第20話 守りたい
千里の家に火を点けようと目論んだのは、年齢50程度で頭の薄く、お腹の突き出たどこにでもいるただのオジサンだった。
名前は山本重則。
パンデミックが起きる前は、町内のイベントに積極的に参加している気のいいオジサンで、そんなところを買われて町内会長に抜擢された人だ。
そんな、ただのひと。
でも俺はただのひとが、食べ物欲しさに他人を殺したり、感染者の家族を皆殺しにしてきたことを、よくよく知っていた。
だから、町内会長――山本が自分や家族を守るため、自分勝手な理由で放火しようとしたことに、なんの疑問もわかなかった。
「放火は死刑。アンタも知ってるはずだろ」
突然の襲撃を受けたことに驚いて、山本は意味もなく口を開閉させる。
呼吸もまともに出来なかったのだから、会話など更に無理だろう。
「言っておくけど、もう警察には通報が行ってる。放火となれば、すぐさま駆けつけてくるだろうぜ」
一度社会インフラが止まった後で、一番最初に復旧したのが水道だ。
衛生的な理由だとか人間が生きるために必要だとか色々な理由があるが、そのうちの一つとして消火活動を行う為というものがある。
水道が使えなかったら、ほとんどの火事を消すことができない。
そして消火活動が行えなければ、火は瞬く間に広がっていき、多くの命と物資を奪ってしまう。
人と物のどちらも無ければ、復興もクソも無い。
だから政府は放火を最も警戒しているのだ。
「…………わ、私はっ、して、いない」
山本が喘ぎながらそれだけを絞り出す。
ここまで至っても知らぬ存ぜぬを貫き通すつもりらしい。
「不要不急の用事がない限り外出は基本禁止だ。こんな夜中に何してたんだよ」
「そ、それは……さ、散歩だ」
「ライトも持たずに?」
今山本の手には何も握られていない。
月が照っているとはいえ、こんな街灯もない真夜中に明かりも持たずに外出するのは、どうぞ襲ってくれと言っている様なものだ。
山本が自ら強盗に身を捧げる博愛主義者でないとしたら、答えはひとつ。
襲う側であるということ。
「それに、口元をハンカチで隠してないし、ゴーグルもしてない。散歩だとしてもおかしすぎるんだよ」
外出するためにはどんな人でもするべきマナーを、彼はしていないのだ。
本当に散歩目的ならば、有り得ない事だらけだった。
「ち、違うっ。これはたまたま忘れて……」
「……言い訳とかいいからさ。だいたい現場でアンタの顔見てるんだよ」
火が点いた一瞬、コイツの顔を含めて辺り一帯が照らし出されていた。
だから俺は山本の家に先回りし、隠れて帰りを待つことができたのだ。
「やってない! 私はやってない! だ、第一証拠がないだろう!? 私は何も持っていないぞ」
手の中が空っぽな上に抵抗の意志を全く見せなかったのはそういう理由だったのかと得心が行く。
大方、放火に使ったものを全て処分してきたのだろう。
「ここらへんで証拠隠滅できそうなところっていうと……農業用の貯水池か? メタルマッチは持ち手の素材によっては水に浮くぞ」
はっと息を呑む音が聞こえてくる。
どうやら図星だったらしい。
あまりにもずさんな手口に、思わずため息がこみ上げて来た。
「俺でも分かるくらいだ。警察なんてもっと楽勝で見つけるよ」
「わ、私は……」
「お前は、処刑される」
山本が苦しそうにあえぎ、月の頼りない光でも分かるくらいはっきりと青ざめる。
ようやく自分の立場が理解できたのだろう。
「私は守ろうとしたのだ。この町を! ウィルスから!」
「はぁ?」
「あの家には今ルインウィルスがうようよいる。いずれ外に出て来てしまったら、この町はどうなる? 破滅だ!」
確かに今はまだ生き残っているかもしれない。
しかしあと1日2日も経てば、感染のリスクはほぼゼロになる。
これはきちんと政府の放送でも流されていて誰でも知っているはずの情報だ。
だが、そうと分かっていても恐怖を消すことは出来ない。
そして恐怖はやがて狂気を生み、狂気は破壊へと繋がる。
俺が何度となく目にしてきた、珍しくもない現象だ。
「だからそうなる前に燃やす必要があったのだ!」
「ねえよ」
嘘をつくのを止めたかと思えば次は自己弁護。
もはやあきれ果ててしまい、俺の口元には皮肉気な失笑しか浮かばなかった。
「だいたい放火は銃殺ってあれほど言われてる理由がまだ分からないのか? ルインウィルスで死んだ人よりも放火や暴動なんかの事件で死んだ人の方が多いからだよ」
ルインウィルスに感染した人の数は、人口の40%以上にものぼる。
だが、完全に発症するまでは3カ月から半年と、わりと長い期間生きていられるのだ。
そして本格的なパンデミックが始まって、まだ一年程度しか経っていない。
つまり、病気だけが原因で死んだのならば、60%もの人が死ぬはずがないのだ。
日本を含めた世界が崩壊したのは、混乱した人々が原因だった。
「アンタが点けた火のせいで、この町が消えてなくなったかもしれないんだよ!」
「それは……」
「それはじゃねえよ! 千里の家が燃えたら、次は俺の家が燃える。そうなったら俺らは焼け死んでしまったかもしれないんだぞ!? それが分からねえのか!」
もし生き残れたとしても、史はどうなるだろう。
史はアレルギー性の喘息を抑えるために免疫抑制剤を服用している。
そんな状態の史が、雑菌やウィルスにまみれた外にいきなり放り出されたら……。
しかも焼け出されたせいで薬も持っていなかったら……。
待っているのは最悪の結果だけだ。
そんな結果、受け入れられるはずがない。
「お前は、俺たち家族を殺そうとしたんだ」
「……そんなつもりは……」
「無くてもそうなる所だったんだよ!」
自分の身を守ろうとするあまり、視野が狭まり、想像力が無くなってしまう。
その結果、誰かの迷惑になると理解せずに突っ走ってしまうことはよくあることだ。
むしろ、山本のような普通の人こそ、そういう精神状態に陥りやすいかもしれなかった。
「あ、あなた? 家の前でどうし――ひっ」
玄関の扉が開き、中から壮年の下り坂に差し掛かったくらいに見える女性が顔を出す。
女性は俺がホウキを山本へ突きつけているところを目撃すると、小さく悲鳴を上げた。
「な、なんですかあなた! やめてください!」
それはこっちの台詞だと言ってやりたかったが、女性――あなたという呼び方からして山本の奥さんだろうか――が出て来たのに反応して山本がもがき始めてしまう。
俺はホウキを更につき込むと、足で山本の胸板を踏みつける。
「動くなっ! もう諦めて大人しく警察に捕まれっ!」
そうは言っても素直に警察に捕まる事はないだろう。
なにせ捕まれば死が待っているのだから。
山本は、唸り声とも悲鳴とも判断がつかない声を洩らし、駄々をこねる様にバタバタと手足を振り回す。
もしナイフでも持たれていれば危なかっただろうが、投げ捨ててしまったため完全に無手の様だった。
「待ってくださいっ」
名前も知らない奥さんが鋭い声を発する。
「警察? あなた、いったい何がどうなっているの?」
「こいつが俺の家に火を点けようとしたんだ」
「お前の家じゃないっ」
すぐさま山本が訂正するが……残念ながら語るに落ちていた。
俺の家に火を点けていない。その言葉は、火を点けようとしたこと自体は否定していないのだから。
その意味に気付いた奥さんの顔からは、さっと血の気が引いていく。
「ほ、放火……? そんなことをしようと、したの?」
「ち、違う。消毒だ!」
「炎で消毒ってどこの世紀末だよ」
妻にまで知られてしまったことでようやく観念したのだろう。
山本は抵抗を止め、顔の上に腕を置いて妻からの視線を遮断する。
そんな山本からの謝罪は、ひとつも無かった。
「……もうすぐ警察が俺の家に来ます」
「そんな……」
正直なところ、俺も非常に胸糞が悪かった。
なぜなら、警察に引き渡せば山本は死刑になってしまうからだ。
俺が引き金を引くのとは違うのだが、似たような後味の悪さを覚えるのは否めなかった。
「なんとか許してはもらえないのですか?」
「許す? できるわけないでしょう! この人は俺を殺そうとした、俺の家族を殺そうとしたんですよ?」
世が平和であっても、放火は殺人と同等の法定刑を有する重罪として処されるのだ。
しかも消防車などを使えず火事を食い止めにくい今の状況で放火することは更に悪質と言えた。
そして、そんな悪質な犯罪者を無駄に食わせていく余裕など、今の日本には存在しない。
「そこをなんとか、お願いします」
「…………」
「何かしら、ご用意できる物はさせていただきますから」
しかし、目の前で悲痛な表情を浮かべている奥さんをみると胸が痛む。
大切な人の命が潰えてしまうかもしれないという恐怖は、俺も毎日嫌というほど感じているから。
でも、だからこそ俺は山本を許すことが出来なかった。
「俺には、大切な妹が居ます。寝る時間は夜の8時。俺がコイツの放火に気付かなかったら……死んでいたでしょう」
相反する思いが胸の内でせめぎ合い、心臓が悲鳴をあげる。
警察に突き出すのが正しいと思いつつも、他の路は無いかなんてことも考えてしまっていた。
俺がそんな風に惑っていることに気づいたのか、奥さんは更に近づいてくる。
懇願か、説得か、なんて考えていたのだが――。
「逃げてあなたっ!!」
声と共に俺目掛けて体当たりして来る。
虚を突かれた俺は、無様に道路を転がり、体や頭をしこたま打ち付けてしまう。
「早くっ!!」
俺が痛みを我慢している間に、山本は素早く立ち上がると、全速力で闇の中へと消えていく。
「――待て……」
「逃げてぇっ!!」
立ち上がろうとした俺の上に、奥さんの体が降って来て、再び俺の頭と地面とが派手にお見合いをしてしまう。
必至に纏わりついてくる女の手足をかき分けながら顔をあげたところで山本の姿は既に無く、彼がどこへ逃げたのかもまったく見当がつかなかった。




