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「お……おい、待て!」
「逃げるつもりか!? 悪あがきはやめろ!」
制止する警察官を振り切り、機動隊の隊長さんが逃走を図ったらしい。
周囲は木々が深く茂っている山の中腹。
逃げるほうも大変だとは思うけど、追いかける側にも危険が伴う。
逃げる姿が木々に隠されてしまえば、見つけるのも困難になるだろう。
仮に逃げきれて山から抜け出したとしても、ふもとには大勢の警察官が待ち構えているはずだ。
とはいえ、山を完全にぐるりと包囲できるはずもなく、どこかに警備の手薄な場所ができてしまうのは防ぎようがない。
そんなふうに考え、逃走する賭けに出た、ということか。
その推測は、完全に外れていたのだけど。
「あたしたちも行きましょう!」
「そうだね」
「はいっ!」
もともと広場に行くつもりではあったけど、私たちはより急ぎ足で向かうことになった。
テラスステージの控え室を抜け、エントランスへと続く通路に差しかかったところで、数人の声と慌ただしい足音が聞こえてくる。
次の瞬間、その通路の向こうから走ってくる隊長さんの姿が視界に飛び込んできた。
少し離れて、本部長さんを筆頭とした警察官たちが追いかけてきているのも確認できた。
追いかけてくる中には、私のお父さんやおじさんの姿もあるようだ。
「あの人、どうして中に入ってきてるの!? このホールの入り口って、ツタでカモフラージュしてあるはずなのに!」
「調査して、あらかじめ見つけてあったのかな?」
「でも、それならどうして、最初から突入してこなかったのかな……?」
疑問が浮かんでくるものの、今は考えている暇なんてない。
「くりおね! 綾芽さん! 挟み撃ちだ!」
「了解!」「わかったわ!」
おじさんの指示に、くりおねくんと綾芽さんが身構える。
……はなっから私は戦力外と考えられているみたいで、ちょっと不満ではあったけど。
ともかく、通路は一本道。逃げ場なんてあるはずもない。
「もう終わりだ! 観念しろ!」
本部長さんが降伏を促す。
それで諦めたのだろうか、突然隊長さんは立ち止まった。
だけど――。
「ふっ」
隊長さんは不敵に笑う。
「観念するのは、お前らだ!」
そう叫び、握ったこぶしをドンッと勢いよく通路の壁に叩きつけた。
「壁が!」
誰かが声を上げる。
隊長さんがこぶしを叩きつけた部分の壁が、消えたのだ!
いや、正確には奥側に向けて開くようになっていた、ということなのだろう。
出現した隙間に、隊長さん素早く身を滑り込ませる。
「くっ、こんなところに隠し通路があったのか!」
本部長さんの悔しがる声が響いた。
先にその場所までたどり着いたのは、私たちだった。
「くりおね! 追いかけろ!」
「もちろん!」
おじさんの言葉を受け、くりおねくんが一瞬の躊躇もなく隠し通路の先に身を滑り込ませる。
すぐに綾芽さんも続き、私も慌てて追いかける。
壁が開いて出来た隙間を抜けると、そこは少々広めの部屋になっているようだった。
中に明かりはない。
さっきまでいた廊下には電気があったため、そこから漏れて入ってくる光だけが頼りだ。
奥のほうは真っ暗でなにも見えなかった。
ともあれ、暗さに目が慣れてくれば、ある程度見えてくるに違いない。
隊長さんの姿も今は見えない。
入ってすぐに襲いかかられる危険性を考えずに飛び込んでしまったけど、そういった事態には陥らなかった。
部屋の奥にも通路と同じような仕掛けがあって、そのまま逃げてしまったのだろうか?
私たちから遅れること数秒。本部長さんやおじさんたちも、部屋の中へと足を踏み入れてきた。
と同時に電気が点く。
「スイッチがあった」
どうやらくりおねくんが手探りでスイッチを見つけてくれたようだ。
考えてみたら、部屋になっているみたいなのだから、電気のスイッチくらいあって当然だったのだ。
「ここは、隠し倉庫かなにかかな?」
くりおねくんがポツリとつぶやく。
急に明るくなった室内。
まぶしさに目を細めながら見回してみると、ホコリの積もった中に、いろいろな箱や袋などが雑多に置かれていた。
置かれていたというより、転がっていたと表現したほうがいいだろうか。
その部屋の奥に、隊長さんの姿もあった。
「もう逃げられないぞ。おとなしくこっちへ来るんだ!」
本部長さんが叫ぶ。
そこでまたしても、隊長さんは不敵な笑みを浮かべた。
「残念だったな。これを見ろ! 自爆装置だ!」
動揺が走る。
「な……なぜそんなものが!?」
「このホールには大量に爆薬が仕掛けてあるんだ! 十年前に立てこもったとき、最終手段として用意させていたものさ! こうして今さら役立つことになるとは、思ってもいなかったがな!」
叫びながら、隊長さんは自爆装置の赤いボタンへと指を伸ばしていく。
「……やはりそうだったか。十年前のあの日、完全に包囲し全員を捕らえたはずだったのに、逃げた仲間がいると言う奴がいた。そいつはそれ以上語ろうとしなかったが……。警察内部にスパイがいるのではないか、という噂はささやかれていた。それがお前だったんだな!」
「ふははは、そのとおりさ! だが、ここですべては瓦礫の中に埋もれることになるのだ!」
血走った目を見開きながら、隊長さんはスイッチを押した!
「きゃ~っ! わかなたち、死んじゃうの!?」
思わずすがりつき、わめき散らす私を、くりおねくんはぎゅっと抱きしめてくれた。
くりおねくんの腕の中で死ねるなら、悔いはない……。
ううん、悔いはある。
それでも、爆死なんていう最悪な人生の終わりを迎える中でも、わずかばかりの幸せを感じながら逝くことができるなら。
そして、くりおねくんと一緒なら。
行き先が天国でも地獄でも、私は構わない。
などと、勝手に頭の中で最期の瞬間を思い描いていたのだけど。
痛みも熱さも苦しさも、私に襲いかかってくることはなかった。
考える間もなく即死――というわけでもない。
なにも、起こってはいなかった。
部屋の隅で、隊長さんが困惑の声を上げる。
「な……なぜだ!? なぜ爆発しない!?」
「十年も昔の話だからな。すでに爆弾も処理済みだ。この部屋の入り口は、もとの状態に戻しておいた。それだけのことだ」
落ち着いた声で、本部長さんが淡々と語る。
「な……っ!? さっきは隠し通路の存在に驚いていたはずなのに!」
「そんなものは演技に決まってるだろう。あの段階で悟られるわけにはいかなかったからな」
「くっ……!」
ギリギリと奥歯を噛み、本部長さんを睨みつける隊長さん。
……いや、犯人、と呼ぶべきだろうか。
「こんな狭い場所では逃げ場もない。覚悟するんだな」
そう言われると、がっくりと項垂れ、その場にへたり込んでしまった。




