第36話 本性
俺は玄関を蹴り開け家の中に飛び込むと、土足のままで廊下を走る。
「母さんっ! 史っ!! 今すぐ逃げるから急いでっ!!」
家のどこに居ようと聞こえる様に大声を張り上げながらリビングに駆け込むと、母さんは服を繕っていた手を止め、キョトンとした様子で俺を見つめて来た。
まさか母さんは千里が野盗崩れの連中と付き合い、今まさに俺たちを標的にして襲撃してくるだなんて思ってもいないだろう。
俺もそんなことになるだなんて想像だにしていなかった。
しかしこれは現実なのだ。
「千里がヤバい奴らと繋がってた。俺たちを殺しに来るんだよっ!」
「そんな……千里ちゃんがそんな事するはずないわよ」
俺だってそれを信じたい。
でも人間は脆く、とても弱い。
千里は自らの心を守るために、俺たちという敵が必要なのだ。
「これ以上説明してる暇はないんだ。今すぐ逃げるからっ」
千里自身は殺意を持っていなくとも、周りの連中もそうとは限らない。
奴らは理由さえあればいくらでも残虐になる連中だ。
上級国民だと千里が言っていたなんて、十分すぎる理由だろう。
「母さんは史の薬だけ持って!」
それだけ言い残すと、俺は二階へ駆け上がる。
史は俺の声が聞こえていたのか、両手を胸の前で合わせ、不安に満ちた顔をして部屋の真ん中で立ち尽くしていた。
「史、聞こえてたろ。逃げるから薬を……俺が持つからそのままでいいよ」
俺は部屋に常備してある緊急用の気管を拡張するための吸入薬と炎症を抑える吸入薬をポケットに押し込んでから史の手を取った。
「あ、あの、お兄ちゃん。ホントに?」
史の手は恐怖と混乱から小刻みに震えている。
病弱で、あまり体力のない史はパンデミックが起こる前から暴力的な物事との関わりが薄かった。
それが突然こんな騒動に放り込まれては、動けなくなってしまうのも当たり前だろう。
俺は史の手をしっかりと握りしめ、まっすぐ目を合わせる。
「とりあえず警察か自衛隊に保護してもらうから。今すぐ逃げれば大丈夫。俺を信じろ、絶対史のことは守ってやるから」
世界がこうなっても、俺は家族を守るというその一念があったからこそ生きてこられた。
史という理由があったからこそ人の道を最低限踏み外さずに居られたし、希望を失わずに済んだのだ。
だから俺は、史がなによりも大切な存在だった。
俺の命よりも。
「いくぞ」
「ほ、他に荷物は?」
「要らない」
持って行きたいものはいくらでもある。
しかし重ければ逃げるのに邪魔になるし、何より取りに行くための時間すら惜しかった。
俺は史を引っ張って階段を降りると、そのまま玄関に直行する。
史に靴を履いて貰っている間に俺は玄関の扉を開け――。
「げっ」
外に居る男と目が合ってしまい、急いで扉を閉めてカギをかけた。
男の数は5人。
それぞれが自転車に乗り、手には角材やバットなどの獲物を引っ提げて、建ち並ぶ家々を覗き込むようにしてうろついていた。
「くそっ、もう来てたっ。裏に逃げるぞ!」
「う、うんっ」
扉の向こう側からガチャガチャと音がする。
恐らく男たちが乗っていた自転車をその場に残し、ここに殺到しているのだろう。
もう一刻の猶予も無かった。
俺は史の腕を掴んでリビングへと急ぐと、扉を開いたところで母さんと鉢合わせる。
後は裏口を出て生垣を割って浦木家の庭へと逃げ、そこから反対側の道路に逃げればいいと考えていたのだが……。
パァンッと派手な音を立てて庭に面した窓ガラスが粉々に砕け散る。
それと同時に俺の計画もご破算になってしまった。
「二階に行って!」
玄関ではなくまず逃げ道を塞ぎにかかるなんて、この男たちはこういう一方的に誰かを狩るタイプの襲撃にずいぶんと手慣れている様だった。
となれば裏口も今頃固められているだろうと判断し、母さんと史を背中に隠しながら後退する。
「おーい、上級国民のガキぃ。素直に投降したら許してやるぜぇ」
見ただけで吐き気のする笑い方をしている男を無視してリビングのドアを閉めると、母さんと史を急かして廊下を走る。
途中、玄関に用意しておいた金属バットを手に取ると、階段を数段昇って陣取った。
「お兄ちゃん、なにするつもりなの!?」
「ここで迎え撃つ」
悲鳴まじりの史の疑問に答えると、俺はバットを構える。
こんな場所で相手を待ち受けるのは、狭くて一人しか立てず、必ず一対一に持ち込めることと、接近戦を行う上で絶対的に有利な上を取れるからだ。
「駄目だよ、お兄ちゃん殺されちゃうっ」
「大丈夫。何度かこういうのあったから」
もっともその時は逃げることが出来たのだけれど。
今は……逃げられない。
もし連中に捕まれば、ちょっとどころではなく可愛らしい史がどれだけ酷い目にあうか分かったものではなかった。
「無線機で助けを呼ぶから。少しだけ持ちこたえててっ」
母さんにそう言われて史の部屋に父さんとの交信に使う無線機が置いてあることを思い出す。
こんな時のために緊急用のチャンネルが設けられており、そこに通報するつもりなのだろう。
「分かった!」
父さんのような医療従事者は、政府の命令で働かされており、自分たちの手で家族を守る事が出来ない。
その分安心して働けるように多少便宜が図ってもらえるのだ。
助けは来る。完全に孤立無援で救いがまったくないわけじゃない。
それが分かれば少し気持ちが楽になった。
俺が階段で待ち構えていると、だんだん男たちが階下に集まり始める。
彼らは地形の不利を理解しているのか、はたまた自分たちの絶対的有利な状況を楽しんでいるのか、薄ら笑いを浮かべたまま俺を見ているだけだった。
いずれにせよ時間が稼げるのはありがたい。
俺は警戒を緩めず男たちを見張っていると、ガチャリと玄関の扉が開いて、そこから千里が姿を現した。
「おい、千里! いったい俺たちに何するつもりなんだよ!」
俺がそう問いかけても千里から返事は得られない。
それどころか、どこか千里自身も戸惑っている様な印象を受けた。
「おいおい、俺らが上級国民相手にすることってったらよ。物資を取り返すことしかねえだろうがよ」
つまりは略奪をていのいい言葉でカムフラージュしているだけ。
正義を気取って、殺したり奪ったりする理由を無理やり作り出しているに過ぎない。
「俺らが上級国民なわけねえだろうがよ。配給でなんとか生きてる身だっつーの」
「嘘はよくねぇなぁ。ソーラーパネルと電源装置が庭にあったぞ。電気が使えるとはずいぶんと贅沢な生活してるじゃねえか」
「再利用品を安く手に入れただけだ! お前らだって買えるだろうが」
俺が言っているのは純然たる事実だ。
政府が相続者の居なくなった遺品回収して清掃した後に販売する再利用品は、必ず特定の商品がが販売される決まっているわけではないため、目的の商品を手に入れられるかどうかは運による。
しかしそれらに対する忌避感があまりなかった俺は、細かく確認をしに行っていたため、電源装置のような珍しいものでも買う事が出来たのだ。
「はいはい。どうせ裏から手を回して店頭に並ぶ前に買ったんだろ」
「んな分けねえだろうが! そんな権力があるなら今頃お前たちに絡まれてねえんだよっ」
俺がいくら怒鳴り返したところで彼らはそれを受け入れるはずがなかった。
始めから俺たちが上級国民だという結論ありきで襲撃しているのだから。
「騒ぐなよ。お前が上級国民だって証拠はきちんとあるんだぜ?」
そう言って男は千里へ視線を向ける。
「なあ?」
それは尋ねているというより、俺たちにとって都合のいい証言をしろ、と言っているように聞こえた。




