ご褒美
「うっ…美しい……!!」
目の前に現れた香月の姿を見た瞬間、晶の心臓は確実に数秒間その動きを止めた。
青丹色の浴衣をさらりと着こなすその姿は、晶の語彙力では喩えようのないほど素敵で、想像の何十倍、いや、何百倍も似合っていた。もはや似合うというレベルではなく、馴染んでいるといっても良いくらい様になっている。
晶はその美しい人から目が離せず、痛いほど高鳴る胸を抑えて、鼻血の出そうな予感にそっと鼻も抑える。
(…この神が与え給うた芸術品のような存在を前に、果たして正気でいられる人間がいるだろうか?いや誰もがその美しさに酔いしれて自我を失ってしまうに違いないそうこれはまさに天上の美ともいえる奇跡の―――)
「おーい、静野さん。戻ってきて?」
「はっ!!」
あまりの美しさに正気を失いかけた晶は、香月の呼び掛けでようやく気を取り戻す。彼の困ったような笑顔を目にして、恥ずかしさに顔を赤らめた。
「…す、すみません!あまりにも素敵すぎて気が遠くなりかけました…。すごく、すごくお似合いです!香月さんって、もしかして着物に慣れていますか?」
「ああ、小さい頃はよく着てたからね。…それよりも、静野さんのほうこそ、とてもきれいだよ」
そう言って、香月は晶に向けて穏やかな笑みを見せる。
「あ、りがとう…ございます…」
赤くなっていた顔を更に赤くして、晶は縮こまる。香月の笑顔と賛辞に頭から湯気が出てしまいそうだ。お世辞と分かっていても、推しから言われれば天にも昇る気持ちになるというものだ。
あの後、堀越は宣言した通り、半日で二人分の浴衣を完璧に用意した。一体どんな魔法を使ったのかわからないが、晶には白地に藍色の撫子がちりばめられた柄の浴衣を用意してくれて、帯も下駄も小物もすべて完璧に揃えられていた。
晶は恐縮しながらも嬉々としてそれに着替えた。着付けは昔の記憶と動画を頼りに一人でやってみたが、意外と苦労せずに着ることができた。
「髪型も、普段と違って新鮮だね」
言われた晶は、恥ずかしさで更に縮こまる。今回、浴衣に合わせて髪を緩めのシニョンに結ってみたが、普段あまり髪をいじらないのでこちらは結構苦戦した。何とか思い通りにできたかと思っていたが、今改めて香月に間近で見られると、崩れていないかと色々気になりだしてしまう。
香月は徐ろにその手を晶の頬に伸ばす。
晶が驚く暇もなく、彼は頬にかかった横髪を指でそっと掬った。その髪を耳を掠めるように後ろに流す。
一瞬触れただけなのに、その耳がいつまでもじんじんと痺れている様な気がして、晶は赤くなった顔を俯かせる。過剰反応する自分の身体が恨めしかった。
「よく見たいから、ちょっと後ろを向いてもらえる?」
「!…は、はい」
言われて晶は後ろを向く。後ろ姿は自分でチェックするのが難しく、色々崩れていないか心配で晶は彼の視線を感じながら内心ヒヤヒヤした。
すると、何かが髪に触れた。
「…うん、これで更に良くなった」
「 ? 何ですか?」
「見てみる?」
そう言って鏡の前に連れられた晶は、自分の姿を見て目を丸くする。
左の後ろ髪を掬うようにして、黒いリボンのバレッタが飾られていた。ベルベットのリボンの中心には乳白色の美しい輝きを放つ大粒の真珠がついていて、その周りを小粒の真珠が飾っている。その可愛くも上品なデザインは、今の格好にとてもよく合っていた。
「わぁ…可愛い!これも堀越さんが?」
「いや。実は、ある人から土産代わりにと受け取ったものなんだけど、これを見た時、静野さんに似合いそうだなと思って。…もし気に入ったなら、受け取ってほしい」
「え…?良いんですか!?…何だかすごく高価そうに見えるんですが…」
この真珠の輝きといい、この香月に献上されたということは、それなりに価値がある物ではないのだろうか。間違っても晶のような女子高生が、そのお小遣いで買えるレベルのものではなさそうだ。
晶が恐縮していると、突然子供の声が聞こえてきた。
「ほ~。これはまた可愛らしいやつを連れてきたのう」
驚いた晶は、一体どこから聞こえてきたのかと辺りを見回す。すると、香月の後ろから真珠の女神のタマが顔を覗かせた。
と思ったら、それはタマによく似た小さい子供だった。
おかっぱ頭に子供用の丈の短い着物を着たその少女は、驚いている晶に向かってニコリと笑いかける。
「おぬし、晶と言ったか?その真珠はまだ幼子じゃが、まっさらで余計なものが入っていない良いものだぞ。どれ、おぬしの労に報いて、わしが少し加護を分けてやろう」
「え?かご…?」
そう言うと、その少女は晶の側までやってきて、その袖を軽く引いた。晶は戸惑いながらも、屈んで彼女に真珠の飾りを見せるように首を傾ける。
すると、少女はその真珠にそっと口づけをした。
その瞬間、ザッと周りの空気が綺麗になったような気がして、晶は目を丸くする。
「…これで、少しは役目を果たすじゃろ」
「あの、あなたは…タマ様?ですか?」
少女から感じるオーラで、やはり彼女はタマなのだと確信が持てたが、何故そんな姿なのか疑問だった。
「ああ、この姿か?これが一番気楽なんじゃ。わしは姿かたちをある程度自由に変えられるのでな」
そう言うと、彼女はまた初めに見た妖艶な美女の姿に早変わりする。そのあまりの変わり身の早さに晶はまた目を丸くした。
「そうなんですね…びっくりしました。タマ様、ありがとうございます」
タマに向けて深くお辞儀をすると、彼女は満足したような顔で手を振る。
「よいよい。では、わしはこの辺りを散策してくるかのう」
そう言うと、タマは霧のように姿を消した。突然現れて急に消えたタマの存在に呆気に取られていると、香月がその横で溜息を吐く。
「…空気、読んでもらいたいね」
「え?」
「いや。彼女、自由に動き回れるみたいだから、これからしばらくは今みたいに突然現れることもあるかもね」
「…タマ様の真珠は、香月さんがいつも持ち歩いているんですか?」
「いいや。一応、清めた桐の箱の中に厳重に保管してある。だけど、力を取り戻したから、もう自由自在に動き回れるんだろうね。―――それより」
香月は改めて晶に向き直ると、髪に着けられた真珠の飾りに軽く触れた。
「女神の加護をもらえて良かったね。真珠には、困難を乗り越える力と、ネガティブでマイナスな気からその身を守ってくれるお守りの効果があるらしい。―――今の君にぴったりじゃないかな」
「お守り…」
そう言われれば、確かにその効果は今の晶に必要なものばかりだ。それに、香月から贈られたというだけで、晶にとってはその何十倍も効力を発揮するお守りになる気がする。
晶は改めて鏡に映るその真珠を見つめる。加護のおかげか、先ほどよりも艶めきが増したような気がした。
「…本当に、いいんですか?」
「僕が用意したものじゃなくて申し訳ないけど、受け取ってほしい。指輪のお礼も兼ねて」
そう言って香月は左手の甲を晶の目の前に翳す。その小指には、晶が贈ったターコイズの指輪が嵌められていた。
晶は驚きで目を見開く。
「指輪…。嵌めて、くれたんですね…」
「ああ。普段は無くさないように首に下げてるけど、今日は折角のデートだから」
「……デート?」
指輪を嵌めてくれたことが嬉しくて感動していた矢先に、何だか理解が及ばない単語が出てきた。デートとは、一体何のことだっただろうか。
「折角二人で浴衣を着たんだから、どこか行きたいところ、あるんじゃない?」
「え…」
本音を言うと、晶は香月と一緒に夏祭りに行きたかった。しかし彼にそこまで願うのはやりすぎだと思ったし、彼の浴衣姿を見ることができただけでも大満足だった。
―――でも。
「言ったよね?報酬はちゃんと受け取ってもらうって。…どこに行きたいの?」
面白がるような顔で香月は晶の顔を窺う。もしかして、晶の本心はもうすでに、香月の不思議な力によって見透かされているのだろうか。
それなら、隠していても仕方がない。
晶は思い切って言ってみた。
「…あの、では…近くでやっている夏祭りに、一緒に行きたいです!」




