四十七話『絶体絶命』
午前二時に小屋を出発すると、草木も眠りに就く中、僕たちは山から出た。結局、この四日間、河童に襲われることがなかったのは、幸いだった。
おそらく、小屋の場所が山の入り口から浅い場所にあったのと、もしかしたら、和平交渉で奇襲を仕掛けた手前、河童たちも警戒していたのかもしれない。
二人は隠していたバイクで、相模さんとの待ち合わせ場所へと向かう。この四日間は白い眼鏡をかけ、トレーニングウェアに身を包むいつもの加藤さんだったが、やはり外に出る時は、ワンピースを身に纏い、眼鏡を外した変装姿の加藤さんになる。
しかし、ここに来る時も思っていたのだが、いくらレギンスを履いているとはいえ、ワンピースを着てバイクを運転するのは、いささか目立ち過ぎではないだろうか。
だが、当の本人は一切気にする様子もなく、冬の香りを先取る風を、颯爽と追い越してゆく。
やがて僕たちは、待ち合わせ場所へと到着した。
時間は待ち合わせ時刻の五分前、三時五十五分。場所は、北陸地区の工場地域。無骨な鉄が交錯するその雑然とした様が、淡泊に灯る明かりを際立たせ、妙な風情を醸し出している。
僕たちはバイクを下り、周囲を見渡してみるが、相模さんの姿は見当たらない。そして五分が過ぎ、待ち合わせ時刻になったものの、相模さんは現れず、加藤さんは腕時計を見ながら、首を傾げる。
「もう時間なのに、おかしいわ」
「遅れているのでは?」
「超がつくほど真面目な人だから、時間に遅れるなんて考えられないけど……」
「もしかしたら、幹部の密会自体が、長引いているのかもしれません。とりあえずもう少し、待ってみましょう」
そう言った時、ちょうど、三十メートルほど先にある建物のわきから人影が現れた。
相模さんか、と思ったものの、違った。それも、一人ではなく全部で四人。全員がスーツを着ていて、まるで、僕たちの逃走経路を塞ぐように、四方からこちらに向かって歩いてくる。
「……どういうことですか、これは」
「おそらく、相模さんに何かがあったんだわ。そして、待ち伏せされていた。でも、どうしてこの場所がわかったのか」
物々しい雰囲気。間違いなく、ただの一般人が気さくに声をかけてきているような、そんな様子ではない。
加藤さんは懐に手を入れながら、「まずいわね」と周囲に視線を向ける。
「逃げ道はなさそう。それに、相手は丸腰ではないはず」
「撃たれる前に、全員、やれませんか?」
「不可能ではないけど、出来るだけ人は撃ちたくはない」
「なら、威嚇射撃をして、怯んだ隙に突破するしかなさそうですね。それでも、拳銃を持っていたら、かなり厳しいですが」
「バイクに乗る暇はない。となると、遮蔽物が多い工場内へと逃げた方がよさそう。一発、右の男の足元を撃つから、何とかその間に駆け抜ける」
「わかりました。では、僕が先に走り出します」
僕たちは早口で作戦を練ると、早速、実行へと移すべく、その一歩を踏み出そうとした。しかし、すぐにその足は、自然と止まってしまう。
四人の奥から、さらに二人組が四つ、計八人がこちらに向かって歩いてきていた。そしてその八人は既に、手に拳銃を持っている。
僕の背中に、冷たい汗が滲む。
さすがに、この状況はまずい。
加藤さんが、小さく舌打ちをした。
その時だった。
遠くから、車両が近付いてくるような音が聞こえてきた。そしてその音は、徐々に大きくなっていく。
やがて、道の向こうから、一台の車両が凄まじいスピードでこちらにやってくるのが見えた。あの車両は、害獣対策課で使われているものだ。
男たちは立ち止まり、その車両へと身体を向ける。しかし、車両は一切速度を緩めることなく、けたたましいクラクションを空へと響かせながら、向かってくる。
まさか、轢くつもりなのか。
僕がそう思ったと同時に、男たちも危険を感じたらしく、慌てて道の端へと逃げていく。そして、車両は僕たちの前で急ブレーキをかけると、助手席の窓から、金髪の女性が顔を出した。
「ほら、何ボケッと突っ立ってんねん。はよ乗らんかいっ」
その勢いに気圧され、僕は固まってしまう。すると、加藤さんが僕の腕を引っ張り、無理矢理後部座席へと押し込み、加藤さんも乗り込んだ。
金髪の女性は身体を捻り、後部座席の僕たちを確認する。
「二人とも乗ったな。よっしゃ、出してええでっ」
運転席に座っている、かなりの巨体の中年男性が、「ほいさ」と短い声を出し、思い切りアクセルを踏んだ。タイヤが悲鳴を上げながら車両が発進し、僕と加藤さんの身体はシートへと打ちつけられる。
「しっかり掴まっとかな、怪我すんでっ」
僕と加藤さんは身体を起こすと、車に備え付けられているグリップを握り締める。窓の外を見ると、男たちも事態に気付いたようで、何かを叫びながら、こちらに向けて拳銃を発砲し始めた。
「うわ、しんごろう、あいつら銃で撃ってきよんでっ、蛇行運転や」
女性はそう言うと、ハンドルに手を伸ばして左右に回す。しんごろうと呼ばれた男性は、慌てた様子で、「ち、ちょっと」と女性の手をハンドルから離す。
「危ないからっ。ぼくがやるから」
数発、弾が車両の後部に当たったものの、この車両は頑丈に出来ているので、あの距離からの拳銃の弾くらいは、跳ね返してしまう。
やがて彼らも諦めたらしく、撃つのをやめると、女性はわざわざ窓から顔を出し、後方に向かって中指を立てた。
「あばよ、烏合の衆どもっ」
「こ、こら、はなちゃん。顔を出さないよ」
しんごろうが自動で助手席の窓を閉め、女性は「うおっ」と顔を引っ込める。
「……よし、まあとりあえずこれで、無事に二人を回収出来たな。それも死体じゃなくて、生の状態で。はい、拍手」
女性はそう言って、拍手をした。車内に乾いた拍手の音が響くと、しんごろうもそれに続いて手を叩き、女性は「いやいや」としんごろうの肩を小突く。
「しんごろうはやらんでええねん。危ないやろ」
「あ、そっか。そうだよね」
しんごろうは拍手をやめると、ぐっと強くハンドルを握った。
僕と加藤さんは、じっと顔を見合わせた。加藤さんは珍しく、困惑したような表情を浮かべている。おそらく僕も、同じような顔になっているのだろう。
一体、この二人は何なんだ。
僕が唖然としていると、女性が「ちょっと待って」と驚いた様子で、後部座席を振り返り、僕たちを見た。
「……この状況、ウチらのヒーロー感、半端なくない?」
僕たちは反応出来ず、車内には乾いた沈黙が降りた。




