第108話 色欲
女が笑う。
「待っていたわ」
ゆっくりと立ち上がる。
長い髪が揺れた。
「魔王様直属」
「アスモデウス」
優雅に一礼する。
「よろしくね」
ミカが首を傾げた。
「戦うネ?」
「できればしたくないわ」
アスモデウスは微笑む。
その視線がヒロへ向いた。
「貴方達」
「魔王様に何の用かしら?」
ヒロが答える。
「確かめたいことがある」
「話したいことも」
アスモデウスは少しだけ目を細めた。
「そう」
「それなら通してあげたいのだけれど」
小さく肩を竦める。
「そういうわけにもいかないの」
脚を組む。
余裕の笑み。
「魔王様に会うなら」
「私を越えてみせて?」
空気が変わった。
ヒロが剣へ手を伸ばす。
その瞬間。
アスモデウスが笑った。
「じゃあ」
「始めましょうか」
目が合う。
ただそれだけ。
アスモデウスの瞳が妖しく揺れた。
空気が揺らぐ。
ミカの動きが止まった。
次の瞬間。
「見つけたネ!!」
ミカが叫んだ。
だが、ミカの視線は。
そこにいるヒロではない。
別のヒロを見ていた。
ミカにしか見えていない誰かを。
地面を蹴る。
——ドォン!!
ヒロが目を見開く。
「ミカ!?」
返事はない。
「騙されないヨ!!」
「ヒロのフリしても無駄ネ!!」
ヒロが息を呑む。
呼びかけも。
届かない。
完全に。
別の何かを見ている。
「見つけたァ!!」
『バッキュン!!』
風が裂けた。
紙一重。
ヒロが飛び退く。
その時。
その腕に。
何かが絡みついた。
「やめるッス!」
マキだった。
ヒロへ飛びつき。
強く抱きついてくる。
「止まらないッス!!」
涙目。
だが。
身体は勝手に動く。
離れることが出来ない。
「危ない!離れろ!」
「無理ッスゥゥゥ!!」
アスモデウスが首を傾げる。
「……あら?」
少しだけ。
予想外だったらしい。
ヒロは。
変わらない。
「ユナ!」
ヒロが叫ぶ。
ユナは既に動いていた。
フィールド展開。
透明な壁が広がる。
成功。
だが。
「身体が……」
ユナの顔が歪む。
指一本。
動かない。
「くっ……」
フィールドは維持されている。
だが。
何も出来ない。
ヒロが舌打ちした。
最悪だ。
右腕にはマキ。
ユナは動けない。
そして。
一番厄介なのは。
間違いなく。
ミカ。
再び消える。
速い。
モラクス戦。
あの時。
片角を砕いた突撃。
今度は。
自分へ向いている。
「ヒロォォォ!!」
違う。
呼んでいる相手は。
自分じゃない。
完全に。
幻術の中だ。
ヒロは避ける。
避け続ける。
だが。
余裕はない。
マキが重い。
ミカが速い。
そして。
ミカが強すぎる。
「マジかよ……」
苦笑した。
敵に回すと。
ここまで厄介なのか。
ミカが笑う。
楽しそうに。
「終わりネ!!」
両爪を重ねる。
回転。
加速。
空気が唸った。
「スパイラルドライブ!!」
一直線。
アスモデウスは見ていた。
ヒロは抱きつかれている。
もう。
避けられない。
アスモデウスはそう確信した。
次の瞬間。
——ドシュッ。
アスモデウスが笑う。
「残念——」
言葉が止まる。
違う。
景色がズレる。
首筋。
鋭い感触。
「……え?」
視線だけ動かす。
そこにいた。
ヒロ。
剣先が。
首元に触れていた。
アスモデウスの笑みが。
初めて消えた。




