第83話「魔王と通学」
リマネスは決まりが悪くなり、屋敷へ帰って行った。
ユアはしばらく、ここグロウス学園に居られるようになった。
実の兄(という設定の)ディーンと暮らせるよう考えてもらえることにもなった。
「驚いたな。まさか、裏で汚い取り引きがされていたとは……」
ベランダで夜空を見つめながら、ディーンがつぶやいた。
ユアがかつて居た部屋を再び使えるようになった。他の利用者は別室で、この部屋にはユアとディーンの二人しかいなかった。
「たぶん、園長は脅されてたんだと思う」
ユアの言葉を疑問に思い、ディーンが振り向いた。
「何故そう言える? リマネスを庇った上に、お前の話も聞いて来なかったのだぞ?」
「それは、ひどいと思ってる。でも、学園の経営が上手くいってないのも知ってた。その状態で寄付金や物資がたくさんもらえる話があったら、すがりつくじゃない?」
「弱みを利用されたということか。やはりリマネスは汚い奴だ! それで、園長は許すのか?」
ユアは少しだけ考えてから口を開いた。
「しばらくは許せない。でも育ての親でもあるから、恨みたくもないんだ」
理解したディーンは「そうか」とだけ返事をした。
「それより、疑問が残っている。何故、リマネスはお前と暮らしたがる? いじめると言うことは、好いていないのは確かだ。”好きだから、ちょっかいを出す”というレベルでもない。それなのに里子として迎え、俺が引き取ろうとしたら全力で拒否をした。嫌っているなら共に暮らそうとは思わない筈。何がしたいのかわからぬ……」
「私もわからない。ただ、“いじめられている時が一番可愛い”って言われたことは覚えてる」
「最低の極みだ……。親はどういう教育をしているやら!」
ディーンは部屋に入り、後ろ手でベランダの窓を閉めた。
「それがね……、リマネスはずっと親と暮らしてないんだよ」
「どういうことだ?」
「仕事の都合で、ずっと海外にいるんだって。私も会ったことないよ。里子として屋敷にいることを知ってるのかもわからないし」
ディーンは目を丸くした。
本来、引き取り先の家族に挨拶を済まさなければいけないが、リマネスの両親は会ったことが無い上に、ユアを引き取っていることすら知らないようだった。
「それで了承してもらえたのか……? 屋敷にはリマネスと使用人、執事、あとはボディガードしかいないのだろう? 使用人では家族とは呼べぬ」
「たぶん、“普通の家族より人数が多いから大丈夫”と思ったんだよ。親がリマネスを置いて出て行ったのもそんな理由だと思う」
「どんな家だ……」
ディーンは呆れて、それ以上の言葉が出なくなった。
ユアは久しぶりに過ごす部屋で、ディーンと一夜を共にした。
翌日は学校だった。
制服は昨日から着ていたが、カバンはリマネスの屋敷に置いたままだった。
おそらく今日から自力で通うことになるので、カバンがないのが一番の問題だった。
その不安から、いつもより早く目を覚ますユア。
ベッドから出て、ブラシで髪をとかしながら隣のベッドを見ると……、魔王の姿のディンフルが眠っていた。
「ギャアーーーーー!!」
ユアの絶叫でディンフルも飛び起きた。
「ど、どうした?!」
「ディ、ディ、ディン様……! 元に戻ってる?!」
「あぁ……。効果は一日しかもたぬのだ」
「そ、それじゃあ、もうディーンに変身できないの?!」
「心配無用」
ディンフルはベッドから立ち上がると、昨日のように頭からマントに包まり、すぐに外した。
あっという間にディーンの姿に変わった。
「ホッ……」
「変身出来なくなっては、兄妹設定が成立しなくなるからな」
思えば、彼と同じ部屋で眠るのはこれが初めてだった。
ミラーレではユアが弁当屋で、ディンフルは図書館と、別々に寝泊まりしていた。
だが先ほど、しかとこの目で見てしまった。一目惚れした時の姿の推しがベッドで眠っているのを。
ミラーレの公園のベンチで眠る彼を見たことはあるが、ベッドで、しかも自分の隣で眠るのは初めてだった。
ユアは新たなディンフルの姿を見られて朝から満足だった。
ユアがさっきの絶叫から落ち着いたところで、入口からかすかな物音がした。
ドアが少しだけ開いており、彼女より年下の少女が外から覗き込んでいた。
「ユアちゃん……!」
「リビムちゃん!」
ユアは今度は喜びの声を上げてドアを開けると、覗いていた少女と抱き合った。
リビムとは、ディーンがディンフルの姿でいる時、彼に自動販売機の使い方を教えてくれた中学生の少女だ。
彼女はグロウス学園の利用者で、ユアとは仲良しだった。
(昨日、コーヒーをご馳走してくれた子? この学園の者だったのか……)
ディーンはすぐに気付いたが、リビムは彼がディンフルだと気付いていない。
彼女は目を輝かせながらディーンを見た。ユアの兄だという話は園長から聞いていたようだ。
「もしかして、ユアちゃんのお兄さん?!」
「そうだよ! かっこいいでしょ!?」
ユアも、リビムと同じく目を輝かせながらディーンを見つめた。
「何故、お前までときめく……?」
◇
朝食を終え、支度をすると二人は玄関に来た。今日はディーンも同伴である。
見かけた園長が声を掛ける。
「お兄さんも一緒ですか?」
「ああ。妹が色んな意味で世話になっているので、挨拶に」
ディーンは「色んな意味で」を敢えて強調して言った。
学校のこともユアから聞いており、教師たちに言いたいことがあった。
「わ、わかりました。それよりユアちゃん……」
ディーンとの話を終えると、園長は次にユアへ話しかけた。
ユアも昨夜溜まりに溜まった本音をぶつけ、園長も罪悪感からかお互いに緊張していた。
「き、昨日のことだけど……」
「失礼。時間が迫っている」ディーンが遮った。
時計を見ると、本当に出発時間が近かった。
ユアは園長へお辞儀すると、ディーンと共に駅まで走った。
いつもはリマネスの家のリムジンで登校していたが、今日から電車で行かなければならなかった。
ユアは初めての電車通学、ディーンは電車そのものが初めてだった。
前日、あらかじめ園長が時間を調べてくれたのと、通学用にチャージ済みのICカードも渡してくれていた。これで改札も難なく通れるし、電車も間違えずに乗れる。
二人で並んでホームに立ち、リビムの話になった。
「あの子はグロウス学園の子だったのだな?」
「知ってるの?」
「お前を探している時に魔王の姿で話した。その際に自動販売機というものの使い方を教わったり、コーヒーを奢ってもらった」
「リビムちゃんもディンフルが好きだからだよ」
「本人がそう言ってたな。しかし他の通行人と違い、俺をコスプレの者と思っていないように見えた」
「きっと、信じてるからだよ」
ディーンは目を丸くしてユアを見つめた。
「何を?」
「ディンフルが本物だってこと。あの子、”架空はリアリティアと同じようにどこかにあって、同じように時間が流れてる”って思ってるんだ」
「異世界を知っているのか?」
「たぶん、私のせいかな……?」
ユアは苦笑いしながら話し始めた。
昔から、異世界へ飛ぶ力を持っているユアは好きな空想作品の世界へ行き、キャラクターたちと喋ってきた。
その時の経験を同じ学園の者たちに話したことがある。しかし、誰も信じてくれなかった。
年上や同級生は「あれは大人が子供を喜ばすために考えてくれたウソの世界だ。存在するもんか」とユアをウソつき呼ばわりした。
年下の子たちも小さいうちは目を輝かせていたが、歳を重ねるにつれて聞いてくれなくなり、ユアを「妄想のお姉ちゃん」と言う者もいた。
その中でも、リビムだけは今も信じてくれていた。
彼女は八歳の頃から学園を利用しているが、他の子と違ったのはリビムの方から「◯◯の世界はどうだった?」「楽しかった?」と今でも聞いて来るし、架空の世界はどこかに存在していると信じていた。
このことからユアは、実際の異世界の話はリビムにしかしなくなっていた。
そして、ユアが朝食を取りに行く時に聞いた話では、リビムはディンフルが好きだという。
ユアと同様に一目惚れし、イマストⅤの発売を心から待ち望んでいた。
だが、学園にソフトは無かった。
ゲームは職員が買い与えるのだが、イマストⅤはあまりの人気で品薄になり、未だに手に入らないようだ。
ユアは自分のお金で買ったことは誰にも言わなかった。焼失し、今は手元に無いからだ。
話しているうちに電車が来た。
ディーンの話では、フィーヴェには列車はあるがリアリティアの電車とは大きく違うそうだ。
彼が驚いたのは列車よりも広い車内だけでなく、朝の通勤通学ラッシュの満員電車の混み具合だった。
人がなだれ込むように入って来て、ユアもディーンも圧倒された。
「リアリティアの列車は、こんなに息苦しいのか……?」
「ず、ずっと、こんなんじゃないよ……」
途中、電車が大きく揺れ、将棋倒しにでもなりそうなぐらいに人の波が動いた。
ディーンはユアを抱え、ドアに手を突いた。
「大丈夫か?」
「は、は、はいぃ!」
ユアの胸は今までで最高潮に高鳴っていた。
何故なら今の状況は、世間で一時耳にしていた「壁ドン」に加えてハグまでされていたからだ。
しかも、相手は現在の推しである。
(き、昨日からと言い、“いつか叶ったらいいな”って思ってることが全部叶ってる! これは私が我慢して来たことのご褒美か? それとも、何かの前触れか……?!)
ユアがそんなこんなを考えているうちに目的の駅に到着した。