「あなたが私を選んだのではない。わたしがあなたを選んだ。」
卒業式の終わりに
医科大学の講堂から人々の足音が潮のように引いていく。卒業式を終えた学生たちは、それぞれの未来へと散っていった。大学病院へ、研究室へ、地方の診療所へ。白衣をまとった若者たちの顔には、希望と不安が入り混じっている。
その喧騒から離れ、一人、中庭のベンチに座る男がいた。
天城慧悟
医学部首席で卒業した男。六年間、一度も首席の座を譲ることなく、精神医学の分野で数々の論文を発表してきた。教授たちは彼を「天才」と呼び、"十柱"と呼ばれる十つの大企業から破格の条件でスカウトが来るも全て断っていた。
慧悟は卒業証書を受け取らなかった。
壇上に上がることを拒否し、式の途中で講堂を出るも。誰も彼を止めなかった。教授たちは諦めたような顔で証書を事務室に置き、「あの天才は、結局どこへも行かないのか」と呟いた。
慧悟は空を見上げる。そこには空中都市が浮かんでいた。"天界"の住民が住む、力と権威の象徴だ。
300年前に起きた第三次世界大戦。その勝者である天理赫天とその取り巻きが作った秩序。
世界を支配する者たちが住む"天界"。
慧悟を含めた、一般人が住む300年前と変わらぬ世界"地上"。
社会的弱者や世界を追放された者たちが住む秩序無き世界"冥下"
平和と秩序を守るために世界は3つに分担されたのだ。
力、権威それを維持するだけの技術や武力。慧悟にとってはその全てに興味がなかった。
小さく息を吐く。どれほどの名刀も戦いがなければただのナマクラだ。
"黎明の星"と呼ばれる天才、慧悟は今日も意味なく空を見ていた。
そのとき。
「あなた、慧悟よね?」
不意に声をかけられ、慧悟は咄嗟に振り返る。
「やっぱり、慧悟だわ!」
そこに立っていたのは、ポニーテールの髪形で、凛々しい顔立ちの女性だった。彼女は懐疑的な慧悟に対して目をそらさず真っすぐに視線を向けていた。
「あなたのことを、世界で一番優れた"頭脳を持つ天才"って羨ましそうに言ってた人がいたわ。
……でもね、私は違うと思うの。"頭脳"よりも、もっと必要なものがあると。」
慧悟は眉間にしわを寄せ疑念の感情を持ち、女性を見る。
「……君は?」
女性は少し驚いた様子だったが、すぐにパッと笑顔を作って告げる。
「榊原瑠衣那よ、忘れちゃった?」
どこか懐かしさを感じるその名に、慧悟の記憶の断片が微かに揺れた。
小学生の頃、同級生と比べ超越した頭脳を持っていた慧悟に友達はいなく、常に独りぼっちだった。そんな慧悟に手を差し伸べ、仲良くしてくれた心優しい子だ。
「小学校以来だよね。十何年ぶりかな?」
「……約十二年だ」
突然話しかけられ、慧悟は短く答えるだけで、視線を合わせようとしない。機嫌が良くないのか、それとも戸惑っているのか——瑠衣那には判断がつかなかった。
「もうそんなに経ったのか〜、時間が経つのは早いね。あの頃は慧悟がこんなに頭良いなんて思ってもなかったな。今は、医学部を首席卒業するだけじゃなく、みんなから『天才』とか言われてるんだよね〜」
「……天才か」
慧悟は聞き飽きたと言わんばかりに呟く。
「あら、『天才』なんて呼ばれるなんて名誉なことなのに不満なの?」
「……名誉など葬式での装飾に過ぎん。」
瑠衣那が機嫌を伺っているのは分かっていたが、慧悟そんな事は構うことなく話を続ける。
「……天才とは栄誉ではない。他者が理解を放棄した証だ。期待という鎖であり、人として扱われなくなる呪いだ」
瑠衣那は慧悟の表情を見つめた。
——嘘だ。
彼女は直感でそう理解していた。なぜわざわざ嘘をつくのだろう? 何か隠したいことでもあるのだろうか? 様々な考えが頭をよぎる。
だが、瑠衣那はそれを口にしなかった。むしろ、これを好機とみて本題に入る。
「ねぇ、慧悟。今、研究チームを作ろうと思っているんだけど、参加してくれない?」
「…唐突だな…研究チームか… 目的は?」
「目的は、世界を蝕む"心の病"の正体を解明すること」
「…心の病…?」
瑠衣那は頷いた。
「慧悟、貴方なら気づいているはず。
誰もがどこか"空虚"で"感情"が機能していない。
それはただのストレスや環境要因じゃない。もっと根本的な、全人類に蔓延している概念的疾患なのよ」
——気づいていた。
患者のカルテを読むたびに、違和感があった。彼らは確かに苦しんでいる。だが、その苦しみは"どこか空虚"だった。言葉にできない、診断基準にも当てはまらない、何か。
それでも慧悟は目を細め、言った。
「…そんな病、医学で定義できるものではない。診断も治療もできない、スピリチュアル的なものだ。」
「だから、あなたのような"天才"が必要なのよ」
即答し、彼女は手を差し出してきた。
「私と一緒にこの病を解明し、人類を救うの。
この"沈黙の時代"を終わらせるために」
その瞬間、慧悟の中で何かが崩れていった。
彼女の瞳には、医学書には決して記されていない、狂気にも似た確信が宿っていた。その熱に触れた瞬間、慧悟を縛っていた冷徹な論理が、音を立てて瓦解していく。迷いも疑問も、『理性』さえも、彼女の言葉の熱量に焼き尽くされた。
——なぜ、こんなにも心が揺れている?
——なぜ、拒絶できない?
慧悟は自分でも理解できなかった。
だが、気づいてしまった。
——もし、この手を取るために俺は生まれてきたのだと。
彼は、震える手を伸ばした。
そして——
無言のまま、その手を取った。
人は人生の中で沢山の出会いをする。親や友これらの出会いは必ずしも良い出会いとは限らない。だが今の我々が居るのは様々な人と出会いその中で成長してきたからと言えるのではないか。
人生とは出会いそのものなのかもしれない。




