第五話 駆け出す
風の吹き始めた天海の雲の浜辺には、青年が一人眠っているのと、魔法使いが彼を見ている。空は未だ暗く、海面が星の光を反射している。
「ネアビス様、おはようございます!」
目が覚めると、シーカの青銅色の瞳が見えた。ネアビスはすっかり寝てしまっていたのだ。頭を抱えながら彼はシーカに礼を言って起き上がり、炎を灯していた剣を手に持ち、従者達のところに向かった。
「あ、お寝坊主人のお出ましだ!」
ネアビスが来るや否や、彼らはクスクス笑う。ネアビスは怪訝に思いながらも、遅れてすまないと詫び、出発の準備を整える。その間にも従者達は会話する。特にエリサがよく喋っている。ネアビスは内容が気になり、そちらにも耳を傾けてみた。
「いや、ネアビスの寝言は凄かったな。ずーっと、あ、なんだったっけ? エーッと……。そう! そうそうそうそう、シンシア! シンシアってずっと言ってたもんな!」
エリサがチラッとネアビスの方を見る。ネアビスは手入れをしていた剣を地面に突き立て、エリサの方を物凄い剣幕で睨んでいる。エリサはそれを指差して笑った。
「そんなかっかすんなって! 寝言なんて誰でもあるし、どうしようもないからさ!」
エリサはついに腹を抱えて眦に涙すら浮かべている。笑いすぎじゃないか、とナイジュフがなだめようとした瞬間、ネアビスは突き立てた剣に手をかけた。
「喋らせておけばっ!」
そしてエリサに切りかかるが、寸前でシーカが割って入った。
「まあまあ、こんなところで戦っていても仕方ないでしょう? それよりも早く出発しましょう!」
シーカがニコッと笑いかける。ネアビスは剣を納めた。納得はしていなさそうだったが、シーカの言う事の方が一理あった。ネアビスは身を翻して駆け出した。仲間達はそれに続いて駆け出した。
「ああいうところがあるから、ネアビスは可愛らしいんだよねぇ」
エリサの言葉にナリィは肯いた。シーカもハニカミながらも肯いた。
雲の上、永遠の紺碧の空の下を彼らは駆け抜ける。前方から襲い来る敵はナイジュフが薙ぎ払い、ガンクァが殴り飛ばし、ネアビスが切り捨てていく。側面からは矢と魔法が飛び出し、近付く敵はエリサが吹き飛ばす。イハスの術式が飛んで来る呪怨を蹴散らしてしまうから、敵は接近するしかないのだ。天界軍の真ん中を突っ切って、全貌があらわになった古城に向けて、ネアビス達の速度も上がる。一層激しくなる天界軍の攻撃。進軍が厳しくなる中、ネアビスが天使の翼を切り落としながら命令した。
「ナリィはありったけの風矢を準備しろ。シーカはその矢に雷を込めろ」
二人は肯き、ナリィは風矢の準備を、シーカは魔力を集中する。
「イハス、全力で結界を張れ。ナイジュフ!」
「言われなくても分かってるさ!」
イハスが結界を張ると、ナイジュフは炎斧の斬撃波で軍勢を焼き尽くした。それでも、敵は再び彼らを取り囲みつつあった。
「ガンクァ、ナイジュフ、散開して敵を引きつけるぞ! エリサはシーカ達の援護を頼む」
ネアビス、ガンクァ、ナイジュフは三方に散らばり敵を撃破していく。圧倒的多数に飲み込まれそうになりながら、彼らは抗い続けた。そして時は満ちる。風矢に雷撃の魔法が付加され、金色に輝く。ナリィが言う。
「当たっても知らないよ!」
「構うな、撃て!!」
ネアビスが答えるとナリィは弦を目一杯引き、狙い澄まして、解き放った。不可視の風矢が稲妻を帯びて発光し、触れただけで黒焦げになる電撃が何千もの光になって流れていく。それは地上から見える雨のようになって降り注ぎ、暗黒の夜を照らし出した。ネアビスは体を低くして雨を切り抜ける。黒焦げに積み重なっていく死骸を踏み越えて、門の開いた古城へと突撃する。その剣に炎を宿し、振り抜く度に火柱を上げ、敵を亡き者へ変えていく。連珠のような爆炎、連鎖する剣閃、一瞬の煌きが襲い来る集団を切り捨て、切り捨て、切り捨て、切り捨てて道を切り開く。ネアビスの目にはもはや古城の事しか見えていない。徐々に近付いていくそれに心を奪われ、単純作業のように敵を焦がして、切り刻んで進んでいく。もはや誰も止められない。滅尽の勇者の前に、天使やその他諸々は成す術なく塵となっていく。
「どうせお前たちは光に変るんだろ、けど人は……!!」
仲間を突き放すような速度で、天界を滅ぼすような勢いで彼は剣を振り抜く。多くの命を失ったのは彼の村だけではないのだ。世界中で、運命の絢によって、神の定めた運命によって、多くの人が多くのもの失っていく、この運命を作る者が許せないのだ。
城門の前には新たな天界の軍勢、その最前線には天界軍の将らしい大翼の天使が待ち構えている。彼は長身の光剣を振り翳し叫んだ。
「我が名はデオム! 神々を愚弄する人間共よ、ここで死んでもらう」
「厄介なのが来たか……!」
ネアビスは四方からの攻撃を跳ね除け、デオムへと猛進する。デオムは光剣に魔力を込めて、巨大化させる。あまりにも巨大だったが、デオムは構わずに地を抉るように振り払った。金色の光が全てを切り裂いていく。それは味方であるはずの天界軍諸共切り裂いて行く。天界軍の兵士が悲痛な叫びをあげるのもお構いなしにデオムは巨光剣を振り抜いた。攻撃範囲には味方の残骸が転がるばかり、多くの命が消えた。それでも彼は笑う。
「これも運命なのだ……。愚かな人間は我が討ち取ったぞ!!」
彼は光剣の巨大化を解除して元の鞘に納めた。その時だ、天空に星の瞬きを掻き消す黒い影が揺らめいた。
「未だ生きていたのか!」
デオムは咄嗟に光剣を手にした。それでは手遅れだ。ネアビスは己の剣に極限の冷気を纏わせて、天空より飛来する勢いを殺さずに全身で空を切り裂く。
「なぜ貴様らの都合だけで運命などを決めれるんだ!!」
ネアビスは咆えた。あの日のように。
「変えてやる。運命などいくらでも変えてやる!!」
風圧が寒波となって、あまりにも広大な天上を凍て付かせる。そこに悲鳴はない。あるのは彼の声だけだ。デオムは何とか彼を振り払い宙に浮かせる。だがすでに余力はない。冷気で多くの体力を奪われていた。ネアビスは空中で体勢を整え、着地と同時に駆ける。彼を邪魔する敵は居ない。猛然とデオムに切り掛かる。
「させるか!!」
デオムは光剣で防ごうとするが、ネアビスが凍て付いた光剣を砕き、返しの刃に灼炎と氷塊を込める。それは青白い陽炎になってデオムを切り裂く。後に残ったのは氷結した火柱だけだった。ネアビスはその炎を背に、古城へと向かった。
古城の扉の前で、仲間達はようやくネアビスに追いついた。ナイジュフがため息をつく。
「ほんと、人の苦労も知らないで……」
「すまないな」
ネアビスはそれだけ言って、古城の扉へと手を掛ける。仲間達は呆気に取られていた。人間にとってその城は大きすぎた。天上の世界に、そこからさらに天を貫くかのように神々の古城は聳えている。エリサは遥か頂点を眺めようとしている。それはすでに夜の闇に貪られていた。
「大きいな……。神々とはそんな存在なのか……?」
太古の建造ですっかり風化した岩石であるのも悠久の時を越えてきた事を物語っている。沈黙していながらその城は多くの事をネアビス達に語っていた。ここで神々によって行われた事、決定させられた事、分かたれた事、与えられた事。世界、天界、魔界の事象、それら全てを記録してきた文献と言って良い程の跡が刻まれていた。
ネアビスはその手に力を込めて、巨大な扉を押し開いた。




