第66話「望まざる帰郷」
ユアは、ヴァートンという名のメイド長に連れられ、屋敷内の大広間に通された。
部屋の中央のソファには薄い紫色の巻き髪に、白いフリル付きの紫色の長袖ワンピースを着た女性が座っていた。
「ユア?!」
女性は驚きの声を上げるとソファから立ち上がり、真っ先に駆け寄って来た。
「二週間もどこに行ってたの?! ずっと心配してたのよ!」
「庭の茂みに隠れておりました」
相手は涙声でユアへ訴えるが、無表情で涙が出る気配がしなかった。
対してヴァートンは変わらず冷静な口調で、ユアを見つけた時の状況を説明した。
「教えていただきましょう。今までどこへ行かれてたのですか? このロミート家と警察が総出で世界中を捜索しましたが、見つかりませんでした。リマネス様がどれほど心配されたとお思いですか?」
ユアは俯いたまま無言を貫いた。
「聞いていますか?!」とヴァートンが声を荒げても、体を震わせるだけだった。
「いいわよ、ヴァートン。ユアが見つかったなら、それで……。だけどビックリしたわ。あなたがいなくなった日、GPSを辿って行ったらゲーム屋に着いたの。そして店の前にこれが落ちてたから、誘拐されたと思ったのよ」
リマネスはコート掛けからピンク色のコートを一着外して見せた。
それは、ユアがゲームを買いに行った当日に着ていたものだった。
「これ、リマネスが選んであげたのよ。着てくれて嬉しいわ」
リマネスは声を弾ませるが、その目はやはり笑っていなかった。
ユアがそのコートを選んだのは寒さを凌ぐためであって、特別な理由は無かった。
もちろん、リマネスを喜ばせるつもりも無い。
「それと店員さんにお尋ねしたところ、ゲームを買われたそうですね? そのゲームはどこにあるのですか?」
横からヴァートンが聞いた。
ユアはおどおどしながら「持ってません……」と答えた。
「ウソを言わないで下さい。店員さんの証言も得ていますし店内カメラにも映っていたのですよ、あなたがゲームを買う姿を。出して下さい」
ユアが黙っていると、またリマネスが口を挟んだ。
「もういいじゃない。ユアが見つかっただけで充分よ。詳しいことはこれから聞いて行けばいいわ。それよりも、早く捜索願を取り下げましょう。まだ警察の方が探してくれてると思うわ。世界中にも見つかった報告をしないと」
「世界中……?」
ユアが訝し気な顔で聞くと、リマネスは口元だけ緩ませて言った。
「あなたが早く見つかるように、世界中の人にも呼び掛けといたの」
ユアは愕然とした。
捜索のためとは言え、世界中に自分の個人情報が晒されてしまっていた。
ヴァートンは捜索願を取り下げる準備に取り掛かった。
彼女が出て行くと、リマネスはいきなりユアと手を繋ぎ始めた。
「さあ、お部屋に行きましょう」
目を細めただけの作り笑顔に、ユアは寒気が止まらなかった。
◇
連れて来られたのはリマネスの部屋。
屋敷のお嬢様なだけあり部屋もただっ広く、フリルの天蓋が付いたダブルベッドに、絢爛豪華な絨毯が床に敷かれ、天井には大きなシャンデリアが飾ってあった。他の家具も華やかなものばかりだった。
「今日から、ここがあなたの部屋よ」
「えっ?!」
「また急にいなくなられると困るから、リマネスと部屋を一緒にしてもらったの。その方があなたも嬉しくないでしょう?」
ユアの青ざめた顔を見て、リマネスは笑った。
今度は心からの笑みだった。
そこへ部屋に取り付けられていた電話が鳴り、リマネスが受話器を取って出た。
その間にユアは、服の下に隠していたイマストVのソフトを確認した。大穴に吸い込まれる時、破れたリュックからこのゲームも一緒に飛ばされたのだ。
そしてボトムスのポケットには、ディンフルに壊された魔封玉の欠片も入っていた。
彼らと過ごした時間は夢ではなかった。行く前はまん丸だった魔封玉が小さくなっているのが、何よりの証拠である。
これらがリマネスやヴァートンに見つかったら、取り上げられるのは間違いない。
「何をしているの?」
電話を終えたリマネスがこちらを見ていた。
「ち、ちょっと、トイレに……」
「外は寒かったからね。いいわ。リマネスが一緒に行ってあげる」
またリマネスに手を繋がれ、トイレに行くユア。
ついて来たのはトイレの前までで、中まではさすがに入れなかった。
ユアには好都合だった。何故なら、これから生来の能力でまた異世界へと飛ぼうと決めていたからだ。
(もう一度行こう。ここは私の居るところじゃない!)
トイレに入ると、ユアはイマストVのソフトを抱きしめ、強く念じた。
本来、行きたい世界の情報が詰まったものを手にして念じるのは最初の一回目だけで、二回目は軽く念じるだけでも行ける。
しかし、今はフィーヴェへ行きたい気持ちがかなりあったので、一回目よりも強く念じた。
ところが、何も起きない。
その後も何度念じても、異世界へ飛ぶことは出来なかった。
(何で? いつもは行けたのに……)
諦めずもう一度試みようとするが、外からドアをノックされた。
「どうしたの? お腹でも壊したの?」
リマネスだ。長いこと入っていたため、呼び掛けて来たのだ。
彼女を心配させると後々面倒になるとわかっていたユアは「大丈夫……」と力なく返事をし、ゲームソフトを再び服の下に入れ、トイレを後にした。
逆に、リマネスがトイレに行く時も手を繋いで行き、今度はユアがその前で待った。
手を繋いで歩くのは相手が決めたことであり、ユアは心から嫌がった。
彼女がいない今の間に再び試みようとしたが、ヴァートンがやって来た。
「あまりお嬢様を困らせないで下さい。あなたがいなくなって、どれほど心配されたことか」
ヴァートンは目の前に立った。
これから長い説教が始まるのだと、ユアは身構えた。
「養護施設から引き取られてもうすぐ三ヶ月になりますが、そろそろリマネス様との生活に慣れて下さい。哀れに思って引き取って下さったのに、未だ感謝がありませんね? 時々反抗的な態度は取るし……。自分が恵まれていることに早く気付いて下さい」
終始冷たい口調のヴァートンへ、ユアは恐れながらも言い返した。
「リ、リマネスは誰にも見えないところで、意地悪をするんです。だから、恵まれてるなんて思ったこと、ありません」
「それはリマネス様のご冗談です。あんなにお優しい方だと言うのに、意地悪とは失礼な……! あなたは小学校の頃から可愛がられて来たのですから、あの方が冗談をお好きなのはご存じでしょう? これからは逃げ出すなんてバカな真似はしないで下さいね」
ヴァートンも負けずに言い返すと、ユアに背を向けて去って行った。
(見て見ぬふりするしか出来ないくせに……)
ユアはリマネスの召使であるヴァートンが自分の味方でないことはすでにわかっていた。
信用はまったくと言っていいほどしていない。
トイレから出たリマネスは手を洗うと、再びユアと手を繋いで部屋へ戻って行った。
ユアの悪夢は始まったばかりだった。