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二人の夜







 「うわぁ…緊張してきた…」




 夕食の後片付けが終わり、明日の朝食の仕込みとこれからの仕事の確認を済ませた晶は、そこで今日の仕事が終了となった。


 自分の部屋へ戻って入浴後、パジャマ代わりのジャージ姿で自前の枕を手に再び部屋を出た晶は、薄暗く静まり返った廊下に立ち、やけに大きく聞こえる自分の鼓動と格闘していた。


 「とうとう今夜か…。私、ちゃんと眠れるかな?」


 長年愛用しているマイ枕をギュッと抱え、いざ目的の部屋へと向かおうと足を踏み出す。


 「こんばんは、お嬢様。何かお手伝いすることはございますか?」


 「ひゃぁ!!」


 薄暗い所で突然後ろから声をかけられ、文字通り飛び上がった晶は、急いで声のした方を振り返った。


 すると、そこには年季の入ったお仕着せを着た中年女性が薄暗い廊下にゆらりと立っていた。


 「こっ、こんばんは…。キヌさん、ですよね?お、お気遣いありがとうございます…」


 女性はニコリと柔和な笑みを見せる。この女性は実は長年この屋敷に住んでいる幽霊で、話によるとこの家のことなら何でも知っているらしい。白いものが混じった髪をきっちり結い上げてピンと背筋を伸ばした姿は、まさに熟練の家政婦といった感じだ。


 「お嬢様は今夜からご主人様と同じ寝室でお休みになるのでしたわね。お部屋までご案内いたしますわ」


 そう言って晶を先導するため滑る様に移動する彼女を見て、晶は心臓がバクバクしながらも何だか複雑な気持ちになる。ちなみに香月いわくキヌさんは無害だそうだ。


 (び、びっくりした…。しかも当然のように私が香月さんと一緒の部屋で眠ることを知ってる…)


 これは晶がこの屋敷で働く際に出した条件の一つだった。


 実際は香月にやられっぱなしの状況で出した苦肉の策で、彼への意趣返しのつもりだったのだが、今となっては自分の首を絞めただけだったような気がしてならない。


 晶は昨年父親を事故で亡くし、その時から一人で眠ることが難しくなってしまった。


 夜の静けさは晶の孤独を一層際立たせるようで、晶はその恐怖に日々耐え続けていた。そんな日々の中、晶は自分が人の気配がある所でなら安眠できることを知った。


 そんな自分の特殊な体質から、この屋敷で働く条件として誰かと同じ部屋で眠りたいと申し出たのだが、その結果、何故かこの屋敷の主人と眠ることになってしまった。


 自分で言い出したこととはいえ、なかなか覚悟が決まらなかった晶は、この屋敷に世話になりはじめてからすでに数日経っているというのに仕事始めの日からと言い逃れをして、何とか今日まで条件の施行を伸ばしてきた。しかし、とうとうこの日がやってきてしまったのだ。


 今日から自分の推しとも言える香月と一緒に眠るとなると、果たして安眠できるかどうか大いに不安だ。


 「お嬢様がいらしてから、この屋敷に可憐な花が咲いたようで、みな浮足立っておりますわ」


 思考の海に沈んでいた晶は、思いもよらないキヌの言葉に驚いて顔を上げた。


 「そんな…、恐れ多いです」


 皆とは香月と堀越のことだろうか?晶が見たところ彼らにそんな様子は見られないので、これはきっと社交辞令というものだろう。ジャージ姿の晶を見てもそんな台詞を言う彼女が、どこまで本気で言っているかわからず戸惑っていると、あっという間に目的の部屋にたどり着いてしまった。


 「では、ごゆっくりお休みくださいませ」


 そう言って恭しく頭を下げた彼女は、音もなく暗闇に姿を消した。


 再び静寂に包まれた薄暗い廊下に取り残された晶は、先程まで会話していたことが嘘のようにその存在がすっかり消えてしまったことに目を瞬かせる。


 「…やっぱりまだ慣れないけど、怖くはない…かな?」


 彼女が消えた場所を見つめながらそう呟いた晶は、気持ちを切り替えて目の前のドアを見つめる。


 ここが今日一番の難関だ。


 晶は何度か深呼吸を繰り返して胸の動悸を抑えると、気合を入れてドアをノックした。


 すぐに中から返事が聞こえ、その後晶が開ける前にドアが開いた。


 「―――ようこそ。待ってたよ」


 そう言って甘い笑みを浮かべた香月は、昼間とは雰囲気がガラリと違って、ゆったりとした黒のクルタパジャマを着ていた。胸元のボタンは外して着崩していたが、それがまた妙に似合っていて、晶はいつもの通りついつい見惚れてしまう。


 本当に何を着ても、何をしてても様になる。目の前の主人に、晶は毎日のように心臓が踊りっぱなしだ。


 今も緊張からか最高潮に胸がドキドキしている晶は、赤くなった頬を隠すように深々と頭を下げた。


 「き、今日から、よっ、よろしくお願いしますっ!」


 「こちらこそ、今日から宜しくお願いします」

 

 そう言って、香月も晶の言葉を真似をして軽く頭を下げる。その時、胸元から金色の細いチェーンがシャラリと覗いた。そのチェーンの先についていたものを見て、晶は驚きのあまり目を丸くする。


 それは晶が先日、世話になった礼として香月に贈ったターコイズの指輪だった。


 晶の反応には気付かず、香月は顔を上げるとクスクスと笑い、「どうぞ」と晶を部屋の中へと招き入れた。その彼の砕けた雰囲気に少しだけ緊張が溶けた晶は、静かに息を吐いて肩の力を抜くと、彼の後について部屋の中へ入っていく。


 ここは元々客間の一つとして使われていた部屋で、若草色の壁紙に深緑色のカーテンが引かれた室内には豪華なベッドが二つ置かれていた。そのベッドの奥には低いテーブルとソファが二脚向かい合うように置かれていて、そこには可愛らしいオレンジ色の花が飾られている。


 今日から晶は香月とこの部屋で毎日眠ることとなる。その事実にまたしても心臓の音が速まるが、晶はそれを自覚しないように急いで彼に話しかけた。


 「香月さんは、どちらのベッドが良いとかありますか?」

 

 「ん?いや、特にはないかな。だから静野さんが好きな方を選んで構わないよ。それに僕はまだ片付けるものが残ってるから、奥でしばらく作業させてもらうよ」


 「えっ、まだお仕事残ってるんですか?」


 確かこの主人は、昼間もずっと地下の仕事部屋に籠もりきりで、今日は夕食前までその姿を見かけなかった。彼は確か"サイキック・アドバイザー"という一般的には聞き慣れない職業に就いていて、彼曰くその仕事内容は『世の中の科学的には解明できない物事を解決する』というものだ。つまり、一般的に分かりやすく言うならば霊能力者と同じ部類で、心霊現象などの相談を専門としているらしい。


 ただし、霊能力者というのは少し違う気がする。本人はいわゆる"見える"体質なのは確かなようだが、香月が仕事をしている姿、つまり除霊のようなことをする所は見たことがないし、本人も拝んだことが無いと言っていた。


 晶が先日、悪霊に取り憑かれた時も、結局その霊を二人で説得?して成仏してもらったので、香月が今までどうやって心霊現象と向き合ってきたのかは分からない。


 ただ、毎日昼間は地下の仕事部屋に籠っているにも関わらず、寝る時間さえ割いているのを見ると、依頼された件を解決するまでかなりの労力を費やしているということなのだろう。


 「ちょっと立て込んでてね。僕のことは気にしなくていいから、静野さんは先に休んでて」


 「…でも、えっと、何か私に手伝えることは…」


 晶は香月に恩を返すためにこの屋敷で働いている。確か香月の仕事の手伝いも契約内容に入っていたはずだと思い出し、そう進言してみた。


 しかし、香月は柔らかい表情を見せながら首を横に振った。


 「僕に気を遣わなくて大丈夫だよ。それに、これは静野さんの手を煩わせるほどのことじゃないから」


 「そう…ですか」


 香月はそう言ってくれたが、晶のような素人が安々と手を出せるものではないのだろう。何だか逆に気を遣わせてしまったようで申し訳ない気持ちになるが、必要とされた時に頑張れば良いのだと晶は気持ちを切り替えることにした。


 「…では、お言葉に甘えて先に休ませてもらいます。でも、香月さんはいつ寝るんですか?」


 「心配しなくても、片付けたらすぐに眠るよ」


 そう言って柔らかな表情を見せたかと思うと、香月は徐に晶の方へ手を伸ばした。


 咄嗟に身構えた晶だったが、彼は晶の後ろにある部屋のライトのスイッチに手をかけただけだった。


 「じゃあ、おやすみ」


 そう言って部屋の明かりを消し、奥の机に向かう彼の背中を見送りながら、晶は心の中で盛大な溜息を吐く。


 (何やってんだ私…。自意識過剰…)


 香月と出会ってまだ日は浅いのに、彼の日本人にしては過剰なスキンシップを何度か経験してきた晶は、すでに彼のふとした仕草に身構える癖がついてしまった。


 『推し』からのファンサービスなのだから喜んで受け入れるべきなのだろうが、小娘の晶には刺激が強すぎて心臓に悪い。やはり推しは遠くから鑑賞するに限るのだ。


 「…おやすみなさい」


 そう返した晶はとりあえず手前のベッドに入り、持ってきた枕を敷いて横になる。


 薄暗くなった部屋の中は、香月が作業している机のライトだけが点き、その柔らかい明かりとキーボードを叩く音、そして微かに漂うオリエンタルな香りが静かにこの空間を満たしていた。


 (…そこまで身構えることなかったんだ…)


 香月と同じタイミングで眠ることには何故か緊張するが、こちらの存在を気にせず同じ空間で作業してくれているならこれほどありがたいことはない。晶は今までの緊張から解放され、ドッと疲れが出たような気分になった。


 (香月さん、指輪、身に着けていてくれた…)


 晶は背を向けて机に向かう香月の後ろ姿を見ながら、ぼんやりとそんなことを思う。


 ターコイズの指輪は、ついこの間成仏していった魂から晶に渡されたものだった。ターコイズは贈られると幸運のお守りになる効果があるらしく、それを聞いて晶がその時とても世話になった香月が持つのにふさわしいと思い、彼の左手の小指に嵌めて贈ったのだ。


 その後、彼がその指輪を嵌めている所を見なかったが、晶はあまり気にしていなかった。贈り物は贈られた側が好きにしていいものだし、好みでなかったり、作業に不都合がある場合もある。捨てられるのは悲しいが、何処かに仕舞っておいてもらえるなら、それだけで良かった。


 それがまさか首からチェーンで下げていたとは。


 (うわ…ちょっと、これは危険だわ)


 その事実に何だかこみ上げるものを感じて、晶は赤くなった顔を隠すように布団を頭から被る。


 大して意味はないのかもしれない。彼にとっては些細な事かもしれない。それでも、自分が贈ったものを身に着けてくれているということが、晶の心をじんわりと温かくした。


 晶は温かくなった胸の鼓動を聞きながら、やがてぼんやりと身体の力が抜けていくのを意識する。


 微かに香る異国の香りが徐々に身体の力を奪い、柔らかいベッドへと沈み込むように意識が遠退いていく。そんな晶の耳に、香月がキーボードを叩く小さな音が、まるで子守歌のように心地良く響いていた。


 晶はこの夜、自分でも不思議なほど自然に夢の世界へと落ちていった。






***





 気が付くと、規則的な寝息が聞こえてきていた。


 作業がひと段落した香月は、軽く息を吐いて後ろを振り向く。そこには枕を抱えるように横向きになって眠る晶の姿があった。

 

 晶がちゃんと眠れたことを確認してから立ち上がった香月は、なるべく音を立てないようにそっと部屋を出る。


 厨房へと向かうと、堀越が部屋着の格好で湯を沸かしていた。


 「瑠依様。今お茶をご用意するところでしたが、晶さんはもうお休みになりましたか?」


 「ああ」


 「…やはり、瑠依様は眠れませんか?」


 「まだ片づけるものが残っていて、今まで作業してた。でも、静野さんにとってはこれが正解だったようだ」


 そう言って作業台のそばにある椅子に腰かけた香月に、堀越はいつものハーブティーを淹れて渡す。安眠効果のあるこのお茶は、もう長いこと夜の習慣になっているが、香月にとって効果があった試しはない。それでも何となく心が落ち着く気がするのでいまだに飲み続けていた。


 「仕事も勉強も程々になさいませ。折角眠る機会が巡ってきたのですから、幸運の女神を逃してはなりませんよ」


 そう言って困ったように笑う堀越を見て、香月も苦笑する。


 「幸運の女神ね…。まあ、この際肖ってみるよ。それに、これ以上寝不足が祟って体を壊してはいけないしね」


 「…どうかご自愛くださいませ」


 まるで祈る様にゆっくりと頭を下げた堀越は、次に思い出したように香月を見た。


 「そういえば、昼間に連絡があったのですが、明日の午後に糸様がおいでになるそうです」


 「糸が?」


 「はい。詳しい要件は聞きませんでしたが、瑠依様に急ぎの用ができたとのことでした。お迎えいたしますか?」


 「…ああ」


 少し間を置いて返事をした香月の瞳に、一瞬だけ曇りのような濁りが見えたが、堀越は何も言わずに了承の意を伝えるため再び頭を下げた。











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