表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/6

第六話 帰還


 筑紫つくしに着いた。

 三韓の海を渡って。潮に乗って。——帰ってきた。日本やまとの土を踏んだ。

 足が——震えた。土を踏んだ瞬間に。安堵で。

 子が——蹴った。

 帰ってきた瞬間に。土を踏んだ瞬間に。——もう我慢できないと言うように。石を当てても静まらなかった。

「……もういい。——出ていい」

 産んだ。

 筑紫つくし宇美うみという場所で。——海から帰ってきた場所で。海の名がつく場所で。

 男の子だった。——大きかった。よく蹴っていた子だ。生まれても蹴っている。元気だ。

「……頑固な子だ」

「お后様に似たのでしょう」

 武内宿禰たけうちのすくねが言った。

「私に?」

「海を渡ると決めたら渡る方に。——石を当てても黙らない方に」

「……褒めているのですか」

「お仕えしています」

 名を——誉田別ほむだわけとつけた。後に応神おうじんと呼ばれる子。

 海の向こうで宿った力を持つ子。腹の中で海を渡った子。——この子が次の王になると、神が言った。

 帰ろうとした。——大和やまとに。

 帰れなかった。——敵がいた。

 忍熊王おしくまのみこ仲哀ちゅうあいの別の妃の子。夫の子だが、私の子ではない。

 私が海を渡っている間に——兵を集めていた。大和やまとで。

「女に国は渡さない。——王の正統な跡継ぎは俺だ。海で生まれた子ではない」

 報せが来た。筑紫つくしに。——忍熊王おしくまのみこが兵を率いて西に向かっている、と。

「……渡る前にも敵がいた。渡った先にも敵がいた。——帰ってきても敵がいるのか」

「敵は——どこにでもいます」

 武内宿禰たけうちのすくねが言った。

「どこにでもいるなら——どこでも戦うしかないのですか」

「戦わずに済む方法があれば——それが一番です」

「ある?」

「分かりません。——しかし、海を渡った方です。海を渡った方が陸で負けるとは思えません」

 忍熊王おしくまのみこの軍が——近づいてきた。

 迎え撃つしかない。——生まれたばかりの子を抱えて。

 子を——武内宿禰たけうちのすくねに預けた。

「預かってください。——私が前に出ます」

「お后様が——」

「前に出ます。——海の向こうで前に立った女です。陸でも前に立てる」

 戦った。——短く記す。

 忍熊王おしくまのみこの兵は多かった。しかし——海を渡ってきた兵は強かった。海を越えた兵は士気が違う。渡れた、という自信がある。渡れた兵は陸で崩れない。

 忍熊王おしくまのみこの軍を——押し返した。播磨はりまで。近江おうみで。二度押し返した。

 忍熊王おしくまのみこは——湖に追い詰められた。逃げ場がなくなった。

「降りろ。——降りれば殺さない」

「女に降りるくらいなら——」

 湖に入った。——沈んだ。

 終わった。

 忍熊王おしくまのみこが沈んで、反乱が終わった。大和やまとへの道が開いた。

 大和やまとに帰った。——橿原宮かしはらのみや。初代が建てた宮に。

 子を抱いて入った。——誉田別ほむだわけを。海を渡って帰ってきた子を。

 たまを——見た。白いたま潮干珠しおふるたま

 代償が来ていなかった。——使ったのに。渡海で二度使ったのに。手は温かいまま。指は動くまま。

「……代償が来ない」

「来ないのかもしれません」

 武内宿禰たけうちのすくねが言った。

「なぜ」

「初代の王は——たまを自分のために使った。自分の軍を渡すために。自分の戦のために。——代償は使った者に来る」

「私も自分のために——」

「いいえ。——お后様は腹の子のために使った。託されたものを届けるために。自分のためではなく——託されたもののために」

「…………」

「託された者が託されたもののために力を使ったとき——代償は来ないのかもしれない。力の主が許しているから。——海が許しているから」

「……海が許す」

「腹の中の海が——外の海と通じていた。だからたまが応えた。だから代償がなかった。——海は怒らなかった。海の子を運ぶ女を、海は助けたのです」

 たまを——どうするか。

 持っていてもいい。——しかし、持っていると使いたくなるかもしれない。使えば——次は代償が来るかもしれない。託されたもののためではなく、自分のために使えば。

「返します」

「返す?」

「海に。——初代の王は根に返した。私は海に返す。来た場所に返す」

 筑紫つくしの浜に行った。——渡海の前にたまを拾った浜に。

 波打ち際に立った。裸足で。——たまを海に投げた。白いたまが弧を描いて飛んだ。波の中に落ちた。——沈んだ。

 温かさが——手から消えた。たまの温かさが。しかし別の温かさが残った。子を抱いている腕の温かさ。——たまより温かかった。

 託されたことは——終わった。

 海の向こうの国を得た。子を産んだ。反乱を鎮めた。大和やまとに帰った。——全部やった。

 神が託したことを。夫が信じなかったことを。——全部。

 名を——改めた。

 息長帯比売おきながたらしひめから。——神功皇后じんぐうこうごうと。後の世にそう呼ばれるようになる名を。

 託された女。渡った女。帰ってきた女。——産んだ女。

「帰還」了

エピローグ 根のゆくえ

 応神おうじん。海を渡った母の子。

 腹の中で海を越えた王は——海を知っていた。生まれる前から。渡海の潮を体で覚えていた。——海の向こうとの行き来を続けた。人を送り、人を迎え、技を学び、文字を持ち帰った。

 海が——道になった。隔てるものではなく繋ぐものに。

 仁徳にんとく。応神の子。

 高台に立って——国を見渡した。民の家から煙が上がっていなかった。かまどに火がない。飯が炊けない。——貧しい。

 三年。税を免じた。三年間、何も取らなかった。

 三年後——煙が上がった。かまどから。家々から。国じゅうから。

 「国が富むとは——民のかまどから煙が上がることだ」

 初代の王が「耕す者を殺せば勝った土地が枯れる」と言った。——その子孫が「民が食えなければ国が枯れる」と知った。言い方が違うだけで——同じことを言っている。

 雄略ゆうりゃく

 荒ぶる王。——最初の王スサノオのように。力が強く。怒りが激しく。敵を容赦なく潰した。

 しかし——もう神の時代ではなかった。人の時代だった。荒ぶることは——人の時代では治めることにならない。壊すだけだ。

 雄略の後——国は揺れた。揺れて——立て直された。立て直す者がいたから。壊す者がいても、立て直す者がいれば——国は続く。

 国は——続いた。

 初代が建てた。二代目が守った。名前だけの王たちが根を伸ばした。祟る神を鎮めた。土の人を作った。走る男が西と東を駆け抜けた。渡る女が海を越えた。

 続いた。

 足の裏の温かさは——まだ続いている。

 大国主命おおくにぬしのみことが作った道。大物主おおものぬしが温め続けた道。——初代の王が踏んだ道。子供たちが走った道。農夫がくわを担いで歩いた道。

 温かさは——薄まった。代を重ねるごとに。聞こえる者は少なくなった。足の裏で道を聞ける者は——もういないかもしれない。

 しかし——消えてはいない。薄まっただけだ。消えたのではない。踏めば——かすかに。ほんの少しだけ。温かい場所がある。

 花びらは——まだ散っている。

 初代の王が植えたコノハナの木。橿原宮かしはらのみやの前に。——大きくなった。枝が広がった。花が増えた。

 毎年咲いて、毎年散る。散っても——翌年また咲く。根がある限り。

 根に返したものは——消えない。花びらも。ゆがんだ針も。しおたまも。根を通して木に上がり、枝に渡り、花になる。——形を変えて残っている。

 流された子は——着いたまま、ここにいる。

 暖色の炎が地面に沈んだ夜から。ヒサメが着いた夜から。——温かさが一つ増えた。大国主命おおくにぬしのみことの温かさとは違う。もっと古い。もっと淡い。——しかしある。

 最初に流された子が——最初に着いた場所に。まだいる。

 この国は——続いている。

 降りた者と。歩いた者と。走った者と。渡った者の足跡が重なった場所で。

 嵐が荒れ。国が生まれ。天から降り。海に潜り。東に歩き。西と東を走り。海を渡った。——七人が。七つの物語が。一つの国に重なった。

 根は見えない。

 地面の下にある。足の裏でしか分からない。——しかし。

 温かい。

神功皇后——了

日本神話シリーズ 全八作——完結

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ