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九話『河童という生き物』

 二台の車両を少し離した位置に停め、僕と八幡さんは班長たちと合流した。大きなバックパックを背負い、肩からスリングで銃を下げている僕たちの姿は、一般市民からすると、軍人にしか見えないだろう。


「では、探索作業を開始する」


 その班長の掛け声とともに、僕たちは山の中へと足を踏み入れた。


 山は、見ている分には穏やかではあるが、一歩、足を踏み入れると、自然の生々しさと厳しさを見せつけてくる。先が見えないほど高く伸びた木や、鼻をさすほど強い土の臭い、そして、遠くで高らかに笑う生き物たちの声。そのどれもが、僕を見下しているように思えてきてしまう。


 実際、自然の中では、人は非力だ。


 それは今、人間が自然から逃げて生きていることが証明している。そして、人間がいなくなるタイミングを見計らったかのように、ちょうど今から百年前の西暦千九百年に、河童という生き物がこの世界に現れ、自然界で跋扈するようになった。もっとも、実際にいつから河童がこの世界にいたのかはわかっていない。


 すると、「瀬織」と班長が僕の名前を呼んだ。


「河童探索において、最も重要なことは何だと思う?」

「……集中すること、です」

「まあ、それは当たり前だが、それは重要以前の話だ。河童探索において最も重要なことは、河童について知ることだ」

「河童について知ること、ですか?」

「ああ。例えば、瀬織、お前が知っている河童の生態について、説明してみろ」


 僕は頭に叩き込んである、河童の情報を引っ張り出す。


「河童は、爬虫類の特性を持った、日本にのみ生息する特殊な両生類です。個体差はありますが、身長は百五十センチ前後、体重は六十から七十キロ。変温動物で、普段は水辺で生活していますが、水から離れての生活も可能です。体表は硬い鱗で覆われていて、鋭い爪と牙には、強い毒があります」

「その毒性は?」

「神経毒が主体です。しかし、少量ではありますが、血液毒、筋肉毒なども含みます。最も毒性が近いのはコブラで、どちらも血清を約三十分以内に打たなければ確実に死に至ります。そして河童の毒が全身に回ると、体内が緑に変色するのが特徴です」


 そのため、人が遺体となって発見された場合、身体の色から、それが河童によるものなのかどうかは、一目でわかる。


「他に特徴はあるか?」

「彼らは雑食性で、何でも食べます。特に、一度食べて気に入ったものをしつこく食べる傾向があり、それが人間であった場合は、大きな被害が出るおそれがあるため、一刻も早く駆除する必要が出てきます」

「河童の感知能力については、どうだ?」

「視力、聴力は人間と同程度か下回っています。さらに嗅覚も鈍いですが、蛇などと同じピット器官を有しているため、赤外線による感知が可能になっています」

「そう、だから探索活動は夜間には行われない。完全にこちらが不利だからな。では、その感知距離はわかるか?」

「三十から五十メートル前後です」

「いや、それはあくまで平均的な値だ。実際には、百メートル以上であっても感知する個体がいる」

「百メートル、ですか?」


 僕が驚くと、班長は「ああ」と頷く。


「だから、数字を過信してはいけない。例え、百メートル以上離れていて、こちらに気付いていない様子でも、それが演技で、実は気付いているという可能性だってあるため、気をつけなければならない。……では、性格や知能については?」

「知能は、基本的には人間でいうところの五歳から八歳くらいです。ただ、中には人の言葉を理解している素振りを見せる個体もいるなど、その個体差は激しいと言われています。性格は極めて残忍で、狡猾です。常に一人で行動し、協力することはありません」

「それも異なる。確かに、奴らは普段の生活において群れることはないが、戦闘になった場合に、一時的な協力関係を築くことがある」

「えっ? そうなんですか? そんな話、聞いたことありませんが」


 河童といえば、家族や仲間を持たず、さらに時には同種間で殺し合うなど、単独行動をする生き物として有名だ。そしてそれが、河童の最大の弱点であるはずなのに。


 班長は険しい顔で斜面を下りながら、続ける。


「それを初めて確認したのが最近だったのと、火伯地方でしか確認出来ていないため、それが河童全体の特徴なのか、火伯地方に住む河童のみに見られるものなのか、判断しかねるとのことらしい」

「火伯地方のみなんですね」

「確かに、火伯は他の地区に比べ、河童の絶対数が明らかに多いから、火伯でのみ見られる特徴である可能性も考えられる。しかし俺は、他の地区でも、河童の協力はあったのではないかと思う。ただ、それが伝えられなかっただけで」

「どういうことですか?」


 班長は細めた目で、僕を一瞥する。


「……数年に一度、ハンター一個班が全滅する、という事態が起きることがあるのは、知っているか?」

「ああ、はい。最も近いのだと、五年ほどくらい前にあったと聞きました」

「そう。そしてそれは、四人全員が河童にやられた、ということになるが、俺は、これまでに起きた全滅は全て、複数の河童が相手だったのではないかと考えている」

「……つまり、他の地区では、複数の河童と出会っても全て全滅してきたから、報告がなされなかった、ということですか?」


 八幡さんが「そりゃだって」と入ってくる。


「一匹の河童に四人全員がやられるなんて、いくらそいつが強敵やったり、不意を打たれたりしたとしても、考えられへんもん。こっちは血清もあって、銃も持ってて、訓練積んでるんやで。けど、複数相手やったら、全滅も充分有り得る。今まで俺らは最大で三匹を相手にしたことあるけど、あん時は結構危なかったから」

「三匹って……」


 僕が絶句すると、班長は「だから」と苦い表情を浮かべる。


「本来ならば、最大リスクを想定して動けるよう、全支部、施設、そして国民に、河童が協力して行動するという事実を、獣害対策課から公式に発表するべきなんだ」

「なぜ、それをしないのですか?」

「上の奴らが、現場を知らないからだよ」

「上って、環境省のですか?」

「いや、違う。特定動物管理班の幹部たちでその情報は止まっている。毎回、幹部に会う度に頼んでいるんだが、『わかった』と色好い返事だけして、実際に動く気配はない。奴らは、自分たちの実績にならないことには、動かないからな」


 どうやら、この感じからするに、班長は幹部を嫌っているようだ。もっとも、あの幹部の席は、昇進競争に敗れたキャリアたちが流れ着く閑職となっていることをみんな知っているため、彼らを好意的に捉える現場の人間は、ほとんどいない。


 班長は「ただ」と枝を持ち上げ、身体を屈める。


「幹部の中にも、さすがに重要性に気がつき、動いている人たちもいる。しかし、幹部会議での採決は全て多数決せいのため、ほとんど動きがない」

「五年前の一個班全滅があって、やっとハンターと支部を繋ぐ無線機が導入されたくらいやからな。遅すぎやで。あ、そこ、ぬかるんでるから気ぃつけや」


 僕は足元に注意しながら、茂みを抜ける。軽やかに木立の間を縫っていく三人に対し、僕は障害物競争をしているみたいで、何とかついていくので精一杯だ。


 班長は「つまり」とコンパスを確認する。


「河童は協力して戦闘を行う場合がある、ということを念頭に置いておけということだ。それを知っているのと知らないのとでは、生存確率が大きく変わるからな」

「だから、最も大事なのは、『河童を知ること』なんですね」

「ああ。それに、それだけじゃない。今、お前が述べた河童の特徴の他にも、河童に関する情報はたくさんある。例えば、奴らはそれぞれ利き腕を持っており、九割が左利きだ。そのため、戦闘で攻撃してくる際、ほとんどの場合で左手を使用するが、それも頭に入れておくと有利に戦うことが出来る」

「あと、あれもやな」


 八幡さんは人差し指を立てる。


「興奮状態になった時に、身体が紫になるやろ。あれ、攻撃性が増すから危険や、みたいに言われてるけど、冷静な思考が出来へんようになってるってことやから、オレらからしたら、チャンスなんや」

「しかし、それも過信してはいけない」


 これまで黙って聞いていた加藤さんが、口を開く。


「上位体の中には、こちらがそれに気付いていることを利用して、わざと紫に変色してくる者もいる」

「上位体、とは?」

「あなたが先ほど言ったように、彼らの知能は個体差が激しい。しかし、その多くは人の言葉が理解出来ず、賢い猿程度の知能しか持っていないけど、一部の人間の言葉を理解出来る個体は、成人の人間とさほど変わらないと言われているほどの知能を持つ。わたしたちは前者を『通常体』、後者を『上位体』と呼んでいるの」


 班長が「そして」と話を引き継ぐ。


「ハンターが殉死する場合、ほとんどが上位体との戦闘によるものとなる。勿論油断は禁物ではあるが、通常個体相手にやられることはほとんどない。協力して戦闘を仕掛けてくるのも、全て上位体だ」

「その通常対と上位体の見分け方はあるのですか?」

「あるわけないやん。瀬織ちゃん、人間かて、見た目だけで、そいつが賢いかどうかなんてわからんやろ?」


 瀬織ちゃん。突然の呼び方に僕は戸惑ったものの、僕は「はい」と頷く。


 班長は「つまり」と空咳を挟む。


「河童という生き物を知れば知るほど、河童に対して、優位に立つことが出来る。無論、加藤が言った通り、情報を過信し過ぎず、柔軟な対応を取るのも大事だがな」


 河童を知る、か。


 僕は、河童のことを知っていると思っていた。しかし、それはあくまで教科書的な二次情報であって、実際に河童と対峙してみないとわからないことが、たくさんあるのだろう。


 僕はすっと息を吸い込むと、湿った掌を、ゆっくりと握りしめた。



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