第五話 穏やかな時間
朝食を食べ終えた私たちはそれぞれ部屋に戻って身支度をすると、アパートを出た。
今日は彼女を後ろに乗せる。
昨日の罪滅ぼしみたいなものだ。
坂を上り下りしつつ、大学へと向かう。
朝のさわやかな風が肌に心地いい。
彼女は、私の腰をしっかりと抱きこんでいる。
それがたまらなく暖かくて気持ちいい。
こうやって、彼女を後ろに乗せた事は一度もなかった。
でも、こうしてやってみると、意外と楽しい。
また、機会があればやってみたい。
まぁ、今日の帰りも同じようにして帰るわけだけど。
それはいいとして、大学手前の大きな坂に着く。
毎回思うけどこの傾斜と距離はきつい。
正直何度も心の中で愚痴っていたものだ。
でも、もうある程度なれた。
辛いことには変わりないけど、以前に比べると楽になった。
それに
「ホント、聡君ってば、なんでもこなしちゃうから、嫌になっちゃうよねぇ」
こうして、彼女とちょっとした会話がするにもちょうどいい。
さすがにこいでる時には出来ない。
あまり二人乗りに慣れてないので、どうしてもこぐことに精一杯になってしまう。
「まぁ、仕方ないよ。俺は小さな頃から少しずつやらされてたからね」
だから、この限られた時間の他愛ない話が、少しばかり愛しい。
「でも、やっぱり釈然としないよ。だって、普通いないよ?彼女より家事完璧な彼氏なんて」
だけど、彼女はそういうと、そっぽを向いてしまう。
拗ねてしまったようだ。
まぁ、彼女の気持ちも分からないでもない。
女である自分が、男である私に負けたくはなかったのだろう。
特に、今年の頭から必死になって練習をしてきたわけだし。
それなのに、完璧に私の方がうまかったというわけだ。
もちろん、掃除とかそう言った物はさほど大差はない。
まぁ、私の方が少しばかり手際はいいが。
ただ、料理に関しては私に軍配があがった。
幼い頃から、母親と一緒に台所にいるうちに覚えてしまったのだ。
後は、経験だ。
何にしても経験に勝る技術はない。
身体にしっかりと調理器具をなじませている分、手際も使い方もしっくりとくる。
当然、手際が良ければ味だって変わってくる。
もちろん、手際が良ければいいわけじゃないけれど、手際が悪いと味を落としてしまう可能性だってある。
だから、彼女が私に勝てなくても仕方がないと言えば仕方がない。
まぁ、日に日に進歩して言っているから、あぐらをかいて呑気にしているわけにもいかないのだが。
私も進歩しなくてはならない。
一応、彼女にばれないようにいろいろとレシピチェックをしたりしてるのだ。
たまに、そんな細かな自分に悦に入ってしまったり、はたまた逆にため息をついてしまう事もあったけど。
それでも、彼女のために手料理を振舞うのは正直楽しいし、美味しそうに食べてくれるとやはり嬉しい。
まぁ、そういうところがやっぱり普通の男とは違うんだな、と思ったりもしたけど。
そのまま坂を上りきると大学はすぐそばだ。
数分で大学に着くと、講義室に向かった。
基本的に私と彼女が取っている講義は同じ。
まぁ、英語だけは違うけれど。
英語の講義はだいたい高校のクラスの人数ぐらいに分けるため、一緒にはならなかったのだ。
さすがに、上月と雪野では同じクラスにはなれない。
けれど、逆に言えば、それだけなのだ、違うのは。
だから、テストの時は勉強をする事も出来る。
まぁ、基本的に持ち込みできるから、そんなに勉強する必要性はないんだけど。
それでも、同じ講義を取っているのは、強みだ。
とはいえ、講義室の中で一緒にいるような事はない。
彼女は彼女で、この大学での新しい友人がいる。
そして、私には私の新しい友人がいる。
帰れば一緒にいられるのだから、大学にいる間はお互い友人と過ごしている。
入り口で別れると、私は孝の隣に座る。
話した感じは、少々不真面目そうに見えるが、意外としっかりしていて、講義を休む事はおろか遅れる事すらない。
私はひそかに舌を巻いたものだ。
「おはよう、おやすみ」
孝にそうとだけ言うと、うつぶせになる。
朝早く起きたためにやっぱり眠い。
講義が始まるまでは、眠らせて欲しい。
幸い時間は少しだけどある。
せめて、ここに来るまでに使った体力ぐらいは回復させて起きたい。
私はそのまま目を瞑ると、ゆっくりと眠りについた。
もちろん、そんな少しの時間だ。
しっかりと眠れたわけではない。
それでも、ある程度は休む事は出来たし、午前中の講義を乗り切る事も出来た。
高校の時優等生で通っていた私だけど、実際はそんなものではない。
むしろ、本当の私は、劣等生に近い。
まともに勉強などをしたがらないのだ。
正直、講義中もうつらうつらとしながら、ノートに取っていた。
集中していないのは、明らかだった。
それでも、壇上にいる教授は何も言わない。
ただただ、機会的に講義を続けていく。
まぁ、だいたい大学の講義なんてものは、そんなものだ。
教授とてそれほど熱心ではない。
熱心にならなければならないのは、私たちの方なのだ。
こうして、大学に来ている以上。
まぁ、大学に行く事がすでに形骸化している以上、それを求めるのも少々難があるにはあるが。
やはり、大学に行くのも当たり前の事で、行かないほうが珍しい。
ほとんど当然の事のようになっている。
なので、学ぶのが好きで大学に来ているわけではなく、あくまでも当然の事をしているにすぎないのだ。
そんな中で、やる気が起きるわけもない。
形骸化したシステムの中でやる気を出す事ほど難しい事はそうはないのだ。
そして、それは私も同じ。
やる気などない。
元々好きで進学したわけじゃない。
親にそう言われたから、来ただけの事。
そこには、私の意志は全く介入していない。
まぁ、ここを選んだのは、私の意思ではあるし、そのまま就職する気がなかったのも確かなので、こうして進学するしか他なかったのは確かだ。
けれど、親の言葉がなければ進学したかどうかもあやしい物だ。
それはいいとして、午前中の講義を終えた以上、そろそろ昼飯の時間だ。
午後の講義に向けて体力をつけておく必要がある。
私は、孝を連れ立って、外のベンチに腰掛ける。
そして、そこで昼食。
もちろん、私は、弁当。
孝は朝来る時に買っておいたおにぎり類。
意外や意外、こいつは小食なのだ。
しかも、あまり酒も飲めない。
まぁ、そんな奴が合コンなんかに行くなよとも思うけれど。
それとは、逆に私は大食家。
いくらでも、食べる。
もちろん、普段はちゃんとセーブはしている。
酒に関しても、かなりいける口だとは思う。
昨日もかなりの量を飲んだけれど、後に引いている様子もない。
帰る時だって、周りが心配する中、普通にしっかりと帰れた。
のんびりと昼食を取り終えたら、そのままベンチに寝転がる。
そよそよとふく風が気持ち良い。
沙希さんと付き合う前。
外で食べているときは、良くこうやって日陰で寝転がっていた。
そこに、沙希さんが、来るようになってからは、やめたけど。
彼女と話す事に集中したかった事もある。
ただ、あそこで寝転がっていると、彼女が私に膝枕をしようとしたのだ。
あの時は、まだ今のように、恋人らしい事はできなかった。
恥ずかしさが圧倒的に強かったのだ。
だから、その時は、即座に断ったし、それから以降、そんな事を言わないように気をつけていた。
だから、彼女と付き合って以来、こうやって外で、のんびりと寝転がる事はほとんどなくなっていた。
だけど、ひさしびりにこうやってみるのも良いものだ。
今度軽くピクニックに行ってみるのもいいかもしれない。
二人で弁当の準備をして、緑地パークにでも。
幸い近くにそういう施設が合ったはずだ。
今度は、膝枕でもしてもらおう。
いや、逆に私がしてみるのもありかもしれないかな。
それはそれでおもしろそうだし。
まぁ、彼女は恥ずかしがって絶対に嫌がるだろうけど。
「お前何にへらにへら笑ってんだ?気持ち悪いぞ?」
そうやって、休日の予定を経てていると不意に、上から失礼な言葉を投げかけられた。
もちろん、そんな事を言うのは孝だ。
「うるさい。堺さんにあっさりと振られた男に言われる必要はない」
確かに、少々頬が緩んでいたとは思う。
でも、それは普通だ。
好きな人とのデートを考える。
幸せな気持ちになって何が悪い。
むしろ、そんな気持ちになっている人間に対して水を刺すような事を言う人間の方が悪い。
そんな相手には、少々毒を吐いたってかまわない。
「お前、何で知ってるんだよ!!」
そんな私の反抗に驚いたのか、一瞬呆然としたが、すぐに気を取り直すと、くいついて来た。
まぁ、誰にも言っていないつもりの事を知られたら、確かにそう思っても仕方がない。
「お前の行動はばればれなんだよ。明らかに、堺さんの事を見るお前の目は、恋愛感情丸出しだし。だけど、しばらくしたら、いきなりテンション低くなっているし、堺さんの話題も出なければ、見ようともしない。更に言えば、元々俺は、堺さんとは英語で同じクラスで、たまに話す事ぐらいあるから、彼女が彼氏もちの事ぐらい知ってた。なら、どうなったかぐらい分かるだろう?」
でも、ばればれな行動をされてしまっては、こちとら気付きたくなくても気付いてしまうのだ。
特に、孝のように分かりやすい奴ならば。
現に、目の前にいる孝は、目に見えて分かるほど落ち込んでいる。
これで、分からないほうがおかしいというものだ。
それとも、こいつは、私がそれに気付かないほど鈍感だとでも言うつもりだろうか?
もしそうだというならば、失礼な話しだ。
人間観察は、役を演じる上で一番重要な事なのだ。
私が手を抜くはずがないのだ。
とはいえ、少々無理があるといえば無理もある。
だいたい、友人相手にまで気をはれと言うのは酷と言うものだ。
だから、ばればれな態度を取ってしまっても仕方ないだろう。
まぁ、だからと言って、慰めてやる気はさらさらないが。
そんな事よりも、彼女とのデート計画の方が大事だ。
私は、呆然としている孝を尻目に、デートの計画をし始めた。