第68話「気まずい対面」
フィーヴェ。
幅広い川の上には鉄製の橋が掛かっており、その向こうには外敵を寄せ付けないための頑丈な壁があった。壁の向こうは見えないが、遠くには壁を超える高さの城が見えていた。
城と町は城壁で守られている。
ここはインベクル王国と言って、フィトラグスの故郷である。
「帰って来たな、フィット!」
喜びと興奮で声を弾ませるオプダット。ティミレッジは緊張で手が震えていた。
ディンフルを倒す旅に同行した仲間たちは初めて訪れるのだ。
「ま、まさか、生きている間に、インベクルの王家にお会いする日が来るなんて……」
「“王子の付き添い”と言えば、みんな優しくしてくれるわよ」
横からソールネムが冷静に言った。
唯一彼女のみ城に出入りした経験があり、既に国王と女王から顔を知られ、信頼も得ていた。
そして、ディンフルも一度来ていた。魔王として襲来した時だ。
王家や国民とは気まずい対面になるのは明らかなので、今からフィトラグスは心配していた。
「大丈夫か?」
「ディファートを受け入れてもらうためだ。逃げても仕方あるまい」
当の本人は覚悟を決めていた。
「決心が固いのは評価するけど、許してもらえるとは限らないわ。みんな、あなたとその部下に脅かされたのだから」
「……承知している」
ディンフルの意思を聞くと、一行はフィトラグスを先頭に城門を目指して橋を渡り始めた。
門が近くなると、門番が駆け寄って来た。
「フィトラグス様、ご無事でしたか!」
「ああ。そちらも大丈夫そうだな?」
「はい! 国王様も女王様も、ノティザ様と国民の皆様も無事です!」
「父上たちも? よかった……」
家族の安否も聞かされ、フィトラグスは心から安堵した。
門番も同じように喜んだのも束の間、彼は一行の後ろに見覚えのある顔を見つけた。
「フィトラグス様……?」
列の後ろを指して動揺する門番。
フィトラグスは仲間たちのことを言っているのだと思った。
「紹介するよ。旅の途中で出会った……」
そこまで言ったところで、門番は大声で遮った。
「ディンフルじゃないですか! 何故ここに?!」
「こ、これには深い理由があるんだ。ディンフルはもう何もしない。俺が保証する。今はここを通してくれないか?」
インベクルを異次元へ送った張本人が王子と共に行動している。門番は現時点で理解しがたかった。
しかし、王子が言うのだ。門番に反論する権利はなく、「フィトラグス様が仰るのでしたら……」と従い、城門の扉を開いて一行を通した。
◇
城下町に来ると国民は皆、中央の広場に集まっていた。
フィトラグスの父であり国王のダトリンド、母であり女王のクイームド、そして歳の離れた弟のノティザが国民たちに囲まれていた。
一番に、幼いノティザがこちらに気付いた。
「おにいちゃ~ん!!」
幼き王子は短い赤髪で、金色のボタンがついた丈の長い赤色のコートを身に着けていた。
ノティザは喜びに満ちた顔で駆け寄り、フィトラグスに抱き着いた。
フィトラグスもノティザを抱き上げ、満面の笑みを浮かべた。
「ノッティー! ケガはしてないか? 具合は悪くないか?」
久しぶりに弟に触れると、兄として色々と心配し始めた。
ノティザは元気よく答えた。
「ぼく、げんきだよ! でも、おにいちゃんがいなくて、さみしかった。また、あそんでくれる?」
「もちろんだ! これからはずっと一緒だからな!」
「ほんとう?! やくそくだよ!」
仲睦まじい兄弟の姿を見て、国民たちは和やかな表情を浮かべる。
一方で仲間たちは、より緊張が増していた。
「こ、これが、フィットの弟か。生で見ると、本当に小さいんだな……」
「シッ! ノティザ様の前だよ! あと、子供だから小さいに決まってるでしょ!」
二人はフィトラグスに弟がいるのは知っていたが、こうして会うのは初めてだった。
ティミレッジは、小さい子供でも王家の一人なので敬うように心掛けていた。
後ろのチェリテットとソールネムも王家の前なので、顔が強張っていた。
国民がディンフルに気付きざわつく中、国王のダトリンドがフィトラグスらに近付いた。
王冠などは被っておらず、短く整えられた赤髪、立派に生やした髭、金色の刺繍が入った赤色のジャケットを身に着けていた。
もう一人の息子の無事がわかり、穏やかな顔で近付いて来たが、すぐに鬼のような形相に変わって怒鳴りつけた。
「ノティザ!! フィトラグスのことは“兄上”と呼ぶように、いつも言っているだろう!」
いきなりの怒号にフィトラグスは一瞬だけ身を震わせ、仲間たちも国民もそれぞれ喋っていたが一斉に無言になった。
怒鳴られたノティザは「ごめんなさい……」と泣きそうな顔になった。
「良いではないですか。ノティザはまだ六つですよ?」
ダトリンドの後方にいたクイームドが落ち着いた口調でなだめた。
長い赤髪をハーフアップにし、後方で団子型に結っていた。服装は薄い桃色のロングドレスに、桃色のマントを着用していた。
「幼い今のうちから習慣付けねばならぬ。次からは気を付けるのだぞ!」
そこまで言うと、ダトリンドは次にフィトラグスへ視線を移した。
フィトラグスはノティザを降ろすと、国王へ向き合った。
「只今戻りました。皆が無事で嬉しい限りでございます」
ダトリンドは敬語で話すフィトラグスへ頷くと、彼の後ろにいる仲間たちへ目をやった。
「お前も無事で何よりだ。それよりも、後方にいるのは旅先で出会ったであろう仲間と、我らを異次元へ送ったディンフルで間違いないな?」
「……はい」
「何故、魔王と一緒なのだ?」
フィトラグスは父の問いには答えず、自身の考えを口にした。
「先にお伝えいたします。我々はディンフルを倒さぬことに決めました」
国民は驚きの声を上げた後で、一人ずつ不満を漏らし始めた。
「ディンフルを生かすって、俺達を異次元へ送ったんだぞ……」
「私たちだけじゃなくて、他の地域も送られたそうよ? そんな危ない人を許すなんて……」
「国王様、私は反対です! ディンフルの行いは重罪です!」
「同感です! 死刑を希望します!」
遂にはダトリンドへ訴え始めた。
「死刑」という重い言葉に仲間たちはうろたえ始めた。
「ちょっと待ってくれ! ディンフルがこんなことしたのには、ワケがあるんだ!」
オプダットが呼び掛けると、フィトラグスが「俺が話すよ」と横から制した。
「聞いて欲しい! ディンフルはインベクル王国や他の地域を異次元へ送ったが、元に戻したのも彼の意思なんだ」
国民は再び驚愕すると今度は沈黙した。
静かになったところで今度はティミレッジが説得をした。
「ディンフルさんはもう悪いことはしません。僕たちが保証します!」
「何で“さん”付けなの……?」と彼の呼び方を気にする声も少なくない。
「そいつは忌まわしきディファートでもあるんだ!」
「その時点で信用できるか!」
「出て行け!」
「消えろ!」
一度無言になっていた国民は、今度はディンフルへ野次を飛ばし始めた。
「みんな、やめてくれ!」
「お願いします! 話を聞いて下さい!」
「ちゃんと理由があるんだよ!」
フィトラグス、ティミレッジ、オプダットは必死に彼を庇い始めた。
「もう良い!」
ディンフルが声を上げると、国民と仲間たちは再び沈黙した。
彼はダトリンドに向かってゆっくりと歩み始めた。
「国王様、危ない!」
国民の一人が叫ぶ。魔王がダトリンドを襲うと思っていた。
気付いたディンフルはその場で止まると両膝をつき、国王へ向かって土下座をした。
「申し訳なかった……」
全員が沈黙し、目を丸くした。
「ディンフル?!」
「謝らせてくれ。皆を恐怖に陥れたことは事実である」
フィトラグスが土下座をやめさせようとするが、ディンフルは頭を下げたままだ。
「あ、頭上げろよ! ディンフルが怒るのも無理ねぇんだから!」
ベチャッ!
オプダットが庇おうとしたその時、首を垂れるディンフルの頭に熟れたトマトが命中した。
「ディンフルさん!」
「誰が投げたんだ?!」
慌てるティミレッジと、怒りを表すオプダット。
フィトラグスも何か言うべきと思っていたが、自国の民が物を投げたことに衝撃を受け、言葉が出て来ない。
「もう良い」
ディンフルは静かに言うと立ち上がった。彼の顔と服は赤い汁で汚れてしまった。
投げ付けられたトマトを地面に捨てると、足早に来た道を戻り始めた。
「ディンフル!!」
フィトラグスは追おうとするが、家族の反応が気になり行きづらかった。
ダトリンドは厳しい目で、クイームドは心配そうに、ノティザは何が起きたのかわからずキョトンとした顔でフィトラグスを見つめていた。
国民の野次にかき消されたため家族の意見は聞けず、国王がディンフルをどう思っているのかわからない。幼いノティザを容赦なく怒鳴るほど厳格なので、許してもらえない可能性も十分にあった。
「僕たちが行くよ」
察したティミレッジが言った。
彼に続いてオプダット、ソールネムとチェリテットも駆け出して行った。
残されたフィトラグスへ、ダトリンドが声を掛けた。
「何か深い理由があったようだな。だが、事情を聞いた上で許すとは限らん。奴はフィーヴェ全体を恐怖へ陥れた。極めて重罪である。異次元へ飛ばされた全員が無事だったから良かったものの、そうでなかった場合、お前は許せたか? もしも、我が国の民や家族の誰か一人でも欠けていたらどうしていた? 大切な者を失った悲しみを怒りに変え、ディンフルを憎んでいたのではないか?」
フィトラグスは言葉が出なかった。すべて図星だった。
しかし、大切な人を失ったのはディンフルも同じだった。彼はウィムーダという名の恋人を殺され、住んでいた家も放火で失った怒りと悲しみで魔王になったのだ。
すぐにでも事情を説明したかった。
「フィトラグス、仲間たちを追いなさい。国民の対応は我々がします。詳しくは後日、ゆっくり聞きましょう」
「ありがとうございます!」
母であるクイームドから許可をもらい、フィトラグスは感謝を込めて返事をした。
「おにいちゃん、またどこかいくの? ぼくも、いっていい?!」
「“兄上”と言っているだろう!!」
ノティザは目を輝かせてついて行こうとするがダトリンドから注意を受け、また涙目になった。
「ごめんな、ノッティー。お兄ちゃ……じゃなくて、兄上は行かなきゃいけないんだ。今度はすぐ戻って来るから、ちょっとだけ待っててくれ」
フィトラグスはなだめるようにノティザに笑いかけると、仲間たちの後を追い掛けて行った。