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香坂静香

彼女…香坂静香(こうさかしずか)は、泥にまみれた顔を歪ませて呻いていた。

彼女にとって目の前にいる同年代の少年は、人生のすべてを破壊した「死神」と同義だった。


――――――


二人の因縁は、2017年の夏に遡る。

当時、〇△×高校の1年生だった静香は、容姿は良い方だったが、校内では素行の悪さで目立つ人物だった。厳格だがどこか冷淡な両親との折り合いが悪く、彼女にとっての「居場所」は、放課後の街と、SNSの中だけ。

当時付き合っていた同級生の彼氏と、軽い気持ちで「スリル」と「賞賛」を求めたのが運命の分かれ道だった。


「痴漢を捕まえる正義の美少女」


そんな見出しでネットを騒がせ、バズりたい。そんな身勝手で歪んだ承認欲求が、彼女に「痴漢偽装」という犯罪を選ばせた。ターゲットにしたのは、たまたま同じ車両に乗り合わせた、くたびれたスーツ姿の中年男性。

しかし、その計画は、偶然居合わせた久遠慎という同じ年齢の高校生によって、木っ端微塵に粉砕された。


慎が周囲の前で、ロジカルに彼女の嘘を暴き、拘束して警察へ突きだしたその後。

静香を待っていたのは、彼女が夢想していた華やかな結末とは正反対の「地獄」だった。


警察署の取調室。


「無理矢理手伝わされたんです! 彼女に言われて、怖くて断れなくて……!」


真っ先に裏切ったのは、共犯者であり恋人だったはずの男子生徒だった、彼は静香が慎に捕まったのを見るや否や一人で逃げ出すも、すぐに身柄を確保された。警察は、その見苦しい責任転嫁を冷めた目で見つめながらも、主犯格である静香に対しても「情状酌量の余地なし」と断じた。

その後、彼女の身に降り注いだのは、社会という名の巨大な暴力だった。


「恥を知れ! 我が校の歴史に泥を塗りおって!」


学校側は、SNSで拡散された「冤罪工作」という最悪の不祥事に激怒。静香と男子生徒に対し、即座に退学処分を下した。


そして、何より彼女を追い詰めたのは、家庭という最後の砦の崩壊だった。


「お前のような娘は、うちにはいない!!」


一般家庭の会社員であった父は、会社にまでかかってくる嫌がらせの電話と、近所の好奇の目に耐えられず、娘を「汚物」のように切り捨てた。母はただ、世間体という皮が剥がれたことに絶望し、静香に一度も目を向けなかった。

法的処置として家庭裁判所へ送致されたものの、その後の生活基盤は完全に失われた。

退学処分、親による事実上の放逐。

未成年の少女が一人、世間に放り出された。公的な支援制度や更生保護の手はあるものの、静香はそれらを受けるプライドさえズタズタにされ、夜の街を彷徨い、日雇いのバイトでその日暮らしを繋ぐだけの、文字通り「独りぼっち」の生活へと転落していった。


――――――


「あんたのせいで……あたしの人生はめちゃくちゃになったのよ!!」


静香は、爪が剥がれるほど地面を掻き毟り、慎を睨みつけた。

だが、慎の瞳には同情の色など欠片もない。


「あのなぁ、お前……。ああ、確か香坂と言ったか?」


慎は、奪い取ったハンドガンのスライドを抜き、内部をチェックしながら淡々と語り始めた。


「お前が嵌めようとしたあの時の男性……覚えているか? あの人は5人の子供を抱えて、毎日朝から暗くなるまで必死に働いていた父親だ。あの日、もしお前の計画が成就して、彼が逮捕されていたらどうなっていたと思う?」


「……そんなの、知るわけ……」


「じゃあ、教えてやる。彼は仕事を失い、近所からは白い目で見られ、家族はバラバラになっていただろう。5人の子供たちの未来は、お前の『バズりたい』なんていうゴミみたいな欲望のために、根底から崩壊していたはずだ」


静香の肩が、びくりと震える。


「……う、……っ」


「お前が今、こんな場所にまで流れ着いて、絶望的な状況にいるのは、誰のせいでもない。すべて自業自得だ。お前の言う『地獄』は、自分自身で積み上げた瓦礫の山に過ぎねぇよ。……まぁ、ここに至るまでもう何度も警察や保護司から聞かされただろうけどな」


慎の言葉は、鋭利なナイフのように静香の核心を抉った。

図星だった。これまで出会った大人たちも、同じことを言った。だが、目の前で自分の人生を終わらせた張本人に、圧倒的な正論で突き放されるのは、死よりも残酷な屈辱だった。

静香は顔を真っ赤にし、やがて力なく項垂れた。


「……そうよ。あたしがバカだったわよ。だから、今ここで、こんな殺し合いの島に売られたんでしょ……。もういいわよ、殺せばいいじゃない。あんたに、あたしの絶望なんて分からないわよ……」


もはや、彼女には抵抗する気力さえ残っていなかった。

銃を奪われ、過去を抉られ、希望を断たれた。

後は、ここで誰かに殺されるのを待つだけ。静香は瞳を閉じ、冷たい死を受け入れようとした。


しかし。


「さてと、銃は手に入った。……行くか」


慎は、整備を終えた銃をホルスターに納めることもなく、地面に放り出されたリュックを肩に担ぎ、静香を放置したまま、闇の奥へと足を進めようとした。


「……えっ?」


静香が、呆気に取られたように顔を上げる。


「あんた……私を殺さないの……? さっき言ったじゃない、あたしを殺さないと帰れないって……あんたも、ここで誰かを殺さないと助からないんでしょ!?」


慎は足を止め、面倒そうに首だけを振り返った。


「あのな。こんな阿呆な茶番に付き合って、人殺しをやる気は無い。あんな連中の手のひらで踊らされるのは、俺の性分じゃないんでな」


「な……何言ってるのよ!? 武器を持った連中があちこちにいて、カメラで見張られてるのよ!? 逆らったら殺されるだけ……」


「…俺は自力で脱出するつもりだ。ルールに従って最後の一人になるなんて回りくどい真似はしない。勝手に帰る。それだけだ」


「……っ!!」


静香は、信じられないものを見る目で慎を凝視した。

ここにいる全員が、恐怖に怯え、あるいは狂気に身を任せて「殺し合い」というルールに縋っている中で、この少年だけは、その大前提そのものを否定している。


「できっこないわよ! あんた、いくら強くてもただの高校生でしょ!? ここは日本じゃないかもしれないし、軍隊みたいな警備兵だっているのよ!?」


「まぁ、そうだな。だが……」


慎が、何か遠い過去を想起するような、冷たく乾いた笑みを漏らした。

その直後、慎の纏う空気が、一瞬で氷点下へと叩き落とされた。


「おい、静かにしてろ」


「え…?」


「誰か来る」


慎の鋭い声。

彼は、姿勢を極限まで低くし、森の闇へと視線を固定した。

その殺気のない、それでいて絶対的な威圧感に、静香は喉を鳴らすことさえ出来なくなった。


ザッ、ザッ……。


湿った下草を踏み締める、足音が近づいてくる。

暗闇の向こうから、一人の男が姿を現した。

ボサボサの髪に、不気味に充血した目。手には支給されたものだろうか、血の付いた大型のバールを握り締めている。


「……ヒヒッ、おお、ついてるな。ガキ二人か。一石二鳥じゃねぇか……」


男は、獲物を見つけた獣のような下卑た笑みを浮かべ、バールを地面に引き摺りながら、ゆっくりと慎と静香の方へ歩み寄ってきた。


慎は無言のまま、月光を反射する瞳を男へと向けた。

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