第2話 水と嫉妬と、三つの顔
北の村で、いよいよ水回りの大改修スタートです。
そして遠くでは……あの“多面”な許嫁が動き出します。
朝靄に包まれた村の石畳が、朝陽を受けてやわらかく輝いている。
その中心──井戸の周りに、村人たちがざわざわと集まっていた。
「……本当に、水が出るのか?」
「また失敗したら、飲み水が……」
不安まじりの声が飛び交うなか、
その場に立つ青年の声が、空気を断ち切った。
「ムク、カク、サラ──組み上げ、始めるよ!」
ユータの掛け声に、職人ゴーレムたちが即座に反応する。
土を掘り、パイプを通し、魔力を込めた蓄圧管を丁寧に据え付けていく。
その動きには無駄がなく、どこか芸術的な美しさすらあった。
「ろ過フィルター……よし。
あとは地脈の精霊流を重ねて、導線を調整……」
ユータの設計は、現代の水循環理論と魔族の精霊術を融合させたものだった。
精霊を導く流れと、水の通り道が重なるように精密に計算された“循環井戸”。
その完成は、村に新しい命を吹き込む第一歩となるはずだった。
「カイさん、お願いします」
ユータが静かに告げると、隣に立っていたカイが前に出た。
井戸の中心に手をかざし、低く詠唱を唱える。
──ふわ、と空気が揺れた。
足元の魔法陣が淡く輝き、地中から水の気配が滲み出す。
そして──
「……ッ!」
シュゴォォ……と、井戸の中心から勢いよく水が湧き出した。
「出た……! 出たぞ!」
「すげぇ量だ!」
「冷たい! こんな澄んだ水、初めて見た……!」
歓声が一気に弾ける。
ユータは胸をなでおろし、ふっと微笑んだ。
「カイさんの精霊術、やっぱすごいね。助かったよ」
「……お前の方こそ。精霊術も使えないくせに、俺より精霊と仲良くなってるんじゃないのか」
そう言いながら、カイは視線を逸らす。
だがその耳が、ほんのり赤く染まっている。
* *
──時を同じくして、北の魔王国・クラヴィス城。
黒曜石の窓辺に立ち、遠く霞む山並みに視線を投げる男がいた。
その佇まいは静謐そのもの。だが、その金の眼差しにはわずかな熱が宿っている。
「……まだか。そろそろ、到着してもよい頃合いだろう」
彼の名はクラヴィス=ゼル=ノルド──北の魔王。
そしてその背後で、フリルの裾と巻き髪を揺らしながら迫ってくる影がひとつ。
「それよーり〜〜っ!!」
ワインを掲げてくるりと回り込んだのは、側近のひとり、エクレオ=バントライン。
ド派手な衣装とキラキラの目で、まるでオペラの開幕のように大げさに言った。
「クラヴィス様ぁ〜、今回の“視察”って、ほんと〜〜〜に建築目的だけですよねっ!?
だってユータさんって、あのカイさんの、れっきとした・恋・人♥なんですから〜〜〜っ!」
「うむ。……そのようだな」
クラヴィスは穏やかに応じる。
だがその唇の端には、ごくわずかに綻びが浮かんでいた。
「……あのユータ。
建築もそうだが──彼自身が、実に面白い」
「クラヴィス様、目がキラッとしました今っ!」
「彼の手で創られた設計──あれはただの住居ではない。
そして、すべすべで、細いのに……芯がある。
……不思議と、目が離せなくなる体だった」
エクレオはにやにやと微笑みながら、グラスを傾ける。
「クラヴィス様……それ、“建築視察”って言うには、視線がやらしすぎますぅ〜〜♪」
クラヴィスはグラスを掲げ、赤い液体を静かに回した。
「でもでもっ、カイさんとユータさん、なかなかにお似合いですよ?
わたしの“恋センサー”がキュンキュン反応してるんですからっ!」
「二人の関係、壊すつもりなどないよ。
むしろ──応援している。……興味があるだけだ。
あの冷徹なカイが、どう“変化”したのか。なぜ惹かれたのか。……その空気を、この目で見てみたいのだ」
「も〜う……クラヴィス様、やっぱりちょっとズルいですぅ〜!」
エクレオが頬をぷくっと膨らませ、指を振る。
クラヴィスは口に含んだワインを、音もなく喉に流し込んだ。
その金の眼差しには、静かだが確かな“観察者の光”が灯っている。
──舞台は整った。
さて、“どんな関係”を、ふたりは見せてくれるのだろうか。
そのときだった。
城の重厚な扉が、ノックもなく激しく開かれた。
「──クラヴィス様!」
低く凛とした声が響く。
現れたのは、深紅のローブを翻した一人の魔族の女。
その顔はフードに隠されているが、両肩からは異様な存在感を放つ“顔”──小さな女顔の幻影がふたつ、ふよふよと浮いていた。
「ミラ=ファルメイア……!」
エクレオがワインを吹きかけそうになりながら身を引く。
「ちょ、まって!? なぜあなたがここに!? クラヴィス様、招待状出しました!?」
「出していないが、……察しの良さは健在ということだ」
クラヴィスが静かにグラスを置いたその瞬間──
ミラのフードがスッと下ろされ、整った顔立ちがあらわになる。
「カイが、“恋人を連れて視察に向かった”と聞いて」
本体のミラは静かに微笑む。
「ええ。……確認に来たのよ、“その相手”が、どれほどのものか」
右肩の顔がキラキラと輝きながら叫ぶ。
「やだ〜〜〜〜!カイが他の人とラブラブなんて聞いてな〜〜いっ♥」
左肩の顔がドスの効いた声で唸る。
「なめられたら、ぶっ飛ばすだけだろ……!」
クラヴィスはため息混じりに口元をぬぐう。
「……誰のものか、か。カイが所有物とは初耳だが?」
「所有物じゃないわ。“未来の伴侶”よ。……そうなる予定、だった、けど」
ミラの瞳にわずかな怒気が宿る。
右肩がメソメソ泣き始め、左肩が剣を抜こうとする。
エクレオが手を横に振って、慌てて止めに入る。
「スト〜〜ップ!多面族のケンカ、空間ごと壊れるからやめてぇっ!
しかもラブ案件で来たとか!クラヴィス様、これは完全に──」
「──めんどうな展開になったな」
クラヴィスはそう呟いて、再びワインを静かに飲み干した。
* *
「うわぁ……でか……!」
ユータは、北の魔王国の巨大な城門を見上げて、思わず声を漏らした。
行列は長蛇。魔族たちの喧騒が、空気を濁らせている。
「このままだと、今日中に入れないかも」
カイが一度、肩をすくめた。
「裏口から行く。俺の専用ルートがある」
「専用ルート……なんだか秘密っぽいね」
「騒ぐな」
裏門に回り、小さな石橋を渡ったその先──
「やっと来ましたねぇ、おふたりさん♪」
満面の笑顔とともに、フリルを翻して現れたのは──エクレオだった。
「……面倒なのが待ってたな」
カイが思わず舌打ちする。
「おやおやっ!? ひどくないですか〜カイさんっ、せっかく歓迎してあげたのにっ♥」
「歓迎の“質”に問題があるんだよ……」
そこでユータが、ちょっと眉を下げて苦笑する。
「うん……うん。うん、ひさしぶり、エクレオさん。……ってことは、何かが起きるんだよね?」
「なにをおっしゃいますのユータさんっ♪ わたしはただ!愛と調和を求めてここに──」
「はいはい、わかったから、まず深呼吸しよ?」
ユータの顔には、悟った者特有の“静かな諦め”がにじんでいた。
──そしてその先に、本当に騒がしい未来が待っているとも知らずに。
つづく
ミラ=ファルメイア、登場しました。
カイのフィアンセ、三人分の性格を持つ多面族です。
彼女の乱入で、恋と建築に波乱の予感……?




