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フォーゲット・メアリー・スー


 分からない。知らない。記憶の底に手を伸ばしても、硬い地面に弾かれるように一縷も見えない。

 自分自身が分からない、不安が身をよじ登って這い上がってくる。

 自分が分からない少年の灰色の瞳がピクピクと震える。


「はぁん? お前が知らないんじゃ誰も知らないだろ。頭踏まれ過ぎて脳みそいかれちまったか?」


「そうだったら私が回復させているはずだがね。どうやら怪我や病気の類が原因ではないようだ」


 傷は既に全部塞がっている。膝の擦り傷、顔の出血それらは汚れだけは残しても尾を引く痛みはない。


 小日向が言うように頭に感じられる異常は記憶の喪失だけ。それは傷によるものなんかじゃなくて、このゲームが始まった時には発症しているモノだった。


「僕は誰? 僕はどうしてここに? 不明、消失……名前すら忘れるだなんて……うぅ、ぁあ!」


 バグったように譫言を話す少年に二人は静かに様子を伺った。

 記憶というワードが少年の開いてはいけないゾーンを放出してしまったようだった。


 そうしてテーブルに両肘をついてまるでどこかの彫像のように頭を抱えた。


「……タブーなこと聞いちまったか? 俺、あんまりこういうの苦手なんだよ。察するのも、慰めるのも。俺には出来ねぇから、ソイツを窘めてくれ」


「易々というが、私にも手に負えない。これは()()だ。記憶障害なんて分かりやすいものならまだしも、精神のブレは人の手では治せない。例え死神の異能を使ったとしてもだ」


「治してくれなんて言ってねぇ、宥めてくれって言ったんだ。俺だと絶対余計なことまで言っちまうからよ。俺みたいなヤンキー崩れに子供相手にする資格なんてねぇんだ」


「そうか。まったく人間味あふれる不器用な人形だ。それを補うためにもう一体いるのかな?」


 遼は皮肉ながらも的確に図星を突かれ、怒りを抑えて窓の方にそっぽを向くことしかできなかった。

 小日向は持ち出してきた白いティーカップを持って少年に優しく声を掛けた。


「ふーむ……このゲームで勝ち残ればわかるのではないかな。君が何者で、君の未来にどんな意味があるのか。君にある道はこのゲームをクリアすることなんだよ」


「ゲーム? こんなのゲームなんかじゃない。ただの殺し合い、その果てに何も待ち受けてはいないよ」


「でも君の記憶がないのはただの偶然なんかじゃない。もっとこのゲームの抜本的な部分に関わっていると私は思うよ。君の中に秘められた何かがこのゲームの鍵なんだと」


「そんなこと、言われても……僕には何もない」


「今は何もなくても、これから得ていけばいい。それに捨てるものがない分君は気楽だと思うがね?」


 紅茶をティーカップに回すように注ぐ。嵩が増えて、ティーカップは琥珀色の鮮やかさを得る。満たし、満たされ、それは少年に差し出された。


「ありがとう……美味しい」


「そうか、それは良かった」


 紅茶の微睡む香りに当てられて、少年はひとまず落ち着きを取り戻した。

 結局渦を巻く不安の中にいることは変わりはしない。が、ここであがいても、あぐねいても、ほとほと無駄なんだと冷静に諦観し、感情を抑えた。


 唐突に小日向は窓の方にその黒色の双眸をやる。


 何があるのか。少年はそこまで気には留めずに紅茶を啜った。


「うん……何か来るのか?」


 独り言を発したかと思えば、小日向はすぐに黙りこくって、何かを急速に考えているような態勢を取った。



 それは、ミサイルのように翔ける。



 一条を引いて、流れゆくそれに小日向が気づいたときにはもう遅かっただろう。彼に言わせてみれば時間など関係ないだろうが、いやそれでも、()()()()()()()()()


 遼もちょうど窓の外の異変に気付いて、すかさずテーブルの上に飛び乗ったかと思えばそのまま真後ろのテーブルに雑技団のような軽やかさで跳躍した。



 バリィィィンッ!



「えぇぇ!?」


 けたたましい破片の音。頭を抱えていた少年も一瞬にして異常な破壊音の方に首を向け、紅茶の泡を数滴零した。


 宙に舞う青年。若い、26歳くらいのボルサリーノを被った男が窓をこれでもかというほどに粉々にして突っ込んできたのだった。

 テーブルの上に、アルマジロのように丸まって転がり、破片とともにオードブルのように盛り付けられる。


「……いってぇ、いくらなんでもなんだあの馬鹿力」


 窓辺にあった調味料入れを悉くぶっ飛ばしたせいでボルサリーノの青年は灰かぶりみたいになっている。洒落た茶色のコートまで台無しにだが、青年はきびきびとテーブルの上で立ち上がると三人の顔を瞬時に一瞥して暗殺者のように鋭い顔つきをした。


「ひ、人が降ってきた!? あば、あばばっばばばばばば!」


「落ち着いて落ち着いて。大丈夫」


「よくもまあアクション映画みたいな登場の仕方しやがって。今セラピー中だったんだわ! 空気読めよッ俺の言えたことじゃねーけど!」


 隣のテーブルでヤンキー座りで青年を罵倒する遼。金髪とシルバーチェーンが流れ込む外気に触れて、不良をより暴力的に際立たせてなびく。


「間が悪いのは確かだが、窓をわったり爆発させたりしながら登場するのは憧れる。グリードラスはハデスをモチーフにしている節があるからそんなアグレッシブなことはまだやったことがなかった。参考になる」


 少年の頭を撫でてなだめながらその視線は確実に青年のことを捉えている。小説のインスピレーションとしては百点満点の登場方法を目に焼き付けていたのだ。


 と、間もなくこの喝采と冷戦のいかれた空間にまた窓から来客が入ってきた。


 少女だ。

 目立つ長い銀髪。宝石のような緑の目。まるでディテールが優れた異国の人形のよう。そんな少女が窓からふんわりと雪のように青年の隣に降り立ったのであった。


 あぁ、注目すべき点はこのファミリーレストランが建物の二階にあるということだろう。


 11歳ほどの少女は大人びたように顔色一つ変えず落ち着いたように青年の方に首を向けて言った。


「テル、ご機嫌いかが? 随分埃っぽくなってしまったようね。大変。さっさと払った方がいいわ」


「埃じゃない、これは……塩だな。お前が雑に投げるから窓を割って危うく死ぬところだった」


 肩に着いた塩の粉末を払って、ため息を吐く。


「死んでないじゃない」


「死にそうだったってことだ!」


「でも、結局死んでないなら私の予想通りだったってこと。流石ね。まぁ、投げた先に三人も更に敵がいるのは予想できなかったけど」


 少女はそう言って少し青年の後ろに姿を隠して、小日向の方をちらりと見た。小日向は自分が気味悪がられていることを感じてか苦笑した。


「別に私は敵になるつもりはないんだがねぇ……? どちらかというと君の方だろう?」


「あ? 今の俺に()()()()()()ぶっ殺せってのはハードすぎんだろ」


 そうは言いつつも左肩を小さく回して筋肉を温め始めている。このメンツ、この人数を一人でやっつけるのは骨が折れる。折れるので済めばいいが、小日向だけでも四肢が飛ぶ。

 かといって戦況や損得勘定を正しく見積もることで戦い方を決めない遼からして見れば、ここで一人巻き添えに殺せればいい方だった。


「まだ腕を斬り落としたことを根に持ってる。貸しは幾つか作ったんだから、水に流してくれよ。それにもう治してしまったしね」


 小日向の言葉通り、遼の右腕はいつの間にか戦いも欠損もなかったかのように完璧に元に戻っていた。長さが足りないこともなければ、動かすのに不調があるわけでもない。

 遼は自身に生えてきた右腕の動作を確認しながら、逆鱗に触れられた竜のような怒り顔を見せた。


「ッてめェ……お前は最後に殺してやる」


「記憶喪失の僕まで殺そうとするなんて、遼さんって見境ない」


「生意気言うな! お前だけ仲間外れは可哀そうだろ? 俺なりに気遣ってやったつもりなんだよ」


 まったく理不尽な有難迷惑だ。


 少年に茶々を入れられ怒るタイミングを失った遼は、テーブルから飛び降りてソファにまたふんぞり返った。


「お前らが敵対するもしないも勝手だが、さっさと逃げた方が良いぞ。俺たちは先に逃げさせてもらう。行くぞノラ」


何かから逃げるように青年は少女の手を引いて一目散に暗い店内を猛スピードで走り抜け、正規の出入り口から出ていった。


「お早いお帰りだ……紅茶の一杯でもふるまおうかと思っていたのに」


「でも、何かに追われてる感じだった。嫌な予感がするよ」


「それは面白そうだ」


「んなことより俺は遼と岬の帰りが遅い方が気になる。ドリンクバーはすぐそこだってのに何やってんだよ」


「小日向の『生命感知』なら分かるはずじゃない?」


「うん? あぁ、そういえばそうだけど……その辺にいるのではないかな? それより私は君のことにすごい興味が湧いてきているんだ。君の作品とやらは一度見てみたいものだ。記憶を失う前と後で人はどれほど変化するのか? そして君の本質。君がどういう小説(スキル)を持ってい――あぁ、また来客か。間の悪いヤツだ」


 途中まで三日月のように口角を上げて少年に一歩、一歩と近づいていたが気配を察知して苦虫を噛みつぶしたような顔をする小日向。


 また窓の方を見る。少年もつられて見る。


 すると山間を飛び交うやまびこのように残響する声が解放された窓に妙に生ぬるい空気とともに舞い込んできた。


「ふーはっはっはっは! 仏の顔は三度まで、ニャルラトホテプ千の貌! しかしてこの私はぁーー!」


 クイーンとは違う溌剌とした女性の声。


 少年には言っている意味は理解できないが、所謂ハイテンション状態というやつだろうということは分かった。

 そして、因幡の白兎の伝説が如く、サメの頭を飛び越える白兎のような野性味あふれる脚力で女性が一直線に割れた窓から店内に入り込もうとしていた。


「そうだな、アレは……嫌いなタイプだ」


 女性が物理法則に従って人間離れした着地をテーブルの上に決めようとした時、小日向が不意にシュガーポットから角砂糖を二つ取り出して親指で弾いたのだった。


 メイド服に身を包んだ金髪の少女、フリルの一枚下の布がおおっぴろげになることを恐れずに大胆に着地。その勢いでテーブルの上に飛び散っていた窓ガラスの破片がまた飛び上がる。キラキラと光りに照らされてダイヤモンドのような演出が奇しくも意図せず発生する。


 しかし、メイド少女の両目めがけて飛翔する二つの物体――そう、弾かれた角砂糖だ。


 何のスキルも使われていない普遍的な角砂糖、メイド少女の粒らでレモン色がかった甘酸っぱい瞳を甘くするには十分だった。


「目に謎のキューブがぁぁぁ! にゃぁぁぁあん!」


角砂糖に視界を奪われたメイド少女は完璧に近かった着地をファンブルさせて、テーブルの上からカートゥーンアニメでしか見ないような大惨事を発生させてドゴォ! と床に落ちる。


 埃だの、塩だの、ガラス片だの、その他辛そうな赤いソースを顔面にぶちまけて天地逆転の状態で滑り込む。


 泣きっ面に蜂。いや粉チーズ。少年と小日向のテーブルに置いてあった粉チーズ缶が振動で倒れてメイド少女の端正に整っていたであろう顔を真っ白けにした。





感想欄にて本作品に登場させてくださる小説を募集しています。


今回ちょろっと登場したノラとテルは晴羽照尊さんの『箱庭物語』のキャラクターからインスピ&お借りしました。みんなも面白いから見ようね! 割と彼らの能力とか、見た目とか、設定とかはそこに寄っている可能性があるので、意味がこれから出てきたら、原作みたらどういうキャラなのか分かるようになるぞ! 見ようね!


少女・ノラとメイド・ナイの髪色が被ったため、ナイの髪色を金髪に変更しました。

二〇二〇・一一・二〇



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