第12話
《Side:四ノ宮馨》
『...で、頼みたい事って?』
「私を6階まで運んで欲しい。もう、20分経ってる。...早く行かないと」
『今どこだ?』
「3階の西側」
馨は翔馬の声を耳に入れつつ、窓の鍵へと手を伸ばした。『鬼灯』の本拠地と化してからも人に触れられなかったのか、鍵は埃を被り、錆びついている。動かそうと力を入れると、鈍くも甲高い叫び声が響く。
影の隙間から時折吹く風が、馨の頰を撫でていった。
『3階の西...。ああ、ここか』
馨が窓際から2、3歩下がると影がするりと入ってきた。それに飛び乗ると、何とも言えない浮遊感が馨を襲う。足場は見えているのに、いざ足を踏み出すと確かな地を踏みしめる感覚が無い。体験した事はないが、空を飛んだらきっとこんな感覚がするのだろう。
『6階だったらどこでもいいのか?』
「うん。フロアマップは頭に入ってる」
『了解。準備しとけよ、カウントしたら突入する』
く、と一瞬動きが止まった後、影が上昇を始める。馨はもう一度フードを目深に被り直した。
そう言えば先程微かな爆発音と共にビルが振動したが、階下は今どうなっているのだろう。泰輝のことだ、そう心配しなくても大丈夫だとは思うが。
馨はおもむろに銃を取り出し、残弾数を確認する__残り、2発。人の心配なんてしている場合ではない。馨の顔に苦笑が浮かんだ。
手の平を伝い、脊髄を伝い、そして脳へ。銃弾を1つ込める度、その重さが響いてくる。ずしり、ずしり。馨はそれを感じない振りをし、機械のように弾を込めていく。一瞬、ぐらりと影が揺れた。手から零れ落ちた銃弾が影をすり抜け、夜の闇へと落ちていく。カーー・・・ンと、小さな反響音。
影が馨の視界を奪う。
『あと5m。__3、2、1』
窓ガラスの割れる音が、随分遠くで聞こえた気がした。馨の身体は影で覆われているため、ガラスの破片が頭上に降ってくる事も、衝突時に衝撃が来る事も無かった。
「ありがとう、翔馬。助かったよ」
『どーいたしまして。さっさと終わらせてこい、すること無くて暇なんだよ』
「それは翔馬だけだと思うけど?...まあ、夜明け前には終わるよ」
影が馨をそっと床へ降ろす。パキ、とガラスの破片が鳴った。辺りを素早く見回し、頭の中の地図と現在地を照らし合わせる。どうやら翔馬は6階の東側に回ってくれたらしい。好都合だ、ここからMCRはそう遠くない。この通路を直進し、左に少し行けばすぐだ。
出来るだけ足音が立たないよう走る。人の気配は相変わらずなく、本当にこの組織は機能しているのかと疑問に思う。最上階、言わば司令塔となるMCRがあり、恐らく『鬼灯』のボスがいるこの階にこそ、構成員を固めておくべきではないのか。この組織は、一体何を考えている__?
MCR、と掠れた文字の前で立ち止まる。扉に耳を当てるが、さすがに防音になっていて何も聞こえてこない。ドアノブに触れる。ゆっくりと回すと、馨を迎い入れるかのように、何の抵抗もなく扉は開いた。
こちらに背を向け、薄く光る多くのモニターを見つめている2つの人影。その片方にどこか見覚えがあった。先程出会った白髪の少女に背格好がとてもよく似ている。もう片方はすらっとしたシルエットをしており、翔馬とそう背丈は変わらないだろうか。2人は手を握っていた。
馨はその2人に向かって無情にも引き金を引いた。鮮血が飛び、倒れる__そうなることはないと、確信に似た予感があった。
ああ、やっぱり。銃弾が2人をすり抜けモニターに当たる。画面に細かい亀裂が走った。
「フードを被ったままで、しかも挨拶もなしかい?四ノ宮馨」
「...随分余裕があるんだね?__私は、あなたを殺すつもりなんだけど」
「...殺す、ね」
小馬鹿にするような笑い声が彼から漏れた。ニュースに載っていた写真よりも鮮やかな赤が、細められた目の中で存在を主張している。
「...まずは自己紹介といこうか。僕の名前は黒部零。君と同じく16歳だ。僕もSI所有者でね、SIは《Revive》。条件を満たしている人間を一度だけ生き返らせることができる。ああ、これを言い忘れちゃいけないな。この組織は僕が作った」
「何を、考えてるの」
「時間はいっぱいあるんだ。それに、ただ殺されるのは面白くない。君も知りたいことがあるんじゃないのかい?」
本当に、この男は何を考えているというのか。何とも言えない気味の悪さが体を走り抜けていく。
黒部零にのるか、のらないか。決めるのにそう時間はかからなかった。
「...『鬼灯』の目的は何?何の為に『THS』のメンバーを殺したの?」
「それは今は答えられない。君はまだ知らない事が多いからね。他にもっと無いのかい?ほら、この子は誰なのかとかさ」
零が繋いでいた手を離し、少女の両肩を優しく掴む。3階で出会った少女だった。兄妹ではないかと思えるほど、よくよく見ると零と非常に雰囲気が似ている。
「...四ノ宮馨、悪いやつ。何で、殺さないの?」
不機嫌そうに馨を見る視線は変わらない。零は少女に優しく微笑みかけた。少女を愛おしく思う感情が零を包みこむのが見える。
馨は、そんな感情を知らない。
「彼女は悪いやつだけど、僕に必要なんだよ。殺すのはまだ早い。...この子はユキ。政府の実験でSI所有者になった。SIは__」
「ちょっと待って」
今、この男は何と言ったか。馨が聞き間違えていなければ、政府の実験と、確かにそう言った。
矛盾している。SI所有者を狩るはずの政府が、SI所有者を生み出していたと言うのか。そもそも、SIという力は突然自身の身に授けられるものではないのか。馨は、自分の視界が一瞬揺らめいたのがわかった。息がしにくい。
零は笑ったまま__しかし、目は冷たく細められている__馨を見た。
「僕が何かおかしいことでも言ったかい?」
「政府の実験って、どういうことなの」
「...君達は愚かだ」
脈絡無く突きつけられた言葉に、馨は言い返すことができなかった。自然と視線が下がる。何故だかは、わからなかった。
「君達『THS』は真実を何も知らないまま、政府に従いSI所有者を狩る__なんて愚かなんだろうね。SIのことも、政府のことも、自分がどうして『THS』にいるのかも、何も知らない。無知な子供と同じだよ」
「あなたは、知っているとでも...?」
「もちろん。...話をしようじゃないか、四ノ宮馨。君は、真実を知るべきだ」
もはや任務の事など、馨の頭から綺麗に抜け落ちていた。手から拳銃が落ちそうになるのをすんでのところで堪える。
ユキが零の手をぎゅっと握ったまま、零を見上げる。長い白髪が肩から流れ落ちるのを、馨は視界の端で捉えた。
「...話の途中だったね。《Mirage》、それがユキのSIだ。このビルの入り口が隠されていたのも、3階で君が見た父親の姿も、彼女のSIによるものだよ。ユキは、数年前まで政府の実験施設にいた。一般人にSIを強制的に与える実験の、被験者だった」
「...」
「SIを一般人に使えるようにさせるにはどうすればいいか。政府はこう考えたのさ。__他人のSIを奪って、与えればいいと。元々SIは誰にでも扱える力だ。ただ、そのきっかけを与えられる人間が極一部というだけで。...SIをどう奪っているのか、どうやって与えているのかまではさすがに僕も知らない。だけど、SIを奪われたSI所有者の末路は知ってる。政府に、殺されるんだ」
「まさか、そのSI所有者って、私達が捕獲したSI所有者達...?」
「そうだよ。でもその説明をする前に...四ノ宮馨、この国のトップは誰か知っているかい?」
「...長谷川、忠臣」
長谷川忠臣__一度だけ、会ったことがある。馨が『THS』に迎い入れられたその日、馨に会いに来たと、にこやかな笑顔を浮かべこちらに手を差し出したのを覚えている。この人がニホンを統べているのだと、幼い私でも理解できるほどの風格があった。
「彼もSI所有者だ」
「なっ...⁉︎」
「彼がどんなSIを持っているか探ろうとしたんだけど失敗してしまってね。生憎詳細はわからない、が、彼のSIが関係して政府に連行されたSI所有者を3つに分類していると考えている」
「...殺される人と、SIを奪われる人、『THS』に所属することになる人」
掠れた声が漏れた。次々と告げられる真実が本当なのか半信半疑だったのに、すっかり信じきっている自分がいた。普段、馨が感じていた微かな疑問が、彼の発言を裏付ける。
「そう。だから、君は彼に選ばれたんだよ。生きる価値のある者として」
零は深く息を吐くと、近くにあった椅子に腰掛けた。椅子はまだある。座らないのか、と目で訴えられたが、馨は到底座る気にはなれなかった。
モニターに泰輝達の姿が映る。みんなは知っているのだろうか。政府の私欲的な目的のために自分達が使われていた事を。
馨は初めて政府の『道具』という意味がわかった気がした。
「さて、と...。ここで1つ昔話をしようか。平和に家族と暮らしていた、とある少年の話だ。少年には両親に加え、可愛い妹がいた。学校に通い、友達と遊び、時に怒られながらも充実した毎日を過ごしていた。将来は学校の先生になるのが夢で、その影響か妹に勉強を教えることが大好きだった。妹とは随分歳が離れているから、そんなのわかるはずがないと何度両親に言われても、少年はそれをやめなかった。妹が楽しそうに笑うから嬉しかったんだろうね」
話している零の表情は柔らかい。
羨ましい、と馨は思う。この先の展開は何となくだが予想がつく。それでも、『家族』というものを知らない馨にとって、零の話は少し残酷だった。
「でも、幸せな日々は突然壊された。家族4人で出かけた先で、殺人が起こった。それは、SI所有者による刺殺で、『全員殺してやる』と、快楽に溺れたおぞましい声がアナウンスで流れた時には少年は死を覚悟したよ。逃げ惑う人々が順に殺されていき、少年の家族はお互いを抱きしめ合うように身を潜める。何分経ったかわからなかったけれど、周りが静まり返っているのに違和感を感じた彼らは、恐る恐る顔を上げた。家族を覆うように展開されている光の壁と1人の人間。ヒーローだと思ったよ。他のSI所有者が助けに来てくれたんだって」
零が一旦口を紡ぐ。
いつの間にかユキの姿はなく、馨と零、2人だけの空間になっていた。
「...違ったんだ。いきなり少年が光の壁から弾き出されたかと思うと、その壁はだんだん狭まっていき、そのまま少年の両親と妹を押し潰した。少年の目の前で、骨すらも残らないほどにね。少年は何が起こったのか分からず、ただ呆然としていた。するとSI所有者が近付いてきて言ったんだ。『今、どんな気持ちだ?悲しいか?辛いか?__目の前にいる、両親を殺したSI所有者を殺したいか?』
そこから先は、あまり覚えていない。気がついたらSI所有者は死んでいて、恐らく近くに落ちていたんだろうね、少年は血のついたガラスの大きな破片を持っていた。少年は、人を殺したんだ。記憶にはないけど、確かに殺したんだよ」
淡々と話す零は、無意識だろうか、両手を繋ぎ強く握りしめていた。爪が手の甲に食い込んでいる。馨は何も言わなかった。
「少年はその後、行くあてもなく彷徨った。血がべっとりと付いた服を脱ぐにも脱げず、ずっと血の香りを漂わせたまま路地裏で生活していた。ろくな食べ物も無く、日々衰弱していく体。もう、生きることがどうでもよくなっていた。...その時、ある人と出会ったんだ。その人は、少年を路地裏から強引に連れ出し、自分の家へと連れて帰った。少年は訳がわからなかった。でも、久し振りに触れた人の温かさが嬉しくて、手を振り払うことはできなかった」
ユキが、ティーカップをトレイに乗せ、ゆっくりと帰ってきた。ふわ、と紅茶の香りが馨の鼻腔をくすぐる。ありがとう、と言い零が一口飲む。
自分の手の甲の痛々しい爪痕には気付いていないようだった。
「その人は言った。あの日の事件は全て政府が仕組んだことで、『THS』って組織が少年の家族を殺したんだって。他にも全部教えてくれたよ。SIのこと、政府のこと、今ニホンで何が起こっているのかも、言葉通り全部。何でそんなこと知ってるんだって聞いたら、自分も『THS』の一員だから、そう、その人は答えた」
零がもう一度カップに口を付ける。揺らめく煙越しに馨を見る緋は、意外にも憎しみには染まっていなかった。
「...僕は『THS』自体が憎いんじゃない。政府そのものが憎いんだ。だから、政府の行動を阻害するために、政府に復讐するために、政府の手足となって動く『THS』のメンバーを殺す...そのために『鬼灯』を作った」
『少年』では無く、『僕』と零は言った。これは彼自身の、過去の話だ。
「僕は命の恩人であるあの人だけは信頼している。君に真実を教えてあげて欲しい、と頼んできたのはあの人だ。だからこうして、今話をしているわけなんだけど」
零の発言は、言外に『THS』の中に裏切り者がいる事を示唆していた。内部の情報を漏らしている誰か。今回の任務も、馨達がここに殲滅しに行くよう仕組まれていたのだろう。
最初から、馨達は零の__『鬼灯』の手の平の上で転がされていたのだ。




