第19話 放火
俺が隔離生活に入って一週間。検査をしてから二日という時間が流れていた。
あれから千里の家は嘘のように静まり返っている。
それもこれも、2人は感染疑いとして隔離施設へと連行されてしまったからだ。
いざという時はもっと力になれると思っていたのに、俺は千里へ最後かもしれない挨拶すら出来なかった。
ウィルスの前に、人間は無力なのだ。
「千里……」
声をかければ真っ暗な窓から千里がひょっこりと顔を出すのではないかと思い、彼女の名前を口に乗せてみる。
しかし、当然のように反応など返って来るはずがなかった。
「まじかぁ~……」
俺は窓べりに頬杖をつき、そのまま月の光に照らされている千里の家を、見るとはなしに眺めていた。
それから10分ほどそうしていただろうか。
ふと、視界の端でなにかが動いたような気がしたので、首を伸ばして辺りを探る。
今日は満月であるため、電灯が無くとも少しは見通しが聞く。
千里の家と俺の家を隔てる生垣、その道路に面している辺りを目を凝らして異常がないかを確認した。
「……盗みにでも来たのか?」
もしかしたら千里の家が空っぽになったことを知ったヤツが空き巣にでも来たという可能性も考えられた。
「いや、連れていかれてまだ二日しか経ってないし、それは……無いよな」
二日の場合、ルインウィルスがまだ感染力を残して生存している可能性も十分にある。
政府が最低でも4日は残っている可能性があると盛んに知らせている為、空き巣が来る事は考えにくかった。
なら、俺の見間違いかもしくは……。
「まさか……な」
俺の頭を一抹の不安がよぎる。
それは、パンデミックが始まり、医療崩壊を起こしてしまった日本……いや、世界中で起こった事件だ。
今はもうそんな事をする人はほとんど居ない。
居ないはずだ。
やれば確実に銃殺対象だと政府がきつく通達しているのだから。
だが、自分の中でその可能性を否定すればするほど不安は俺の中で膨れ上がっていった。
俺は窓から離れると、史の部屋とを隔てる壁に、起きていてくれよと祈りながら拳を叩きつける。
7回目のノックをしたところで、
「なに~、お兄ちゃん。急ぎの用事?」
史の少し眠たそうな声が返って来た。
時間は夜9時を少し回ったところで、いつもの史ならば夢の世界に旅立っているところだ。
やはり俺が自主隔離していたり、千里が隔離施設へ連れていかれたことがショックでなかなか寝付けなかったのだろう。
「急ぎだ。もしかしたら、もしかしたら放火かもしれないから母さんに知らせてくれ」
一番危惧すべき可能性、それは放火なのだ。
「えっ!?」
パンデミックが起きた直後、ルインウィルスに感染していた人たちがバタバタと死んでいった。
だが、死者が増えてもそれを処理できる機関はパンク状態で、その上死体を燃やすための燃料も枯渇しているというありさまだった。
もちろん、死体を回収する人手も足りない。
そんな中、誰からともなくそれを口にするようになった。
家ごと焼けば、ルインウィルスも焼き殺すことが出来る。
だから焼けばいい、と。
その言葉はやがて焼かなければならないという義務から、焼けという強制になっていった。
それから人々はその言葉に従い、あちこちの家に好き勝手放火し始めたのだ。
その結果、世界は更なる混乱に突き落とされ、ルインウィルス以上の死を振りまいて行った。
死体すら運べない社会に、次々と類焼していく炎を食い止める力などあるはずがなかったのだ。
そして世界は崩壊した。
ルインウィルスではなく、恐怖に駆られた人々自身の手によって。
「頼んだぞっ!」
俺はそれだけ言い残すと取って返し――そのまま窓枠を乗り越えた。
この部屋は二階にある。
窓から地面まではだいたい3メートルといったところだ。
つまり、決して飛び降りられない高さではない。
足を外に出した状態で窓枠に座ると、そのままケツを滑らせるようにして、地面へと飛び降りる。
素足が地面と触れ合った時、多少の痛みがあったが耐えられないわけではない。
俺はそのまま生垣に沿って走り、道路に面している所にまで来ると、木と木の間に体をねじ込んだ。
「ってー……」
枝が頬や足を掠めて擦り傷を作っていくが、今はそんな事を気にしている暇はない。
道路に出た俺はその足で千里家の敷地内へと侵入すると、そのまま家の外周をぐるりと回り――。
「おいっ、何してるっ!」
裏口近くの物陰に隠れてゴソゴソと何かをしている人影を発見した。
「警察に突き出してやる」
人影は俺よりも少し小さいくらいで、顔はまだ分からない。
だが聞こえる息遣いと気配からして恐らく男。
そして、その手になにか光る物を持っている。
俺は慎重に身構え――。
「うおっ」
後ろに飛退いた俺の眼前を、銀の筋が通り抜けていく。
恐らくは、なにか小型の刃物だろう。
人影は俺が怯んだのを見て取ると、すぐさま体を屈めて手元を擦り合わせ、火花を散らす。
火花はそのまま人影の足元に置いてあった枯草や紙に燃え移り、火勢を増していった。
「てめぇっ!」
人影――男は火が点いた事を確認するや否や、くるりと身を翻し、門扉へ向かって駆け出していく。
やはり放火が目的だったのだ。
男の背中を見て追いかけるべきか一瞬悩んだが、踏みとどまって消火を選ぶ。
「くそっ、水……」
勝手知ったる他人の家とばかりに庭へ散水するための蛇口へ駆け寄る、が、あいにく蛇口のキーは引っこ抜かれていた。
「えー……俺の家からホースを伸ばして……いや、確かキーは同じ規格だよな?」
俺が悩んでいる間にも火は勢いを増していく。
どうやら男は手に入りづらい食用油をまき散らしていたみたいだった。
火は炎へと姿を変え、裏口に置いてあったゴミを喰らい、更に大きさを増していく。
家そのものが燃え始めるのも時間の問題だった。
「暦っ!!」
ふいに母さんの声が聞こえ、それと同時に生垣がふたつに割れる。
「退きなさいっ」
ホースを手に姿を現した母さんは、俺がその場から離れるよりも先に炎へと水をまき散らし始める。
炎はまだ燃え始めたばかりだ。
ほどなく消し止めることが出来るだろう。
「任せたっ」
この場は母さんに任せても大丈夫だと判断した俺は、手近にあったホウキを掴むと、男の後を追って走り出した。
門扉を蹴り開けて道路に飛び出すと、既に男の姿は消えてしまっている。
だが、俺はそれを気にすることなく走り出した。
俺が門柱の影に隠れ、しばらくあたりの様子を窺っていると……。
ゼイゼイと荒い呼吸を繰り返しながら、何者かが近づいて来る。
俺を撒くために彼はよほど走り回ってから帰って来たのかもしれない。
放火は捕まれば即死刑だ。
相当危ない橋を渡ったという自覚を持っているのだろう。
「ふぅ……」
門の前で男はため息をつくと、門扉を押し開けて中へ入ろうとする。
俺はすかさず躍り出ると、開きかけた門を思い切り蹴り飛ばした。
「ぬぁっ!?」
勢いよく閉じた門は男の体に直撃し、バランスを失った男は悲鳴を上げてその場にひっくり返ってしまう。
俺はその機を逃さず道路に出ると、男の喉元にホウキを突きつけ、
「動くなよ、町内会長さん。いや、元町内会長か」
そう警告した。




