第34話 平等
下りて来た男は一人ではなかった。
ヒゲ面の男を先頭に、眼鏡をかけたひょろ長い感じのする男性とガテン系と思しき筋肉質な男も居る。
おおよそ一緒に行動しなさそうな人たちであった。
それより何より疑問に思うのは、なぜ学校にこんなにも関係の無い人が居るのか、だ。
考えられる可能性としては二つ。
今現在、政府は積極的に人を雇い、何かしらの仕事をしてもらって給料を払っている。
その一環として一般人が学校でなんらかの仕事に従事しているのだ。
そしてもう一つの可能性は、学校が襲撃され、なんらかの組織に占拠されてしまったというものだった。
三人も下りてきていることといい、ヒゲ面の男が放つ雰囲気といい、恐らく後者の方が高いだろう。
なにより彼らは誰一人としてゴーグルやマスクの類を着けていない。
今のご時世、素顔を露出したまま人前に出る事などありえないのだ。
その異常さからして危険な存在だと自ら公言している様なものだった。
「で、なんだって? 生徒だった?」
「はい。5月までしか通っていませんでしたが2年3組でした。今は3年になっているのですが、クラスは決まっていないので分かりません」
……失敗した、と思わず胸中で舌打ちをする。
男の視線が切れた瞬間に全力で逃亡すべきだったのだ。
多少追いかけられたかもしれないが、ここら辺の道は熟知している。
いくら走ってこの学校まで来て体力を消耗していたとはいえ、撒くのは容易のはずだった。
「2年3組。私が確認して来ましょう。恐らく名簿が残っているはずです」
「頼む」
眼鏡の男性がそう言うと、学校の中に戻っていく。
その間に筋肉質の男は俺と勝手口の間に入り、逃走ルートを潰してしまった。
「おい、お前」
ヒゲ面が自分の頬をつつく。
「そいつ取れ」
「えっ!?」
この男は、今俺が予防のために着けている口元のバンダナとゴーグルを取れなどという信じられない事を言ったのだ。
パンデミック前ならいざ知らず、現在ではあまりにあり得ない要求だった。
「いや、ちょっとそれは……」
「ここに居る俺たち全員ルインウィルスなんて持っちゃいねえんだよ。顔も見せねえとか失礼だろうが」
ためらっている俺に、筋肉質の男が圧力をかけてくる。
それでも俺からすれば、男の言っていることが真実なのかは分からない。
絶対受け入れるわけにはいかなかった。
「ルインウィルス以外にも色々ウィルスは居ますし、ちょっと事情があって風邪のウィルスだろうと貰うわけにはいかないんで、申し訳ないけど外すのは無理です」
「あんだとぉ」
俺の答えに筋肉質の男は肩をいからせて凄んでくる。
それに負けない様に、俺もぐっと腹に力を入れて睨み返した。
「まあいいさ。いきなり言われても戸惑うだけだ」
ヒゲ面の男は軽く肩をすくめると、話題を切り替える。
「それじゃあお前の言ったことが本当かどうか2、3質問させてもらうぞ」
「はい」
「お前の名前は?」
ここで俺はどうするべきか一瞬悩む。
本当のことを言ってもいいだろうがそうなると俺の住所までバレてしまう。
そうなれば史や母さんが危険にさらされてしまうのだ。
「……本宮宗一です」
俺は心の中で謝罪しつつ、仲の良かったクラスメイトの名前を口にする。
もし本宮が生きていたら迷惑をかけてしまうことになるが、その前に教えに行けば何とかなるだろう。
友人であるがゆえに家はきちんと知っている。
「出席番号は?」
それから俺は、問われるたびに覚えていた情報をつらつらと述べ、ヒゲ面の男はメガネの男が持って帰って来た名簿を見て俺の答えと照らし合わせたのだった。
「……なるほど、確かに在校生だったみたいだな」
「はい」
そう言いながらヒゲ面の男はクラス名簿を閉じ、少しだけ警戒を解く。
クラス名簿には名前と出席番号など、最低限の情報しか載っていない。
もし顔写真や住所すら載っている名簿の方を持って来られてしまったら嘘はバレていただろうが、そちらの名簿はきちんと保管してあったので持って来られなかったのだろう。
そういう意味では運も味方してくれたようだった。
「んで、なんで来た? こんな状況で学校もクソもないだろうに」
「えっと、一応月一くらいで学校に課題を提出することが義務付けられてるんで、課題を取りに来たって感じです」
「はっ」
俺の答えに、男たちは失笑を禁じ得なかったようだった。
「馬鹿かよ、お前」
「……高三にもなって、教科書を一度も開いてないのはさすがにヤバいかなって思ったんですよ」
「無駄な事を。机の上の勉強がなんの役に立つのかな?」
眼鏡の男が言った通り、こんな状況で勉強したところで空腹を満たすことは出来ない。
しかし、遥か遠い未来に意味を持つのだ。
父さんは無意味に思える勉強を積み重ね、医学の知識を蓄えて人を救う仕事につき、今実際に人の命を守っている。
確かにルインウィルスが凶悪すぎて、まともに太刀打ちすら出来ていないが、それでも数人は救っているのだ。
俺はそれを父さんの背中から学んでいた。
ただ、それを目の前の男たちに語って聞かせたところで何の意味も無いことは分かっている。
俺は努めてのんきなふりをしてとぼけてみせた。
「俺、成績良い方だったんで、しばらくやらなかったからなんとなく不安になってきたんですよ」
「はははっ。まだ君は旧世界の常識に縛られているみたいだね」
「目を覚ませよ、ガキ。お前は上級国民どもに騙されてるんだよ」
――こいつらだったか。
男たちの口からも千里と同じ様な言葉が飛び出して来たからすぐに勘付くことができた。
全ての原因は誰か名前も知らない悪い奴にあり、そいつが富を独占しているはずだから、そいつを倒せば自分たちは楽になるという考えは、絶望しかない今の状況では希望たりえるだろう。
だがそれは現実逃避に他ならない。
そしてそういった現実逃避は、いずれ周りを巻き込んで最悪な方向へと落ちていくと相場が決まっている。
夢を見ながら車を運転したら事故を起こすに決まっているのだ。
「いいか、本宮」
ヒゲ面の男がしたり顔で説教を始める。
「俺たち人間は、全て平等に扱われるべき存在だ。成績や地位なんかで優劣をつけてくるような今までの世界は間違っていたんだ。分かるか?」
「はぁ……」
俺は曖昧に頷き適当に同意しているふりをする。
するしかなかった。
何故なら平等という言葉を聞いた瞬間、眼鏡の男も筋肉質の男も、陶然とした目で何度も頷き始めたからだ。
その行動はどこか、カルト宗教かなにかを信奉する人を思わせた。
「だから私たちは全ての権利を平等に分ける。汚らしい権力者と違ってね」
「教えてやるよ。ここに住んでやがった野郎はな、マスクを30枚もひとり占めしてやがったんだ」
「他にも色んな薬や機材に電源装置も持っていた。全て我々に分け与えられるべきものなのにね」
話にも何もならない。
先生という職業は生徒たちの前に立ち、大声を張り上げる。
ならこんな状況でマスクは必須だし、国の運営する学校なら先生のマスクを支給することは当然のことだ。
もし生徒30人にも配るとなれば、合計で31枚のマスクを一日で使用してしまう。
しかし、先生ひとりならば31日分にもなるのだ。
先生ひとりだけにマスクを支給するのは理に適っていた。
「そ、それでその住んでた人ってどうなったんですか?」
もう三井先生がどうなったのかはなんとなく想像がついていたが、それでも確認せずにはおれなかった。
「そりゃあ……」
「なあ」
男たちは顔を見合わせて頷き合うと、晴れ晴れとした罪の意識など欠片も存在しない顔で、
「罰を受けた後に死んでもらったよ」
そう言い切ったのだった。




