第53話「緑界の掟」
「この緑界には、巨大虫が現れた時に生贄を神様へ捧げる掟があるのです」
最初に言い出したのは、緑界の王・緑王だった。
「生贄?」
ユアは疑問形で復唱した。
「生贄」という言葉は知っており、彼女が住む世界のどこかでもあったが現在は存在しなかった。
なので、おとぎ話の一つと思っていた。
「生贄を捧げることで、神様が我々の代わりに巨大虫を倒してくれるのです」
リーフも説明に参加した。
「で、でも、生贄って、捧げられた側は死んじゃうんですよね?」
リーフは「……はい」と悲し気に肯定した。
「生贄には条件があって、“二十歳を迎えていない十代の女性”でないとダメなんです」
「ずいぶんとピンポイントですね……。今、この世界にいるんですか?」
「ミドリ、ただ一人です……」
ユアは言葉を失った。
ミドリはリーフという若くて優しい夫を持っており、娘のミントもいた。
そんな順風満帆で、まさに「これから」と言う時に家族の絆が引き裂かれようとしていた。
だが生贄を捧げないと、巨大虫を封じることは出来ない。
緑王は自分の世界を守りたいが、リーフたちも譲れなかった。
「本当は代わってさしあげたいですが、わたくしの年齢は条件に当てはまりません。そしてこの緑界には現在、巨大虫を倒せる者もいません」
「緑王様! 私が巨大虫を倒します! なので、ミドリを連れて行かないで下さい!」
リーフが抗議するとミドリが口を挟んだ。
「現れた巨大虫は過去に例を見ない大きさなんでしょ? 下手するとリーフが死んでしまうわ!」
「君を失うより、ずっとマシだ!」
人間が倒せないほどの巨大虫の話を聞いて、ユアは真っ先にディンフルの顔が思い浮かんだ。
しかし彼はミントを村へ帰した後、どこへ行ったかわからなかった。
頼めたとしても、聞き入れてもらえるかどうかも危うい。
「わたくしもミドリやリーフたちに生きて欲しいです。しかし、この緑界が滅ぶのも耐え難いのです」
緑王も途方に暮れ、全員何も言えなくなってしまった。
ミドリの胸で抱かれるミントは大人たちの不安そうな顔を見て、今にも泣き出しそうだった。
沈黙を破るようにユアが尋ねた。
「あの……生贄の条件って、ニ十歳を迎えていない女性でしたよね?」
他の三人は一斉に彼女を見た。
「それって、別世界の人でもいけるんですか? “どうしても緑界の人じゃないとダメ”とかあるんですか?」
「わからないです。今まで緑界の住人しか捧げて来なかったので……」
緑王が頭をひねりながら答えた。
「だったら……、私を使っていただけませんか?」
ユアの告白により、三人に激震が走った。
「ユアさん……? 何を言っているんですか?」
「そ、そうですよ。ご冗談を……」
「冗談なんかじゃありません。リーフさんもミドリさんも、ミントちゃんにとっては大切なご両親です。どちらも欠けてはダメです」
「ですが、生贄として捧げられたら死んでしまうんですよ?」
「……わかっています」
「私たちの話を聞いて、同情してくれたのですか? あなたにだって、心配してくれる人がいるんじゃないですか?」
ミドリに言われるとユアの脳裏にディンフルを始め、ティミレッジ、オプダット、フィトラグス、そしてミラーレで世話になったとびらたちの顔が思い浮かんだ。
しかし、ミラーレはまた行けるかわからないし、一緒にいる四人も今は会いづらかった。
何より、仲間の二人からは完全に嫌われてしまった。
今回はユアに非があるので仕方のないことだった。
「私はいいんです。もう待ってる人もいないので……」
「でも、お連れの方がいらっしゃるのですよね?」
「私が原因ではぐれたので……」
リーフとミドリは顔を見合わせた。
緑王も困惑していた。異世界の者を生贄にするのは初めてなので、どうしていいかわからなかった。
「審議したいところですが、時間がありません。本当によろしいのですね?」
緑王は最後の確認をした。
「はい。ミドリさんには、これからリーフさんやミントちゃんとの時間が待っていますから」
ユアが決断を下すとミドリは声を上げ、顔を覆って泣き出した。
リーフも「ありがとうございます……!」と涙声で礼を言い、頭を深々と下げた。
◇
その頃、ディンフルは緑界とは違う森の中にいた。
「やはり、故郷の森は違うな」
彼は空間移動の魔法で、ようやくフィーヴェへ帰って来た。
もちろん一人だった。彼も今は他の四人とは会いたくなかった。
ディンフルは共に旅した者たちのことは忘れ、こちらでの行動に戻ろうとしていた。
しかし勇者のフィトラグスたちは別世界で、彼らの他に来ていた戦士たちも全員異次元へ送ってしまった。フィーヴェに戻っても戦う相手がいなかった。
このまま残った町村も異次元へ送ろうと考えたが、誤ってディファートの生き残りも消してしまいかねなかった。
自分に歯向かう者はいないので、フィーヴェを完全に支配出来るのも時間の問題だった。
今は余計な行動はしないことに決めた。
森の中を進んで行くと、突き当りに墓石があった。
近年に出来たものらしく、汚れや傷は見当たらなかった。
「久しぶりだな」
屈むと墓石に向かって優しく語り掛けた。
「会って話すことは出来なくなったが、どこからか見守ってくれているんだろう? 今のフィーヴェはお前の目にどう映っている?」
尋ねてみるが、もちろん返事はない。
それでもディンフルは話しかけずにはいられなかった。
背後に気配を感じたディンフルは立ち上がり、振り返った。
こげ茶色の髪を二つに下げた二十代前半ほどの女性が立っていた。
「エラ……?!」
「……やっぱり、ディンフルなのね?」
エラと呼ばれた女性はディンフルを悲し気な目で見つめていた。
彼の方は明らかに不快感を示し、ぶっきらぼうに声を掛けた。
「無事だったのだな?」
「ええ。あなたが村を異次元へ送った日、私たちは遠方の病院にいたから……」
「私たち……? 他にも逃れた者がいるのか。もしや……?」
「父の見舞いで病院へ行ってたの」
エラが父の話を出した途端、ディンフルは眉間にしわを寄せ、固く拳を握った。
「申し訳ないが、そちらの父は一生許すつもりはない。何故入院に至ったかはわかりかねるが、天罰が下ったとしか思えぬ」
「天罰と言うより……」
エラはそこまで言うと、言葉を詰まらせた。
ディンフルが「何だ?」と聞くと、彼女は自分の父について話し始めた。
ディンフルは目を見開いた。
その内容は彼を震撼させるものであった。