1.洗濯場のサラ
――今日の食堂は果物がでるといいな。
サラは、朝食のチェリーブレッドを寝坊のために食べ損ねた後悔を晴らしたいと思いながら洗濯物をひろげた。晴れ渡る寒空のもと、鮮やかな刺繍装飾がほどこされた毛布を次々と干していく。
続いて、形が崩れないように気を付けながら繻子のドレスを干す。
――フェイランさまのドレスの意匠、なんて素敵……
このドレスを身にまとってフェイランが晩餐会に出席したとき、陛下はすっかり目を奪われ、案じた皇后が彼のまぶたを扇でぴしゃりと叩いたという噂まで広まっている。
意匠は、龍の刺繍で彩られた民族衣装を豪快にアレンジしたものだ。脚を見せるスリットはあえて幾重にも重ねたフリルでボリュームたっぷり埋められ、首元の襟を残したまま胸元はきわどくしずく型にえぐられている。民族衣装がしなやかにくびれに沿うため、ウエストを絞るコルセットが不要だった。この一着により、ただでさえ長身で目立つフェイランは帝国の女性貴族を差し置いて主役になってしまった。
晩餐会中に彼女に微笑みかけられた衆人貴族の何人かは卒倒し、三日三晩意識が戻らなかったという嘘か誠かわからない伝説まで残っている。
フェイランは、ティグリス家の令嬢である。ルースィと陸続きの大陸出身で、何世代にもわたって巨万の富を維持してきた一族の長女。大戦で打撃を受けたルースィ帝国の事業協力のため一家が故郷から居を移したのはつい最近のことで、一家は要人保護のために宮殿で暮らすことになった。そして、荷解きを終えたフェイランの部屋にシーツを運んだのがサラだった。
「フェイラン・ティグリス嬢さま、失礼します」
「あら、いいにおいするのね」
部屋に入った途端、フェイランに顔を近づけられサラは思わず飛び上がった。
――丸飲みにされる!
サラの直観は当然であった。何と言っても、フェイランのティグリス家は虎の獣因を持つエリート家系なのだ。本来、獣因はすべての人間が持つ能力だ。太古の昔、人類とその他の生物が結んだ「力を共有」する強固な絆である。
しかし、ほとんどの人間は遺伝子に刻まれた獣因を磨かないため、能力を発現させないまま生涯を終える。その点ティグリス家は特殊で、代々引き継がれる虎の獣因を絶やさぬよう、英才教育がほどこされるという。強烈なカリスマ性、武力による信頼をもとに、ティグリス家は栄華を極めた。
「まあ! わたくしってば……驚かせてごめんなさい」
青い顔のサラを見てフェイランはすまなそうに謝り、後日、フェイランはこれから世話になるからと焼き菓子を持たせた侍女を洗濯場へ使いに出した。
「この国を乗っ取ろうとしている」、「傲慢な虎令嬢」、「陛下を惑わせた悪女」……。
さまざまな流言、あだ名こそあるフェイランだが、優しい女性であるとサラは信じている。
洗濯物の山を片付け終えるころには、午後に回っていた。サラはパン、牛肉のスープ、スグリが盛られた盆を取りに行き、裏返しの桶に腰かけてたいらげる。同僚と食事をともにできないことが、彼女唯一の悲しみだった。何せ、サラの芳香は調節が効かないのだ。同僚たちが働き甲斐にする美味いスープの香りに、甘ったるい香気を混ぜるのは気が引ける。
食事を終えると、洗濯物のはためく列をサラは赤い指先で触れながら一周した。
触れたそばから菫色の帯が広がり、甘い空気が満ちる。
――サラの獣因は麝香猫であった。 南方の村から奉公に来たサラは、この獣因を生かして洗濯婦の職をつとめている。宮殿内の給金は小間使いの中でも低いほうだが、寝食は保証されている。
サラの獣因で顕現される香りは、皇帝軍の軍服に染み付いた血生臭さを取り除き、貴族たちには衣類にかける香水代わりとして喜ばれる。彼女は、力はささやかながらも誰かの癒しになれるこの仕事に満足していた。
――
晩餐会の一週間後に催された音楽会での出来事は、宮殿を騒がせた。
女性貴族たちが肩を寄せ合い、扇子の下でささやく。
「見てくださいまし、フェイラン嬢のドレス!」
「まあなんて……」
「ひどいお姿ですこと。お気の毒」
その有様は、困惑した陛下が咳払いしてたずねるほどであった。
「フェイラン・ティグリス嬢よ。いったい、その召し物は何があったのだ」
弦楽器を手に舞台へ登壇したフェイランのドレスは、猛獣の爪で裂かれたようにズタズタになり、フリルはむしり取られ、色気を演出していた胸元の襟はぶら下がり、はだけそうなほど危うい。
「どなたかが、わたくしのドレスに野生感を与えてくださいました。宮殿の流行かしら?」
フェイランは笑みをたたえ、何とズタボロのドレスを纏ったまま演奏を始めたのだ。火花が弾けるような楽音に、趣味の悪い格好を強いられてなお気高さを保つ虎の令嬢に、聴衆は圧倒されるばかりだった。
その後すぐ、サラのいる洗濯場にフェイランの執事が調査に来た。
「洗濯婦サラ・シベッタ。怪しい者は見ませんでしたか」
「いいえ。あのドレスは私が洗い、お部屋へお届けするまで全て私が管理しておりましたが……思い当たる人はいません」
執事は悲痛な面持ちで了承した。
「そうですか、失礼しました。何か洗濯婦内で情報が入ったらお伝えください。彼女は犯人捜しはせぬようおっしゃっていましたが、私が許せないのです。あのドレスは彼女がこの国に移る前、祖母君の形見を帝国風に作り直したものなのです……」
「私にできること、ありませんか?」
そうたずねた瞬間、いきなり明るい表情になった執事はサラに漆喰の箱を押し付けた。
「サラ・シベッタなら必ずそう言うと思っておりました! ご依頼です! この裂かれたドレスを繕っていただきたい。依頼代は弾みますよ! あ、フェイランさまには内緒にしてくださいね!」
執事は熱っぽくまくしたてると、「それでは!」と姿を消した。もくもくと白い煙を残して。
――そういえばティグリス家に仕える家系は狐の獣因持ちだと聞いたことがあったな……
箱の中には、傷だらけのドレスがくたびれていた。
サラは苦笑しながらも、この依頼を快く引き受けた。主人の知らぬところで美しさを取り戻したドレスを贈り、喜ばせたいという執事の思いやりが伝わったからである。
宮内洗濯婦は、事前研修で洗濯技術とお針子仕事を叩き込まれる。一針の歪みも許されないスパルタ指導を受けてきたサラは、これまでにも何着か貴族服の修繕を引き受けてきた。
――フェイランさまの宝物、必ずや直してみせます。
夜ごと、サラは洗濯の業務を終えると寝所で針を動かし続けた。
ようこそ!
出発の第1話をお読み頂き、ありがとうございます。
評価・ブックマーク・感想を頂けると、たいへん励みになります。




