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加藤さんは今日も河童を撃ち殺す  作者: ゆず
プロローグ
2/61

『河童ハンター』

 身長は僕より少し低い、百四十センチ半ばくらい。身体は細いものの筋肉質で、皮膚は蛇のように鱗で覆われている。全身の色は深緑だが、身体には紫の血管が浮き出ていて、目の玉は透き通った翡翠色。頭頂部には、いわゆる『皿』と呼ばれる硬い甲羅のようなものがあり、その周囲には焦げ茶色と灰色が混ざった毛が生えている。


 猿と蛇を合わせたような顔の口元からは、鋭い牙が二本、その姿を覗かせていて、長い手の先には、四本の尖った爪が垂れるようにして伸びている。どちらにも、河童が持っていると言われている、毒が染み込んでいるのだろう

 その距離、およそ二メートル。


 僕は恐ろしさから、足の感覚がほとんどなくなってしまっていて、気を抜くと崩れ落ちてしまいそうになる。一方、河童はどこか余裕のある表情で、まるで宙にあるピアノでも弾くかのように、指を交互に動かしている。


 逃げ切ることは、出来そうにない。


『先生、敵意がないことを示して、それでも河童が襲ってきた場合は、どうすればいいのですか? 死んだふりですか?』

『いえ、死んだふりは絶対にしてはいけません。……そうですね。その時は、反撃するしかないでしょう』


 河童の眼が僅かに大きく開かれ、その瞬間、僕は身体にぐっと力を入れた。


 河童は地面を蹴り、大きく腕を振りかざしてこちらへと向かってくる。僕は咄嗟に右へと跳躍し、河童が振り下ろした右腕を避けた。


 頭で考えている余裕なんてない。


 僕はそのまま、反射的に思い切り河童の足に蹴りを入れた。河童はまさか反撃してくるとは思っていなかったのか、一切防御することなく、よろめいた。


 それを見て、僕は迷った。


 このまま追撃するか、もしくはこの隙に逃げるか。


 しかし、その一瞬の迷いが、河童に体勢を整える間を与えてしまった。


 河童は僕から半歩離れると、顔に明らかな怒りを滲ませながら、牙を剥き出しにして威嚇してくる。さらに、先ほどまで身体の色はほとんど緑だったのに、今は半分近くが紫になっている。


『河童は興奮すると、体表における紫色の割合が増えていきます。紫が多い状態の河童は非常に危険なので、気をつけましょう』


 気をつけるって、どうやって。


 僕は肝心なことを教えてくれなかった先生を恨みながらも、頭は自分でも驚くほど、冷静になっていた。


 体格の差は、ほとんどない。


 ただ、身体能力は人間の比ではないと聞いているので、おそらく単純に殴り合ったら僕が負けるだろう。河童は五十メートルを四秒ほどで走れるらしく、逃げ切ることも出来そうにない。さらに、毒のある爪と牙で少しでも傷をつけられてしまうと、僕は身体に毒が回って死んでしまう。


 どうするか。


 しかし、河童は僕の考えがまとまるのを待ってはくれない。低い叫び声を上げながら、再び僕の方へと向かって突進してきた。


 動きはさっきと同じく直進的。これなら避けられる、と僕が左に身体を傾け、そして完全に河童の攻撃を避けたその次の瞬間、何かが右から僕の身体にぶつかり、僕の身体が左方向へと飛ばされ、僕はそのまま地面に倒れ込んだ。


 一体、何だ。


 慌てて顔を上げて河童に視線を向けると、河童の尻から長い縄のようなものが出ていた。そしてそれは、まるで別の生き物であるかのように、大きくうねっている。


 そうか、尻尾か。


『普段は中に仕舞っていますが、河童には尻尾があります。個体差はありますが、長いものだと、一メートルほどの尻尾を持っている河童もいるようです』


 見た感じだと、長さは一メートルもない。ただ、想像していたよりもかなり太く、そして力があった。


 河童は倒れ込んだ僕に追い打ちをかけるように、向かってくる。僕は必死に体勢を起こしたものの、それで精一杯だった。河童が伸ばした腕を避けることが出来ず、僕は腕を交差させて身体の前に出し、それを受けてしまった。


 鋭い痛みが腕に走り、僕は歯を食いしばる。そして、アスファルトに、ポツ、と何かが落ちた瞬間、河童は目を三日月のようにして、笑みを浮かべた。


 引っ掻かれてしまった。


『河童にはとても強い毒があり、もし、引っ掻かれたり噛まれたりした場合は、死んでしまいます』


 頭が真っ白になった。


 もしかして僕は、死んでしまうのか。


 そうか。


 僕は死ぬのか。


 まず、絶望の黒がじわりと滲み、鼻の奥がつんと重くなった。


 そして、悲しみの青が浮かんでくると、目から涙が零れ落ち、頬を伝っていった。


 しかし、顎の先にしがみついていた涙が力尽きると、最後に押し寄せてきたのは、驚くほど濃い、赤だった。


 どうして、何もしていない僕がこんなところで死んで、そして、目の前のこの化け物は笑っているのか。これまでに感じたことのない怒りが、血と共に全身を駆け巡り、僕は肌がピリピリと痺れるような感覚になった。そして、気付けば全身が小刻みに震えている。


 どうせ死ぬのなら、こいつも。


 僕は視界の中心に河童を据えると、ぐっと拳を握り締め、河童に向かって地面を蹴った。


「お前は絶対に、殺してやるっ」


 割れるような声が内側から骨を震わせ、僕はそのまま思い切り、河童の顔面を正面から殴りつけた。


 河童は不意を突かれたからか、一切防御の姿勢を取ることなく、短い悲鳴を上げて後方へとよろめいた。僕は間髪を入れず、そのまま全身を河童にぶつけ、地面に倒れ込んだ河童へと馬乗りになり、無我夢中で河童の顔面に拳を打ちつける。


「くそっくそっ、くそっっっ」


 僕は殴りながらも、視界が滲んでよく見えなかった。自分が今、どうして泣いているのかはわからない。多分、このあと死んでしまって、家族や友達と会えなくなるからなのだろうが、それでも、今、頭の中にあるのは悲しみではなくて、このわけのわからない化け物に対する怒り、ただ、それだけだった。


 すると、ぐらっと身体がバランスを失ったと思った次の瞬間、僕の胴体を河童が尻尾で巻きつけ、僕は勢いよく、左方向へと飛ばされた。


 そして今度は、倒れ込んだ僕の身体に、河童が馬乗りになった。しかし、河童は僕の顔を殴らず、僕の肩を両手で掴む。


 肩に爪の先がめり込んでいくのがわかった。しかし、毒が回り始めているのか、不思議と痛みは感じない。


 ぐっと目を閉じ、そして開くと、オレンジ色の月を背景に、紫となった河童の顔が視界の中央にあった。河童の鼻と口からは赤い血が出ていて、それが僕の首元に落ちてくる。こいつも血は赤いんだな、なんて思いながら、僕は身体から力を抜いた。


 ここまでだ。


 翡翠色を支える縦長の瞳が膨張したかと思うと、河童が大きく口を開き、ひだのようになっている上あごと、鋭利に尖る牙が露わになった。全ての歯が尖っていて、もし間違って舌を噛んだら大変だな、なんてどうでもいいことを考えたその時、突然、何やら鈍い音と共に、視界から河童の顔が消えた。


 ふと見ると、地面に掌サイズの石が転がっている。


 すると、誰かが駆け寄ってくるような足音が聞こえたかと思うと、僕の身体から、河童の重さがなくなった。


 起き上がらないと。


 そう思い、身体をもたげようとすると、「おい」と頭上から声が降ってきた。


「じっとしてろ。毒が身体に回る」


 低い男の人の声。見ると、短髪で身体の大きい男の人が僕の傍に立っていて、河童と正面から向き合っていた。


「あ、あの、危ないから、逃げた方が……」


 僕がそう言うと、男性はふっと小さく笑った。


「そんな状態で、ご忠告ありがとうよ。ただ、大丈夫だ。お前はめちゃくちゃ運がいい。何せ、偶然、『河童ハンター』が近くを通りかかるんだからな。……いや、第一遭遇者となっている時点で、めちゃくちゃ運が悪いのか。まあ、どっちでもいいが」


 ハンター。


 この人は、河童ハンターなのか。


 しかし、驚く暇もなく、河童が爪を立てて、男性に向かって跳躍した。男性は右足を僅かに引き下げると、眼前まで河童を引きつけ、そして伸びてきた腕をかわすと同時に、河童の首元を掴んで、そのまま地面へと叩きつけた。


 そこからは、一瞬だった。


 男性は、うつ伏せとなった河童の両腕を足で踏みつけると、そのまま首に太い腕を回して、締めつけた。


「降伏の意思を示すのなら、命は助けてやるがどうする?」


 河童は苦しげな唸り声を上げながら、何とか抵抗しようとする。しかし、男性の押さえる力が強いらしく、河童は爪を前後に動かすだけで、何も出来ない。


 すると突然、河童は力を抜くと、僕に視線を向け、「ふひひ」と奇妙な笑い声を上げた。


「あー、やっぱりそうなるか」


 男性は慌てて河童から離れると、僕を抱きかかえ、その場から遠ざかる。


 男性は河童から十メートルほど離れた場所で僕を下ろすと、「見てろ」と河童を指差した。もう押さえつけられていないにも関わらず、河童は一切動く様子はない。


 僕が「えっと」と男性の顔を窺ったその時、パスン、と空気が漏れるような音が河童の方から聞こえてきた。慌てて視線を戻してみると、河童の身体が徐々に真っ赤に染まっていき、そして膨張し始めた。


「さあ、爆発するぞ」


 男性がそう言った数秒後、限界まで膨れ上がった河童の身体が、鈍い破裂音と共に、爆発した。


 街灯の明かりを、真っ赤な血飛沫がキラキラと反射している。そして、河童がいた場所には、赤黒い塊が残っているだけで、そこには既に命はなかった。


「えっと、あれって……?」


 男性は「ああ」と頷く。


「河童に見られる、『隠死』と呼ばれるものだ。あいつらはああやって、助からないと悟った瞬間に、爆発して死んでしまう」


 聞いてはいたが、まさか本当に自分で命を絶つなんて。


 それに、最期に見せたあの、不気味な笑み。


 僕は背筋をそっと撫でられたような、そんな感覚に襲われた。


 男性は「それより」と僕の全身を眺めて、苦い表情を浮かべる。


「結構、血が流れているな。肩と腕をやられたか。まあ、でも安心しろ。既に救護は呼んである。解毒は間に合う」

「……じゃあ僕、助かるんですか?」

「ああ、大丈夫だ。間違いなく助かる」


 それを聞いて、僕は心の底から安心した。そして、涙がゆっくりと流れ落ちた。今日流した涙の中で、初めて、温かい涙だった。


「それで、お前はいくつだ?」

「小学六年生、十二歳です」

「小学生。それは驚きだな。で、名前は?」

「瀬織です」

「瀬織か。……お前、将来の夢はあるのか?」


 突然の質問に戸惑いながらも、僕は「い、いえ」と小さく首を振る。


「特に今のところ、何も考えていないです」

「そうか。じゃあお前、河童ハンターになれ」


 僕は「はい?」と変なところから声が出た。男性は僕の頭に手を置くと、にっと白い歯を見せる。


「お前は俺に助けられたんだろ。だったら今度は、お前が誰かを助けるためにハンターになるべきだと思わないか?」


 その理屈は無茶苦茶なのでは、と思ったものの、僕は反射的に「思います」と答えてしまった。男性はくしゃっと僕の頭を撫でると、「よし」と頷く。


「じゃあ、十年後くらいか。また会おうぜ」


 男性がそう言って立ち上がると、遠くから救急車のサイレンの音が聞こえてきた。


 僕は深く息を吐き、近付いてくるサイレンの音に耳を傾ける。


 ハンターか。


 考えてもみなかったけど、助けに来てくれた男性は、めちゃくちゃ格好よかった。


 僕もあんな風になりたいな。


 薄らとそんなことを考えながら、僕はゆっくりと目を閉じた。



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