第七話 総力戦
目の前の敵を滅ぼす事のみを考えている。天井近くの窓から入る白色の電雷光が青銅色の部屋の輪郭を克明にしていた。七人の反逆者は天使と神々に反抗する。
再び夜の闇の中に放り込まれ、黒く焼け焦げていくあの日の黒い炎が手に取るように見えて来る。いつでも聞こえてくるあの音―――木材が燃えて弾ける音も、そこから飛び立つ火花まで鮮明に思い出す。皮肉にも、彼の過酷な運命の記憶に最も鮮明に残っているのは、祖父が人間に与えた「炎」の記憶であった。ネアビスは自らに与えられた負の刻印を切り裂くように、剣を振り抜いた。
ネアビスが神々へと切り込むと彼の剣は空を切った。ニスオスはその隙を逃さず白銀の剣を突き立てるが、ネアビスは身を翻して攻撃を弾いた。そこにナリィが風矢を放つ。だがそれは衛天使の一人が身代わりになって防ぎ、ナリィに対して複数の衛天使が同時に襲い掛かった。ナリィは対処しようとするも防ぎきれない。
「こんなところで……!!」
「よいしょ!!」
弓取りに群がる敵が一瞬にして吹き飛んだ。いや、その群は横一文字に引き裂かれ、炎が跡形もなく残骸を燃やした。呆然とするナリィの前に立つのは炎斧を担いだナイジュフだった。
「おい、ぼさっとしてんじゃねえよ」
ナイジュフは間髪入れずに近付く敵を薙ぎ払っていく。ナリィもすぐに弓を引いた。
「分かってるわよ」
矢を放つ。その矢はナイジュフのすぐ脇を潜りニスオスと戦うネアビスの周囲の衛天使を貫いていった。ネアビスとニスオスの間には一進一退の剣戟による無数の溢れるような火花が飛び交っていく。ユユキュオスが美麗な双剣を構えて割って入り、ネアビスに切り掛かった。だがそれは一人の女剣士が受け止めていた。
「人間の割には、強靭な肉体を持っているのですね」
ユユキュオスは笑みを浮かべながらも強力な力で彼女を押し潰そうとする。その時、風神は風の逆巻く気配を感じた。まさかと思ったが、そのまさかだった。
突如として彼女の剣に風の渦巻く刃が宿りユユキュオスを跳ね除けたのだ。ユユキュオスは驚いていたが、すぐに不敵に笑みを浮かべる。女剣士も同じくして笑みを浮かべた。
「あなた方のお陰様で滅ぼされた一族の生き残り、そうさ、私は人外なのさ!」
吐き捨てて駆ける。床を蹴り飛ばして加速する。風の力がさらに働いて、その剣はまるで竜巻とまごう刃を持つ。彼女は叫んだ。
「喰らえ―――風翠―――!!」
風の神に風で挑むとはと、ユユキュオスは顔を歪ませる。だが彼女の放ったのは風だけではなく雷撃を含んでいたのだ。ユユキュオスはその出所を察知する。
「あの術士達が雷を」
ユユキュオスは風のように剣士の脇を抜けようとしたが、彼女はそうさせなかった。ユユキュオスの進路を塞ぎ、鍔迫り合いに持ち込む。その剣士の背後から無数の電撃が飛来してくる。ユユキュオスは力で押し込んで、剣士から距離を取った。
「もう、エリサはいっつも無茶するんだからぁ……」
イハスがため息をつくのをエリサは笑い飛ばした。その間にも天使はきちんと切刻んでいる。
「ああ、悪いな! つい熱くなっちまってな!!」
エリサの近くを光弾が飛んでいった。ユユキュオスはそれを何とか防ぐ。エリサの視線の先にはイハスの他にシーカが走ってきた。
「何とか追いつきました……」
シーカは苦しそうに呼吸していた。そこを衛天使達が襲い掛かるが、シーカの杖から放たれた光弾の前に全て消えてしまう。
「やれやれ、若いもんは逸りおって……!」
老人は長年に渡って鍛え上げた拳で、武器を持ち空を翔ける天使を次々に打ち砕いていく。彼は主の下に駆けていく。その目的を阻害するため六体の衛天使が前方から襲い来る。先ずは右の拳で砕き、次の前方の敵を全身を使って体重を移動させ、右足で深く踏み込み右肘で砕く。勢いを殺さずに左足で踏み込み、体の回転を使って三体目に左手の掌底を打ち込み、踏み込んだ左足を軸にして、右の逆回転蹴りで討ち取る。右足を床に突き立て、左の膝で敵を顎ごと撃破して、その左足で踏み込んで右の拳で六体目の衛天使を砕け散らす。ガンクァは包囲網に滑り込んでネアビスの背中を預かった。ネアビスだけではない。七人の仲間が全員、お互いの背中を預け合って円形を描いていた。
「完全包囲って事ですよ」
ユユキュオスが双剣を構えて引きつった笑みを浮かべる。エリサは彼に同じように笑い返した。
「囲んだだけでまだ倒せてないだろ?」
「運命を変えると言ったな。そんな事が出来ると思っているのか」
ニスオスはネアビスを睨みつけた。だが、ネアビスのその瞳から反抗心が消えている様子はない。轟轟と燃え盛る炎の中にいる時のように、一点を睨み続けている。
「ああ、変えてやるよ。運命なんぞ変えてやるさ」
「そうか」
ニスオスは未だに無限数のようにいる衛天使達と武器を構えた。そしてニスオスは、ネアビスは、同時に言い放った。
―――目障りだ。ここで消えろ―――
次の瞬間には響き渡る金属音。火花。それがまるで合図のようになだれ込む天使の軍勢。ネアビスはニスオスとの剣戟の中で指示を出す。
「エリサはユユキュオスを押さえろ」
そんな事言われなくても、と声が響く。
「シーカはエリサの援護、ナリィは天使の撃破、ナイジュフはナリィを護衛しつつ天使を刻め、イハスは出口の確保を、ガンクァはそれを援護しろ」
個々がネアビスの指示を受け取った。しかし、今はそんな状況ではない。衛天使の数が多すぎて処理しきれないのだ。仲間達の逃した衛天使に囲まれつつもネアビスはニスオスの完璧な剣技を紙一重で躱しながら衛天使に火柱を突き立てていく。ナリィが斉射で彼の周囲の衛天使を一掃すると、その瞬間を逃さず、ネアビスは複数の剣筋に陽炎を描いた。それがニスオスも驚愕する光速の連続剣であったと気付く時には、例い神と言えども複数の傷がついていた。ニスオスが一旦距離を取るもネアビスは瞬時に追撃する。防戦一方のニスオスの下に衛天使の援軍が来るが、イハスの雷撃がそれらを消し炭にする。ネアビスは尚も攻め立てて叫んだ。
こんなものか、こんなものが運命などを決めているのか!!
ネアビスはその剣に絶対零度の冷気を纏わせニスオスに向かって振り抜いた。全てを凍て付かせる強力な冷気にニスオスは雷の力を使って直前で回避したが、青銅の間のほぼ半分が凍結した。周囲の気温も一気に氷点下まで下がり、部屋中を飛び回る衛天使達を飲み込んだ巨大な氷柱が壁にもたれていた。その中にニスオスの姿はなかった。部屋の半部が氷結したのを目の当たりにして、ユユキュオスは精白の歯を食いしばり怒りを顕にしていた。そこにエリサの風雷の剣が襲い来る。
「よそ見してんなっ!!」
「黙れ雑魚がっ!!」
ユユキュオスは一喝して彼女の攻撃を右の剣で弾き飛ばし、体勢の崩れたエリサに左の剣を振り下ろした。仲間達はすぐに反応できない。エリサは瞬間思考を働かせたが、目を瞑った。死を覚悟したのだ。それからはじりじりと焦らすようにユユキュオスの凶刃が近付くのを感じた。エリサは仲間達に、心の奥底で謝罪しながら、眦から少量の涙が溢れ出した。
「消えろ」
ユユキュオスの冷徹な一言が響き渡る。その瞬間、エリサは自分に何か別の力が加わるのを感じた。
ユユキュオスの振り下ろした剣は勢い余って床に突き刺さり、爆音とともに古城を振動させた。砂埃が周囲の視界を奪い、衛天使達も戦闘を中断した。ネアビスが声を張る。
「ナリィ、風で吹き飛ばせ」
ナリィは言われるがまま風を纏って砂埃を吹き飛ばした。開けていく視界がとらえたものは、剣を床に突き立てた双剣使い。さらに開けて、床に倒れるエリサが確認できた。そして、双剣使いの正面には、片足を失った老人、ガンクァの姿があった。
「邪魔をするか、老人」
ユユキュオスは剣を引き抜き、壮麗な姿で老人の前に立ちはだかる。威嚇する冷酷な視線で老人を見下す。老人は健在の片足だけで身構えた。膝から下が切断された足からは赤い鮮血が溢れ出ている。それでも体の軸は一切揺るがず、完成された彫刻のようであった。ネアビスが片手をガンクァに翳す。老人の傷口に火の力を込めると、彼の傷口から少量の煙が上がった。血を垂れ流していた血管を塞ぎ、腐食するのを止める為に焼いたのだ。ガンクァは振り向かず、礼を述べた。
その時、衛天使の一つが床に伏しているエリサに襲い掛かった。だが、それをナイジュフは消し飛ばして、エリサを担いだ。ナイジュフが敵軍に背中を向けて仲間達の集まるところに戻るのを衛天使が襲い掛かったが、ガンクァの拳がそれを砕いた。そして声を上げる。
「若人共よ、先に行って敵の様子でも眺めていてくれ」
背後から見るその佇まいからは神々しさすら感じられた。仲間達は何も言えずにただただ彼の背中を見つめるばかりであったが、エリサを運び終えたイハスがガンクァの背後に歩み出た。
「先に行っててよ。なに、心配ないさ。このご老人は僕が連れて行くからさ」
イハスもガンクァと同じようにして背中を仲間達に向けたままであった。それでも、ネアビスはすぐに決断した。
「分かった」
ネアビスは刃の凍てついた剣を振り払い、氷を飛ばすと同時に今度は業火をその剣に宿した。彼は身を翻し、業火の刃で凍てついた青銅の間の半部を切り開く。
イハスは深く息を吸って杖を構えた。彼には感じられた。もうじき、この場に魔女が来るのだと。隣の老人はすっかり慣れたようにイハスの考えを読み取ってしまう。ただ、今更になって声を掛ける事もなかろうと、前方の敵に集中した。
先行部隊が青銅の間を後にするのを確認すると、衛天使達が一斉に襲い掛かる。数千の雷光と神速の拳が飛び交い、光の中に全てが包み込まれていく。
その後二人の姿を目撃した者は、一人として居なかった。