「神はサイコロを振らない」
世界は歪んでいる。
違う、世界は歪まされている。秩序を乱し、規律を守らない不届き者達のせいです。
例を挙げましょう。
法を破るものや条例に反する事をしなければ治安が荒れ、人々が不安な生活をする必要がなくなるのだ。
面倒くさい性格だと思いましたか?
昔からよく言われます。別に構いません。
私ー白峯律人はこれでしか大切な人を守る手段を知らないのです。そう、こうするしかなかった。
だからどうかこれ以上、私の大切な人が失われないように。秩序を守りルールに従っていればもう悲劇は起きない。そう信じているから。
本日は西蓮大学へと向かいます。
私の恩師の1人である藍沢教授より呼び出しがありました。
約束の時間は午前11時30分。
私は余裕を持って準備を始める。シワ1つない清廉なスーツに袖を通す。髪型も乱れのないセンターパート、美しいくらいにシンメトリーだ。
乱れのなさは私に安心感をくれる。鎧であり、武器だ。
家を出る前に荷物の確認をする。戦前の準備などいくら入念しても事足りないくらいだ。
スマホ、パソコン、財布に鍵、髪を直すための櫛と整髪料、そして鏡。ポケットには綺麗に畳まれたハンカチを入れる。
問題ない。いつも通りの完璧な仕上がり。
私は自信と希望を胸に外へと足を踏み出す。
家から大学まではそこまで距離はなく幾つかの交差点を超えれば直ぐだ。
小さな交差点に着いた。信号機は赤になった。
車通りも少なく、あまり役割を感じない信号機。
それでも赤なら待つ。当たり前で正しい事だ。それがルールであり、規律だから。
ドタ ドタ
後ろから激しい音が聞こえる。何か急いでいるようだ。
制服を着ている。恐らく高校生が走って来ている。
信号機はまだ赤だ。
しかし、高校生は減速する様子はない。赤信号を突破しようとしている。
それは見過ごせる行為ではない。だが彼にも事情があるのだろし、何よりここは車通りが物凄く少ない。
正しくはないが問題ない。
高校生が私の横を通り赤信号の交差点に差し掛かる。
「万に1つ車が通ったらどうする?その車が速度超過をしていて接触した高校生が死んだらどうする?全然あり得る話だろ。彼にも家族がいて待っている人がいるかもしれないんだぞ。見逃すのは本当に正しいのかい?」
私はその声を聞くや否や。走る高校生のバックを掴む。
「は?何すんだよ!」
「見て分からないのか。今は赤信号ですよ。」
「そんなの分かってるよ。急いでんだ、邪魔すんな。」
高校生と言い合いになっていると信号機は青になった。結局、車は1台も通らなかった。
「規律はしっかり守りなさい。」
「チッ」
高校生は舌打ちして走り去った。
「……」
彼の怒りは理解できる。
だけど何かが私に話しかけてくる。耳を塞いでも一言一句聞き逃すことがないように鮮明に聞こえる
幻聴だ。
病病院カウンセリングなど医療機関に行くべきなのは分かっている。しかし幻聴の言ってる事は正しい。
今回はたまたま車が通らなかった可能性もあり得る。
彼の命を考えたら止めるのが正解だ。
そう幻聴の言ってる事は正しく、私の理念に合致している。主観的な意見を排し客観的に意見述べてくれる。声を消すデメリットの方が大きい。
柔軟な考え方。それが大切なのはとっくに理解してる。それでも怖いのだ、自分の判断ミスで人が死んでしまうのは。
いつからだろう。幻聴は昔から聞こえていた。
それは本当に正しいのか
誰かが規律に反する時、幻聴は何度も私に問うてきた。
ただここ数ヶ月は頭が痛くなるほど大きく響くようになっている。そろそろ生活に支障をきたすようなら流石に病院へ通院を考える必要があるのかもしれない。
色々と思い込んでる間に大学に到着した。
時間は午前10時58分。
予定の時間まで、まだ32分ほどある。私は迷うことなく図書館へと向かった。
図書館は厳格であり、静寂。気持ちを落ち着かせ思考を回すのに最適だ。
"沈黙症状群"に関する情報を集めるためここ1週間は奔走していた。それを少しまとめる時間が欲しかった。30分程度では、到底足りないが、時間は少しでも有意義に使うものだ。
私は図書館に入り周りを一望する。すると視界の端に見覚えのある人が忙しなく動いているのが見えた。
私は彼女に近づく。
「珍しいですね早矢もいるなんて。」
彼女の名前は桐生早矢。早矢との関わりは小学校の時、隣の席になったのがキッカケです。私は小さい頃から人とコミュニケーションを取るのが苦手で、中々友達が出来ない私と友達になってくれました。
まさかあの出会いからここまで関係が続くとは。今となっては私の大切な友です。
「律も来たんだね!資料は集まった?」
相変わらず早矢は声が大きい。ここは図書館、大きな声を出すのルールに反する。
頭がズギズキとする。
分かっているとも。早矢でもルールに反する行動をするのなら注意する。いや早矢だからこそするのだ。
「ええそれなりに順調です。それと早矢周りの迷惑になるので少し声のボリュームを下げてください。」
明らかに私情が入り優しい言い方になっているが、多少は御愛嬌というものだ。
「わかってるよ〜♪そういえば聞きたいことがあったんだ。慧悟先生が言ってた。監視システムの対策って結局何すればいいのあたし達?」
早矢に言われ数日前の送られてきたメッセージを思い出した。
「それに関しては私が先日質問してみたんですが、『一先ずは俺の方で何とかしておくから君達は気にする必要はない』らしいです。」
「オッケー♪」
早矢の反応を見るに天城先生は私以外の人にこの事を伝えていないのか?それとも早矢が連絡に気付いていないだけなのか。
ともあれ余裕があれば確認しておこう。
早矢と話していると奥から1人の司書が出てきた。
木梅さんだ。
恩師の1人である九条先生と親密であり、彼が亡くなった後色々と事情を聞いた人である。
九条先生が亡くなった事件。
…正直あまり思い出したくない。目の前に早矢がいると尚更だ。
「それでは私はこれで。早矢また会いましょう。」
早矢、私はあなたには幸せになってもらいたい。早矢は私に世界の楽しさを美しさを教えてくれた本当に大切な人。だから恩を返したいのです。私は、この命に代えてもあなたを守る。
私はこの決意を目に宿し早矢を見る。きっとこの思いも決意も届かない。それでもいいんです。
「バイバイ律またね〜。」
私は部屋の奥へと進み、あまり大きくない机へと向かう。
四方を本棚で囲われ視界が塞がっており、素晴らしいパーソナルスペースが形成されている。
あまり時間もないので簡単にいこう。
私は『ストレス蓄積過程における感情変動の臨界現象に関する研究
―相転移モデルを用いた精神状態悪化予測の試み―』
という論文を手に取った
相転移とはある瞬間に状態が急激に変わる現象だ。
簡単に言うなら液体である水がある温度を超えると急に氷になることだ。
この実験では人の感情は相転移するのかという事だ。人は一定のストレスを受けるある所を境にうつ病や精神疾患になるのかそういう研究だ。
私は論文を読み進める。
結果にはこう記されていた。
t(58) = 3.42, p < .01
これは抑うつ高群は低群と比較して、感情変動エントロピーが有意に低下していた。
F(2, 114) = 5.87, p < .01
また、感情系列の自己相関係数は発症前期間に有意な上昇を示した。
最期に解釈として
精神状態悪化が連続的ではなく、 “臨界点”付近で急激に変化する可能性
を支持すると記されていた。
"沈黙症状群"具体的な概要は不明だ。そのため通常の精神疾患と比べるの正解なのかは分からない。まあ、知識なんていくら合っても良い。"沈黙症状群"の患者からデータを集めて照合すればいい。それに天城先生もいる次回質問をすれば何かしら情報が得られるだろう。
ふと時間を確認する。時刻は11時22分。
論文を、1つしか読んでいないのに既にこれだけの時間が経過している。
論文を読むのは大変だ。時間だけじゃない、集中力も要求される。やはり作業は一気に進めるのではなく少しずつやる必要がありそうだ。
私は資料を片付け藍沢教授の研究室に向かう。
扉をノックする
「藍沢先生、白峯です。」
「はい、入っていいよ〜。」
大きくはないが透き通るような声が聞こえてきた。
「白峯くん、グッドモーニングだ。」
藍沢瑠璃教授。28歳という若さにして名門西蓮大学の名誉教授を務める天才だ。
藍沢先生は寝袋の中から、半眼の情けない表情でこちを見ていた。
私は、藍沢先生の事は心の底から尊敬をしているが、人と会うにも関わらずほとんど寝巻きで寝袋に入り客人を迎えるのは正しいとは言えない。
「おはようございます良い朝ですね。しかし藍沢先生生活習慣が悪いのは正しくありません。起きてください。」
「え〜ヤダ〜まだ寝たいよ〜。」
私はふざけた寝言を無視して、藍沢先生を寝袋から引き釣り出す。
「白峯くんは本当真面目だな〜人生は長いんだからのんびり行こうよ〜。」
藍沢先生はボサボサの髪を束ねながら話す。
人生は長いか、
確かに人生は長い。私も平均寿命で考えれば後50年近く生きる。
だかそれは平和が合ってこそものだ。今の秩序が平和がいつまで続くか分からない。長く生きたいなら少しでも力を知恵を付けないといけない。睡眠時間が惜しいくらいには時間を無駄にはできない。
だから藍沢先生が人生を長く見れるのは先生が強いからに他ならない。私みたいな弱き者にはその考えを通すことはできないのだ。
「とりあえず要件についてお話いただけますか?」
藍沢先生は椅子へ腰掛け私を見る。先ほどまでの寝ぼけた表情とは違い真剣な表情だ。藍沢先生の真剣な表情は整った顔をより冴えさせている気がする。
「単刀直入に聞くけど、榊原瑠衣那さん?の研究に引き続き参加するつもり?」
質問されたのは意外な事だった。藍沢先生がわざわざ聞いてくると言うことは何か確証があるのだろう。
だか私の答えは決まっている。
「ええ参加するつもりです。」
「まあそう答えるよね。ん~~なんとなく察してると思うけど一応忠告しておくね。
君達のしてる研究に類似する研究や論文が定期的に削除されてる。そして例外なく"天界"によって削除されている。何が言いたいのかと言うと君達の研究は"天界"の意にそぐわない物ということ。最悪の場合は…分かるね。」
「藍沢先生ご忠告ありがとうございます。しかし私の意思はゆらぎません。」
それを聞くや否や藍沢先生の表情が緩んだ。
「そう言うと思ったよ。心配がなくはないけど、天城慧悟くんもいるらしいし大丈夫でしょ。」
「天城先生をご存知で?」
「"黎明の星"天城慧悟。
白峯くんは気付いていないだけで"星"と呼ばれる人は全員知ってるはずだよ。それが"星"だからそうとしか言えないけどね。
でも、私が天城くんを知ってるのはそれが理由じゃないよ。彼の事について聞きたい?」
天城先生の事については噂程度でしか知らない。直接会って話しても彼の真意は分からなかった。
許可なく詮索するのは良くないが彼の事は少しでも深く知る必要がある。そんな気がした。
「ぜひお願いします。」
「彼とはね2年前かな"理"で招待してもらった研究会で一緒になったんだ。その時はね空中都市に搭載されてる反重力システムについての研究がテーマだったんだよ。"地上"では使われていない"天界"の超技術の1つ。
噂では聞いたことがあったけど実際にシステムを見たのは初めてでね。メッチャクチャ面白かった。
あっこれ。あんまり言っちゃ駄目なやつか。」
「……」
「まあちょっとくらい大丈夫でしょ。
それでね、招集されたのは物理学者やシステムエンジニアが殆どだったのに1人でだけ医者がいたんだよ。
反重力システムは凄まじく複雑なシステム故に、専門外の医者が役に立つのかって思った。
"天界"に怒られちゃうから具体的事は言えないけどね。彼は誰より早く反重力システムを理解し、欠陥を一瞬にして見抜いた。勿論私よりも早くね。
彼が"星"と呼ばれる理由がそこで分かったよ。白峯くん天城くんは凄いよ。きっと彼の元で学べば君はさらに上のステージに上がれる。
私から話せるのはこれくらいかな。」
「予々(かねがね)噂は耳にしてましたが、藍沢先生を驚愕させるほどの方だったとは。」
「あれほどの天才と同じ場で学べる機会はそうそうない、頑張ってね。
短いけど私から話そうと思ってたことは終わり。時間取ってくれねありがとね。」
「いえ、こちらこそお話頂きありがとうございます。」
藍沢先生もモニターに体を向けたので私は研究室から出ようとした。
ドアノブに手をかけた時、背後から声をかけられた。
「白峯くんが瑠衣那さんの研究に参加するのは早矢さんを守りたいから?それとも彼女の演説に魅了されたから?
君はあの事件以降、早矢さんの安全をこの上なく気にかけてる。それならあの研究に参加するのはやっぱり危険なんじゃない。天城くんがいるとはいえリスクはある。
早矢さんを危険に晒す。
それは君の意向にそぐわないんじゃない。
後者なら私は君のことが心配。瑠衣那さんの演説を直接見てはないけど、酷いものだったと聞くよ。非合理的で詩的な演説。優秀で冷静沈着な白峯くんがそんな人を選ぶ愚行をするとは思えない。それとも私の白峯くんに対する評価が間違いだったのかな。」
藍沢先生の言うことはご尤もだ。私は早矢を守るためにあの研究に参加している。
じゃあなんであの研究、学者の城に固執しているのか。早矢の安全を考慮するならこの選択は正しくない。
そういう時はいつも幻聴が声をかけてくるはず、例外はなかったなのに何で。
「白峯くん1つ提案をするよ。
早矢と白峯くんで2人とも私の助手とならない?私の助手になれば将来的には西蓮大学の教授になれる。それに私がいる限りこの大学での早矢さんの安全は保証できる。
君にとっても早矢さんにとっても悪い話じゃないはずだよ。」
「藍沢先生。まずはお礼をありがとうございます。私達2人の事をここまで考えてくれて嬉しい限りです。
確かに藍沢先生の言ってる事は正しいです。
ですがそれは早矢の意思を無視していると思います。」
「はぁ… 早矢さんの事を本当に大切に思うなら、多少強引な選択をすることも大切じゃないかい。君が彼女を止めなかったから恩師を失い、大切な人が危険に及んだ。一度経験してると言うのに何故学ばない。」
「そんなことは分かっています。それでもかつて1人だった私を否定せず受け入れてくれた。
私は早矢のする事を否定したくない。危険が及ぶなら私が守る。それこそが私の使命だも心得ています。」
頭がズギズキする。
我ながらなんて非合理的で正しくないことを言ってるのか。間違いなく私の本音ではある。だとしても藍沢先生がここまでしてくれているのに。
「……分かった。これ以上言うのは辞めよう。君がそれだけ彼女を思っているなら私がこれ以上言う権力はないね。言い過ぎたごめん。」
違う先生を謝らせたかったわけじゃない。ただ何て言えばいいのか分からなかった。
「もし何かあったらいつでも尋ねて来ると良いよ。私も研究室の皆んなもいつでも歓迎してるからね。」
「…ありがとうございます。」
扉を閉め外に出る。
言葉で表すのが難しい酷い損失感が私を襲った。
まずは何から思考すれば良いか分からない。ただ酷く疲れた今日は一旦家に帰ろう。
私は右足を前に出し歩き始める。早矢の安全を考えるならそろそろ向き合わないといけない。
景彰先生のこと禁書庫のこと。
恐怖に向き合い新たな未来を作る。
そんな決意が。




