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十話『先輩たちの能力』

 山に入り、十分ほど経った時だった。


 突然、八幡さんが立ち止まり、空を見上げた。そしてどうしてか、八幡さんはゆっくりと目を閉じた。


「え? 八幡さん?」


 困惑して訊ねると、班長が「静かに」と口の前に人差し指を立てた。僕は慌てて口を閉じ、じっと佇む八幡さんを見つめる。


 八幡さんはその状態のまま、動かない。


 一体、どうしたのだろうか。そう思っていると、八幡さんは俄かに目を開いた。


「……ここから北東、約二百メートルの距離。河童かどうかはわからんけど、大きい何かが動いてる」


 班長は「了解」とコンパスを見て、身体の向きを北東に変える。


「よし、では二百の距離を保ったまま、その姿が確認出来る場所を探そう」


 三人が歩き出したので、僕は「ま、待ってください」と呼び止める。


「今、八幡さんは何を?」


 すると八幡さんは、「ああ」と目を丸くする。


「そっか。知らんのか。オレの特技」

「特技、ですか?」


 八幡さんは「そう」と耳に手を当てる。


「オレ、めちゃくちゃ耳が良いねん。本気出せば、かなり遠くの距離の音でも、拾うことが出来る」

「耳がいいって、いくら何でも……」

「そんな、二百メートル先の音を聞き取れるなんて、有り得ないと思うか?」


 班長の問いかけに、僕は「はい」と顎を引いて頷く。


「でも、実際に八幡には聞こえる。そして八幡は、聴覚ほど異常ではないが、視力も嗅覚も、人間の平均よりとは比べものにならないくらい優れている。だからこいつは今、ここにいるんだ」

「……じゃあ、八幡さんがハンターに選ばれたのは、耳がいいからですか?」

「そうよ。頭も悪い、戦闘力もない、銃の扱いも下手くそ。そんなポンコツである彼を背負うだけの価値が、その聴覚にはあるということよ」

「ちょ、ちょっと加藤さん、言い過ぎちゃいますかー」


 口を尖らせる八幡さんに、「事実よ」と加藤さんは冷たく言い放つ。班長はその遣り取りに苦笑しながら、「まあ」と小さく息を吐く。


「河童探索においては、河童に気付かれるよりも前に、こちらが先に河童を見つけることが極めて重要となるからな。その中で八幡のその能力は、視覚、聴覚の鈍い河童に対して非常に効果的だ。だからこの火伯支部に、配属されている」


 八幡さんは「へへへ」と後頭部に手を当て、得意気な表情を浮かべている。


 しかし、そういうことか。これで、八幡さんがハンターに選ばれた謎が判明した。確かに、河童の赤外線察知能力は精々百メートルほどの範囲とのことなので、それ以上の距離から音でその位置を把握出来れば、かなり有利に動けるだろう。


 そんな能力を持っている人間がいることは信じ難いものの、世界にはとんでもない視力を持った人間もいると聞いたことがあるので、有り得ないことではないのだろう。


「対象は動いているか?」


 班長の問いに、八幡さんは「いや」と小さく首を振る。


「今は動いてませんね」


 班長は地図を広げると、「ここだな」と指を差す。


「この辺りに位置を取り、狙える場所を探す。移動した場合は、教えてくれ。そしてこれからは、八幡が聴覚に集中するため、出来るだけ音は立てるな」


 そこから五分かけて二百メートルほど移動すると、八幡さんが立ち止まり、遠くを指差した。その先に視線を移すと、かなり小さくではあるものの、一匹の河童が地面に屈んでいるのが見えた。その距離、約三百メートルほどだろうか。


 加藤さんが小声で「班長」と言うと、班長は加藤さんに向かって頷いた。そして班長が僕と八幡さんに離れろ、と手で合図をしたので、僕たちはすぐに加藤さんから遠ざかった。どうやら、これから加藤さんが狙撃を行うらしい。


 随分と距離があるが、大丈夫なのだろうか。ずっと気にはなっていたが、加藤さんの持つライフルにはスコープがついていて、狙撃銃として扱う仕様になっている。


 基本的に、北海地区を除いてはライフルにスコープをつけず、アイアンサイトか、もしくはつけてもドットサイトを使うのが主流だ。その理由としては、北海地区のように開けた場所で狩りを行うならともかく、他の地区だと勾配がきつく、さらに犇めく木々によって視界が悪い場所が多いため、高倍率スコープが扱い辛いからである。


 加藤さんはバックパックを背中から下ろすと、銃を手に持ち、バックパックを抱えるようにして地面へと伏せた。そして、バックパックに銃を乗せると、安全装置を外し、ウエストポーチから取り出した弾を装填する。


 班長は遠くの河童をじっと見つめながら、「しかし」と呟く。


「あいつは、何をやってるんだ」


 遠くに見える河童は、地面に屈み、何やら手を動かしている。ただ、この距離では、何をしているかまではわからない。


 すると加藤さんが、「ネズミです」と答える。


「ネズミを捕まえて、手足をもいで遊んでいます」


 班長は聞かなければよかった、とでもいうような、苦い表情を浮かべた。


「……よし。準備が出来たら撃っていいぞ」


 その時だった。


「ちょっと待った。後ろに何かおるっ」


 八幡さんの言葉に、僕たちは慌てて振り返る。すると、後方の茂みから一匹のいたちが飛び出し、逃げて行った。その音で、木に止まっていた鳥たちが一斉に飛び立つ。


「何や、いたちか。……ずっとあそこにおったんやろな」


 安堵の息を吐いたのも束の間、「まずいっ」と班長が河童を指差す。


「今ので、気付かれた。逃げるぞっ」


 河童は立ち上がり、奥の茂みに向かって走っている。


 すると、カチャリ、とボルトハンドルを引く音が聞こえたかと思うと、次の瞬間、空を裂く乾いた音が山を駆け抜けていった。そして、その音を追いかけるように、何かが割れるような小さな音が聞こえた。


「仕留めました」


 加藤さんがボルトハンドルを引くと、役目を終えた薬莢が飛び出た。班長は目を細めると、「よし」と頷く。


「よくやった。では、確認に向かうぞ」


 班長がそう言った数秒後、今度は遠くで、何かが破裂するような鈍い音が聞こえてきた。隠死だ。ということは、本当に加藤さんは、逃げる河童を一発で仕留めたらしい。


 三百メートル先の逃げる河童を、いとも簡単に撃ち抜くなんて。


 僕が呆然としていると、既に歩き始めていた班長が「どうした?」と振り返った。僕は慌てて、「いえ」と歩き出す。


 遠くの音を拾える八幡さん。


 とてつもない狙撃の腕を持っている加藤さん。


 僕は、自分がこんなところにいていいのか、不安になった。


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