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ホールの入り口付近まで戻ったところで、お姉ちゃんが急に足を止めた。
「どうしたの?」
「しっ!」
私の言葉を制し、お姉ちゃんは耳を済ませる。
「……なんか、雨に紛れて音が聞こえる。音っていうより、声みたいね」
「そ……それじゃあ、もう警察の人たちが近づいてきてるってこと?」
「というよりも……。確認したほうがいいわね。こっちみたい」
小声のやり取りのあと、お姉ちゃんはためらうことなく声の聞こえてくるほうへと歩き出した。
ここで止まっていては雨に濡れてまう。私も黙ってお姉ちゃんに続いた。
少し移動すると、声はハッキリと聞こえてくるようになった。
こっちの方向って確か……。
「テラスステージが見える広場がある場所みたい」
「そうね。そこに、どうやら機動隊が集結してきているようだわ」
「機動隊って……それじゃあ完全に、突入する気ってこと?」
「おそらく、そうでしょうね」
木陰からこっそり顔をのぞかせてみると、紺色の服を着てヘルメットをかぶり、透明の盾を持った男性が二十人くらいだろうか、広場に集まっているのが見えた。
テレビとかで見たことのあるあの姿、機動隊に間違いなさそうだ。
機動隊の人たちはみんな、ある一方を見上げている。
その視線を追ってみると、テラスステージに数人の人影が確認できた。
さらにそこから、音楽が流れてきている。テラスステージで楽器を演奏しているようだ。
雨が降りしきる中ではあるけど、テラスステージには屋根があるから、楽器が濡れたりはしない。
だけど、もちろん機動隊の人たちを楽しませるために演奏会を催しているわけではないだろう。
演奏しているのはオリハルコンのメンバーだ。
綾芽さんの姿が見えないのが、ちょっと気になるところだけど……。
テラスステージは、広場から見ると切り立った崖の上の高台にある。
高さとしては数メートル程度ではあるものの、武装した機動隊が登っていけるような崖ではない。
機動隊の隊長らしき男性が拡声器を使って呼びかけていた。
おとなしく投降して出て来い、といった内容だと考えられる。
「お姉ちゃん、どうしよう……?」
震える声で問いかけた、そのときだった。
背後から物音が……!?
と思った途端、私は背後から押さえ込まれ、手で強引に口を塞がれた。
「んっ!? んーんー!」
暴れようともがき、声を出そうと必死に抵抗するも、体格差は歴然。
黒装束に身を包んでいるらしい背後に立つ人物は、どうやら男性だと考えられる。
「和歌菜!」
そんな私の目の前で、心配そうにこちらに視線を向けて叫ぶお姉ちゃんの背後にも、黒い人影が迫る。
「んんーんーーー! んんんーーーー!」
どうにかお姉ちゃんに逃げてと伝えようとするものの、まったく声にならない。
「えっ!? きゃっ! んっ、んんーーーー!」
そしてお姉ちゃんも私と同じように、黒装束のもうひとりの男性に背後から組みつかれ、身動きの取れない状態に陥ってしまった。
傘が地面に転がり、泥にまみれる。
フードを深くかぶっていて顔の見えない黒装束の謎の男たちによって、捕らわれの身となってしまった私とお姉ちゃん。
これからいったい、どうなっちゃうの!?
冷や汗が雨にまじって流れる。
と、次の瞬間、口は押さえられたまま、私の体は軽々と抱え上げられてしまう。
どうやらお姉ちゃんも同じ状況のようだ。
こうして私たちは連れ去られてしまった――。
☆☆☆☆☆
「んんーー、んんんーーーーー!」
離せ~! と声にならない叫び声を上げて暴れる私を、黒装束の男は器用に抱え、いずこかへと急いでいる様子。
いくら女の子とはいえ人間ひとりを抱え上げ、しかも急いでいるせいであまり余裕もないのだろう。
口を無理矢理塞いでいる手は、かなり強く私の顔面を押さえつけていた。
そのせいで、まともに目も開けていられない。
ただ、さっきまで聞こえていた雨音が今は聞こえず、雨粒が体に当たる冷たい感触もなくなっている。
ということは、室内、もしくは山の中だから、洞窟内などに入ったということか。
黒装束を身にまとった男たち。
どう考えても、警察官ではないだろう。
とすると、いったい何者なのか?
ナガネギーホールは十年前、ソングフォーオールの残党が立てこもり事件を起こした場所だと言っていた。
加えて、その残党たちの一部は、捕まらずに逃げてしまったとも、聞いたことがあった。
まさかその残党というのが、この黒装束の男たちなの!?
だとしたら……未来は明るくなさそうだ。
武装集団でもあったというソングフォーオールの残党。
おじさんの奥さん――歌音さんは、あの立てこもり事件で亡くなったという。
今回の犠牲者は、私とお姉ちゃんになるのかな……。
こんなことになるのなら、思いきってくりおねくんに告白しておけばよかった……。
などと考えながら、抵抗することにも疲れた私は、ぐったりと力を抜いた。
やがて、男性は立ち止まり、私の口を押さえつけていた手を離してくれた。
「荒っぽいマネをしてごめんね」
フードを取ると、その男性はなんと、くりおねくんだった。
「えっ、あれ? なんでくりおねくん!?」
「あの場所にいるわけにはいかなかったし、説明している時間もなかったから、無理矢理連れてくるしかなかったんだ」
微笑みかけてくれる優しい瞳は、どう考えても本物のくりおねくんで。
周囲を見回してみると、ここはどうやらナガネギーホール内のどこかのようだけど、混乱していまいち状況が飲み込めない。
それに、今さら気づいたけど、私はくりおねくんに抱え上げられている状態。つまりは、いわゆるお姫様抱っこされている状態なわけで……。
顔が真っ赤に染まる。
でも、そうだ、今はそれどころではなくて。
「ここのホールって、機動隊に包囲されてますよね?」
「そうだね。今のところ、テラスステージの下の広場にいるだけだけど、入り口が見つかったら、突入されるのも時間の問題だろう」
「わかなたち、どうなっちゃうの?」
くりおねくんにだって、わからないに違いない。
それでもくりおねくんは、優しく微笑みながら答えてくれた。
「大丈夫だよ。僕が絶対に守るから」
「くりおねくん……」
「和歌菜ちゃんは……僕の大切な家族になるんだから……」
ぼそっとそう言って、頬を赤らめるくりおねくん。
えっ? そ……それって……!
私も真っ赤になる。
嬉しくて温かくて愛おしくて。
私は無意識にくりおねくんの首筋に両手を回す。くりおねくんも拒んだりはしなかった。
しばらくして、私はくりおねくんの腕の中から床に降り立った。
そこでふと気づく。
お姉ちゃんの姿がないことに。
「あれ? お姉ちゃんは?」
「ここにはいないけど……でも、大丈夫だよ」
「どうして言いきれるんですか? あっ、さっきの黒装束のもうひとりって……」
「うん。父さんだよ」
「やっぱり、おじさんだったんですね。でも、どうしてお姉ちゃんだけ別の場所に?」
「それは……」
それっきり、くりおねくんは口ごもってしまった。
いったい、どうしたというのだろうか?
「とにかく、行くよ!」
答えをはぐらかすかのように、くりおねくんは私の手を取って促す。
「えっ? 行くって、どこに?」
戸惑う私に、くりおねくんは優しい瞳でこう告げた。
「テラスステージだよ。綾芽さんが待ってる」




