第57話「帰郷」
森の中。
黄緑色の長い髪を左上でサイドポニーテールにした武闘家の女性が、左右を隈なく見て歩いていた。
「本当にどこ行ったんだろう?」
「チェリー!」
後ろから、もう一人の女性の声がした。
「チェリー」とは武闘家の女性の愛称で、本名は「チェリテット」と言う。
「こっちの道よ。今、水晶玉に出て来たわ」
やって来たもう一人の女性は水色の長い髪を左下でおさげにし、紫色のローブを着てフードを頭に被っていた。
先を歩いていたチェリテットに、前方ではなく脇道を指して言った。
「ソールネム、この森で間違いないの?」
「水晶玉の導きでは、そう出ているわ」
このソールネムという女性は、ティミレッジと同じ村の出身の黒魔導士。
彼女は片手に野球ボールほどの大きさの青色の水晶玉を持っていた。
「その水晶玉は間違ったことが無いけど、現時点で変わったことはないよ?」
「何か起こる予感がするの。いなくなったフィットたちと会えるような感じが」
「ディンフルに異次元へ送られてなければいいけど……」
ソールネムとチェリテットの女性二人組はフィトラグスらと何かしらの関係があるようで、彼らの無事を祈り続けた。
◇
緑界の宿屋。
元気になったユアはおそるおそる、一階の食堂で食べるフィトラグスたちへ声を掛けた。
「お、おはよう……」
「おっは~!」
「おはよう、ユアちゃん!」
「おはよう」
オプダット、ティミレッジ、フィトラグスが挨拶を返した。
三人とも彼女の回復を喜び、微笑んでいた。
ディンフルと一緒に離脱していたフィトラグスも好反応だった。
「あ、あの……、昨日のことだけど……」
ユアがそこで言葉を詰まらせると、彼が口を開いた。
「もういいよ。今は魔法を封じられて良かったって思ってる」
「えっ……?」
「昨日、オープンに言われたんだ。もし魔法が使えるままだったら、ディンフルとやり合ってどちらかが死んでたかもしれない。自分でも怒りを抑えられずにあいつを殺してたと思う……。その前にディンフルのことだから魔法でフィーヴェへ帰るか、ユアを異次元へ送ってたかもしれないけどな」
浮かない表情のフィトラグスの後で、オプダットが意気揚々と言った。
「それ考えたら、封じられたスリットはあったな!」
「”メリット”ね……」
ティミレッジはいつも通り、彼の言い間違いを訂正した。
「私が異次元……か。もっと怒らせてたら、そうなってたかも?」
ユアの言い方にティミレッジが反応した。
「“もっと怒らせてたら”って?」
「“数少ない賛成者”って理由で見逃してもらったよ」
「えぇっ?!」
オプダット、フィトラグス、ティミレッジは驚いて声を上げた。
「た、確か、俺たちって、竜巻が来た後すぐ、ミラーレに飛ばされたよな?」
「ディンフルもまだ魔王の気が強かったはず……。それなのに、ユアを許してくれたのか?」
「それも賛成者……つまり、“ファンだから”って理由で?」
「うん。魔法も空間移動のを使おうとしたし、私を異次元へ飛ばす素振りは無かったよ」
ユアの証言でフィトラグスは難しい顔をして考え始めた。
「おかしくないか? あれほど俺たちを苦しめた魔王が、“ファンだから”ってだけで人間に目をつぶるとは。甘いと言うか……」
「も、元々、優しい人なんだよ」
ティミレッジが焦りながらディンフルをフォローした。
四人が話していると、ディンフル本人がやって来た。
手には物が入った袋をぶら下げていた。
「私の悪口か?」
からかうように言うと、フィトラグスがさらに被せるように皮肉を言った。
「そうだ。よくわかったな」
ユア、ティミレッジ、オプダットの三人はおろおろとした。
当のディンフルは気にしていないようだった。
「まぁ、いい。準備が出来次第、出発だ」
受け流されたフィトラグスだが、いつもみたいに不服そうにはしなかった。
二人が前より丸くなったことにユアたちはほっとした。
「何か買って来たのか?」
「ああ。言っておくが、お前たちへの土産ではない」
ディンフルがオプダットからの問いに答えると、フィトラグスは身の毛がよだった。
彼の青ざめる顔にいち早くディンフルが反応した。
「何だ、その顔は?」
「あんた、買い物したのか……?」
先ほどの皮肉は流したが今の質問は癪に障ったらしく、ディンフルは眉間にしわを寄せて聞き返した。
「どういう意味だ?」
「魔王だから、てっきりしないものだと……」
「失礼な! 魔王になる前は人間と同じようにしていた! ディファートを差別しない世界で強奪するわけにもいかぬだろう!」
「魔王のディンフルが買い物」……ユアが描く彼の理想像に無かった姿だ。
出会う前からディンフルと言えば、絢爛豪華な玉座に足を組んで座り、ワイングラスで洋酒などを飲むイメージがあった。
実際、足を組んで座ると様になるし、マントを翻し大剣を振るって戦う姿は魔王のようだった。
しかし弁当屋や図書館で働いたり、山菜採りに行ったり、ケガした者をおぶって連れて行くなど、普通の人間と似たような箇所もあった。
そしてユアにとって一番意外だったのが、子守も出来るところだった。
実際にミルクを飲ませてもらい、村まで送ってもらったミントはディンフルにすっかり懐き、顔を見る度にご機嫌になる。
ユアが色々考えている間に、ティミレッジが重要な問題に気が付いた。
「買い物って、ここの通貨持っていたのですか?」
「そういえば?!」
ユア、オプダット、フィトラグスもそろって声を上げた。
「心配無用。物々交換だ。指定された草や花を依頼の数だけ持って行けば、物品を手に入れられる」
ミラーレでの山菜採りも難なく出来た彼なので、森での調達もお手の物だった。
数分後、朝食と荷造りを終え、準備が整った。
「全員、いいな?」
「はい」
すでに外で待っていたディンフルが確認すると、ユアが代表して返事をした。
しかし覇気がなかった。何故ならこの後、彼から罰が待っているからだった。
ユアは異世界へ飛ぶために、本のボヤージュ・リーヴルと鍵のボヤージュ・クレイスを手にした。
「それらをしまえ」
「えっ?」
「また、カエルや火の精霊みたいな奴に盗まれては困る」
「で、でも、これから使うし……」
「使わぬ」
ディンフルが食い気味に否定すると、四人は口をあんぐりさせた。
「異世界へ飛ぶんだろ? これらを使わないと行けないぞ?」
今度はフィトラグスの指摘にディンフルはため息をついた。
「すっかり忘れているな……」
呆れながら言うと彼は左手を上げた。
手の中から光が現れ、ユアたち五人を包みこんだ。
◇
ユアたちは別の森にいた。
リーヴルとクレイスを使った時のような強風や衝撃は少なく、比較的穏やかに移動が出来た。
緑界の森は一本ごとの木が天まで届くほど高く、空がほとんど見えなかった。
次に来た森は、木が緑界ほど高くなく、黒に近い灰色の曇り空が大きく見えていた。
「移動はこれで最後だ」
ディンフルの台詞の意味がわからず、四人はきょとんとした。
ティミレッジが一番に気が付いた。
「も、もしかして、ここって……?!」
「フィーヴェだ」
四人は悲鳴に似た叫びを上げた。
フィトラグス、ティミレッジ、オプダット、ディンフルにとっては生まれ故郷であり、ユアにとってはどうしても来たかった憧れの世界だ。
ついに、五人が目指していたフィーヴェに帰って来た。