第81話「反撃開始」
ラーメン屋を出た二人は、児童養護施設「グロウス学園」へ向かって歩いていた。
その道中、ユアは自身の生い立ちについてディーン(ディンフル)に話した。
「物心ついた頃にはもう学園にいたの。園長先生の話では、雪の降る朝に赤ちゃんだった私が学園の玄関に置かれてたんだって」
さらにユアは、リマネスからされて来た数々のいじめも打ち明けた。
「これまで味方はいなかったのか? 施設には職員がいるだろう?」
「みんな、リマネスを信じていた。向こうは優等生で、私は劣等生だから……。園長先生にも話したけど、“リマネスちゃんは冗談が好きだから、ユアちゃんが可愛くてからかっただけ”だって。だから、もう園長先生には相談してない」
「園長はあちらの味方か。まぁ、いい。どちらにせよ、第三者の介入が必要だ」
「相手が強く出たら……?」
ユアはおずおずとしながら尋ねた。
長年リマネスを見て来ただけあって、彼女の恐ろしさを知っていた。
「こちらも強く出る」
対して、ディーンはきっぱりと言い切った。
彼は物理的な強さだけでなく、精神的な強さも持っていた。
そのためか「俺を誰だと思っている?」という自信に満ちた台詞まで飛び出した。
「相手は推しなのに、ここまでしてもらっていいのだろうか?」ユアは、幸せと同時に申し訳ない気持ちになって来た。
ずっと自分の話をして来たので、話題を変えた。
「フィットたちはどうしてる?」
「三人とも、故郷へ帰した。今は平和に暮らしているだろう」
ユアは安堵のため息を漏らした。
「あいつらには待っててくれる者がいる。俺には誰もいない。すべて自業自得だ」
「そんな……。ディン様が怒った理由を話せば、フィットのお父さん……国王様もわかってくれると思うよ」
「どうだろうな。どっちみちウィムーダも亡くなり、故郷も失った。家族もいない」
「家族」という言葉にピンと来たユアは、ネタバレを覚悟で尋ねた。
「あ、あの……、ネタバレOKなんだけど、ディン様の家族ってどうしたの? あ、言いたくなかったら、いいよ!」
家族事情は話しにくいことがあるのに気付いたユアは咄嗟に打ち消した。
それでも彼は話してくれた。
「幼い頃に親と別れ、人間と共同の児童施設に入った。親の顔を覚えている点を除けば、お前と同じだ」
「ディン様も施設育ちなんだ?!」
「ディファートにはそういう者が多い。俺が育った地域では特に差別がひどく、結婚、妊娠、出産をしたディファートはすぐに排除された」
「ひどい……」
「ウィムーダも唯一の肉親である母親と引き離され、俺がいる施設へやって来た。七つの時だった」
「てことは、幼馴染だったんだね。何で引き離されたの?」
「母の腹に子供がいたのだ。性別も判明しており、妹だったらしい。“掟を破った”と、母親は人間どもに拉致された。おそらく、母子共に……」
悲しい事情にユアは返事が出来ず、気軽に尋ねたことを後悔した。
察したディーンがすぐに気遣った。
「気にするな。ウィムーダが亡くなってから、この話を他人にしたのは初めてだ。おかげでスッキリした」
そう言った後でディーンは話を変えた。
「しかし、お前の背景にも色々あるとは思わなかった。勝手に”順風満帆に生きて来た”と思っていた」
「私、不器用だから……」
「原因はそれだけではないだろう。特に、今回は相手に問題がある。異世界へ逃げたくなるのも納得だ。お前の笑顔からはまったく想像がつかなかったぞ」
突然、ユアは足を止めた。
ディーンも足を止め、彼女へ振り返った。
「どうした?」
「……明るく居たら、大丈夫だって思ったの」
ユアは俯きながら話した。
まるでミラーレ出発前夜に公園のベンチの上で、人生に絶望していたことを告白する時のように。
「物語に出て来る明るいキャラみたいに振る舞っていれば、お話しの中みたいに”いつかは幸せになれる”って思ってたの。でも、無理だ。我慢はたくさんして来たけど、“怖いから”、“言い返されるから”って理由でリマネスに立ち向かわなかったし、今回だって異世界に逃げただけで何の解決にもなっていない。結局言い訳して相手の言いなりになったり、逃げることしか出来ない。何も出来なかった……」
ディーンはユアのところへ戻り、彼女の前に跪いて顔を覗き込んだ。
彼は心配そうな表情を浮かべていた。
「何故、今から決めつける? 辛かったから逃げ出したのだろう? お前は間違っていない。反発出来なければ逃げるのも手だ。もし、園長に聞いてもらえそうにないなら俺が話す。今のユアには助けが必要なのだ!」
ユアは顔を上げ、相手の顔をじっと見つめた。
ディーンも見つめ返し、真剣な眼差しで言った。
「これからは無理をするな。“明るく振る舞えば幸せになれる”と言っているが、正直でいなければならぬ時もある。だからと言って“暗いままでいろ”とは言わぬ。話を聞いていると、お前はこれまでたくさん我慢をして来たと見える」
ディーンはユアの手を握りしめた。
「これから俺の前では無理して笑うな。先ほどのように泣けばいい。辛い時まで笑っているのは疲れるだろう?」
ユアは目を見開いた。
そんな励ましの言葉を人から掛けてもらったのは初めてだった。
しかも、相手は今の推しである。
「その時の感情をそのままぶつけてくれ。今のままではいつか心が潰れ、負の感情が爆発し、取り返しがつかなくなる。フィーヴェを襲った俺みたいにな。今まで辛かったな……?」
ディーンからの思いがけない優しい言葉に、ユアの目から滝のように涙が溢れ出した。
「い、いかん!」
公園の時のように号泣されると思い、ディーンは転ばぬ先の杖として防音能力もあるマントを出した。
しかしユアは手で拒否し、感謝を伝え始めた。
「ありがとう……。ディン様と出会えて、私、すごく幸せだよ!」
「大袈裟な!」
ディーンは笑いながら、ユアの頬を伝っている涙を手で拭いた。
励まされたユアも「これだけ優しいと人を殺せないのも納得だ」と思うのであった。
◇
しばらく歩くと、児童養護施設「グロウス学園」に到着した。
インターホンを鳴らすと、六十代ぐらいの女性園長が真っ先に出て来た。
夜分の訪問だと言うのに即座に出て来たのは、インターホンにはカメラが付いており、訪ねて来たのがユアだとすぐにわかったからだ。
園長はユアを見るなり声を荒げた。
「今までどこにいたの?!」
ユアは一瞬、体を震わせた。
園長は元々温厚で、落ち込んでいるユアにプリンを作ってあげるほど優しい人物だが、今は怒りをむき出しにしていた。
「言いたいことが山ほどあるの! まず一月にニュースになってたけど、ロミートさんの屋敷を飛び出したんですって?! リマネスちゃんがどれほど心配したと思ってるの?! 今日も脱走したそうね? あなた、もうすぐ卒業でしょ? こんな子供じみたことをしてたらこれから先、上手くやっていけないわよ!」
園長は溜まっていた思いを爆発させるようにまくし立てた。
ユアも反論したかったが、入る隙が見つけられなかった。
「リマネスちゃんが可哀想でしょう?!」
相手がそこまで言うと、ディーンが口を挟んだ。
「なら、里親は解除で良いな?」
ここで園長はディーンの存在に気が付いた。
「不快な思いをさせ続けるのなら、離れた方が互いのためだ」
「あ、あなたは?」
「私はディーン。ユアの生き別れの兄だ」
「お兄さん……? い、生き別れ?!」
ディーンが簡単に挨拶をすると、園長は再び叫んで驚きを示した。
彼は設定の通りに考えて来た台詞を言い始めた。
「長い間、妹が世話になった。ようやく再会できたゆえ、共に暮らそうと思っている。そのために、里親の契約を解除していただきたい」
「え……? い、いきなり、そう言われましても……」
「ユア!!」
声がした方へ向くと、リマネスがこちらを悲し気に見つめながら立っていた。
「リマネス……」
「あいつがそうか」
ユアが怯えながら言うと、ディーンは園長と本人に聞こえないように耳打ちした。
リマネスは近付いて来た。今にも泣きそうな顔をしていた。
「どこへ行ってたのよ? リマネス、ずっと心配してたのよ」
「そうよ、ユアちゃん! リマネスちゃん、あなたが心配で食事も喉を通らなかったんだから!」
園長は早速リマネスの味方をする。
ユア一人だけならここで言い負かされてしまうが、今日はディーンも一緒だった。
彼は早速不審に思うと、容赦なく指摘をした。
「それは誠か?」
「……と、言いますと?」園長が怪訝な目で睨んだ。
「“本当にユアを心配しているのか”と聞きたい」
ディーンの質問に、リマネスは涙声で訴えた。
「何を言っているのですか? 私はユアの姉ですよ! 妹を心配するのは、血が繋がっていなくても当然じゃないですか!!」
「心配なら、暖炉にゲームを入れるようメイドに指示するのか?」
園長が目を見張った。
「当選したグッズを本人の許可なく没収するのも、姉の役割だと申すか?」
「な、何の話ですか……?」
「今日あった出来事だ。今朝、ユアはなけなしの金で買った最新のゲームを暖炉に入れられた。リマネスがメイドに指示を出した。そして、ユアが当選した人気歌手のグッズも没収し、クラスの者たちに配ったのもそいつだ」
耳を疑いながら園長が聞くと、ディーンはリマネスを指さして言った。
相手は表情を一つも変えていなかったが、目の奥に不快な感情が読み取れる。
ディーンを味方につけたユアの反撃が始まった瞬間であった。