第22話(マルガリータ)
1時間ちょっとの夢のようなデート。シンデレラにでもなった気分。
「今日はご馳走様でした」
「いいえ。母のお相手をしていただいた割りには見合うお返しが出来ていなくて……」
「そんなことないですよ。心愛さんと出掛けられて、とても楽しかったです」
家の前まで送っていただいた。
「私もです……また……」
どこか一緒に、と言いかけて思いとどまる。何を考えているんだ。私には夫がいる。
「……お店に伺います」
「いつでも、お待ちしています」
私が家に入るまでそうしているのでしょう?じっと立ったまま、こちらを見ている。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
何かを引きちぎるかのように重い体を振り返らせて、足枷でも付いているのかと思うほど重たい足を動かして歩いた。
振り返ったらいけない……
ドアを開け、決死の覚悟で一歩踏み出す。後ろ手で閉めたドアを確認し、へなへなと座り込む。ぎゅっと体の中心を締め付けてくる、この痛みには覚えがある。
あぁ、もう手遅れか……
溢れる涙を放置する。熱い粒が頬を伝い、顎から冷たい雫となってスカートに落ちる。
「なにやってんだか」
***
心愛さんが既婚者なのは分かっている。だが、別居していること、裏切られたこと、そして……おそらく愛し、愛されている仲ではないということを、俺は知っている。彼がせめて彼女が困ったときくらいは、駆け付けるような男であって欲しかった。好きな女が、そんな男に縛られている現状が無性に腹立たしかった。
「友弥か?」
家の下に、ひょろっとした若い男が立っていた。
「どこ行ってたの?」
「バーだけど」
「心愛さんと?」
「ああ」
友弥の瞳が一瞬、光った。
「珍しいな」
「月曜だから、いるかなと思って」
「上がってくか?」
「うん」
息子がこうして訪ねて来たのは初めてだ。
「プライベートで会ったりするんだ」
「まあな」
冷蔵庫から缶ビールを出して渡す。
「付き合ってんの?」
「まさか」
「だよな。旦那がいるんだもんな。付き合ってたら、不倫だもんな」
「ああ」
半分食ったチータラの袋と、小分けになった柿ピーをつまみに出す。
「腹減ってるか?」
「いや。これでいい」
俺から何か言った方が良いのか、何か言ってくるのを待った方が良いのか悩む。
「あのさ」
切り出してくれて助かった。
「なに?」
「怒ってる?」
思ってもみなかった切り口だ。
「何に?」
「この前の……あの女の事とか、酔って言ったこととか……」
あの女とは優子に間違いないが、連絡を取っていたことを指しているのだろうか。酔って言ったこととは「好きな人、嫌いな人」発言のことで合っているのか?
「いや、別に」
友弥が何を指しているのかは不明瞭だが、何にしても怒ってはいない。
「まさか、本当に来ると思ってなかったんだよ」
あ、店を教えたことを謝りたいのか。
「構わないよ」
「なんか、最近、やけにしつこくて、どうしてるのとか、どこに住んでるのとか。大学バレてっから、出待ちされて引いたわ」
「それはそれは……」
その時の友弥の表情が目に浮かび、鼻で笑ってしまった。
「笑い事じゃねぇよ」
「だな。すまん」
「そんで、つい、お店の名刺渡しちゃったんだ。もう来んなっつって」
「そうか」
優子が来店した時には、確かに驚いたが、どこか『そういうことをしそうな人』とは思っていたので、驚きは続かなかった。
「あの日、店にいるってメールが来て、慌てて……」
「心愛さんを呼んだのか?」
ハッとした顔で俺を見た友弥が、小学校の低学年の頃の顔そのままで可笑しかった。
「俺、一人じゃあの女に敵わねえって思って、心愛さんがいてくれたら心強いっていうか、味方を増やしておきたかったっていうか……」
「俺だけじゃ人員不足か?」
「そう言う意味じゃ……ただ、父さんとあの女がどんな風に話すのか想像が付かなくて。もしかして……万が一……気が合ったりしてたら、俺、どうしていいか分からないし……」
「なるほどな」
心愛さんは知らず知らずのうちに、俺たち家族が作り出したあの陰湿な空気の被害者にしてしまったが、本人はさほど気にして無いだろう。
「あんま、他人を巻き込むなよ」
父親として言えるのはそれくらいだろう。
「ま、店としては、集客してくれてありがとうと言うべきか?」
友弥の苦笑いが見られてよかった。こいつには言っておいた方が良さそうだ。
「あの店、無くなるんだ」
「えっ!いつ?」
「年内か、もって来春」
「そうなのか。心愛さんは知ってるの?」
「まだ。言ってない」
友弥が缶をひっくり返すようにビールを飲んだ。
「俺から言っていい?」
「は?」
「俺から言うから、父さんはそれまで言わないでくれる?」
「いいけど……」
なぜ?




