仕事始め
前作『眠れない羊と紳士の夜 〜新月〜』(旧タイトル『眠れない羊と紳士の夜を』)の続きですが、前作を読まなくても楽しんでもらえるようになっているはずです…。もし気になった方は、前作も読んでいただければ幸いです。
現実世界に似た別世界のお話と思って読んでくださればと思います。
彼女はいつも、何処か遠くを見つめていた
その瞳に映っていたのは、今現実にある風景でも、憧れの人でもなく
綺麗な過去の残滓だった
僕だけがそれを知っていたのに
僕だけが彼女の目に映るものを分かっていたのに
彼女を助けてあげられるのは、僕だけだったのに
今度こそ
今度こそ、救わなければ
***
「今日から、よろしくお願いします!」
ジリジリと肌を焼く真夏の太陽が、その熱を燻ぶらせたまま世界を橙色に染め上げる夕刻。
草花が自然のまま、しかしどこか美しく調和の取れたように生い茂る屋敷の庭は、その周りを囲う木々の影が、まるで舞台の幕を下ろすかのように伸びて、刻々と薄闇の中に沈み始めていた。
西から射す夕焼けは、屋敷の重厚な石造りの壁に眩しく反射し、季節を誇る様に咲き乱れる花壇の花々を美しく照らし出している。
その花壇の前で、片手にホースを持ち水やりをしていた男性は、目の前で勢いよく頭を下げた少女に目を丸くした。
「…静野様、約束の時間より早いようですが?」
彼はこの屋敷の一切を取り仕切る執事で、ロマンスグレーの髪をきっちり撫でつけ、今日も一部の隙もない姿だ。白シャツに黒いジレとスラックスという姿に、得も言われぬ大人の色気が迸っている。
「やる気に満ち溢れて、少し早めに参上しました。堀越さん、改めて今日からよろしくお願いします!」
そう言って敬礼のポーズを取る少女に、執事の堀越は少し驚いたような顔をした後、彼女に柔らかな笑みを向ける。
「それは、頼もしい限りですね。こちらこそ、今日からお願いいたします」
「はいっ!」
時刻は午後六時。静野晶は、目の前にあるこの古くて立派な香月家の屋敷で、今日から使用人として働くことになっていた。
晶はつい最近、思わぬ事故に巻き込まれて困っていたところ、この香月家の主人と堀越に助けられ、それが縁で彼らの住むこの屋敷に住み込みでバイトをさせてもらうこととなった。
天涯孤独の身としてはそれだけでも有り難かったのに、さらに嘘のような破格の労働条件を提示され、晶は恐縮しつつも有り難くそれを受け入れた。
この家の主人に返せるかわからないほどの恩ができてしまった晶は、その恩に少しでも報いるため、今日から使用人として頑張ろうと気合を入れてきたのだ。予定よりも早く堀越のもとに参上したのもその意志の表れだった。
「分からないことだらけでご迷惑をかけるかと思いますが、遠慮なくビシバシ鍛えてください!」
晶の仕事は当面の間、毎日の夕食作りの手伝いと片付け、朝食の仕込みの手伝いを任されていた。長年父親と二人暮らしだった晶は、一通りの家事仕事は問題なくできるが、この屋敷でそれが通じるかは大いに疑問だ。第一、生活レベルがまったく違う。使う食器一つ取っても、そのグレードの違いに晶はついて行けるかとても心配だった。
「そんなに気負わなくて大丈夫ですよ。肩の力を抜いて行きましょう」
穏やかにそう答える堀越の表情を目にして、晶はつい彼の顔を見つめてしまう。
彼に重なるようにして思い出すのは、もう二度と会うことのできない父親の面影。それを慌てて打ち消し、晶は彼に微笑みを向ける。
「…はい。ありがとうございます」
花壇の水やりを終えた堀越と共に屋敷の厨房へと場所を移し、これから二人で夕食の仕上げに取り掛かることになった。
厨房ではすでに鍋からいい匂いが漂っていて、あと少し手を加えるだけで料理が完成するところまでできているらしい。晶は堀越の手際の良さに改めて感心する。
(これから堀越さんの手際を良く見て、早く仕事を覚えよう!)
密かに意気込む晶だったが、ふと、堀越がこちらをじっと見つめていることに気が付いた。
「? あの、どうかしましたか?」
「あ、いえ。失礼しました」
そう言って視線を逸らした堀越は、明らかにソワソワした様子を見せている。不思議に思っていると、彼は少しの逡巡の後、軽く咳払いをしてからこう切り出した。
「…実は、静野様にはまだお伝えしていなかったのですが、当家で働く方には、決められた仕事着を着用していただくことになっております。僭越ながら静野様の分もご用意させていただきましたので、ぜひ着用してみてくださいませんか?」
「仕事着?…ああ、作業着みたいなものですか?」
「今、持ってまいりますね」
そう言うと、堀越は厨房の奥の作業部屋へと入っていった。
掃除などで汚れても良いように、ツナギか何かを用意してくれたのかもしれない。そう思っていると、堀越はすぐに手に黒い布地のものを乗せて戻ってきた。
「仕事始めですし、折角ですからこれを着てから仕事を始めませんか?」
服を渡され、早速晶はそれを広げて見る。すると、どうやら女性向けのユニフォームのようだった。特に着用に問題があるわけでは無さそうだったので、晶はそれを軽く畳みながら頷いた。
「わかりました!今から着てきますね」
晶は一旦自分の部屋へ戻ると、早速渡された仕事着に袖を通す。
仕事着は膝下丈の黒いワンピースで、詰め襟の襟元や胸元、袖口に控え目だが可愛らしいフリルがあしらわれたデザインだった。これで上から白のエプロンを付ければ、どこからどう見ても古風なメイドさんの出来上がりだ。
着替えを終えた晶は鏡の前で自分の姿を映し、おかしなところがないか入念にチェックする。
「何だか懐かしいような…。そういえば、店長にもバイト辞めること伝えないとなぁ…」
晶はそれまで働いていたバイト先のカフェで様々な衣装を着たことがあったが、その中にはメイド服もあった。確か今着ているものよりもフリルが多く、スカートの丈も短いものだったと記憶している。
それにしても、当時は何も思わなかったのに、今、改めて着てみると気恥ずかしくて、自分に似合っているか少々気になるのは何故だろう。
「…この服なら、やっぱり靴下は黒に変えてみるか。髪形は高めのポニーテールにして…と。そうすると髪飾りもあると良さそうだなぁ。今度街に行った時に見に行ってみようかな」
つい先日、約一年ぶりに通った美容院で切り揃えてもらった前髪を手で整え、普段より自分の姿を入念にチェックした晶は、自分に及第点をあげると急いで厨房に戻った。
厨房では堀越がコンロの前で鍋のスープを温めていて、既に夕食の仕上げに取り掛かっていた。
戻ってきた晶に気が付いて振り向いた彼は、彼女を目にした途端に目を見開き、少し間を置いた後で真剣な顔をしてつかつかと晶に歩み寄ってきた。
「…これは、素晴らしい!…いや、想像以上にお似合いですね。サイズも合っていたようで安心しました」
色んな方向からしげしげと眺めては満足げに何度も頷く堀越の反応に、晶はどうしていいかわからずもじもじする。父親でもない男の人にこんな風に褒められるのは初めての経験で、何だか胸がむず痒くなり、自然と顔が赤くなってしまった。
「…ありがとう、ございます」
照れながらお礼を伝えると、堀越は穏やかに目を細めた。その表情がまた懐かしい記憶と重なって見えて、晶は知らずに胸に当てた手をぎゅっと握りしめる。
「それでは仕事にかかりましょう。夕食の下ごしらえはもう済ませてありますので、あとは七時までに配膳できるよう料理を完成させましょう。静野様は家事を一通りこなされていたと伺いましたが、料理の方は?」
「腕に自信があるわけではありませんが、料理担当はずっと私でした。なので基本的なことはできると思います。…でも、このお屋敷で出されるような料理は作ったことがないので、これから勉強させてください!」
晶が意気込んで堀越に言うと、彼は笑顔のまま軽く頷く。
「それはますます頼もしいですね。私も人に教えるのは初めてですので、わからないことがあれば遠慮なく仰ってくださいね」
「はい!」
そのまま堀越の指示に従い、カトラリーのセットを揃える。この厨房は屋敷の他の場所と違って最新設備が揃っているようで、どこかのお店の厨房のように業務用の最新調理家電が揃っていた。収納も分かり易く食器類もピカピカで、ここを堀越一人が切り盛りしていたかと思うと、尊敬の念を抱かずにはいられない。
晶は仕舞われているスプーンを取り出しながら、早速気になっていたことを堀越に切り出した。
「あの…堀越さん。ちょっと気になったんですが…私はいわゆるバイトというか、下働きみたいなもので、堀越さんは私の上司にあたるわけですよね?なので、私に丁寧な言葉使いをしなくても大丈夫ですよ?」
堀越は出会ってからずっと客人のように晶を扱ってくれている。それは嬉しいことだったが、やはりここで働かせてもらう身としては違和感がある。それに自分はただの女子高生で、彼に丁寧に扱われるほどの人間でもない。
晶が恐縮してそう言うと、料理の盛り付けをしていた堀越はその手を止め、思いもよらなかったというような顔をした。
「ああ、なるほど…それは気が付きませんでした。しかし、仕事中はずっとこうだったもので、急に変えるのは難しいですね…。私もすぐには慣れませんし、それは追々ということでしばらくはこのままで我慢してください」
そう言ってニコッと笑顔を向けられてしまえば、晶には適う術がない。
「…じゃあせめて、『静野様』はやめてもらえませんか?私は教えてもらう立場なので、それは違うんじゃないかと…」
そう伝えると、堀越は顎に手をあてて考える素振りを見せる。
「そうですか…確かに『静野様』というのも他人行儀な呼び方ですしね。…では、『晶さん』とお呼びしても?」
「はい!そう呼んでください!」
何なら呼び捨てでも構わないと思ったが、さすがにそこまで要求するのは馴れ馴れしいかと思い、晶はそっと口を閉じる。堀越に呼び捨てで名前を呼んでもらうのは、いつか叶えたい夢として取っておこう。
『晶―――…』
ふと、頭の片隅で自分を呼ぶ父親の声が蘇った。
(…そんな風に名前を呼んでくれる人は、もういないんだ)
先程からずっと考えないようにしていたのに、その事実を改めて認識してしまった途端、心の何処かで乾いた風が吹き抜けた気がした。
今でも目を瞑れば、温かい眼差しで自分の名前を呼ぶ父親の姿が浮かぶ。これから先、自分をそんな風に呼んでくれる人が現れるだろうか。
ふとした瞬間、背後にぽっかりと口を広げる闇は、隙を見れば足元に広がって晶のことを飲み込もうとする。父親の死からずっとその闇に囚われていた晶は、先日ある出来事がきっかけで、ちゃんと前を向いて生きて行こうと決意したばかりだ。
そして今、自分が何とか立っていられるのは、あの時助けてくれた「彼」のおかげだった。
その人の顔を思い描いただけで、心に小さな明かりが灯ったように胸の中がほのかに温まる。同時に彼の纏う夜の香りまで蘇ってきて、晶はそっと頬を染めた。
彼には迷惑な話だろうが、密かに心の中で支えにさせてもらうのは許してほしい。
(そんな彼に、もしも名前を呼ばれたら―――)
想像をしかけた晶は、迷惑ついでに己の願望まで妄想し始めた頭を慌てて振った。
(何と畏れ多いことを…!!『推し』に名前で呼んでもらうなんて、そんな夢を見ちゃ罰が当たるわ!)
浮かび上がった願望を必死に打ち消しながら、今は仕事中だったことを思い出し、密かに深呼吸をして心を落ち着かせる。
意識を切り替えた晶は、カトラリーを揃え終わると次の指示を仰いだ。
***
ダイニングのテーブルに夕食のセッティングを終えた後、堀越から主人を呼んで来てほしいと頼まれた晶は、書斎の前までやってきた。
ドアの前に立ち、何度か深く深呼吸して心を整える。
「……よし!」
小さく気合を入れた晶は、ドアを軽くノックして中にいる人物に声をかける。
「ご…ご主人様。夕食の準備が整いました」
緊張で少し裏返ってしまった喉を咳払いで整えていると、少し間を置いて返事の声が聞こえた。
晶はドアノブに手をかけ、ゆっくりとドアを開く。
まるで図書館のように天井まで届く本棚に囲まれた薄暗い部屋の中央に、重厚な布張りのソファが置かれている。
そこに背を向けて座っている人物のダークブロンドの髪を、小窓から差し込む夕焼けの残り火が静かに照らしていて、どこか静謐な空気がその部屋に満ちていた。
やがてパタンと本を閉じる音が聞こえ、座っていた人物の頭がゆっくりとこちらを振り向く。
その人は、晶の姿を見るなりその美しい瑠璃色の瞳を僅かに見開いた。
均整の取れた美しい顔を驚きに染め、思わずといったように立ち上がった彼は、急いで晶のそばまでやってくる。
「静野さん、その恰好は…?あ、そうか。今日から仕事始めだっけ?」
「そっ、そうなんです。今日からよろしくお願いします」
晶は改めて、この家の主人である香月瑠依に向かって頭を下げた。
この香月青年は、神様も裸足で逃げ出すような美貌と瑠璃色の瞳の持ち主で、特にその瞳は宝石すら霞むほどに美しい。僅かに残る夕日の光を掬い取ってキラキラと瞬くその瞳は、いつまでも見つめ続けていたいと思わせるほど人を魅了する。
そんな魅力的な瞳に負けない芸術品のような美しい顔を晶に向け、香月は穏やかな笑顔を見せた。
「ああ、こちらこそ。それにしてもその恰好…」
「これですか?堀越さんがこの家で働くための仕事着だと渡してくれたんですが…どこか変ですか?」
晶は見せられた天使のごとき笑顔の破壊力に心臓が止まりかけるものの、表面上は冷静さを保ちつつ(しかし少し顔を赤く染めて)慌てて自分の恰好を見回してみた。
そんな晶を見て香月は更に眩しいものを見るような顔をする。
「いや、すごく似合っているよ。そう、堀越がね…。いい仕事するね」
「? 何がですか?」
「こっちの話。じゃあ静野さん、今日から我が家で頑張ってね」
「はい!」
****
「…どうして、私まで座っているのでしょう?」
香月とダイニングまでやってくると、彼から自然に手を取られ、晶は瞬く間にテーブルの席に座らされてしまった。
「え?だって、女性を立たせたまま食事なんて、そんな無粋な真似はできないよ」
何言ってるの?と言葉にしたような顔で香月が晶を見る。
「はぁ…」
「それに、堀越の料理はなかなかのものだから、ぜひ君にも味わってほしいな。ねぇ?」
そう言って香月が堀越のほうに視線を向けると、堀越も笑顔でそれに答える。
「そうです。晶さんがこの家にいらしてから私も腕によりをかけて作っていますので、ぜひ瑠依様と一緒に温かいうちにお召し上がりください」
「はぁ…」
ニコニコ顔で堀越にまで言われてしまい、晶はどうしていいかわからなくなる。自分は仕事をして恩に報いるために頑張ろうとしていたのに、その矢先にゲスト扱いをされてしまった。ここは雇い主の言うことに従うべきかどうするべきか。
考えていると、香月が不思議そうに堀越に聞いた。
「……『晶さん』?」
「はい。先ほど、晶さんと名前の呼び方について話しまして、『静野様』ではどこか他人行儀に聞こえますので、呼び方を改めさせていただきました」
「…そうなんだ。じゃあ僕も『静野さん』じゃあ味気ないし、別の呼び方で――」
「そのままで大丈夫ですっ!!!」
晶は慌てて彼に掌を向け、被せ気味に待ったをかける。
「こっ、香月さんは私の雇い主ですし、そんなに気を遣っていただかなくて大丈夫です!今まで通り『静野さん』でお願いします!!」
実のところ、晶はこの目の前にいる美貌の主人のことを勝手に“推し”認定しており、密かに日々の糧にさせてもらっていた。そんな推しである彼から親しみを込めた名前で呼ばれるなんて、心臓がいくつあっても足りなくなってしまう。妄想が現実になるなんて、そんなことがもし起こったら、晶の脳は許容範囲を超えて爆発してしまうだろう。
「…わかった」
香月は晶の言い分を一応は承諾したものの、納得いかないような顔を見せる。晶はほっと胸を撫で下ろしたが、そんな晶を見た香月が、今度は極上の笑みを浮かべて晶を見つめてきた。
「じゃあ、代わりに今日から、僕の夕食の席には静野さんも同席するってことで手を打とう」
「っ!?…なんでそうなるんですか!?それに、それだと仕事になりませんけど…?」
「僕は君の雇い主だから。これも仕事だと思ってくれればいいよ」
そう言ってキラキラな笑顔を見せる自分の主人に、晶は何だか負けたような気がしたが、彼の笑顔の破壊力でよくわからなくなってしまった。
顔を赤くして戸惑う晶をよそに、早速、堀越が料理を晶の目の前に並べ始める。
今日のメニューは夏野菜のスープに色鮮やかなエビのカクテルサラダ、卵とブロッコリーをのせたバケットにアサリのボンゴレパスタで、どれも見るからに美味しそうなものばかり。晶は並べられた料理の数々に思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
「………本当に良いんですか?」
恐る恐る香月に訊ねると、彼は穏やかな表情で頷いた。そこまでされてはもう引き下がることはできまいと、晶はカトラリーに手を伸ばす。
「では、遠慮なくいただきますよ?!」
「ふふっ、どうぞ召し上がれ」
香月が食前のドリンクを口にしたところで、晶も早速スープに手を付ける。口に運んだ瞬間、トマトの絶妙な酸味と野菜の旨味が口の中に広がり、思った通り、いや、それ以上に美味しかった。晶は体に染み渡る美味しさに目を閉じてその感動を味わう。
「…とっっっっても!美味しいです!!」
「ふふふっ、お褒めに預かり光栄です」
晶はこの美味しさを表現するための語彙力を持ち合わせていないことに、もどかしさを感じた。それほどまでに美味しいのに、ただただ素直に感動を伝えることしかできない。
晶がこの屋敷に世話になりはじめて、これまで堀越の料理は何度も口にした。そのどれもが想像以上に美味しく、毎回驚かされる晶はその感動をもっと上手に伝えたいと思うのだが、テレビレポーターのようには上手く言葉が出ない。
それでも必ず美味しいことを伝えるように心がけているが、そんな彼女に、堀越は毎回笑顔でそれに応えてくれていた。
他の料理もやはり驚くほど美味しく、ぺろりと平らげてしまった晶は、目の前の主人が食後の紅茶を啜っているタイミングを見計らって、いそいそと椅子から立ち上がる。
「ごちそうさまでした。…では、後片付けがありますので、私はこの辺で失礼させていただきます」
そう早口に捲し立て、一礼して手早く食器をまとめて銀のトレーに置くと、晶はそれを持ってそそくさとダイニングを後にした。
「…逃げられた、のかな?」
晶が去っていくのを黙って見送った香月は、傍に立っている堀越に横目で確認する。すると堀越は口の端に笑みを浮かべ、軽く頭を下げた後、晶の後を追う様に下がって行こうとした。
その背中に香月が声をかける。
「静野さんの衣装のことだけど、昇給ものだったね。本人が喜ぶようなら、お前の趣味も理解できそうだよ」
その言葉に、堀越は先ほどとは打って変わってニヒルな笑みを口の端に浮かべ、再び頭を下げた。
「…お褒めに預かり、光栄です」