自分でここに来たのよ?」
「どうやってここまで来たのかしら。」
「私とミカエルが付き添ってここまで連れてきたのよ? シャーロットは眠いから帰るって言って一人で帰ろうとしたから、ミカエルがここで休んでって連れてきたの。シャーロットは椅子に座って、髪型が崩れるから座って寝るって聞かなくて、クッションを抱きしめてそのまま眠ってしまったの。」
なんとなく覚えていたけれど、シャーロットは自分が眠くて機嫌が悪かったとしか思い出せなかった。
「それは…御迷惑をかけてしまってすみません。」
一国の王女を付き添いに使ったなんて、母が聞いたら激怒するだろう。
「なんだか楽しそうに鼻歌を歌ってたけど、すとんと寝ちゃって。一応見張りに侍女を何人かドアの前には立たせておいたけれど、あなた一人で寝ていたのよ?」
窓の外を見れば薄暗く、確かにお帰り時だった。
「ラファエル様、ありがとうございます。こんな時間まで、迷惑かけちゃってごめんなさい。」
「公爵家のエリックには先ほど侍女を向かわせましたから、じきに来てくれるでしょう。」
ガブリエルもシャーロットの隣に座って、悠然と答えた。
「シャーロットは、もしかしてお酒、飲んじゃったの?」
ラファエルがおかしそうに尋ねる。
「もしかしなくてもたぶん飲んでますわ、この子。日頃しないような軽率な言動で表情がくるくる変わって…、まあ、とっても魅力的ではありましたけれど、シャーロットらしくなかったですわ。」
やっぱりバレてたんだ…、シャーロットは恥ずかしくなってしまう。
「ほんとに一口だけなんです。カフェオレかと思って飲んだらお酒で…。」
ラファエルは「まあ、」と吹き出した。ガブリエルは真面目な顔をして忠告する。
「隣国には再会で頬にキスなんて習慣、ありませんわよシャーロット。おそらく、父王様はシャーロットが酔っ払っているとお見抜きになってて、あのお話だったのだと思いますわよ?」
え。担がれたの? なんとなく覚えているシャーロットは恥ずかしくて顔が赤くなってしまった。
「バレてないと思っていたのは、たぶん、シャーロットだけですわ。あんな約束までして…。」
「約束って?」
ラファエルはあの場にはいなかった。
「ラファエルはいなかったのですから知りませんわね? シャーロットはある本を探してくれたら、お返しをすると、約束したのです。」
「なんていう本? 私も探せる?」
ラファエルも探す気なのか…。シャーロットは冗談だと思いたかった。
「プチ・プリンス。ミカエルは知っていたの。不公平にならないように皆さんに教えてしまっていましたが、お城の図書館にも一時期ありましたわ。私も見たことがあります。絵本かと思ったら外国語の本で、私には何が書いてあるのか判りませんでしたわ。」
「へえ…。ミカエルは覚えてたんだねー。」
「うーんと昔、ミカエルに読んでもらいましたの。お話の内容はなんとなく覚えていますわ。」
嘘つき王子様と言っていた割に、仲良くやってるじゃん、とシャーロットは思った。
「へえ、どんな感じ?」
ラファエルが興味津々でガブリエルの手を握った。シャーロットも手を重ねる。
「教えて、ガブリエル。」
ガブリエルは少し考えてから、話し出した。
「プチ・プリンスと言うのは子供の王子様ですわ。彼のあだ名ですの。物語の舞台となる星には王子様と薔薇しかいなくて、薔薇は王子様にあれこれと我儘を言って困らせるんです。王子様は薔薇を好きだから薔薇の我儘を聞いてたんですが、次第に辛くなってしまって自分の気持ちを伝えなくなってしまいますの。王子様は薔薇に辛い気持ちを伝えずに、お互いにもっといい相手がいるかもしれないねと言って他の星へと旅をすると決めるんですけれど…、薔薇は追いかけないんです。薔薇だから動けなくて。」
ガブリエルは小さく笑った。
「旅をしていくうちにいろんな動物や沢山の薔薇と出会って、あの星の薔薇を超える薔薇を見つけられなかったと遠い星で気が付いて、王子様は儚くなってしまうのです。あれだけ僕に心を開いてくれた薔薇に、僕は心を開かなかったと言うんですの。消えてあの星に帰ろうって言って。私、あのお話をミカエルに読んで貰って、そんなの嫌だわって思いましたの。」
「どうして?」
「せっかく我儘な薔薇から逃げられたのに、また薔薇の元へ儚くなってまでして帰りたいなんて変、って思ったのです。もっと探せばいいのにって。」
確かに。シャーロットもラファエルも頷いた。
「わかるわ、それ。」
「私も、判る気がする。」
「ミカエルは私の感想を聞いて、結婚ってこんな感じだと思うよ? ガブリエル、って言いましたの。だからミカエルの嘘付き、お父さまとお母さまはこんなじゃないわって言ってやりましたの。」
ラファエルは真顔になって沈黙していた。いろいろ思うところがあるのだろう。
「でも、最近になって、レイン様との結婚のことを考え始めて、お父さまとユリス様の事を考えるようになって。ああ、ミカエルが言うように、こんな感じなのかもしれないって、思うようになったんですわ。」
ユリス様とは国王の寵妃の名だった。父の愛人を様付けで呼ぶんだ、とシャーロットは自分の父に愛人がいないので妙に感心していた。
「あの本は、我儘と言う言葉を使って、価値観の違いを美しい言葉で語っていたのだと、今なら思うのです。意見を、我儘と思うか希望と思うかは、受け取り方次第でしょう? ローズが、あの本を読んでいたと、シャーロットは言っていたでしょう?」
「ええ、一人で、中庭で読んでいたわ。」
あの時のローズはとても悲しそうに見えた。
「私は王女で、あの者は男爵家とは言え育ちは平民です。私達には価値観の違いがあるのかもしれないなと、思いました。でも、私達の通う学校は貴族の学校です。私は自分の考えを押し付けているとは思いません。かといって、平民の価値観を私に押し付けられるのは違うと思います。」
そうね、と、ラファエルは微笑んだ。
「そういう考え方もあるって知っていれば、十分なんじゃないのかしら。私達はどこまで行っても王族だし、この先生きていく道も王族としての道だわ。」
ラファエルの言葉はガブリエルに響いたようで、少し涙目になって、ガブリエルは微笑んだ。
「今日シャーロットがあの本が欲しいと言ったでしょう? 私も隣国の言葉で書かれたあの本を、レイン様に読んでもらいますわ。私とレイン様は同じ王族ですが、国が違います。価値観も違うところがあるでしょう。あの人の声で語られる物語を、あの本の薔薇の気持ちで考えて、私の王子様を思いますわ。」
「素敵ね。私も同じ本を手に入れて、嫁入り道具に持っていこうかしら。」
くすくすとラファエルが笑って、シャーロットも笑った。
「ミカエルはシャーロットに、ちゃんと読んであげられるのかしら。その本はまだお城にあるの?」
「どうでしょう、ミカエルは…、そう言えば、シャーロットには内緒だよって言ってましたわ。」
「どういうこと?」
ラファエルがそう言って首を傾げた時、ドアが開いてエリックが入ってきた。
「うちの姉が失礼しました。ご面倒をおかけして申し訳ありませんでした。」
頭を下げて謝るエリックに、ガブリエルは微笑んでシャーロットの手を引っ張って立たせた。
「いえいえ、ここにシャーロットがいてくれたおかげで、私達はまた、結婚してからのお楽しみが増えましたのよ?」
微笑んだラファエルとガブリエルを見て、エリックはきょとんとした顔になったけれど、すぐさまシャーロットの手を掴んで礼をした。
「重ね重ね、失礼しました、では、失礼します。」
シャーロットは二人に「ありがとう、またねー」と手を振って、エリックに引っ張られて部屋を出た。
「シャーロットお姉さまは、今後一切、お酒禁止ね。」
歩きながらエリックが小声で言った。
「俺は今日初めて、婚約者があの人でよかったと思ったよ。」
シャーロットは歩くのが早いエリックについて行くのに気が取られ、「そ、そう、」と言うのが精一杯だった。
「さっさと帰って反省会だからね、お姉さま。」
エリックは急ぎ足でシャーロットの手を引っ張る。
ミカエルは何をしてくれたんだろう。今度会った時謝ろう。今度会った時、本のことも聞いてみよう。エリックに引っ張られて小走りに馬車寄せまで急ぎながら、シャーロットは思った。
家に帰ったシャーロットは父と母に何も言われなかった。予想外だったけれど、むしろ、褒められた。
「えらいぞシャーロット、お前はさすがだ。」
父はソファアに座って、満足そうに言った。父の執務室に集められ、シャーロットはエリックとソファアに座っていた。母は父の横に立って父の手を擦っていた。
「これで、婚約破棄をこちらから希望していると伝わりやすくなる。」
「はい? どうしてですの?」
「シャーロットは、お前の望んだものを持ってきた男と結婚すると、約束したんだろう?」
「え? いえ? 約束してませんけど?」
「シャーロット、私にもそう聞こえたわよ?」
「いいや、あの場にいた者は誰もがそう思った筈だ。」
父も母も澄ました顔でシャーロットを見つめていた。
「え? お父さまとお母さまも、あの話を聞いていたのですか?」
「当たり前だ。あの場には他国とはいえ国王が二人もいたんだぞ。声がよく通る者ばかりが会話していたからな。ミカエル王太子殿下もいたし、いわば、国同士の代表者の会話だ。あの場に我が国の国王がいたらもっと大きな話になっただろうが、たまたま席を外されていたからな。」
「残念でしたわね。いらしたらはっきり決まっていたでしょうに。」
父も母も残念そうだったけれど、シャーロットには救いの選択に思えた。何の用事か知らないけれど、席を外していてくれてありがとう、国王陛下。
「で、エリックはその本は用意できそうか?」
「ええ、本の名は、ミカエル王太子殿下があの場で告げてくれましたから。この国の言葉で書かれたものを用意させます。」
「同じ絵柄の本であれば正解だな。判定はエリックに任せよう。」
え? 私が判別するんじゃないの? シャーロットは驚いた。
「シャーロットは贔屓目が入りそうだからダメだ。エリックは公平に判断するように。」
「それじゃ、誰が一番先に持って来てくれたのか判らないじゃない?」
母が不満そうに言った。
「いっそのこと、日にちを合わせて、解答を一斉に揃えてみてはどうかしら。」
「それもいいかもしれんな。馬車で自国から取り寄せたとしてひと月はかかりそうだが…。」
父はカレンダーを見て悩んだ顔をした。
「あのね、私、全員からその本を貰いたいと思ってるんだけど、優劣は必要なのかしら。」
「どういうことかしら、シャーロット。」
母は顔を顰めた。
「さっき、エリックが迎えに来る前に、ガブリエルに本の内容を教えて貰ったの。お城の図書館にあって、昔、読んで貰ったことがあるんですって。」
ミカエルが読んで聞かせたとは、シャーロットは黙っておいた。その名を出すのは今はやめた方がいいと思ったのだ。
ガブリエルに教えて貰った本の内容と解釈を、シャーロットは話した。父と母は理解できる話だったのか納得したように何度も頷き、エリックは眉を顰めて不快そうな表情をしていた。
「なるほどね。シャーロットはその本をそれぞれに読んでもらって、どういう感想を持ったのかを知りたいと思うのね。」
母は深く頷いた。シャーロットはその様子を見て、わかってもらえたと思った。
「ええ。ガブリエルの話を聞くまでは、本が目当てだったけれど、話を聞いてからは、どう思うかが重要なのかなって思えたの。」
「確かになあ。結婚とは、価値観の違いをどうやってお互いが補っていくかなんだろう。ましてやサニー王子やブルーノ様は他国の者だ。シャーロットとは根本的に価値観が違うだろうなあ。ミカエル王太子殿下は同じ国とはいえ王族、リュートは同じ貴族とはいえ宰相の家柄だ。それぞれ大事にしてきているものが違うだろう。」
父は何かを思い出しているようだった。遠い目をして空中を見つめていた。
「結婚は運命なんかじゃなくて、運命を作っていく過程なんだということに気がつけた者と結婚したいと、お前は思うのだね、シャーロット。」
父の言葉に、母は目を見開いて父の顔を見ていた。
「そ、そんなかっこいいことは思ってはいなかったけれど…、私は、王子様にとって薔薇になるんだと思うの。薔薇の我儘を、我儘と思うか、私との、交渉のし甲斐のある課題だと思うかは、その人次第だと思ったの。」
エリックはじっとシャーロットの顔を見つめていた。
「私の容姿だけが好きなら、いつか薔薇が枯れていくように私の容姿が衰えた時、私を捨ててしまうと思う。でも、私の性格も好きなら、私の言う望みや希望も、我儘に聞こえないかもしれないと思ったの。」
母は父の顔を見て、何も話そうとはしなかった。父も、母の顔を見て、黙ってしまう。
「私は、婚約破棄するとか解消するとかの、そういう事の先にある、この人と結婚して大丈夫なのかを知りたいと思ってしまったの。王子様ばかりなんだもの、誰もいい条件の結婚相手なんでしょうけれど、私の何が好きなのかしらって、思ってしまったの。」
シャーロットは立ち上がった。
「お父さまとお母さまが私は好きよ? ガブリエルは、国王様と王妃様とユリス様との関係を口にしていたわ。お父さまが、お母さま以外にそういう女の人を作らないでいてくれて、私は嬉しかったわ。それって、お父さまにとっての薔薇は唯一だったってことでしょう?」
母の瞳が潤んで光っているのに気が付いてしまって、シャーロットは慌てた。
「お父さまみたいな王子様を見つけて、お母さまみたいに生きていけたらと思ったりもするけど、私はお母さまにはなれないわ。ミカエル王太子殿下もお父さまとは違うと思うの。他の王子様にも、それぞれの考えを聞きたい。それでもいいですか? お父さま、お母さま。」
父は「わかった」と言い、母は鼻を啜りながら、「好きにしなさい」と言った。
「エリックも、それでいい?」
エリックは少し考えてから、「ああ、わかった」と言った。
3人を執務室に残して、シャーロットは自分の部屋に戻った。入浴してさっぱりすると、あれだけ昼間に寝たのに眠くなってしまう。
「明日はチーム・屋上だわ。」
明日は舞踏会もあるんだっけ? ベッドにうつ伏せに寝転びながら、シャーロットは青いドレスを瞼に思い浮かべた。
ありがとうございました




