第1話 役に立たない錬金術師
「佐伯さん。この薬、一本いくらで売るつもりですか?」
重厚なオーク材の会議卓を挟み、第一開発部長の荻野が腕を組んでいた。
目の前に置かれているのは、俺が何日もかけて仕上げた透明な小瓶だ。蓋の隙間から、青くささの残る薬草の香りがかすかに漂っている。瓶を傾ければ、澄んだ薄緑色の液体がさらりとガラス壁を濡らした。
「……三百円です」
俺は使い古された作業着の袖を引っぱりながら答えた。長年の作業で手のひらには硬いタコができ、指先は薬草の汁でかすかに黄色く染まっている。
「安すぎるんですよ」
荻野部長は溜め息をつき、眼鏡のつるを指先で押し上げた。
「我が社はボランティア団体ではありません。大手製薬企業です。原材料費、精錬窯の魔力維持費、梱包資材に流通マージン……計算すれば、一本三百円で売れば利益が残らないどころか、営業コストまで含めれば売るたびに赤字だ。しかも初心者は一人あたりの購入量も少ない。企業として利益の出ない市場にリソースを割く意味がどこにありますか?」
「ですが部長、これは初心者用です。FランクやEランクの若手が、最初に手にするための薬なんです。抽出温度を七十度前後に保って三時間煮詰めれば、余計な不純物が消えて日持ちもする。高価な設備を使わなくても、基本の手順さえ抜かなければ——」
「佐伯さん。私だって初心者が事故で命を落とすのを見たいわけじゃない」
荻野部長は手持ちの資料を卓上に投げ打った。乾いたバサッという音が、無機質な会議室に響く。
「だがね、会社を潰してまで安い薬を配るわけにはいかないんだ。我が社が注力すべきは、Cランク以上の固定客層です。彼らは一瓶数万円の高級回復薬を迷わず買う。利益にならない客層を切り捨てるのは、組織として合理的な判断なんですよ」
俺は喉の奥をかすかに詰まらせ、言葉を飲み込んだ。卓上の小瓶に目を落とし、指先で瓶を撫でた。ひやりとしたガラスの感触だけが返ってくる。
会議室の隅に控えていた若手錬金術師の桐島が椅子から少し身を乗り出してきた。まだ二十代半ば、パリッとした白衣を着こなす精鋭だ。
「佐伯さん……僕、佐伯さんの工程をもう三年追いかけてるんです。でも、薬草の繊維を一切潰さずに澄んだ汁だけを抽出するあの作業、何度やっても佐伯さんと同じ純度まで持っていけないんですよ」
「……桐島くん」
「どうやって温度のブレを抑えてるんですか? 僕がやるとどうしても純度が落ちるんです。なのに佐伯さん、いつも『慣れれば誰でもできる』って言うじゃないですか」
「十五年もやってれば、そりゃ誰でも手が勝手に覚えるよ。特別なことじゃない」
俺がそう答えると、桐島はどこか困ったような表情で息を吐いた。そして自分の端末の画面を俺に見せてくる。画面には彼が新しく開発した『ハイポーション・レプリカ』の試算表が映し出されていた。一瓶の販売予定価格、四万八千円。
「佐伯さんの技術は心から尊敬してます。でも、僕だって会社員である以上、利益が出る薬を作らないと部署の予算が削られちゃうんです。これなら高ランクの冒険者に売れますし、利益率は六割を超えます」
荻野部長が満足そうに頷いた。
「これだよ。いま会社が求めているのはこういう商品だ。佐伯さん、君のやり方は古すぎる。時代は変わったんだよ」
俺は膝の上で両手を重ねた。爪の間に残る薬草の緑色が会議室の白い蛍光灯に照らされている。
「薬って……必要な人に届いて、初めて意味があるんじゃないですか?」
声は低かった。怒鳴る気にも、皮肉を言う気にもならなかった。ただ、十五年間、窯の前で薬を作ってきた。だから、これはただの理屈じゃなかった。
荻野部長は冷ややかな目を向けてきた。
「君は技術者としては優秀だ。だが、会社員としてはあまりに扱いづらい」
◇
二週間後。
俺は部門再編に伴う解雇勧奨を断った末、会社から解雇通知を受けた。
理由は「新規開発方針との不一致」および「組織方針への適応不足」。
「退職金は規定通り振り込みます。今日までご苦労様でした」
人事担当者は書類から顔を上げなかった。俺は「……そうですか」と短く返事をした。書類を丁寧に二つに折り、胸ポケットにしまおうとしたとき、背後から若い研究員の声が聞こえた。
「佐伯さんの薬、品質そのものはめちゃくちゃ高かったんだけどな……」
「十五年やってるからって、あの精錬を『誰でもできる基本』扱いするのはどうかと思うけどね。桐島さんすら再現できてないのに」
俺は足を止めず、ダンボールの重みを腕に感じながら廊下を歩いた。
ロッカーから持ち出したのは、長年使い込んだ私物のヘラと、真鍮製の小さな蒸留器だけ。同僚たちは遠巻きに俺を見つめていたが、声をかけてくる者は一人もいなかった。
社屋の自動ドアを出るところで、受付のモニターが目に入った。ニュース番組の音声が耳に飛び込んでくる。
『——本日午前十一時頃、市内のダンジョン『黒鼠の巣穴』にて、新人で構成されたパーティが魔物に襲われ、一人が死亡、二人が重傷を負いました。ギルドの発表によりますと、パーティは十分な回復薬を所持しておらず——』
「また初心者か」
「金がないならダンジョンに入らなきゃいいのに」
「市販の回復薬、一瓶五千円はするからな。駆け出しに何本も買えるわけがない」
立ち話をする社員たちの声。その言葉が嫌でも耳に残った。
俺は足を止め、ガラス越しにニュース画面を見つめた。
画面には、ブルーシートで覆われた担架が運ばれていく映像が映し出されている。泥と血に汚れた、安物の革鎧。
指先がかすかに震えた。ダンボールの縁を握りしめる手に力が入る。
またか、と思った。
会社にいた十五年間、何度も目にしてきた光景だった。
冒険者になったばかりの若者が、薬を買う金がないために、擦り傷一つから感染症を起こしたり、失血で命を落としたりする。
「薬が高いから……使えなかったのか」
ポツリと漏れ出た言葉は、アスファルトの地面に吸い込まれて消えた。
怒りは湧かなかった。
薬が高いから死ぬ。
そんな理由で若者が命を落とすなんて、どうしても、おかしい。




