最終話 よければ、レシピ教えましょうか?
営業担当役員が突如として辞職した翌日。
帝国製薬本社では、法務部と内部監査室による緊急の社内調査が始まっていた。
退職の手続きと同時に行われたPCおよびアクセスログの照合により、元営業担当役員は退職直前、権限を悪用して社内サーバーから営業秘密に該当する可能性のある大量の極秘データを不正に複製、社外へ持ち出していたことが発覚した。
持ち出されたデータは販売戦略、主要顧客・取引先リスト、未発表の商品計画、物流契約など、会社の屋台骨を揺るがしかねないものばかりだった。
さらにログの解析から、彼は退職以前から荻野と密に連絡を取り合い、新会社の設立準備と並行してこれらの情報を渡していた疑いが強まった。
社内調査によって不正の全容が明らかになると、帝国製薬は速やかに法的措置に動いた。結果、元営業担当役員の自宅へと捜査が入った。
書斎の奥に据え付けられた金庫。その重い扉が開かれると、中から厳重に保管されたアタッシュケースが発見された。
「これは……会社を辞める前に、個人的な手元資料として……」
青ざめた顔で弁明を試みる元営業担当役員だったが、捜査員たちの視線を遮ることはできなかった。
個人的な記録として手元に置くには、あまりに過剰で組織的な重要機密の山。
保身のために「あって損はない」と隠し持ったアタッシュケースが重要機密を持ち出した事実を裏付ける動かぬ証拠となった。
数日後、元営業担当役員は不正競争防止法違反の疑いで逮捕された。
逮捕の報はすぐさま業界内を駆け巡り、彼は当然のごとく社内で築いてきた信用を全て失った。損害賠償請求の手続きも進められ、再起の道は完全に絶たれたのだった。
元営業担当役員の捜査の過程で残された通信記録や供述から、荻野の関与も白日の下に晒された。
「私は機密情報を使えとは指示していません。持ち出しにも関与していない」
当初、荻野は整えられた笑みを貼り直し、責任を否定しようとした。
しかし、元営業担当役員との密約を示す確実な証拠が存在し、何より彼自身が「持ち出された機密情報の存在を事前に認識し、隠滅を命じた」という事実は免れようがなかった。
帝国製薬は崩壊し、自分たちは優秀な人材を連れて新会社で業界を独占する――荻野が描いていたその青写真は完全に瓦解した。
新会社設立の計画は事実上頓挫。荻野もまた捜査の対象となり、これまで築き上げてきたキャリアと業界での信用をすべて失うこととなった。
◇
それから、数か月後。
帝国製薬の第一製造ラインは、完全に安定を取り戻していた。適正価格である百円へと改定されたビギナーズポーションは品薄を起こすこともなく、高品質なまま各地の冒険者ギルドへ安定して供給されている。
佐伯が帝国製薬を訪れるのは、月に何度か程度だ。
彼は帝国製薬の社員として復職したわけでもなければ、役員や常勤の指導員になったわけでもない。
佐伯は現在、帝国製薬と「外部顧問契約」を結んでいる。
必要な時にだけ第一開発部を訪れ、製造工程や薬草の扱いについて技術的な助言を与える。それが彼の立ち位置だった。普段は変わらず、郊外の自宅兼工房で薬を作り、ネットで個人販売を続けている。
◇
「佐伯さん、こちらを見てもらえますか?」
第一開発部の作業場で、若手研究員がトレイに載せた薬草を差し出してきた。
俺は薬草の表面を指先で滑らせる。葉脈の微かな凹凸と、青くささの残る香りが鼻をくすぐった。
「うん……悪くないですね。ただ、葉の根元の切り口を、もう少し斜めに入れた方が抽出がスムーズになりますよ」
「なるほど……! すぐにやってみます」
若手が手際よくナイフを滑らせる。乾いた刃音が作業場に響いた。
隣にいた別の若手も作業の手を止め、目の前の蒸留器から立ち上る蒸気を見つめている。
「佐伯さん、こっちの釜は蒸気の上がる速度が速すぎます。たぶん、薬草の乾燥具合が少し足りなくて、水分が余計に出ているんだと思います」
「そうですね。よく分かりましたね」
俺は小さく頷いた。
機械の数値やマニュアルの文字だけでは拾えない、薬草の水分量や、切り口の角度による液の含み具合。かつて長年の作業の中で当たり前のようにやっていた工夫を、第一開発部の若手たちはしっかりと自分のものにしようとしていた。
「佐伯さんはどうしてそんな細かい違いがすぐに分かるんですか?」
作業の手を休めた若手が、不思議そうに尋ねてくる。
俺は使い込んだ手ぬぐいを取り出し、薬草の汁がついた指先を拭いながら答えた。
「長年やってますからね。毎日丁寧に見ていれば、そのうち誰でも分かるようになりますよ」
「……それが分からないから苦労していたんですが」
若手たちは互いに視線を交わし、肩をすくめて苦笑いを浮かべた。
基本中の基本を伝えたつもりだったが、何がそんなに可笑しかったのだろうか。
若手たちへの助言を終え、俺は鞄のストラップを肩に掛け直して出口へ向かった。
「佐伯さん」
背後から低い声が届く。振り返ると、背広姿の黒木本部長が立っていた。
以前のような刺々しい空気は消え、眉間のシワも幾分浅くなっている。
「黒木本部長。お疲れ様です」
「ああ」
黒木は一瞬だけ周囲に目を配り、誰もいないことを確認してから、声を低くした。
「……例の薬はあるか?」
俺は首をかしげた。
「例の薬?」
「深層探索用の薬だ」
思わず口元が緩む。
「黒木本部長、本当にあの薬がお好きなんですね」
黒木は一瞬だけ視線を横へ逸らし、咳払いをひとつ挟んでから言った。
「……あれは、疲労回復に非常に便利だからな」
「まあ、元々は深層の過酷な環境で戦う冒険者さん向けに作ったものですからね。デスクワークの疲労にも効くとは思いませんでしたが……はい、どうぞ」
鞄のサイドポケットに手を入れ、小さなガラス小瓶を取り出す。掌から伝わるのは、常温のガラスの冷たさと、中でゆれる薄茶色の薬液の重み。それを黒木へと差し出した。
小瓶を受け取った黒木は天井の蛍光灯にかざすようにして液体の透明度を確かめ、短く頷く。
その横顔を見ていて、ふと思いついたように言った。
「よければ、レシピ教えましょうか?」
ここまで読んでいただきありがとうございましたm(__)m
ガバや改稿漏れが沢山残っているので適時修正は入れる予定ですが、これで完結となります!
またどこかでお会いしましょう!
あずーる




