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「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広い。」

大学の研究棟の一室。無機質なこの部屋に、二人の人影があった。

一人は天城慧悟。白衣を身に纏い、壁にもたれかかっている。

もう一人は榊原瑠衣那。大量の資料を抱えながら、まるでおもちゃを見せびらかす子供のような笑顔で机の上にそれらを広げていく。


「正式名称は決まってないけど、プロジェクトの大部分はこれで進めるつもり。」


そう言って彼女は、表紙に「仮称:"沈黙症状群"の解析計画」と書かれた書類を慧悟に渡した。

慧悟はそれを手に取ることもなく、覗き込むこともしなかった。

瑠衣那は少し悲しそうな表情をしたが、すぐに笑顔に戻り淡々と、言葉を継いだ。


「この病は、形がない。数値化もできない。なのに、確実に蔓延している。

感情の平坦化、空虚感、対人反応の鈍麻、希望の消失。今まで別々の精神疾患として扱われてきた症状群が、共通の根に繋がってると考えてるの。」


慧悟は小さく瞬きをし、一言呟いた。


「……俺の見解としては、うつ病、統合失調症、解離性障害、パーソナリティ障害、自閉スペクトラム症この辺りと予想できる。」

「君が挙げた症状群は、すでに確立された複数の精神疾患に内包されている。」


彼はまるで、学会で査読を行うかのように淡々と続けた。


「たとえば、空虚感は境界性パーソナリティ障害の中核症状であり、対人反応の鈍麻は統合失調症の陰性症状に含まれる。感情の平坦化は自閉スペクトラム症にも、また長期のうつ病にも見られる。」


瑠衣那は口を開きかけたが、慧悟の話は止まらない。


「さらに、“共通の根”を想定することは可能だが、それは個別疾患の並置的観察から導かれた印象論にすぎない。疫学的データも、症状出現の社会的文脈も、決定的に異なる。」


慧悟は瑠衣那の視線を一度も見ず、ただ、無機質に言葉を吐き出していた。


「君の言う“沈黙症状群”は、既存疾患の再構成にすぎず、医学的には新たな病名の創設には至らない。概念疾患ではなく、診断体系の誤解釈か拡張的帰納だ。」


その沈黙は冷たかった。


まるで、雪原のど真ん中で独りきりになったかのような、静かな拒絶。

だが瑠衣那は、少しだけ微笑んでいた。


「……そう、やっぱり慧悟はそう言うと思った。」


それでも、彼女の目から光が消えることはなかった。


「でも、私の仮説は否定される前提で組み立ててある。論理じゃ説明できない現象が、いまこの世界には溢れている。それに……」


彼女は机の資料を指でとんと叩いた。


「あなたがわざわざ言葉を費やして否定した。それはつまり、“無視できない”ってことよね?」


慧悟は答えなかった。ただ書類の束を一瞥し、静かに椅子に座った。

それはまるで、「否定はしたが、検討はする」と無言で語っているようだった。

そして数十秒ほどの沈黙の後、慧悟の口が開いた。


「…俺の持つ知識ではこの”病”を解明をすることは難しい…」


瑠衣那は「待ってました」と言わんばかりにニヤリと笑って言った、


「だから、仲間集めようと思うの、一か月後に、東京・国際学術コンベンションセンターで学術会があるの、そこで演説をするつもり」


瑠衣那は椅子の背にもたれ、腕を組んだ。どこか挑戦的なその表情は、自信と不安が紙一重で混ざり合ったものだった。


「この“沈黙症状群”を、仮説ではなく“問題提起”として提示する。学術界に波紋を起こせば、耳を傾ける研究者は必ずいる。」


慧悟は机に肘をつき、指先で額を支えるようにした。目は閉じられているが、その思考は確実に動いていた。


「…俺も同行する。」


「え?」


「構成を監修する。論理破綻があれば、潰されるだけだ。」


「ふふ、それってつまり――」


「勘違いするな、君の説を肯定したわけじゃない…」


「うん、わかってる。……でも、嬉しい。」


瑠衣那はそう言って、立ち上がった。


「じゃあ決まりね。演説の構成と、チームの招集、二本立てで動くわよ。」


慧悟は瑠衣那の希望にあふれた表情を見つめながら悟った。

いつだって物語の主人公は否定され笑われるものだと。






人生には、いくつもの門があります。

誰もがすぐに通れるような、広くて平らで、にぎやかな道。その門は、大きく開かれていて、そこへ向かう人々は多く、選ぶのも簡単です。


けれど、その道の先には、真の意味での成長や喜びはありません。

なぜなら、多くの場合、広くて楽な道には、自分を甘やかす誘惑があり、自分の本質を問い直す機会が少ないからです。


「狭い門から入りなさい。」


それは、勇気がないと入れない門です。

努力や孤独、葛藤、時には痛みが伴う道かもしれません。

けれど、その門を通った者だけが、自分自身の限界を超え、魂の深みと出会い、真の意味で「生きる」ことを経験できるのです。


人が本当に変わるのは、楽なときではありません。

挑戦し、踏みとどまり、負けそうになりながらも選び続けた、その「狭い門」の先に、誰にも奪われない誇りと、深い確信が待っています。


苦しみを恐れず、小さな勇気を持って、どうか一歩を踏み出してください。

その先にあるのは、滅びではなく――本物の人生です。




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